学位論文要旨



No 113624
著者(漢字) 中村,佐千枝
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,サチエ
標題(和) 機能的ノックアウト法によるFlt-1チロシンキナーゼの解析
標題(洋)
報告番号 113624
報告番号 甲13624
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1285号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 中畑,龍俊
 東京大学 教授 笹川,千尋
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
内容要旨

 血管新生は、胎生期初期から循環器系の形成、組織の栄養血管として組織構築に関与し、重要な役割を果たしている。成熟個体の雌においては、性周期に伴う黄体形成、子宮内膜の増生、胎盤形成に関与する。病的血管新生として、炎症、創傷治癒過程、糖尿病性網膜症、さらには腫瘍増殖時における血管新生がある。血管新生において、特異的に関与する分子群は長い間不明であったが、近年、血管内皮細胞増殖因子VEGF(vascular endothelial growth factor)とその受容体であるFlt-1、Flk-1/KDRを含むFltファミリーが発見された。受容体型チロシンキナーゼFlt-1、Flk-1/KDRは、胎生期より全身の血管内皮細胞に特異的に発現している。一方そのリガンドであるVEGFは、Flk-1/KDRよりもFlt-1に10倍程度の高い親和性を持つ。また、Flt-1のもう一つのリガンドPIGF(placenta growth factor)は、Flk-1/KDRには親和性を示さない。NIH3T3細胞にFlt-1、Flk-1/KDRを発現させると、Flk-1/KDRを発現させた細胞をVEGFにて刺激した時のみ、強い増殖シグナルが認められる。また、ラットの肝臓由来の類洞壁内皮細胞をVEGFにて刺激するとMAPKを介する増殖活性を示すが、PIGFにて刺激すると殆ど増殖活性を示さない。このVEGFからの増殖活性は、Flt-1の細胞外ドメインにて阻害される。

 近年、Flt-1、Flk-1/KDRのnull型ノックアウトマウスの表現型が報告された。Flk-1/KDRノックアウトマウスのホモ接合体は、血管内皮細胞と血球系の発生が障害され、胎生8.5日で致死となった。一方、Flt-1のノックアウトマウスのホモ接合体は、血管内皮細胞は発生させるが、血管内腔があたかも血管内皮細胞が過剰に増殖したかのように細胞塊を作り、胎生8.5日で致死となった。Flt-1はFlk-1/KDRと比べてVEGFに高親和性を持ちながら、そのチロシンキナーゼ活性は非常に弱いこと、及び、Flt-1 null型ノックアウトマウスの表現型より、Flt-1の細胞外ドメインが、生体内で重要な働きをしていると推測した。このことを調べる目的で、Flt-1の細胞外ドメインを残し、チロシンキナーゼドメインを欠失させたノックアウトマウスを作製した。

 ターゲテイングベクターの作製にあたって、flt-1キナーゼドメイン付近のエクソン、イントロンの配列を決定した。膜貫通部をコードするエクソン16、キナーゼドメイン1をコードするエクソン17、エクソン18、エクソン19の部位を得られた129マウスストレインゲノム上にて決定した。キナーゼ活性を司るATP結合部位及びGXGXXGモチーフはエクソン18上にあり、エクソン17をneo geneと置き換え下流の蛋白を欠失させることにした。G418、Diptheria toxin-Aのポジテイブセレクションにより、30個に1個の割合で相同組み換えの起きた独立のESクローンを5個得た。この2クローンより100%キメラを数匹得、C57B6/Jの雌と交配させて、F1を得た。さらに、このF1同士を交配させてF2を得て、マウスの尾より得たDNAをサザンブロッテイング及び、PCRにて解析し、ジェノタイプを行った。さらに、胎生12.5日の胚よりRNAを抽出し、ノーザンブロッテイングを行った。C末側のプローブにて、野生型flt-1に見られる7Kbのバンドは、ヘテロマウスにて約半分の発現量となり、ホモ接合体では消失していた。これに比して、野生型、ヘテロ接合体、ホモ接合体の全てで分泌型の発現量は変わらなかった。さらに、ホモ接合体において約3Kbに人工的なバンドが認められた。次に蛋白を調べる為に、マウス肺より蛋白を精製し検索した。キナーゼ挿入部に対する抗体にて野生型マウスに検出される190KDaのバンドは、ホモ接合体にて検出されなかった。また、約110KDaの分泌型蛋白は分泌型特異的抗体にて、野生型、ホモ接合体の両者にほぼ同じ量で検出された。一方、変異アレルよりリードスルーして生じると予測されるアミノ酸に対する抗体により、野生型には無い約120KDaのバンドがホモ接合体に検出された。以上より、ノックアウトホモ接合体マウスにおいては、キナーゼドメインを欠失した120KDaの細胞外蛋白と、分泌型蛋白が期待どうり発現していた。

 チロシンキナーゼ欠失型ホモ接合体は生存し、妊娠、出産も正常であった。F2マウスのジェノタイピングは、野生型:80匹、ヘテロ接合体:166匹、ホモ接合体:77匹(全323匹)で1:2:1であった。

 次に組織学的検索において野生型マウスとホモ接合体は、顕著な差を認めなかった。また、Flt-1の発現が高いとされる肺や脳の血管内皮細胞をvon Willebrand factorにて、染色して観察したが、ホモ接合体において特に異常を認めなかった。

 VEGFは血管内皮細胞増殖因子としての機能と、血管透過性因子としての機能を併せ持つ蛋白である。そこで、VEGF依存性の血管内皮細胞の増殖及び形態変化を調べる為に、マウス肝臓由来類洞壁内皮細胞をin vitroにて培養した。培養4日目の野生型マウス由来内皮細胞においては、VEGF存在下に細胞は紡錘型に集塊を成して増殖していく。ホモ接合体由来の内皮細胞においてもこの形態変化はほぼ同程度に認められた。また、初代類洞壁内皮細胞は、VEGF存在下においても4日から5日で死滅するが、ホモ接合体においても、生存時間に差は認められなかった。次に、増殖活性を定量する為にMTSアッセイを行った。野生型マウス、ホモ接合体の内皮細胞において、VEGF依存性の増殖活性に有意差を認めなかった。結果としてin vitroの肝類洞壁内皮細胞初代培養では、VEGFからの増殖シグナルは、主にFlk-1/KDRを介していると思われた。

 次に、VEGFのもう一つの作用である透過性について検討した。予め、マウス尾より注入した色素をVEGF依存性に腹腔内に透過させ定量するという新しいアッセイ法を確立した。VEGF濃度依存性に色素量は増加したが、野生型、ホモ接合体において有意差を認めなかった。このことより、VEGFによる急性期の透過性の反応もFlk-1/KDRを介して行われると思われた。

 Flt-1は、全ての構造が哺乳類で高く保存されている。近年、Fltファミリーの中で、Flt-1のみがヒトの単球に発現し、VEGF依存性の遊走活性を有するという報告があった。そこでマウスの単球/マクロファージ系において、この遊走性にFlt-1のチロシンキナーゼドメインが関与しているどうかを検索した。マウスの腹腔内の活性化マクロファージにFlt-1が発現していることを確認し、この細胞を用いてVEGF、PIGFに対する遊走活性を調べた。野生型マウスのマクロファージにおいては、VEGF、PIGFの濃度が10ng/ml付近に遊走能のピークを有し、高濃度になると遊走能が低下する傾向を認めた。これに対して、ホモ接合体のマクロファージにおいてはVEGF、PIGFに対する遊走能を示さなかった。このことより、マウスマクロファージのVEGF、PIGFに対する遊走性にFlt-1のキナーゼドメインが関与していることが分かった。

 以上のことより、血管内皮細胞の発生および正常血管においてはFlt-1のキナーゼドメインは必須ではなく、マクロファージのVEGF依存性の遊走には必要であることが分かった。血管内皮細胞におけるこの調節のメカニズムのモデルは、幾つか考えられる。1つには、Flt-1の分泌型、膜結合型の両方あるいはいずれかが、フリーのVEGFを野生型の時と同じように吸収し、Flk-1/KDRに結合し得るVEGFの濃度を調節していると考えられる。なぜならば、マウス胎児切片におけるI125-VEGFの結合実験及びPIGFによる競合阻害実験にて、Flt-1、Flk-1/KDRはほぼ1対1で発現していることは証明されており、さらにFlt-1の細胞外ドメインは、Flk-1/KDRと比べてVEGFへの結合能力が10倍程度高いこと、また、ラット肝類洞壁内皮細胞において、VEGFによるMAPKを介する増殖活性をFlt-1の細胞外ドメインが阻害することも証明されている。2つ目には、Flt-1の細胞外ドメインがFlk-1/KDRとヘテロダイマーを作り、機能を有するFlk-1/KDRのレセプター数を調節している可能性である。なぜならば、Flt-1の細胞外ドメインは、VEGF存在下にFlk-1/KDRとヘテロダイマーを作りドミナントネガテイブに作用することはin vivoで報告がなされているからである。3つ目は、可能性は少ないが、Flt-1の膜貫通部の直下にネガテイブに作用する因子が存在する可能性である。しかし今回のノックアウトマウスにおいては、細胞内にはRKLKRVRKQKIの11個のアミノ酸しか残されていないため、この仮説は考えにくい。

 一般的に、レセプター型チロシンキナーゼは、チロシンキナーゼの活性化、不活性化をもって機能すると考えられている。チロシンキナーゼドメインを欠失した細胞外ドメインにて、null型ノックアウトマウスの致死を回復できた結果は初めての知見と思われる。

審査要旨

 血管新生は、胎生期初期から循環器系の形成、組織の栄養血管として組織構築に関与している。血管内皮細胞増殖因子VEGF(vascular endothelial growth factor)とその受容体であるFlt-1、Flk-1/KDRを含むレセプター型チロシンキナーゼFltファミリーは、その中で中心的な役割を果たしている。本研究では、Flt-1のチロシンキナーゼドメインの胎生期血管新生における役割を遺伝子組み換えマウスにおいて検討し、以下の結果を得ている。

1.Flt-1チロシンキナーゼドメイン欠損マウスの作製

 Flt-1、Flk-1/KDRのnull型ノックアウトマウスの表現型が報告され、Flk-1/KDRは、血管内皮細胞と血球系の発生に必要であり、一方Flt-1は、血管内皮細胞は発生させるが、null型ホモ接合体マウスの血管内腔はあたかも血管内皮細胞が過剰に増殖したかのように細胞塊を作っていた。Flt-1はFlk-1/KDRと比べてVEGFに高親和性を持ちながら、そのチロシンキナーゼ活性は非常に弱いこと、及び、Flt-1 null型ノックアウトマウスの表現型より、Flt-1の細胞外ドメインが、生体内で重要な働きをしていると推測した。このことを調べる目的で、Flt-1の細胞外ドメインを残し、チロシンキナーゼドメインを欠失させたノックアウトマウスを作製した。

2.生存率

 チロシンキナーゼ欠失型ホモ接合体マウスは生存し、妊娠、出産も正常であった。F2マウスのジェノタイピングは、野生型:80匹、ヘテロ接合体:166匹、ホモ接合体:77匹(全323匹)で1:2:1であった。

3.組織学的検索

 野生型マウスとホモ接合体マウスは、顕著な差を認めなかった。また、Flt-1の発現が高いとされる肺や脳の血管内皮細胞をvon Willebrand factorにて染色して観察したが、ホモ接合体マウスにおいて特に異常を認めなかった。

4.in vitroにおける血管内皮細胞の増殖及び形態変化

 VEGFは血管内皮細胞増殖因子としての機能と、血管透過性因子としての機能を併せ持つ蛋白である。そこで、VEGF依存性の血管内皮細胞の増殖及び形態変化を調べる為に、マウス肝臓由来類洞壁内皮細胞をin vitroにて培養した。野生型、ホモ接合体マウスにおいて形態変化、生存時間に差は認められなかった。次に、増殖活性を定量する為にMTSアッセイを行った。野生型マウス、ホモ接合体マウスの内皮細胞において、VEGF依存性の増殖活性に有意差を認めなかった。結果としてin vitroの肝類洞壁内皮細胞初代培養では、VEGFからの増殖シグナルは、主にFlk-1/KDRを介していると思われた。

5.in vivoにおける透過性

 VEGFのもう一つの作用である透過性について検討した。予め、マウス尾より注入した色素をVEGF依存性に腹腔内に透過させ定量するという新しいアッセイ法を確立した。VEGF濃度依存性に色素量は増加したが、野生型、ホモ接合体マウスにおいて有意差を認めなかった。このことより、VEGFによる急性期の透過性の反応もFlk-1/KDRを介して行われると思われた。

6.マクロファージにおける遊走性

 Flt-1は、全ての構造が哺乳類で高く保存されている。近年、Fltファミリーの中でFlt-1のみがヒトの単球に発現し、VEGF依存性の遊走活性を有するという報告があった。そこでマウスのマクロファージにおいて、この遊走性にFlt-1のチロシンキナーゼドメインが関与しているどうかを検索した。マウスの腹腔内の活性化マクロファージにFlt-1が発現していることを確認し、この細胞を用いてVEGF、PIGFに対する遊走活性を調べた。野生型マウスのマクロファージにおいては、VEGF、PIGFの濃度が10ng/ml付近に遊走能のピークを有し、高濃度になると遊走能が低下する傾向を認めた。これに対して、ホモ接合体マウスのマクロファージにおいてはVEGF、PIGFに対する遊走能を示さなかった。このことより、マウスマクロファージのVEGF、PIGFに対する遊走性にFlt-1のキナーゼドメインが関与していることが分かった。

 以上、本論文では相同組み換え法によりFlt-1のチロシンキナーゼドメインを欠失したマウスを作製し解析した結果、Flt-1のチロシンキナーゼドメインは正常な血管新生においては必要ではなく、マクロファージの遊走においては必要であることが明らかとなった。このメカニズムは明らかではないが、Flt-1の生理機能の解明に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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