学位論文要旨



No 113620
著者(漢字) 岩原,寿典
著者(英字)
著者(カナ) イワハラ,トシノリ
標題(和) 受容体チロシンキナーゼをコードする癌原遺伝子alkの機能解析
標題(洋)
報告番号 113620
報告番号 甲13620
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1281号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 助教授 菅野,純夫
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 古市,貞一
内容要旨 (研究目的)

 悪性リンパ腫の一種であるKi-1リンパ腫(または、anaplastic large cell lymphomas;ALCLs)ではしばしば2;5染色体転座が観察される。その転座の結果としてnpm-alk融合遺伝子が生じる。npm-alk融合遺伝子産物は、既知の核タンパク質nucleophosmin(NPM)の一部とN末側を欠いた新規チロシンキナーゼとの融合タンパク質をである。この新規チロシンキナーゼは、ALK(anaplastic lymphoma kinase)と名付けられた。npm-alk融合遺伝子産物p80/NPM-ALKは、Ki-1リンパ腫由来の細胞株において高度にリン酸化されており、また、npm-alk遺伝子を導入したNIH3T3細胞は悪性のトランスフォーメーションを引き起こすことから、p80が細胞がん化能を有していることが明らかとなった。NPMと融合したALKキナーゼ領域の恒常的な活性化が、細胞がん化を引き起こしていると考えられる。

 正常型alk遺伝子産物は、現在までに癌発症の原因遺伝子として同定されてきたチロシンキナーゼ同様、正常細胞においては、細胞の増殖、分化、維持に係わる細胞間情報伝達系において、中心的な役割を果たす新たな分子であることが期待された。実際のがん症例に見られる変異遺伝子産物の正常細胞における機能を明らかにすることは、がん発症のメカニズム解明、正常細胞における増殖、分化の厳密な制御機構の解明につながる点で重要である。そこで本研究では、alk癌原遺伝子cDNA全長の単離、同定を試み、正常型ALKの構造の決定と、発現機能の解析を試みた。

(研究結果)

 マウスalk及びヒトalk遺伝子は、それぞれ1621,1619アミノ酸残基のタンパク質をコードし、計算上の分子量は、およそ175,000である。予想されるマウスALKタンパク質は1014アミノ酸残基からなる大きな細胞外領域、疎水性の27アミノ酸残基からなる膜貫通領域、そして保存された細胞内チロシンキナーゼドメインを含む560アミノ酸残基の細胞内領域により構成される典型的な受容体型チロシンキナーゼであった。

 マウスALKタンパク質のチロシンキナーゼドメインはヒトALKと非常に高い相同性(98%amino acid identity)を持ち、また、LTK(78%)、ROS(58%)、インシュリン様成長因子レセプター(47%)、インシュリンレセプター(46%)等のインシュリンレセプターファミリーと相同である。LTK(leukocyte tyrosine kinase)は血球系及び神経系の細胞に発現している受容体チロシンキナーゼである。その機能はリガンドが同定されていないため分かっていないが、ALKと高い相同性を示し、ALKとLTKが新たなサブファミリーを形成していることが分かった。マウスALKの細胞外領域は、アミノ酸残基687番目から1034番目の領域が、LTKの細胞外領域と約50%(amino acid identity)の相同性があり、また、LTKに存在するシステインに富んだ領域もこの領域中に保存されていた。しかし、LTKと相同性のある領域より更にN末端側の配列は既知のタンパク質の配列と類似せず、Ig-likeドメイン、ファイブロネクチンtype IIIドメインなど、他の受容体の細胞外領域に多く見られるモチーフは検出されなかった。

 ALKタンパク質に対する抗体(-ALK)はalk発現プラスミドを導入したCOS細胞のlysate中に約220kDaのタンパク質と特異的に反応した。また、-ALKによる免疫沈降物のin vitroキナーゼ反応を行い、ALKタンパク質のキナーゼ活性を検討したところ、alk発現プラスミドを一過性に導入したCOS細胞の溶解物中の-ALK免疫沈降物からは、分子量約220kDaのチロシンリン酸化タンパク質が検出された。このことは、alk遺伝子産物が自己リン酸化能があること示している。加えて三つのリン酸化タンパク質(約66,52,46kDa)がALKと共沈された。p80/NPM-ALKがShcタンパク質とin vitroで結合することが示されていることから、これらはShcタンパク質であることが予想された。実際にALK発現細胞溶解物からの-ALKによる免疫沈降物中の66kDaタンパク質は抗Shc抗体と特異的に反応した。

 ノザンハイブリダイゼーション解析によるalk mRNAの各組織における発現の解析では、マウス新生仔脳(1日齢)において約9kbのalk mRNAが検出された。また、4週齢のマウス脳においても、新生仔脳より低い発現量で、同じく約9kbのalk遺伝子転写産物が検出された。脳以外の組織における発現は認められなかった。ラット組織でのノザンハイブリダイゼーション解析からは、9kb及び7kbのalk mRNAが脊髄及び脳幹、脳皮質、海馬、嗅球で発現していることが示された。また、alk mRNAの発現は、ラット胎仔脳(embryonic day14以降)においても認められた。各週齢別のマウス脳におけるALKタンパク質の発現を、-ALKを用いたウエスタンブロットによって検討した結果では、220kDa ALKタンパク質は1週齢の脳において最も高い発現を示し、その後週齢を追って発現量の減少が見られた。ALKタンパク質の発現は、3週齢近辺で最小であり、その後少なくとも1年齢まで発現レベルに変化は認められなかった。

 alk anti-sense RNAをプローブとして用いたマウス胎仔(E15及びE19)及び一週齢マウス脳組織切片のin situハイブリダイゼーション解析では、胎仔において、中枢神経系、末梢神経系に限局してalkが検出された。脳においては、脳幹、中脳、間脳、及び終脳の細胞集団と一致して発現が見られ、脊髄ではその腹側、運動ニューロン群が存在する領域に高い発現が見られた。末梢神経系では、三叉神経節、上頸神経節(SCG)、後根神経節(DRG)、腸管軸に沿った自律神経系の末端神経節において発現が見られた。胎仔の中枢神経系におけるalkの発現分布は広く、多様な細胞種に発現しているように思えるが、一週齢マウス脳におけるalk mRNAは限局した発現分布を示し、嗅球、視床の一部亜核、中脳で強く検出された。嗅球においては、嗅部上皮ニューロンからの嗅繊維の入力を受け取る大型のニューロンである僧帽細胞特異的に検出された。視床は大脳皮質へ上行する末梢器官からの求心性神経を全て中継する場所であり、多数の神経核(ニューロンの集合体)により構成されるが、alk mRNAの発現は、視床背外側核、視床束傍核、及び不確帯に限局して見られた。同程度に高い発現を示したのは、錐体外路系の中枢である赤核、及び視覚反射の中枢である上丘のニューロンであった。他に、視床下部、海馬台、大脳皮質、小脳におけるプルキンエ細胞での発現も認められた。また、多くのチロシンキナーゼの発現が確認されている、海馬、歯状回における発現は認められなかった。

(考察)

 本研究において新規に単離、同定された受容体チロシンキナーゼALKの発現は神経系に限られており、mRNA、タンパク質とも成熟マウスに比べ、新生仔マウス脳における発現が高い。マウスの脳においては、出生後10日までニューロンの伸張、シナプス連絡の形成が行われているが、こうした中枢神経系の発達段階、ニューロン網の形成、発達期において、ALKは重要な役割を果たしていることが考えられる。加えて、ALKは成熟した脳においても低いレベルで発現し続けていることから、ニューロンの生存、維持に関わっているとも予想される。生後マウスの中枢神経系においてalkの発現が特に限局している視床神経核の投射先はいずれも、大脳辺縁系、大脳皮質への上行性ニューロンである。大脳(終脳)の皮質は、生後に活発なシナプス形成を行い、下位中枢との神経回路網を作る。生後一週間のマウス脳において、こうした終脳皮質と末梢器官を中継する神経核に限局してalkの発現が見られることは、シナプス形成が活発な時期のニューロンにおいて、ALKが機能していることを示唆する。一方、E15マウスの脳におけるalkの発現が生後脳に比べ一様に検出されたことは、神経芽細胞がニューロンとして分化し、決められた定位置に移動して神経核を形成する段階においてもALKが機能していることを示唆している。今回の中枢神経系におけるalkの発現解析では、少なくとも、ニューロンの分化とシナプス形成を伴う成熟した神経核の形成期においてALKが何らかの役割を果たしていることが示唆された。発生過程において過剰に生産されたニューロンは正しい標的とのシナプス結合の後に、プログラムされた神経細胞死により脱落する。NGFやインシュリン様成長因子はそのレセプターを介したPI3-Kの活性により、ニューロンの細胞死を阻害する。p80/NPM-ALKはIRS-1と会合することが知られており、また、LTKとPI3-Kのp85subunitとの結合配列はALKにも保存されていることから、ALKとPI3-Kとの会合が考えられ、ALKの活性化がALKを発現している特定のニューロンの生存維持を制御していることが予想される。ALKのリガンドはALK発現ニューロンの投射領野中の標的細胞からの求心性入力を介したニューロトロフィック因子であり、誤ったシナプス結合の補正機構、特定の機能を持つニューロン群、神経核の選択、維持機構に関わっているのかもしれない。

審査要旨

 本研究はチロシンキナーゼの生物学的機能を明らかにするため、腫瘍細胞において癌遺伝子として同定された新規チロシンキナーゼalkの癌原遺伝子cDNA全長の単離、同定を試み、正常型ALKの構造の決定と、発現機能の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1. 2;5染色体転座を伴うヒトリンパ腫の一群において、転座の結果として生じるnpm-alk融合遺伝子産物は、既知の核タンパク質nucleophosmin(NPM)の一部とN末側を欠いた新規チロシンキナーゼALKとの融合タンパク質であるが、この新規チロシンキナーゼの正常型alk癌原遺伝子同定のため、npm-alk cDNA断片をプローブとして、マウス及びヒトalk cDNAの全長をクローニングした。マウスalk及びヒトalk遺伝子は、それぞれ1621,1619アミノ酸残基のタンパク質をコードし、予想されるマウスALKタンパク質は1014アミノ酸残基からなる細胞外領域、疎水性の27アミノ酸残基からなる膜貫通領域、そして保存された細胞内チロシンキナーゼドメインを含む560アミノ酸残基の細胞内領域により構成される典型的な受容体型チロシンキナーゼであった。ALKタンパク質のチロシンキナーゼドメインはインシュリンレセプターファミリー、とりわけLTK(leukocyte tyrosine kinase)と高い相同性を示し、ALKの細胞外領域においても、アミノ酸残基687番目から1034番目の膜貫通領域までが、LTKの細胞外領域と約50%(amino acid identity)の相同性があり、ALKとLTKが新たなサブファミリーを形成していることが分かった。LTKと相同性のある領域より更にN末端側の配列は既知のタンパク質の配列と類似せず、Ig-likeドメイン、ファイブロネクチンtypeIIIドメインなど、他の受容体の細胞外領域に多く見られるモチーフは検出されなかった。

 2. ALKタンパク質に対する抗体(-ALK)はalk発現プラスミドを導入したCOS細胞のlysate中に約220kDaのタンパク質と特異的に反応した。また、-ALKによる免疫沈降物のin vitroキナーゼ反応を行い、ALKタンパク質のキナーゼ活性を検討したところ、alk発現プラスミドを一過性に導入したCOS細胞の溶解物中の-ALK免疫沈降物からは、分子量約220kDaのチロシンリン酸化タンパク質が検出された。このことは、alk遺伝子産物が自己リン酸化能があること示している。

 3. ノザンハイブリダイゼーション解析によるalk mRNAの各組織における発現の解析では、マウス新生仔脳(1日齢)において約9kbのalk mRNAが検出された。また、4週齢のマウス脳においても、新生仔脳より低い発現量で、同じく約9kbのalk遺伝子転写産物が検出された。脳以外の組織における発現は認められなかった。各週齢別のマウス脳におけるALKタンパク質の発現を、-ALKを用いたウエスタンブロットによって検討した結果では、ALKタンパク質は1週齢の脳において最も高い発現を示し、その後週齢を追って発現量の減少が見られた。ALKタンパク質の発現は、3週齢近辺で最小であり、その後少なくとも1年齢まで発現レベルに変化は認められなかった。マウスの脳においては、出生後10日までニューロンの伸張、シナプス連絡の形成が行われているが、こうした中枢神経系の発達段階、ニューロン網の形成、発達期において、ALKは重要な役割を果たしていることが考えられた。加えて、ALKは成熟した脳においても低いレベルで発現し続けていることから、ニューロンの生存、維持に関わっているとも予想された。

 4. alk anti-sense cRNAをプローブとして用いたマウス胎仔(E15及びE19)及び一週齢マウス脳組織切片のin situハイブリダイゼーション解析では、胎仔において、中枢神経系、末梢神経系に限局してalkが検出された。脳においては、脳幹、中脳、間脳、及び終脳の細胞集団と一致して発現が見られ、脊髄ではその腹側、運動ニューロン群が存在する領域に高い発現が見られた。末梢神経系では、三叉神経節、上頸神経節(SCG)、後根神経節(DRG)、腸管軸に沿った自律神経系の末端神経節において発現が見られた。一週齢マウス脳におけるalk mRNAは限局した発現分布を示し、嗅球(僧帽細胞)、視床の一部神経核(背外側核、束傍核、不確帯)、中脳(赤核、上丘)のニューロンで強く検出された。生後一週間のマウス脳において、こうした終脳皮質と末梢器官を中継する神経核に限局してalkの発現が見られることは、シナプス形成が活発な時期のニューロンにおいて、ALKが機能していることを示唆する。中枢神経系におけるalkの発現解析では、少なくとも、ニューロンの分化とシナプス形成を伴う成熟した特定の神経核の形成期においてALKが何らかの役割を果たしていることが示唆された。

 以上、本研究において新規に単離、同定された受容体型チロシンキナーゼalkの発現機能の解析により、神経系特異的に発現するこのチロシンキナーゼの機能の研究の端緒を開いた。本研究は受容体型チロシンキナーゼの関わる神経系の形成、発達、維持のメカニズム等の研究において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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