学位論文要旨



No 113616
著者(漢字) 坂井,勝呂
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,カツナガ
標題(和) バクテリオファージP1のCre/loxP系へのCAGプロモーターの応用
標題(洋)
報告番号 113616
報告番号 甲13616
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1277号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 助教授 菅野,純夫
内容要旨

 バクテリオファージP1のCreは部位特異的DNA組み換え酵素で、loxPと呼ばれる特異的な塩基配列を認識し結合する。そして、2つのloxP配列間で組み換えを起こし、間に挟まれたDNA配列を除去することができる。この反応は、種々の動植物細胞における遺伝子の発現制御やマウスなどにおける個体レベルでの条件特異的な遺伝子の発現や欠失に利用されている。一方、cytomagalovirus immediate early enhancer-chiken -actin hybrid(CAG)プロモーターはさまざまな培養動物細胞、及び着床前のマウス初期胚において強力なプロモーター活性を有し、このプロモーターを利用することによって、外来遺伝子を強発現することが可能である。そこで、CAGプロモーターのこのような性質に着目し、培養動物細胞、及びマウス初期胚における効率の良い遺伝子発現制御系を開発する目的で、cre遺伝子をCAGプロモーターによって発現するアデノウイルスベクター(AdCAG-Cre)及びトランスジェニックマウス(CAG-cre)を作製した。

1.アデノウイルスベクターを用いた培養細胞における遺伝子発現制御系の開発

 従来、培養細胞系へのCre/loxP系への応用においてcre遺伝子の導入はリン酸カルシウム法、エレクトロポレーション法等により行われていたので、導入効率は十数%以下であった。一方、アデノウイルスベクターは培養細胞系、及び生体内の分裂休止期(神経、筋肉、肝臓)を含む幅広い細胞種に感染可能であり、同時に極めて高い遺伝子導入効率を持つので培養細胞では100%の細胞に外来遺伝子を発現させることも可能である。そこで、Creの遺伝子を発現させるためのtoolとしてアデノウイルスベクターを利用すれば、培養細胞におけるより優れた遺伝子発現制御系を開発できる可能性を考え、Creを種々の細胞種で強力なプロモーター活性を示すCAGプロモーターの制御下で発現させるアデノウイルスベクター(AdCAG-Cre)をGrahamらの方法により作製した。

 次に、染色体上に組み込まれたloxP配列間での組み換えが、このCre発現アデノウイルスベクター、AdCAG-Creにより効率良く制御できるかどうかを培養細胞レベルで検討した。まず、マウスの筋芽細胞株であるC2C12細胞にCAGプロモーターの下流にloxP配列で挟み込む形でchloramphenicol acetyltransferase(CAT)遺伝子をつなぎ、さらにその下流にlacZ遺伝子をつないだリポーター遺伝子CAG-CAT-Z(CAGpromoter-loxP-CAT-loxP-lacZ:Creの作用によりCATの発現からlacZの発現に切り変わる)をneo耐性遺伝子と共に、リン酸カルシウム法によりトランスフェクションし、neo耐性の細胞株を選択した。このうちの1株を選び、種々のMOI(multiplicity of infection)でAdCAG-Creを感染させ、loxP配列間の組み換えの結果誘導されるlacZを発現する細胞の割合をウイルス感染24時間後に検討した。非感染細胞においては全くlacZの発現はみられなかったが、MOIに依存してlacZの発現する細胞の割合は増加し、MOI100のウイルス感染でほぼ100%の細胞においてlacZの発現が誘導された。さらに、このlacZの発現がCreによるloxP配列間の組み換えの結果誘導されたことをPCRとサザンブロッティング法によって確認した。MOI100のウイルス感染でlacZがほぼ全ての細胞で発現していたことと対応するように、ほとんど全ての細胞の染色体上に組み込まれたCAG-CAT-ZのloxP配列間で組み換えが起こっていることが確認された。さらにMOI100のウイルス感染処置した細胞を10日間培養し続けたところ、ウイルス感染24時間後と同様にほぼ100%の細胞においてlacZの発現がみられ、また、サザンブロッティングの結果にも変化はみられなかった。一方、CATの発現の変化に関しては、非感染細胞においては177ng/mg proteinであったCATの発現量も、ウイルス感染10日後にはその300分の1にまで減少した。これらの結果からAdCAG-Creの感染により細胞内で一過性に発現したCreが、染色体上に組み込まれたCAG-CAT-ZのloxP配列間での組み換えを惹起し、その結果染色体から抜け落ちたCATの遺伝子の転写は停止し、染色体に残ったCAG-lacZの発現ユニットによりlacZが発現されたと考えられる。つまり、Cre/loxP組み換え系にアデノウイルスベクターを応用することによって、極めて効率の良い遺伝子の発現の誘導と消去(遺伝子のswitchのon/off)が可能となった。この遺伝子発現制御系は従来のトランスフェクションによる培養細胞への遺伝子の導入効率の低さ(十数%程度)、誘導型プロモーターを用いた場合の誘導前の発現や誘導倍率の低さといった問題点をアデノウイルスベクターの感染効率の良さ、Creによる組み換え反応の特異性と高効率、CAGプロモーターの活性の強さといった利点によって克服したといえる。

 この実験系はアデノウイルスベクターの感染域の広さ、CAGプロモーターの多種の細胞種での強力なプロモーター活性を考慮するとさまざまな細胞に適用可能であると考えられる。また、switchをonあるいはoffにする遺伝子の選択、使用する細胞やプロモーターの選択によってCre発現アデノウイルスベクターによる遺伝子発現制御系はさまざまな目的に応用が可能であると考えられる。

2.トランスジェニックマウスを用いた初期胚における遺伝子発現制御系の開発

 Cre/loxP系はマウス生体内における組織特異的な遺伝子の活性化、不活性化に広く用いられている。一方、薬剤耐性マーカー等などの場合のように全身的に遺伝子を除去するためにもCre/loxP系は利用されているが、より優れたcre遺伝子導入法の開発が望まれている。

 そこで、我々は、発生初期において組み換えがすべての細胞で起こることを期待して、CAGプロモーターによってcre遺伝子を発現するトランスジェニックマウス(CAG-cre)をマイクロインジェクション法により作製した。またCreによる組み換えのモニター用のマウスとしてリポーター遺伝子CAG-CAT-Zを持ったトランスジェニックマウス(CAG-CAT-Z)を作製した。そして、CAG-CAT-ZとCAG-creと交配させ、得られたF1の遺伝子型をPCR及びX-gal染色により解析した。

 CAG-cre(雄、ヘテロ)とCAG-CAT-Z(雌、ホモ)の交配によって得られたF1(成体、新生児及び13.5日胚)においてはCAG-creの遺伝子が伝わった個体では、CAG-CAT-Zの組み換え型、CAG-lacZの遺伝子型を示した。しかも、13.5日胚の全組織より抽出したDNAを用いた結果でも同様にCATの遺伝子は検出されず、すべて組み換え型の遺伝子型を示した。しかし、CAG-creの遺伝子が伝わらなかった個体ではCAG-CAT-Zの組み換え型は全く検出されなかった。一方、CAG-CAT-Z(雄、ホモ)とCAG-cre(雌、ヘテロ)との交配によって得られたF1においてはCAG-creの遺伝子が伝わった個体のみならず、伝わらなかった個体においても組み換え型の遺伝子型を示し非組み換え型は検出されなかった。これらの結果はCAG-cre(雌)における卵子の発生過程において、第一減数分裂以前にcre遺伝子は発現し、cre遺伝子が極体中に放出された後も卵母細胞の細胞質にはcre遺伝子のmRNAあるいは酵素蛋白が受精に至るまで保持されていることを示唆している。cre遺伝子が伝わらなかった受精卵においてはcre遺伝子のmRNAあるいは酵素蛋白は発生が進むにつれて減少していくと考えられるので、組み換えは受精直後から2細胞期前までに終わると推定される。この可能性を確認するために、この交配によって得られた2細胞期の受精卵のX-gal染色を行った。過排卵処理したCAG-cre(雌、ヘテロ)とCAG-CAT-Z(雄、ホモ)を交配させ、2細胞期胚(10個)を採取し、X-gal染色したところ、全ての胚で、全ての割球で-galactosidaseの活性が検出された。この結果はCAG-CAT-Zの組み換えが、卵子に存在したCreによって受精直後から起こり、2細胞期までに完全に終了していることを示している。

 このような性質を持ったCAG-creは薬剤耐性マーカー遺伝子等を交配によって容易に除去が可能であり、また初期胚における遺伝子の活性化あるいは不活性化などにさまざまな応用が考えられる。

審査要旨

 本研究は、バクテリオファージP1の組み換え酵素であるCreをcytomagalovirus immediate early enhancer-chiken -actin hybrid(CAG)プロモーターによって発現するアデノウイルスベクター(AdCAG-Cre)及びトランスジェニックマウス(CAG-cre)を作製し、培養動物細胞及び着床前のマウス初期胚における効率の良い遺伝子発現制御系の開発を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1. 培養動物細胞の染色体上に組み込まれたloxP配列間での組み換えが、Cre発現アデノウイルスベクター、AdCAG-Creにより効率良く制御可能かどうかを、リポーター遺伝子CAG-CAT-Z(CAGpromoter-loxP-CAT-loxP-lacZ:Creの作用によりCATの発現からlacZの発現に切り変わる)を導入したマウスの筋芽細胞株C2C12を用いて検討した。

 2. 種々のMOI(multiplicity of infection)でこの細胞株にAdCAG-Creを感染させ、loxP配列間の組み換えの結果誘導されるlacZを発現する細胞の割合をウイルス感染24時間後にX-gal染色により調べたところ、MOIに依存してlacZの発現する細胞の割合は増加し、MOI100のウイルス感染でほぼ100%の細胞においてlacZの発現が誘導される結果が得られた。それにともないCATの発現量は、ウイルス感染10日後には300分の1にまで減少した。

 3. loxP配列間の組み換えをPCRとサザンブロッティング法による確認を試みたところ、MOI100のウイルス感染でlacZがほぼ全ての細胞で発現していたことと対応するように、ほとんど全ての細胞の染色体上に組み込まれたCAG-CAT-ZのloxP配列間で組み換えが起こっていることが確認された。

 4. これらの結果からAdCAG-Creの培養動物細胞への感染によるCreの細胞内での一過性に発現により、染色体上に組み込まれたのloxP配列間で効率的な組み換えおよび遺伝子の発現制御が可能であることがことが示された。

 5. CAGプロモーターによってcre遺伝子を発現するトランスジェニックマウス(CAG-cre)を用いたマウス初期胚における組み換えを、リポーター遺伝子CAG-CAT-Zを持ったトランスジェニックマウス(CAG-CAT-Z)との交配によって検討した。

 6. CAG-cre(雄、ヘテロ)とCAG-CAT-Z(雌、ホモ)の交配によって得られたF1(成体、新生児及び13.5日胚)においてはCAG-creの遺伝子が伝わった個体においてのみ、CAG-CAT-Zの組み換え型の遺伝子型を示した。

 7. CAG-CAT-Z(雄、ホモ)とCAG-cre(雌、ヘテロ)との交配によって得られたF1においてはCAG-creの遺伝子が伝わった個体のみならず、伝わらなかった個体においても組み換え型の遺伝子型を示し、非組み換え型は検出されなかった。

 8. CAG-CAT-Z(雄、ホモ)とCAG-cre(雌、ヘテロ)を交配させ、2細胞期胚を採取し、X-gal染色したところ、全ての胚でlacZの活性が検出された。この結果はCAG-CAT-Zの組み換えが、卵子に存在したCreによって受精直後から起こり、2細胞期までに完全に終了していることを示していると考えられた。

 9. T細胞受容体のV4の遺伝子をloxP配列で挟まれたpgk-neoで置換したES細胞より作製したターゲッティングマウス(ヘテロ、雄)とCAG-creマウス(ヘテロ、雌)との交配でも同様に、CAG-creの遺伝子が伝わった個体のみならず、伝わらなかった個体においても組み換え型の遺伝子型を示した。これらの結果から他のloxP配列で挟まれたDNAを持つマウスにおいても一般にCAG-cre(雌、ヘテロ)による、効率的な組み換えは可能であると考えらた。

 以上、本論文は組み換え酵素であるCreをCAGプロモーターによって発現するアデノウイルスベクター(AdCAG-Cre)及びトランスジェニックマウス(CAG-cre)を利用した培養動物細胞及び着床前のマウス初期胚における遺伝子発現制御系を開発し、その有効性を明らかにしたものである。本研究はバクテリオファージP1のCre/loxP系を用いた実験系の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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