学位論文要旨



No 113607
著者(漢字) 中村,和裕
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,カズヒロ
標題(和) Creリコンビナーゼ発現マウスとテレンセファリンのノックアウトマウスの作製と解析
標題(洋) Production and analysis of mice expressing Cre recombinase and telencephalin mutant mice
報告番号 113607
報告番号 甲13607
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1268号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 竹島,浩
 東京大学 講師 小野寺,加代子
内容要旨 序論

 標的遺伝子組み換え法は個体レベルで特定の遺伝子の機能を解析することができる強力な方法である。この方法を用いて記憶、学習などの脳の高次機能の分子メカニズムを研究することができるようになった。我々の研究室では標的遺伝子組み換え法により得られた欠損マウスを解析することにより、NMDA受容体チャネルの多様性の機能的意義、グルタミン酸受容体チャネル2サブユニットの役割が解明された。しかし、標的遺伝子組み換え法にも限界はある。従来の標的遺伝子組み換え法では、その遺伝子の欠失が個体に致死をもたらす時に、十分な解析が出来ない。また、欠失させた遺伝子の発現領域が広範囲に及んでいる時に、表現型の分子メカニズムの解釈が困難になる。

 これらを解決する方法として、部位特異的標的遺伝子組み換え法を開発し、個体で記憶,学習などの脳の高次機能を解析するために、終脳特異的な発現パターンを示す細胞接着分子telencephalin(TLN)に着目した。TLNは免疫グロブリンスーパーファミリーに属し、9個の免疫グロブリン様ドメインを有する。また、終脳特異的に発現しているが、その発現パターンには特異性がある。つまり、細胞体、樹状突起には発現しているが、軸索には発現はみられない。また、ニューロンに発現しているが、グリアには発現していない。

 本研究ではTLN遺伝子にCre遺伝子組み換え蛋白を挿入することにより、Cre遺伝子組み換え蛋白発現マウスを作製し、Cre遺伝子組み換え蛋白による組み換えの効率、部位特異性を解析した。更にこのホモ接合体マウスを用いてin vivoでのTLNの生理機能解析を行った。

方法と結果

 最初にマウスTLN遺伝子の発現パターンをin situハイブリダイゼーションにより解析し、マウスTLN遺伝子は生後に終脳特異的な発現を示すことを確認した。

 TLN遺伝子にCre遺伝子組み換え蛋白とネオマイシン耐性遺伝子を挿入し、TLNのメチオニンを含むエキソンのメチオニン以下82bpとそれに続くイントロンの1部(70bp)を欠失させる構造のターゲティングベクターを作製し、TT2胚性幹細胞(ES細胞)に導入し、相同組み換え法によりTLN遺伝子の一部を欠失し、Cre遺伝子組み換え蛋白を発現するマウスを作製した。ゲノム中にCre遺伝子組み換え蛋白の認識するloxP配列を有するGluR2d2マウスとかけ合わせ、サザンブロットハイブリダイゼーションによりCre遺伝子組み換え蛋白の活性を判定した。その結果、胎生13日の時点で脳全体ですでにほぼ100%の欠失が認められ、脳以外の器官でも、ほぼ100%の欠失が認められた。従って、作製したCre遺伝子組み換え蛋白発現マウスは個体レベルで効率的に遺伝子組み換えを起こすことが明らかとなった。しかしながら、遺伝子組み換えは胎生13日の時点ですでに終脳特異的でなく、全身でおこっていた。

 終脳特異的細胞接着分子TLNはin vitroの実験より、神経突起伸長、シナプスの可塑性、ミクログリアで発現がみられるLFA-1との相互作用に関与していることが示唆されたので、TLNの生理機能を解析するためにCre遺伝子組み換え蛋白発現マウスのホモ接合体を作製することによってTLN欠損マウスを作製した。TLN欠損マウス(TLN-/-)は外見上特に異常を認めなかった。Nissl染色により終脳内各領域の形態を光顕レベルで解析したが、TLN-/-マウスは形態的異常を示さなかった。また、対側大脳皮質にビオシチンを注入することにより、逆行性に大脳皮質II/III層に分布する錐体細胞の細胞体、樹状突起を染色し、個々の樹状突起の形態の解析を行ったが、TLN+/+マウスとTLN-/-マウスで差は認められなかった。また、電顕による海馬CA1のシナプス密度の解析、大脳皮質バレル構造の解析の結果、TLN-/-マウスで異常はみられなかった。以上のように、TLN欠損マウスで発生、形態異常は認められなかった。また、TLNの発現のみられる海馬でのシナプス可塑性を評価するために、海馬CA1領域でのシナプス伝達長期増強(LTP)を調べた。その結果TLN+/+マウスとTLN-/-マウスで同程度のLTPが認められた。また、活性化ミクログリアで発現しているLFA-1とニューロンで発現しているTLNの相互作用を調べるために、大脳皮質に寒冷損傷を与え、活性化ミクログリアのニューロンへの遊走を調べたが、TLN+/+マウスとTLN-/-マウスで同様に遊走がみられた。

 次に生後35-40日のTLN+/+マウスとTLN-/-マウスを用いてopen field testを行い自発運動量の測定を行った。TLN-/-マウスは歩行距離が有意に長く(t検定で危険率0.05以下)、水平方向の活動性が亢進していた。また、立ち上がり回数も有意に多く(t検定で危険率0.05以下)、垂直方向の活動性も亢進していた。このことよりTLNは自発運動の制御に関わっていることが示唆された。

考察

 Cre遺伝子組み換え蛋白発現マウスは終脳特異的な組み換えは起こさなかった。Cre遺伝子組み換え蛋白特異的プローブを用いたin situハイブリダイゼーションの結果、Cre遺伝子組み換え蛋白の発現は検出感度以下だった。そのため、Cre遺伝子組み換え蛋白の挿入がTLN遺伝子の発現パターンを変化させた可能性がある。つまり、ターゲティングベクターを構築する際、イントロンの一部を欠失させる構築としたために、欠失させた領域内に調節領域が存在していて、発現領域が変化して終脳特異的な発現を示さなかった可能性がある。また、ネオマイシン耐性遺伝子の上流に位置するpgkプロモーターがTLNプロモーターを干渉した可能性もある。

 TLN遺伝子特異的プローブを用いたin situハイブリダイゼーションの結果、マウスTLNは胎児期での発現はほとんどみられず、生後に終脳特異的な発現を示した。一方、ES細胞でTLNの発現がみられ、また、TLN遺伝子にCre遺伝子組み換え蛋白を挿入したES細胞内で、Cre遺伝子組み換え蛋白による組み換えが起こったので、もう一つの理由として器官が分化する以前の発生の初期段階でTLNが非常に弱く発現していて、その結果として全身でCre遺伝子組み換え蛋白が機能した可能性がある。

 TLNはin vitroの実験では、神経突起伸長、シナプスの可塑性、ミクログリアで発現がみられるLFA-1との相互作用に関与していることが示唆されたが、TLN欠損マウスでは、終脳内各領域の形態、個々の樹状突起の形態、海馬CA1のシナプス密度、大脳皮質バレル構造、海馬CA1でのLTP、活性化ミクログリアのニューロンへの遊走に異常は認められないことが明らかにされた。in vitroの結果とin vivoでの結果に違いがみられたが、その理由としてまだ未知のTLN以外の樹状突起特異的に発現がみられる細胞接着分子が存在していて機能を代償している可能性が考えられる。しかし、open field testにより自発運動量を調べた結果、TLN欠損マウスでは水平、垂直両方向の活動性が亢進していた。

 部位特異的にはならなかったが、個体でCre遺伝子組み換え蛋白を発現するマウスを作製した。また、TLN欠損マウスの解析により、TLNが生体内で自発運動の調節に役割を果たしていることを見いだした。

審査要旨

 本研究は、個体で記憶,学習などの脳の高次機能を解析することを目的として、マウス胚性幹細胞を使って、部位特異的標的遺伝子組み換え法の開発と、それに伴う終脳特異的細胞接着分子テレンセファリンの生理機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1. テレンセファリン(TLN)遺伝子にCre遺伝子組み換え蛋白を挿入し、TLNのメチオニンを含むエキソンのメチオニン以下82bpとそれに続くイントロンの1部(70bp)を欠失させる構造のターゲティングベクターを作製し、TT2胚性幹細胞(ES細胞)に導入し、相同組み換え法によりTLN遺伝子の一部を欠失し、Cre遺伝子組み換え蛋白を発現するマウスを作製した。

 2. ゲノム中にCre遺伝子組み換え蛋白の認識するloxP配列を有するGluR2d2マウスとかけ合わせ、サザンブロットハイブリダイゼーションによりCre遺伝子組み換え蛋白の活性を判定した。その結果、マウス終脳でほぼ100%という高い効率でCre遺伝子組み換え蛋白によるloxP配列間の欠失がみられた。しかし、残念ながら胎生13日の時点ですでに全身でほぼ100%の欠失が認められていた。その理由としてTLN遺伝子にCre遺伝子組み換え蛋白を挿入したES細胞内で、Cre遺伝子組み換え蛋白による組み換えが起こったので、器官が分化する以前の発生の初期段階でTLNが非常に弱く発現していて、その結果として全身でCre遺伝子組み換え蛋白が機能した可能性がある。また、ターゲティングベクターを構築する際、イントロンの一部を欠失させる構築としたために、欠失させた領域内に調節領域が存在していて、発現領域が変化して終脳特異的な発現を示さなかった可能性がある。また、ネオマイシン耐性遺伝子の上流に位置するpgkプロモーターがTLNプロモーターを干渉した可能性もある。

 3. 終脳特異的細胞接着分子TLNはin vitroの実験より、神経突起伸長、シナプスの可塑性、ミクログリアで発現がみられるLFA-1との相互作用に関与していることが示唆されたので、TLNの生理機能を解析するためにCre遺伝子組み換え蛋白発現マウスのホモ接合体を作製することによってTLN欠損マウスを作製した。

 4. TLN欠損マウス(TLN-/-)には外見上特に異常を認めなかった。Nissl染色により終脳内各領域の形態を光顕レベルで解析したが、TLN-/-マウスは形態的異常を示さなかった。また、対側大脳皮質にビオシチンを注入することにより、逆行性に大脳皮質II/III層に分布する錐体細胞の細胞体、樹状突起を染色し、個々の樹状突起の形態の解析を行ったが、TLN+/+マウスとTLN-/-マウスで差は認められなかった。また、電顕による海馬CA1のシナプス密度の解析、大脳皮質バレル構造の解析の結果、TLN-/-マウスで異常はみられなかった。以上のように、TLN欠損マウスで発生、形態異常は認められなかった。また、TLNの発現のみられる海馬でのシナプス可塑性を評価するために、海馬CA1領域でのシナプス伝達長期増強(LTP)を調べた。その結果TLN+/+マウスとTLN-/-マウスで同程度のLTPが認められた。また、活性化ミクログリアで発現しているLFA-1とニューロンで発現しているTLNの相互作用を調べるために、大脳皮質に寒冷損傷を与え、活性化ミクログリアのニューロンへの遊走を調べたが、TLN+/+マウスとTLN-/-マウスで同様に遊走がみられた。in vitroの結果とin vivoでの結果に違いがみられたが、その理由としてまだ未知のTLN以外の樹状突起に発現がみられる細胞接着分子が機能を代償している可能性が考えられる。

 5. 次に生後35-40日のTLN+/+マウスとTLN-/-マウスを用いてopen field testを行い自発運動量の測定を行った。TLN-/-マウスは歩行距離が有意に長く(t検定で危険率0.05以下)、水平方向の活動性が亢進していた。また、立ち上がり回数も有意に多く(t検定で危険率0.05以下)、垂直方向の活動性も亢進していた。このことよりTLNは自発運動の制御に関わっていることが示唆された。

 以上、本論文では相同組み換え法によりTLN遺伝子欠損マウスを作製し解析した結果、TLNが生体内で自発運動の調節に役割を果たしていることを見いだした。本研究は終脳特異的細胞接着分子テレンセファリンの生理機能の解明に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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