学位論文要旨



No 113612
著者(漢字) 張,紹敏
著者(英字)
著者(カナ) ツァン,シャオミン
標題(和) p53遺伝子欠損マウスにおける脳腫瘍誘発と発生機構
標題(洋) Brain Tum or Induction and Underlying Mechanisms in p53 Gene Deficient Mice
報告番号 113612
報告番号 甲13612
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1273号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 勝木,元也
 東京大学 助教授 菅野,純夫
 東京大学 助教授 田中,信之
内容要旨 「はじめに」

 p53遺伝子はヒトの癌で最も高頻度に変異の認められる遺伝子であり、その遺伝子産物はアポトーシス(apoptosis)、細胞周期、DNA修復等に関与することが知られている。最近、p53は転写制御因子として多くの標的遺伝子の発現制御を行っていることがわかってきた。p53遺伝子の異常は癌の悪性度、抗癌剤と放射線療法の抵抗性、転移、血管新生能等にもかかわっている。一方、ヒト腫瘍におけるp53遺伝子変異の解析結果によれば、その変異の時期は臓器又は組織により異なるとの結果が得られている。大腸癌では、p53遺伝子の変異は後期に観察され、一方、glia系腫瘍においては癌発生の早期に起こっているということが報告されている。また、Li-Fraumeni症候群は原因遺伝子p53遺伝子のgermline変異があり、脳腫瘍を含む遺伝性高発癌疾患である。Li-Fraumeni症候群の動物モデルとして、p53遺伝子欠損マウス(ノックアウトマウス)が作製された。このマウスでは早期に胸腺リンパ腫や各種の肉腫が自然発症するが、自然発生脳腫瘍は稀である。このp53遺伝子ノックアウトマウスを用いた皮膚及び肝発癌実験モデルではp53遺伝子欠損は腫瘍発生の悪性転換に関わるが腫瘍発生の早期には関与しないと報告されている。本研究はエチルニトロソウレア(N-ethyl-N-nitrosourea、ENU)を用いた経胎盤発癌実験をp53遺伝子欠損ヘテロマウスに行い、各p53遺伝子型を持つ仔マウスに発生する腫瘍の解析を行った。その結果p53ホモとヘテロマウスには神経原性腫瘍がきわめて早期に高率に発生した。このマウスモデルを用い神経原性腫瘍の発生機構を分子生物学的手法を用いて検討した。

「方法」

 p53遺伝子ノックアウトマウスは相沢慎一教授(熊本大学)らが作製したマウスで、C57BL/6とCBAを遺伝的背景に持ち、p53遺伝子の第2エクソンの上流にネオマイシン耐性遺伝子が挿入されている。ホモマウスでは生後6カ月前後で胸腺リンパ腫、血管肉腫等が、ヘテロマウスでは生後1年6カ月から骨肉腫、白血病等の自然発症腫瘍がみられ、これらは、これまで他施設で作製されたマウスと類似している。

 経胎盤発癌実験はヘテロマウス同士を交配し、plug確認した時点を妊娠0.5日として、妊娠12.5、14.5、16.5日目にENU25mg/kgまたは生理食塩水(コントロールとして)を腹腔内1回投与した。4週齢で離乳し、仔マウスの尾部から抽出したDNAよりgenotypeを判定した。生後34週で全例を解剖し、病理組織学的に検討した。ヘテロマウスに発生したglioblastomaとschwannomaついて、p53遺伝子の欠損の有無をwild-type allele特異的PCR法またSouthern blottingを用いて検討した。

 誘発した腫瘍でのneu/erbB-2遺伝子の検索について、まず、RT-PCR法によってマウスneu/erbB-2遺伝子を部分的にcloningし、PCR法で遺伝子を増幅後、direct sequencing法で塩基配列の決定をした。制限酵素Mnl1による遺伝子変異部位切断の方法も行った。

 胎児におけるENU投与の影響について、p53ヘテロマウスを交配し、妊娠12.5日にENU25mg/kgまたは生理食塩水(コントロールとして)を腹腔内に1回投与し、投与後1時間から96時間まで各時間後の胎児の細胞組織学的変化H.E.染色、TUNEL法染色及び電子顕微鏡法を用い観察した。

「結果」

 生存曲線をみるとENU投与群ホモマウスは生後8週から急速に死亡数が増加したが他のgenotypesでは非投与群と比べ有為な差はなかった。ENU投与群に発生した腫瘍には肺腫瘍、肉腫、リンパ腫等がみられたが、これらの発症率とgenotypeとの相関は低かった。一方、脳腫瘍はホモマウスに高頻度に発症していると考えられた。原発性脳腫瘍はホモマウスの70%(12/17匹)、ヘテロマウスの4%(2/55匹)に認められ、野性型マウスにはその発生をみなかった。また性別と脳腫瘍発生頻度に有為差はなかった。

 ほとんどのglioblastomaの発生は大脳皮質、特に海馬近傍に観察され、2例だけは小脳と脳幹から発生した。組織学的に、小脳に発生した1例のmedulloblastomaを除いてヒトglioblastomaに類似した腫瘍であった。ヘテロマウスに生じた脳腫瘍からDNAを抽出し、Exon2のneoカセット挿入部を用いたPCR法にてp53遺伝子を検索したところ野性型alleleの消失が認められ、脳腫瘍はp53が存在しない環境下でのみ発生することが分かった。

 Schwannomaはホモマウスの12%、ヘテロマウスの20%に認められ、野性型マウスにはその発生をみなかった。全てのschwannomaは三叉神経及びganglionから発生した。その病理組織像は、ENUで誘発したラットのschwannomaに類似している。p53遺伝子を検索したところヘテロ接合体マウスに発生したschwannomaでは、glioblastomaに対し、野性型alleleの消失が認められなかったが、neu/erbB-2癌遺伝子の同一のコドンの点突然変異(GTG→GAG)による活性化が全例で観察された。その突然変異は、glioblastoma、medulloblastoma、及び同一動物個体から発生した肺腫瘍には認められなかった。

 胎生12.5日目の胎児にENU投与16時間後に、TUNEL法を用いてp53ホモマウス、ヘテロマウス、と野性型マウスそれぞれの脳でのアポトーシス細胞の発生を観察した。この発生時期のcontrol群の大脳neocortex及び三叉神経部分ではアポトーシス像は認められなかった。ENU投与により、野性型とヘテロマウスではアポトーシスが誘導され、ホモではアポトーシスは誘導されていなかった。一方、三叉神経のganglionについては、ENU投与により、各p53遺伝子型マウスとも、アポトーシスの誘導が観察されたが、有為な差はなかった。このことから、ENU投与によるアポトーシス誘導はマウス大脳部分はp53遺伝子依存性を示し、マウス胎児三叉神経のganglion部分ではp53遺伝子非依存性を示すことが分かった。

 ENU投与後の大脳皮質部分でのアポトーシス細胞の経時的変化についても検討した。アポトーシス細胞数はH.E.染色法で確認し、算定した。野性型マウスとヘテロマウスでは投与後4時間からアポトーシス細胞が出現し、16時間後をピークに減少した。それに対して、ホモマウスでは96時間後までアポトーシス細胞の出現は認められず、p53遺伝子依存性であることが再確認された。

 他に、マウス発生期の脳choroid plexus上皮と肺上皮ではENU投与によるアポトーシス細胞の出現は認められなかった。肝臓と腎臓の組織ではENU投与によるp53遺伝子非依存性であるアポトーシス細胞が観察された。

「考察」

 以上の結果から、p53遺伝子欠損マウスにおいて、ENU経胎盤投与実験で、神経系腫瘍が高率に発生することがわかった。発癌物質による誘発神経系腫瘍モデルとしてラットは良く知られている。マウスでの神経系腫瘍の誘発する試みは20年前から多数行なわれてきたが、神経系腫瘍の発生は報告されていない。何故マウス神経系腫瘍の誘発は難しいのか、何かのメカニズムが腫瘍の発生を抑制しているのか、その機構はまだ不明である。本研究の結果からほとんどglioblastomaは大脳皮質に発生し、p53遺伝子欠損と相関していることはわかった。また、発癌物質投与後短時間で大脳皮質部分でp53遺伝子依存性のアポトーシスが起こっていることが解った。このことから脳腫瘍はp53遺伝子がnullの環境下で発生しており、発癌物質投与実験でp53遺伝子の欠損が腫瘍発生そのものに関与していることを示していると考えられた。今までのp53ノックアウトマウスによる発癌実験の結果と違い、p53がENU投与による脳腫瘍発生はそのもの関与していることを示唆している。

 一方、schwannomaは、p53ホモ及びヘテロマウスの三叉神経に発生し、野性型マウスにはschwannomaが発生していないことからp53遺伝子が何らかの影響を与えていることから、p53遺伝子の何らかの関与が考えられる。本研究からヘテロマウスに発生したschwannomaでは野性型p53遺伝子alleleの消失は観察されず、neu/erbB-2遺伝子の点突然変異による活性化が観察された。neu/erbB-2遺伝子産物は上皮成長因子レセプター(EGFR)のホモログとしてerbB-3とヘテロdimerを形成し、成長因子または神経栄養因子のシグナル伝達系の一部であることが知られている。その因子の一つであるneuregulinを高発現させると、Schwann細胞の生存時間が延びることが最近分かってきた。本研究ではschwannomaのみneu/erbB-2遺伝子の点突然変異が観察されたが、その遺伝子活性化によってSchwann細胞の生存にとって有利に働くことと考えられる。発癌剤投与直後の三叉神経について、各遺伝子型マウスとも、アポトーシスの誘導が観察されたことから、胎生期でのp53遺伝子発現はSchwann細胞発癌には影響が少ないと考えられた。

 ENU投与により誘発されたアポトーシス細胞は、大脳皮質においてp53遺伝子依存性であることがこの研究からわかった。以上の実験結果より、大脳皮質に誘発されたglioblastomaはp53遺伝子nullの環境下で発生したことから、胎児脳neocortex部位でのアポトーシス細胞が見られないことはglioblastomaの発生を促進するよう働いていることが考えられる。マウスでの脳腫瘍発生では、発癌物質の組織や細胞に対する親和性のみならず、特定な遺伝的背景と発生時期も関与していることが考えられる。p53遺伝子ノックアウトマウスにおいて神経管閉鎖異常である外脳症の発生率が高いことが最近報告されたことから、p53遺伝子はマウス脳発生に関与している可能性がある。

審査要旨

 本研究はヒトの癌で最も高頻度に変異の認められる遺伝子であるp53遺伝子の遺伝子欠損動物モデル、p53遺伝子ノックアウトマウスを用いて発癌剤のエチルニトロソウレア(N-ethyl-N-nitrosourea、ENU)経胎盤的に発癌実験を行い、各p53遺伝子型を持つ仔マウスに発生する腫瘍の解析を行った。その結果p53ホモとヘテロマウスには神経原性腫瘍が早期に高率に発生した。このマウスモデルを用い神経原性腫瘍の発生機構を分子生物学的手法を用いて検討し、下記の結果を得ている。

 1. p53遺伝子欠損マウスにおいて、ENU経胎盤投与実験で、神経系腫瘍のgliomblastomaとschwannomaが高率に発生した。gliomblastomaはホモマウスの70%(12/17匹)、ヘテロマウスの4%(2/55匹)に認められた。Schwannomaはホモマウスの12%、ヘテロマウスの18%に認められた。p53遺伝子野性型マウスには神経系腫瘍の発生をみなかった。発癌物質であるENUによる誘発神経系腫瘍モデルとしてラットは良く知られている。マウスでの神経系腫瘍の誘発する試みは20年前から多数行なわれてきたが、その発生はほとんど報告されていない。何故マウス神経系腫瘍の誘発は難しいのか、何かのメカニズムが腫瘍の発生を抑制しているのか、その機構はまだ不明である。本研究の結果から、神経系腫瘍が高率に発生することはp53遺伝子の欠損と相関することが分かった。

 2. ほとんどのgliomblastomaの発生は大脳皮質、特に海馬近傍に観察され、組織学的にヒトglioblastomaに類似した腫瘍であった。ヘテロマウスに生じた2例のgliomblastomaはPCR法にてp53遺伝子を検索したところ野性型alleleの消失が認められ、gliomblastomaはp53が存在しない環境下でのみ発生することが分かった。これまでに報告されたp53遺伝子欠損マウスを用いた発癌実験の結果についてみますと、皮膚の二段階発癌実験にしでも肝発癌実験にしでも、腫瘍の発生はヘテロマウスと野生型マウスで同程度であり、ホモマウスに発生した腫瘍は低頻度で、しかし、悪性腫瘍の比率が多く、p53は癌の悪性転換に関与していることが示唆されたが、本研究の結果より、腫瘍の悪性度のみならず、腫瘍の発生頻度もp53遺伝子の欠損と相関することが分かった。

 3. ラットにENUによる誘発されたschwannomaにみられたneu/erbB-2癌遺伝子の同一のコドンの点突然変異(GTG→GAG)は本実験から誘発したマウスschwannomaにも活性化が全例で観察された。その突然変異は、gliomblastoma、medulloblastoma、及び同一動物個体から発生した肺腫瘍には認められなかった。この遺伝子産物は、リガンドと結合する細胞外領域、細胞膜通過領域、チロシンキナーゼ活性をもつ細胞内領域となり、リガンドが結合すると、細胞内の特異的タンパク質がリン酸化され、signalは核内に到達し、細胞増殖を活性化することが分かってきました。そのリガンドの一つであるneuregulinを高発現させると、Schwann細胞の生存時間が延びることが最近分かってきた。本研究ではschwannomaのみneu/erbB-2遺伝子の点突然変異が観察されたが、その遺伝子活性化によってSchwann細胞の生存にとって有利に働くことと考えられる。

 4. 12.5日目の胎児にENU投与後1時間から96時間まで各時間後の胎児の細胞組織学的変化を観察した。ENU投与4時間後から、ENU投与により、野性型とヘテロマウスそれぞれの脳でのアポトーシスが誘導され、ホモではアポトーシスは誘導されていなかった。経時的変化についても検討したが、野性型マウスとヘテロマウスでは投与後4時間からアポトーシス細胞が出現し、16時間後をピークに減少した。それに対して、ホモマウスでは96時間後までアポトーシス細胞の出現は認められず、このアポトーシスの誘導はp53遺伝子依存性であることが確認された。このことから、ENU投与によるアポトーシス誘導はマウス大脳皮質部分はp53遺伝子依存性を示し、マウス胎児三叉神経のganglion部分ではp53遺伝子非依存性を示すことが分かった。本研究の結果より、大脳皮質に誘発されたgliomaはp53遺伝子nullの環境下で発生したことから、胎児大脳皮質部位でのアポトーシス細胞が見られないことはgliomaの発生を促進するよう働いていることが考えら、p53遺伝子がapoptosisを介したinitiated細胞を除去することにより腫瘍発生を抑えていることが示唆されました。

 以上、本論文はマウス神経系腫瘍発生において、p53遺伝子欠損マウスを用い経胎盤的に脳腫瘍の誘発を行い、p53遺伝子の欠損はマウスglio blastoma発生そのもの関与していることが明らかにしたと同時に、ENU投与によるneu/erbB-2遺伝子の変異はマウスschwannoma発生必要条件であることも示唆された。本研究はこれまで未知に等しかった、発生期に発癌物質による脳神経細胞障害における損傷修復遺伝子系または脳腫瘍の発生機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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