学位論文要旨



No 113611
著者(漢字) 今井,康雄
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,ヤスオ
標題(和) 十二指腸乳頭部癌におけるAPC、p53、K-ras遺伝子変異とゲノム不安定性の解析
標題(洋)
報告番号 113611
報告番号 甲13611
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1272号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 山本,雅
内容要旨 [研究の背景と目的]

 十二指腸乳頭部癌は比較的稀な腫瘍であり全消化管腫瘍のおよそ5%に相当する。現在までに腫瘍の発生機序、特に分子生物学的な解析については報告が少ない。十二指腸乳頭部癌は家族性大腸ポリポーシス(Familial Adenomatous Polyposis,FAP)患者の死因となる重要な大腸癌以外の合併症として知られており、実際、家族性大腸ポリポーシス患者に生じる十二指腸乳頭部腫瘍においてAdenomatous polyposis coli(APC)遺伝子が高頻度に体細胞変異をおこしていることも明らかにされている。しかしながら、非FAP患者での散発性十二指腸乳頭部癌についてAPC遺伝子変異を検索した報告はこれまでにない。はじめに散発性十二指腸乳頭部癌の発生におけるAPC遺伝子変異の役割を明らかにする目的で我々は非FAP患者における十二指腸乳頭部癌17例についてAPC遺伝子座位におけるヘテロ接合性の消失(Loss of Heterozygosity,LOH)の検討とAPC遺伝子の変異集中領域の塩基配列の決定を行った。更に、エクソン5から8までのp53遺伝子変異とK-ras遺伝子エクソン1の変異も併せて検索した。

 一方ミスマッチ修復遺伝子の変異によって引き起こされるゲノム不安定性が遺伝性非ポリポーシス型大腸癌(Hereditary Nonpolyposi Colorectal Cancer,HNPCC)と一部の散発性大腸癌の原因であることが近年明らかにされた。ゲノム不安定を示すそれらの腫瘍では、II型TGF-レセプター遺伝子がその中の繰り返し配列において高率に変異を起こして不活性化されており、遺伝子複製の誤り(Replication Error,RER)のターゲットの一つとして考えられている。本研究でAPC遺伝子変異を調べた結果、コドン1554-6のアデニン繰り返し配列にインサーション変異が見られたことから十二指腸乳頭部癌においてもゲノム不安定性が腫瘍発生や進展に関わっている可能性が考えられた。そこでゲノム不安定性とそれに関連したII型TGF-レセプター遺伝子変異とを調べるため5つのマイクロサテライト領域(D2S123、D3S1029、D5S409、TP53、BAT26)とII型TGF-レセプター遺伝子内のアデニン繰り返し配列(ヌクレオチド709-718)とを解析した。

[研究の方法]

 非FAP患者における十二指腸乳頭部癌17例についてパラフィン包埋プロックを15mの厚さに4-6枚薄切し、それと隣接したパラフィン切片上の腫瘍病変を顕微鏡下に確認することにより正常間質細胞の混入を最小限にするべく厳密に腫瘍組織をスライドグラスから切り取った。腫瘍組織は全細胞中腫瘍細胞が60%以上を占める領域を選択した。切り取った腫瘍細片はキシレンで脱パラフィンした後プロテアーゼKで消化しフェノールクロロホルムで除蛋白を行いDNAを抽出した。PCRによりDNAを増幅して増幅産物を制限酵素RsaIで処理し電気泳動することによりAPC遺伝子座位におけるヘテロ接合性の消失(LOH)を検討した。またAPC遺伝子の変異集中領域、p53遺伝子のエクソン5から8までとK-ras遺伝子エクソン1をPCRで増幅しプラスミドベクターに組み込んだ後大腸菌に感染させ、最低50個の大腸菌コロニーを混合培養した後プラスミドを回収してジデオキシ法で塩基配列の決定を行った。変異を認めた症例ではDNA抽出から同様の過程を繰り返し結果を確認するとともに正常のDNAを調べて生殖細胞変異を否定した。

 ゲノム不安定性は技術的にはRERとして検出されることが多い。従来の報告から消化器系悪性腫瘍でRERの見られやすい5つのマイクロサテライト領域(D2S123、D3S1029、D5S409、TP53、BAT26)を[-32P]dATPでラベルしたプライマーを用いてPCRで増幅後ポリアクリルアミド変性ゲルで電気泳動し、さらにゲルを3MM紙に固定後乾燥しX線フィルムに感光させた。ゲノム不安定性は腫瘍部と非腫瘍部の泳動度の差として判定した。ゲノム不安定性を認めた症例については同様の過程を二度繰り返し結果を確認した。II型TGF-レセプター遺伝子内のアデニン繰り返し配列(ヌクレオチド709-718)の変異については上記遺伝子変異と同様に解析するとともに変異陽性例についてはPCRクローンを各々10個ずつ拾って個別に解析した。また正常組織のDNAを調べて生殖細胞変異を否定した。

[結果及び考察]

 APC遺伝子変異は、17例中8例(47.1%)に、LOHを伴ったり伴わなかったりするミスセンスあるいは挿入変異として見られ、うち2例はコドン1554-6のアデニン繰り返し配列での挿入変異であった。一方p53遺伝子変異のパターンは極めて特徴的なものであった。17例中9例が合計12個の遺伝子変異を示したがそのうち6例はコドン189のGCCからGTC(ValからAla)への点変異であり3例はコドン166のTGGからTAG(Tryから終止コドン)への点変異であり、部位特異性を示すある種の発癌物質の関与を示唆する所見であると考えられた。更に12個の変異のうち5つはノンセンス変異であった。K-ras遺伝子に関しては17例中4例(23.5%)にコドン12の変異が見つかった。その4例中3例は十二指腸壁内胆管由来と考えられるものであった。また病理学的所見との関連ではp53、APC遺伝子変異ともに肉眼形態上は腫瘤型(37.5%(3/8),37.5%(3/8))よりは潰瘍型(60%(3/5),60%(3/5))に、組織学的には管状腺癌(36.4%(4/11),45.5%(5/11))よりは乳頭状腺癌(62.5%(5/8),75%(6/8))に高頻度に見られた。また、APC遺伝子変異は高分化から中分化型の腺癌に多く見られ(8/15)低分化腺癌には見られなかった(0/2)ことから肉眼型や組織型、分化度によっても腫瘍発生の分子的機序が異なる可能性があると考えられた。本研究では1症例を除く全例がOddi括約筋を越えて進展する比較的進行した癌であったため、厳密な意味での十二指腸乳頭部癌の発生から進行に至る遺伝子変異の蓄積過程は明らかにできなかった。しかし、遺伝子変異のパターンは非ポリポイド型の平坦、陥凹型大腸癌との類似性が見られた。また、FAP患者に生じる十二指腸乳頭部癌はK-rasやp53遺伝子変異を伴わないでAPC遺伝子変異のみを高頻度に示すとされているのに対して、本研究で解析した散発性十二指腸乳頭部癌ではAPC遺伝子変異のみを示すものが17例中4例(23.5%)(全て共通管由来)、p53遺伝子変異のみ示すもの5例(29.4%)(全て共通管由来)、K-ras遺伝子変異のみ示すものが2例(11.8%)(どちらも十二指腸壁内胆管成分由来)であり散発性の中のある部分についてはAPC遺伝子変異以外の遺伝子学的機序により生ずるものと考えられた。

 一方、ゲノム不安定性は17例中5例(29.4%)に、II型TGF-レセプター遺伝子変異は17例中13例(76.5%)に体細胞変異として認められた。特に本研究で解析した5つのマイクロサテライト領域において全くRERを認めなかった症例においてもII型TGF-レセプター遺伝子変異が認められ、これは従来の報告と異なる結果であった。従来の報告によればゲノム不安定性は散発性大腸癌の16.5%(40/248)、散発性胃癌の18%(6/33)、肝臓癌の3.4%(1/29)、膵臓癌の66%(6/9)に見られたと報告されておりこれらと比較して今回の十二指腸乳頭部癌ではRERは比較的高頻度であると考えられた。ゲノム不安定性とII型TGF-レセプター遺伝子変異の頻度の乖離の原因としては遺伝子学的に意味を持たないマイクロサテライト領域の変異とは異なり、II型TGF-レセプター遺伝子変異が十二指腸乳頭部癌の発生進展にとって特異的に有利に作用している可能性がある。この仮説を支持する同様の事実としてRERを示さない消化器系悪性腫瘍でのAPC遺伝子内の繰り返し配列の高頻度の変異が挙げられる。FAP家系に好発する十二指腸乳頭部腫瘍において高頻度にAPC遺伝子コドン1554-6のポリアデニルサイトでのA挿入変異が見られるが(7/11,63.6%)これらはミスマッチ修復系の欠陥が原因とは考えられていない。また非RER大腸癌のほぼ半分がAPC遺伝子のフレームシフト変異を示した(30/63,47.6%;繰り返し配列に限れば11/63,17.5%)との報告もある。一方、RERを示す大腸癌において同じ10塩基のアデニン繰り返し配列でもイントロンや遺伝子間に存在するものとII型TGF-レセプター遺伝子内とでは遺伝子変異の頻度に有意差が認められたと報告されている。以上より十二指腸乳頭部癌においてはゲノム不安定性は比較的高頻度に見られ、またII型TGF-レセプター遺伝子はRERの好発部位でその遺伝子変異は腫瘍発生において重要な役割を果たしている可能性があると考えられた。

[結語]

 本研究により次のような結果を得た。

 I.散発性十二指腸乳頭部癌17例中においてAPC遺伝子変異は8例(47.1%)に見られ、またp53遺伝子変異は9例(52.9%)に見られた。

 II.K-ras遺伝子変異は4例に認められたがその内3例は十二指腸壁内胆管由来と考えられた。

 III.p53、APC遺伝子変異ともに肉眼形態上は腫瘤型よりは潰瘍型に、組織学的には管状腺癌よりは乳頭状腺癌に高頻度に見られた。

 IV.散発性十二指腸乳頭部癌の遺伝子変異のパターンは非ポリポイド型の平坦、陥凹型大腸癌との類似性が見られた。

 V.本研究での解析結果から散発性十二指腸乳頭部癌のある部分についてはAPC遺伝子変異以外の機序で生じるものがあると考えられた。

 VI.ゲノム不安定性は17例中5例(29.4%)に見られ、またII型TGF-レセプター遺伝子変異は17例中13例(76.5%)に見られた。II型TGF-レセプター遺伝子変異は十二指腸乳頭部癌の発生において特に重要な役割を果たしている可能性があると考えられた。

審査要旨

 本研究は十二指腸乳頭部腫瘍が家族性大腸ポリポーシス患者に好発することに着目し、散発性の十二指腸乳頭部癌についてもAPC癌抑制遺伝子変異の関与を疑うとともに一般的に消化器系腫瘍で高率に変異の見られるp53、K-ras遺伝子変異、ゲノム不安定性を検索しその腫瘍発生機序について考察したものであり、下記の結果を得ている。

 I. 散発性十二指腸乳頭部癌17例中においてAPC遺伝子変異は8例(47.1%)に見られ、またp53遺伝子変異は9例(52.9%)に見られた。p53遺伝子変異は特定のコドンに集中する傾向が見られ特異的な発癌物質の存在が疑われた。

 II. K-ras遺伝子変異は4例に認められたがその内3例は十二指腸壁内胆管由来と考えられた。K-ras遺伝子変異は胆管上皮由来の指標となりうると考えられた。

 III. p53、APC遺伝子変異ともに肉眼形態上は腫瘤型よりは潰瘍型に、組織学的には管状腺癌よりは乳頭状腺癌に高頻度に見られた。

 IV.散発性十二指腸乳頭部癌の遺伝子変異のパターンは非ポリポイド型の平坦、陥凹型大腸癌との類似性が見られた。

 V.本研究での解析結果から散発性十二指腸乳頭部癌のある部分についてはAPC遺伝子変異以外の機序で生じるものがあると考えられた。

 VI. ゲノム不安定性は17例中5例(29.4%)に見られ、またII型TGF-レセプター遺伝子変異は17例中13例(76.5%)に見られた。II型TGF-レセプター遺伝子変異は十二指腸乳頭部癌の発生において特に重要な役割を果たしている可能性があると考えられた。

 以上、本論文は散発性十二指腸乳頭部癌においてはAPC遺伝子変異の関与しない発癌経路があることを明らかにしまた腫瘍発生部位によって特異的な遺伝子変異パターンがあることを示した。本研究は現在までにほとんど知られていなかった散発性十二指腸乳頭部癌の癌関連遺伝子変化を明らかにし、その発癌機序解明に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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