学位論文要旨



No 113614
著者(漢字) 木戸,浩一郎
著者(英字)
著者(カナ) キド,コウイチロウ
標題(和) 子宮内膜でのBcl-6の発現とその変動の検討
標題(洋)
報告番号 113614
報告番号 甲13614
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1275号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 助教授 坂本,穆彦
 東京大学 助教授 北,潔
 東京大学 講師 小島,俊行
内容要旨 1.研究の背景および目的

 子宮内膜は、女性の性成熟期では卵巣ホルモンの刺激により、妊卵の着床に適した構造と機能を整え、子宮内膜のうち内腔に接している表層部である機能層は周期的に増殖、分化し、妊娠が成立しなければ剥離すなわち月経をおこす。それぞれの時期は増殖期、分泌期、月経期とよばれている。この調節には卵巣ステロイドホルモンの子宮内膜への直接作用だけでなく、子宮内膜間質にあるリンパ系細胞などより分泌されるIFN-、IL-1、IL-6、TNF-などのサイトカインを介してのパラクライン、オートクラインによる調節機構も関与していると想定されている。また、卵巣ステロイドホルモンは卵胞刺激ホルモンと黄体形成ホルモンの影響下にあり、さらにこれらは中枢神経系の支配下にある。子宮内膜の周期的変化、すなわち増殖・分化・壊死の機序は複雑で、十分に明らかにされていない。その調節機構に異常が生じることによって、さまざまな月経の異常、不妊症、さらには子宮内膜の異形成、癌化がひきおこされている可能性がある。

 近年、受動的な細胞の壊死に対して、能動的な細胞死(アポトーシス)という概念が提唱されるようになり、月経現象にも関与している可能性が考えられるようになった。子宮内膜において、TNF-/TNF-receptorやFASなどの物質がRNAレベルや蛋白質レベルで発現していることが報告されている。また、抗細胞死の作用があるとされるBcl-2蛋白質の発現が増殖期の子宮内膜腺上皮細胞にみられるという報告がある。

 bcl-6は悪性リンパ腫にしばしばみられる3q27の染色体転座の近傍から単離された遺伝子である。その遺伝子産物であるBcl-6蛋白質はDNA結合領域であるジンクフィンガードメインを有し、転写因子であると考えられている。これまでにbcl-6遺伝子は細胞の分化制御・細胞死に関わっていることが示唆されている。本研究においてはBcl-6の子宮内膜における発現を調べ、Bcl-2の発現と比較しつつ、その月経周期における変動について検討した。さらに、子宮内膜由来細胞株を用いて培地中のホルモン量を変化させ、ホルモン環境の変化によるBcl-6の発現の変動について考察した。

2.材料および方法1.臨床検体と細胞株の入手

 正常月経周期女性37例の子宮内膜組織を腹式単純子宮全摘術の手術検体より採取した。ヒト子宮内膜癌細胞株HEC-1は、日本リサーチ・リソース・バンクより供与された。

2.臨床検体の組織学的検索

 HE染色を行い悪性腫瘍などの病変が子宮内膜に存在しないこと、および月経周期と組織学的所見が合致しているかどうかを確認した。

3.臨床検体の免疫組織化学的検索

 臨床検体を用いて、Bcl-2に対してはマウス抗ヒトBcl-2モノクローナル抗体、Bcl-6に対してはウサギ抗ヒトBcl-6ポリクローナル抗体をそれぞれ一次抗体として、LSAB法により発色させた。

4.培養細胞へのホルモン添加実験

 HEC-1はDMEMに10%fetal bovine serumを添加した培地を使用した。培地には種々の濃度のエストラジオール、プロゲステロン、さらにその両方を添加し、それぞれ培養した。

5.臨床検体および培養細胞抽出液を用いた免疫沈降ウエスタンブロット

 臨床検体あるいは培養細胞にSDS-modified RIPAバッファーを加えタンパク質を溶出させた。これにBcl-2の検索にはマウス抗ヒトBcl-2モノクローナル抗体、Bcl-6の検索にはウサギ抗ヒトBcl-6抗体をそれぞれ加えて免疫複合体の生成をはかった。生成された免疫複合体をprotein G-sepharoseを用いて選択した。modified RIPAバッファーを加えて遠心し、抗原・抗体免疫複合体の回収を行った。これをSDS-ポリアクリルアミドゲルに電気泳動し、半乾燥式転写を行った。得られたフィルターをブロッキング用緩衝液中反応させた後、マウス抗ヒトBcl-2モノクローナル抗体あるいはウサギ抗ヒトBcl-6抗体をそれぞれ一次抗体として用いて発色を検出した。

3.結果1.臨床検体でのBcl-6蛋白質の免疫組織化学的検索

 分泌期ではいずれの症例においても腺上皮細胞において染色性が認められ、その染色性は核に局在して認められた.間質細胞および血管内皮細胞では細胞質にも核にも染色性はみとめられなかった。増殖期においては間質細胞・腺上皮細胞いずれにおいても染色性は認められなかった。

2.臨床検体でのBcl-2蛋白質の免疫組織化学的検索

 増殖期においては腺上皮細胞においては細胞質に局在して染色性が認められ、間質細胞には染色性が認められなかった。分泌期例では間質細胞、腺上皮細胞いずれにおいても染色性は認められなかった。

3.免疫沈降ウエスタンブロットによる臨床検体におけるBcl-6蛋白質の発現の検討

 分泌期の子宮内膜検体ではいずれも陽性対照と同じ高さ(92-98kD)に、陽性対照と同程度の発現の強さのバンドを認めた。増殖期の子宮内膜検体では,バンドを認めなかった。

4.免疫沈降ウエスタンブロットによる臨床検体におけるBcl-2蛋白質の発現の検討

 増殖期の子宮内膜検体ではいずれも陽性対照と同じ高さ(92-98kD)に、陽性対照と同程度の発現の強さのバンドを認めた。分泌期の子宮内膜検体では,バンドをみとめなかった。

5.免疫沈降ウエスタンブロットによるHEC-1におけるBcl-6蛋白質の発現の検討

 100ng/mlのプロゲステロンを加えて培養したものは92-98kDの位置に抗体と反応するバンドを認めた。発現の強さは陽性対照と同程度であった。10ng/mlのエストラジオールを加えて培養した場合,バンドを認めなかった。10ng/mlのエストラジオールと100ng/mlのプロゲステロンをともに添加した場合,陽性対照と同程度の発現を認めた。

6.プロゲステロン添加によるBcl-6蛋白質の発現の濃度依存性および経時的変化

 プロゲステロンを加えた際の発現は1ng/mlから認められ、100ng/mlで明らかな発現の増加がみられ,100ng/mlで発現のピークを認めた。

 100ng/mlのプロゲステロンを添加して培養したところ、Bcl-6蛋白質の発現は添加後24時間から認められ、2日で明らかな発現の増加が認められた。

4.考察

 1.Bcl-6蛋白質は血球系以外にも子宮内膜腺上皮細胞に発現が認められ、核に局在していた。血球系細胞のみならず子宮内膜上皮細胞でもBcl-6蛋白質の発現が確認されたということは、Bcl-6が血球系細胞だけでなく多様な細胞の分化制御に関わる機能を有することを示唆する。核に局在が見られることは遺伝子構造上から想定される転写調節機能ということに矛盾せず、実際に血球系において転写抑制因子であるとする報告と合致する所見であった。

 2.Bcl-6蛋白質の発現は月経周期に応じて変動し、プロゲステロンにより誘導された。

 月経周期に応じてのヒト子宮内膜でのBcl-6蛋白質の発現が、免疫組織化学的手法と免疫沈降ウエスタンブロットとの二方法を用いて、空間的・時間的に初めて明らかにされた。従来、子宮内膜腺上皮細胞において蛋白質レベルで発現の変動が検討された物質はサイトカインや細胞接着因子などにはいくつか報告があるが、転写制御因子と考えられる物質としては今回の報告が初めてである。Bcl-6は何らかの遺伝子発現調節機能を通じて子宮内膜腺上皮細胞の増殖・分化に関与していることが想定された。月経周期に対応して変動していることから、性ステロイドホルモンによる発現調節を受けていることが示唆された。

 3.Bcl-6蛋白質の発現はBcl-2蛋白質の発現と月経周期内で逆相関がある

 Bcl-2の子宮内膜における発現は増殖期にみとめられ分泌期にはみとめられない。Bcl-2はBAXと拮抗して細胞死を回避する機能があるとされている。プロゲステロンによりBcl-6の発現が誘導され、転写抑制因子とされる機能を介してBcl-2の発現が抑制され細胞死に至るという可能性が考えられる。血球系細胞ではc-myb遺伝子の産物がbcl-2の上流に結合しその転写をup-regulateすることによってmyeloid cellの細胞死を抑制しているという報告もあるので、プロゲステロンによって発現誘導されたBcl-6がc-myb遺伝子の産物と競合して結果的にBcl-2の発現をdown-regulateすることにより細胞死を惹起するという可能性も考えられる。一方でBcl-6単独の発現でも細胞死を誘導するという報告もあるので、Bcl-6の発現とBcl-2の発現とは独立しているという可能性は、もちろん否定できない。またもうひとつの可能性としてはBcl-2の発現の下流にBcl-6の発現を誘導する系があるという機序が考えられるが、Bcl-2が細胞質とりわけミトコンドリアに局在するという点を考慮すると、Bcl-2が直接にBcl-6の発現に関っているとは考えにくい。今後、さらに直接的に性ステロイドホルモンによるBcl-6の発現調節を検討するためには蛋白質レベルのみならず、転写レベルでの解析も必要であると考えられる。現時点ではBcl-2の転写調節に関するデータが乏しく、Bcl-6が転写を制御しているであろう対象の分子あるいは分子群に関する情報も乏しい。Bcl-6の機能解析を蛋白質・蛋白質相互作用を利用した方法などでさらに解明していくことが必要であると考えられる。

 以上、本研究では従来想定されていた性腺ステロイドによる子宮内膜の増殖・分化の機序を分子レベルで理解する手掛りが得られたと考える。

 臨床的には子宮内膜の増殖・分化の制御・脱制御の機序が解明されれば、腫瘍学の分野では子宮内膜癌の発症機序の解明を通じて早期発見・早期治療あるいは予防に役立ち、生殖生理学の分野では着床不全による不妊の治療や性交後避妊薬といった画期的な医療につながる可能性があると考えられる。

審査要旨

 本研究は子宮内膜の周期的変化の機序を明らかにするため、ヒト子宮内膜の手術検体を用いて、転写因子であると考えられているBcl-6の子宮内膜における発現を調べ、これをBcl-2の発現と比較しつつ、その月経周期における変動について検討した。さらに子宮内膜由来細胞株を用いて培地中のホルモン量を変化させ、ホルモン環境の変化によるBcl-6の発現の変動について調べたもので、下記の結果を得ている。

 1. Bcl-6蛋白は血球系以外にも子宮内膜腺上皮に発現し、核に局在している。Bcl-6蛋白が子宮内膜上皮細胞においても発現が確認され、血球系細胞だけでなく多様な細胞の分化制御に関わる可能性を示唆する。核に局在が見られることは遺伝子構造上から想定される転写調節機能ということに矛盾しない。

 2. Bcl-6蛋白の発現は月経周期に応じて変動し、プロゲステロンにより誘導される。ヒト子宮内膜における月経周期に応じてのBcl-6の発現が、免疫染色と免疫沈降ウエスタンブロットの2方法を用いて、はじめて明らかにされた。子宮内膜腺上皮において蛋白レベルで発現の変動がみられた物質のなかでは、転写制御因子と考えられる物質はこれが初めてである。月経周期に対応して変動していることから、性ステロイドホルモンによる発現調節を受けていることが示唆された。

 3. Bcl-6蛋白の発現はBcl-2蛋白の発現と月経周期内で逆相関がある。

 Bcl-2はBAXと拮抗して細胞死を回避する機能があるとされている。プロゲステロンによりBcl-6の発現が誘導され、転写抑制因子とされる機能を介してBcl-2の発現が抑制され細胞死に至るという可能性が考えられる。また、プロゲステロンによって発現誘導されたBcl-6がc-mybと競合してBcl-2の発現をdown-regulateすることにより細胞死を惹起するという可能性等も考えられ、今後、性ステロイドホルモンによるBcl-6の発現調節を検討していく必要がある。子宮内膜の腫瘍化や生殖生理の基礎研究として臨床的応用にもつながる可能性がある。

 以上、本論文はBcl-6蛋白の子宮内膜における発現が月経周期に応じて変動し、プロゲステロンにより誘導されることを明らかにした。本研究はこれまで解析の進んでいなかった子宮内膜の周期的変化の機序を知るために重要な貢献をなすと考えられ学位の授与に値するものと考えられる。

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