学位論文要旨



No 113601
著者(漢字) 伊藤,公一
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,コウイチ
標題(和) 低親和性Ca2+指示薬BTCを用いた膵臓外分泌腺細胞のCa2+シグナルの研究
標題(洋) Characterization of Ca2+ spikes in pancreatic acinar cells using a low affinity Ca2+ indicator,BTC
報告番号 113601
報告番号 甲13601
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1262号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 助教授 竹島,浩
 東京大学 助教授 山下,直秀
 東京大学 講師 門脇,孝
内容要旨 【はじめに】

 膵臓の外分泌腺細胞では、アゴニスト刺激(ACh等)によって細胞内にIP3が産生され、細胞内Ca2+ストアからCa2+放出が促される。この結果、腺腔端のトリガー領域に始まるCa2+上昇、Ca2+波動、Ca2+振動等が起こることが知られている。従来外分泌腺細胞からの消化酵素の分泌には、細胞膜の透過性を上げた実験系から3M以上のCa2+上昇が必要であると考えられてきたが、Ca2+画像解析の実験系において酵素原顆粒の開口放出を起こすことのできる刺激によって大きなCa2+上昇が観察されたという報告はなされてこなかった。その理由の一つとして、これまでのCa2+濃度測定がfura-2のようなCa2+に対して高い親和性をもつ指示薬しか用いられてこなかったことが考えられる。高親和性Ca2+指示薬を用いると、大きなCa2+上昇が起こった場合にCa2+濃度の上限の推定が不正確になる可能性がある。それゆえ本研究ではアゴニスト刺激で引き起こされるCa2+濃度の上限を正確に測定するため、低親和性Ca2+指示薬であるベンゾチアゾールクマリン(BTC)を用いて二波長励起Ca2+画像解析を行い、膵臓外分泌腺細胞のCa2+シグナルと細胞機能との関係を検討した。

【方法】《Ca2+画像解析》

 実験にはマウスの膵臓外分泌腺を酵素処理して得られた単離細胞を用いた。Ca2+画像はパッチピペットから負荷したBTCを二波長励起して得られた蛍光画像を冷却CCDカメラで記録し、その蛍光比を求めることにより得た。

《膜容量測定法とケイジドCa2+試薬》

 膵臓外分泌腺細胞の開口放出のCa2+親和性は、パッチクランプ法の膜容量測定法で開口放出を測定しながらケイジドCa2+試薬を用いることによってを求めた。膜容量測定法は細胞膜面積当たりの膜容量を一定と仮定して電気的に膜容量を計測することによって、開口放出の結果として起こる膜面積の変化を求める方法であり、現在のところ開口放出を最高の時間分解能で定量的に測定できるシステムである。また、ケイジドCa2+試薬は紫外線を照射するとCa2+に対する親和性が低下し、細胞全体に均一かつ瞬時に、Ca2+濃度上昇を与える事が可能となる。このような性質をもつケイジドCa2+試薬に様々な濃度のCa2+を含ませることにより、Ca2+ジャンプの大きさを調節した。

《Ca2+画像解析におけるキャリブレーション》

 これまでの実験系において使用されてきたfura-2などのCa2+指示薬はCa2+に対する親和性が高く、測定するCa2+濃度が大きくなるにつれ正確なCa2+濃度測定が困難になる。なぜならば、得られたレシオ(R)を[Ca2+]1=Kd’(R-Rmin)/(Rmax-R)というGrynkiewicz,Poenie,Tsienの式(JBC、1985)でCa2+濃度に換算する際には、Ca2+濃度が高いと分母である(Rmax-R)の項が0に近づくので正確にRmaxを求める必要がある。ところでRmax、Rmin、Kd’などの定数は電解質液中と細胞内で異なることが知られており、細胞内でキャリブレーションを行う必要があるが、この際Rmaxはそもそも求め難い定数であり、実際細胞内のばらつきも大きい。したがって高親和性Ca2+指示薬であるfura-2で求めたのでは2〜3M以上のCa2+測定には信頼性がない。今回、低親和性Ca2+指示薬BTCを用いたことにより生理的条件下でRがRmaxに近づくことはなく、Rmaxの測定誤差がCa2+濃度推定に与える影響は少なく、より高いCa2+濃度を測定することが可能となった。

【結果と考察】《マイクロモーラーCa2+スパイク》

 単離腺細胞にアゴニストとして高濃度のACh(1M)を投与すると、腺腔端のいわゆるトリガー領域に始まるCa2+波動が観察され、トリガー領域においてはCa2+濃度の最大値が約10Mに達することが示された(マイクロモーラーCa2+スパイク)こうして得られたCa2+画像には更に二つの特徴がある。第一の特徴は、Ca2+波動の全時間経過を通じて腺腔端のトリガー領域におけるCa2+濃度が他の領域より高く、トリガー領域ではCa2+濃度が10Mを超えているのに対し、基底領域のCa2+濃度はトリガー領域のそれより常に2〜3Mほど低かった。第二の特徴はトリガー領域における強いCa2+上昇はアゴニストを投与し続けているのにも関わらず一過性であり、数秒後には刺激前のレベルに回復してくることである。しかしfura-2を用いたCa2+画像解析ではこれらの特徴が観察されなかった。二種類の親和性の異なるCa2+指示薬を用いて得られた結果の差異は、fura-2がCa2+に対して親和性が高いため(解離定数は約0.2M)、3M以上の高いCa2+上昇で色素が飽和していると考えれば容易に説明される。逆にBTCのCa2+画像解析の特徴はBTCが飽和していない事を示しており、BTCのCa2+親和性が低いこと(解離定数は約10M)やBTCによって求まった最大10MものCa2+濃度上昇が真実であることを裏付けている。

《二色素四波長励起Ca2+画像解析》

 ところで上記のBTCとfura-2によるCa2+画像解析の差異はそれぞれ別の細胞で測定していること、および各々のCa2+指示薬のCa2+に対するバッファ効果の差によって生じたという可能性がある。この可能性を排除するために同じ細胞にBTCとfura-2を同時に投与して解析することを試みた。この方法はBTCとfura-2が大きく異なる励起波長をもつことを利用しており、低濃度のCa2+はfura-2で、高濃度のCa2+はBTCで測定可能になる。しかしこの二色素四波長励起画像解析によって得られた結果においてもBTC画像のみにマイクロモーラーCa2+スパイクが観察された。この結果は二つの色素間で生じた差異は細胞間の差でもバッファ効果の差でもなく、色素の親和性の差によるものであることを示唆し、また、fura-2が飽和するような大きなCa2+上昇が起きているということを強く支持するものであった。

 一方、低濃度のアゴニストを投与した場合(50nMのACh)では、fura-2による画像解析ではトリガー領域から立ち上がり、基底領域に伝播していくCa2+波動を示したが、BTCによるCa2+画像解析ではほとんど変化が見られなかった。したがってこの細胞ではアゴニストの濃度が低いと1Mに達しない小さなCa2+上昇(サブマイクロモーラーCa2+スパイク)が起きることが二色素四波長励起画像解析によって初めて見出された。

《開口放出のCa2+親和性》

 膜容量測定法とケイジド試薬を組み合わせて開口放出におけるCa2+親和性を求めたところ、膵臓外分泌腺細胞には異なる速度で分泌される二種類の開口放出が存在した。すなわちCa2+濃度上昇が5Mを超えて初めて観察される、遅延を持った遅い膜容量増大と、さらに大きなCa2+濃度上昇(約10M)を与えたときに観察された、速い膜容量増大成分である。今回この膜容量測定法で得られた遅い開口放出のCa2+依存性は、streptolysin-Oなどで膜を透過型にした実験系において、amylase分泌には3M以上のCa2+上昇が必要であるという結論と一致し、whole-cell clampのような生理的状態に近い細胞においても、分泌顆粒の開口放出は低親和性であることが示された。

《Ca2+スパイクと細胞生理機能》

 これらのCa2+上昇が膵臓外分泌腺細胞のもつ二つのCa2+依存性の細胞機能、つまり膜融合による酵素分泌とCa2+依存性チャネルの活性化による電解質輸送との対応を検討するために、膜容量測定とBTCを用いたCa2+画像解析を同時に行うことによって調べた。その結果、高濃度のACh(1M)を投与し、トリガー領域でのCa2+濃度が10Mに達するような場合には大きな膜容量変化がすぐに観察された。これに対し、低濃度のACh(50nM)を投与した場合では、トリガー領域のCa2+濃度上昇が5Mに達しないときには膜容量変化は起こらなかった。しかし低濃度のAChで刺激し、Ca2+濃度が1Mに達しない時においても大きな二相性のCl-電流は活性化され、第一相の一過性の電流はトリガー領域にCa2+濃度上昇が観察されると同時に現れるので、腺腔膜のCl-チャネルの活性化であると考えられるのに対し、二相目の電流はCa2+波動が基底側に広がって初めて現れるので基底膜のCl-チャネルの活性化であると考えられた。この二相性のCl-電流の活性化は電解質輸送に重要であると考えられており、いわゆるpush-pull機構によって電解質輸送が起こることを追認したものである。つまり、サブマイクロモーラーCa2+スパイクでは溶液輸送が選択的に引き起こされ、開口放出は、トリガー領域でのマイクロモーラーCa2+スハイクによって選択的に引き起こされることが証明された。また、この三つの状態はアゴニストの濃度依存的に変わり、アゴニスト濃度が高くなるほど、開口放出が起きる確率が高くなると考えられた。

【結論】

 本研究から今までは非生理的だと考えられがちであった10M以上に達するCa2+上昇が上皮細胞のような細胞でも起こり、その場合でも合目的的にCa2+濃度勾配が保たれ、開口放出のスイッチングを行っていることが明らかになった。また膵臓外分泌腺細胞には少なくとも二種類のCa2+スパイクが存在し、各々開口放出と電解質輸送という異なる細胞機能を選択的に調節していることが初めて明らかになった。これまで、多くの細胞のCa2+シグナルの研究にはfura-2のような高親和性Ca2+指示薬が用いられてきたが、今回の結果はそのような研究が細胞機能を理解するのに不十分であった事を示し、今後は多くの細胞のCa2+シグナルを、BTCの様な低親和性色素を用いて再検討していく必要があると考えられた。

審査要旨

 本研究は、膵臓外分泌腺細胞においてアゴニスト刺激で引き起こされるCa2+濃度の上限を正確に測定するため、低親和性Ca2+指示薬であるベンゾチアゾールクマリン(BTC)を用いて二波長励起Ca2+画像解析を行い、また膵臓外分泌腺細胞のCa2+シグナルと細胞機能との関係を検討したものであり、下記の考察と結果を得ている。

1.《Ca2+画像解析におけるキャリブレーション》

 これまでの実験系において使用されてきたfura-2などのCa2+指示薬はCa2+に対する親和性が高く、測定するCa2+濃度が大きくなるにつれ正確なCa2+濃度測定が困難であった。なぜならば、得られたレシオ(R)を[Ca2+]1=Kd’(R-Rmin)/(Rmax-R)というGrynkiewicz,Poenie,Tsienの式(JBC、1985)でCa2+濃度に換算する際には、Ca2+濃度が高いと分母である(Rmax-R)の項が0に近づくので正確にRmaxを求める必要があるが、Rmax、Rmin、Kd’などの定数は電解質液中と細胞内で異なることから細胞内でキャリブレーションを行わねばならず、この際Rmaxはそもそも求め難い定数であるのに加え、細胞内のばらつきも大きい。したがってfura-2などの高親和性Ca2+指示薬で求めたのでは2〜3M以上のCa2+測定には信頼性がない。今回低親和性Ca2+指示薬BTCを用いたことにより生理的条件下でRがRmaxに近づくことはなく、Rmaxの測定誤差がCa2+濃度推定に与える影響は少なく、より高いCa2+濃度を測定することが可能となった。

2.《マイクロモーラーCa2+スパイク》

 単離腺細胞にアゴニストとして高濃度のACh(1M)を投与すると、腺腔端のいわゆるトリガー領域に始まるCa2+波動が観察され、トリガー領域においてはCa2+濃度の最大値が約10Mに達することが示された(マイクロモーラーCa2+スパイク)こうして得られたCa2+画像は、Ca2+波動の全時間経過を通じて腺腔端のトリガー領域におけるCa2+濃度が他の領域より高く、またトリガー領域における強いCa2+上昇はアゴニストを投与し続けているのにも関わらず一過性であり、数秒後には刺激前のレベルに回復する、という特徴をもっていた。一方fura-2を用いたCa2+画像解析ではこれらの特徴が観察されなかった。

3.《二色素四波長励起Ca2+画像解析》

 同じ細胞にBTCとfura-2を同時に投与して二色素四波長励起画像解析をおこなったところ、やはりBTC画像のみにマイクロモーラーCa2+スパイクが観察された。この結果により、上記の二つの色素間で生じた差異は色素の親和性の差によるものであることが示唆され、また、fura-2が飽和するような大きなCa2+上昇が起きているということが強く支持された。

 低濃度のアゴニストを投与した場合(50nMのACh)では、fura-2による画像解析ではトリガー領域から立ち上がり、基底領域に伝播していくCa2+波動を示したが、BTCによるCa2+画像解析ではほとんど変化が見られなかった。この結果から膵臓外分泌腺細胞ではアゴニストの濃度が低いと1Mに達しない小さなCa2+上昇(サブマイクロモーラーCa2+スパイク)が起きることが二色素四波長励起画像解析によって初めて見出された。

4.《開口放出のCa2+親和性》

 膜容量測定法とケイジド試薬を組み合わせて開口放出におけるCa2+親和性を求めたところ、膵臓外分泌腺細胞には異なる速度で分泌される二種類の開口放出が存在した。すなわちCa2+濃度上昇が5Mを超えて初めて観察される、遅延を持った遅い膜容量増大と、さらに大きなCa2+濃度上昇(約10M)を与えたときに観察された、速い膜容量増大成分であった。今回この膜容量測定法で得られた遅い開口放出のCa2+依存性は、streptolysin-Oなどで膜を透過型にした実験系において、amylase分泌には3M以上のCa2+上昇が必要であるという結論と一致し、whole-cell clampのような生理的状態に近い細胞においても、分泌顆粒の開口放出は低親和性であることが示された。

5.《Ca2+スパイクと細胞生理機能》

 これらのCa2+上昇が膵臓外分泌腺細胞のもつ二つのCa2+依存性の細胞機能、つまり膜融合による酵素分泌とCa2+依存性チャネルの活性化による電解質輸送との対応を検討するために、膜容量測定とBTCを用いたCa2+画像解析を同時に行うことによって調べた。その結果、高濃度のACh(1M)を投与し、トリガー領域でのCa2+濃度が10Mに達するような場合には大きな膜容量変化がすぐに観察された。これに対し、低濃度のACh(50nM)を投与した場合では、トリガー領域のCa2+濃度上昇が5Mに達しないときには膜容量変化は起こらなかった。しかし低濃度のAChで刺激し、Ca2+濃度が1Mに達しない時においても大きな二相性のCl-電流は活性化された。第一相の一過性の電流はトリガー領域にCa2+濃度上昇が観察されると同時に現れ、二相目の電流はCa2+波動が基底側に広がって初めて現れ、いわゆるpush-pull機構によって電解質輸送が起こることを追認した。

 以上本論文は、今までは非生理的だと考えられがちであった10M以上に達するCa2+上昇が上皮細胞のような細胞でも起こり、その場合でも合目的的にCa2+濃度勾配が保たれ、開口放出のスイッチングを行っていることが明らかにした。また膵臓外分泌腺細胞にはマイクロモーラーCa2+スパイクとサブマイクロモーラーCa2+スパイクという少なくとも二種類のCa2+スパイクが存在し、各々開口放出と電解質輸送という異なる細胞機能を選択的に調節していることが初めて明らかにした。本研究は膵臓外分泌腺細胞のCa2+シグナルと細胞機能との関係の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク