学位論文要旨



No 113634
著者(漢字) 永井,健治
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,タケハル
標題(和) 脊椎動物初期発生におけるZic遺伝子ファミリーの役割
標題(洋) Role of Zic gene family in early vertebrate development
報告番号 113634
報告番号 甲13634
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1295号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 助教授 中福,雅人
 東京大学 助教授 David Wayne Saffen
内容要旨 [目的]

 脊椎動物の個体発生は1つの受精卵から始まり、細胞分裂を繰り返しながら個々の細胞や組織が分化することによって進行していく。細胞(組織)分化とは同一のゲノム(遺伝情報)から異なる組み合わせの遺伝子を発現させることによって起こる現象である。従って、発生過程における細胞(組織)分化の分子的メカニズムを知るためには遺伝子の発現制御に関わる転写調節因子の機能を知ることは非常に重要な課題であり、現在までにbHLHやhomeobox、zinc finger等の様々なタイプの転写調節因子が同定されてきた。

 この様な発生過程に関与する転写調節因子の中で、Zic1はマウス小脳顆粒細胞の細胞系譜に強く限局して発現する核内因子として見いだされた。これまでの研究から、Zic1はzinc finger motifを有し、ショウジョウバエのcubitus interruptusの脊椎動物ホモログGL1の結合配列に結合すること(Aruga et al.,1994)、小脳顆粒細胞の増殖を制御することにより小葉パターンの形成に関わることが明らかになっている(Aruga et al.,1998)。まず筆者はこのZic1に相同な遺伝子をマウスゲノム上に幾つか見いだし、そのうち小脳に発現が認められる2つの遺伝子、およびcDNA(Zic2,Zic3)を単離した。本研究ではこれらの分子のマウス初期発生における役割を分子生物学的、形態学的な側面から検討する。

[結果、考察][Zic1関連遺伝子の単離と、その構造および発現に関する解析]

 本論文ではまずマウスZic1 cDNAをプローブとしたマウスゲノムライブラリーのlow stringencyスクリーニングの結果、少なくとも数個のZic1関連遺伝子が存在することを明らかにした。このうちもとの遺伝子Zic1の他にZic2,Zic3という新たな2種類の遺伝子の発現を確認できた。これらの遺伝子のゲノム構造、cDNA塩基配列を決定したところ、それぞれ高度の相同性を持ったzinc finger notifを有し、その中に共通のエキソン・イントロン境界を持つ遺伝子ファミリーを形成することが明らかになった。さらにそのマウス成獣における発現をNorthern blot、RNase protection assayにより調べたところ、いずれの遺伝子も小脳に強く限局して発現していた。またホモロジー検索の結果、ショウジョウバエのpair-rule遺伝子odd-paired(opa)がZic遺伝子ファミリーと高度の相同性を有することが明らかとなった。既に報告されているopa遺伝子の構造はZic遺伝子ファミリーのそれと良く似ていることから、実際にopa遺伝子のエキソン・イントロン境界の一部の塩基配列を決定したところ、Zic遺伝子ファミリーと同一の場所にエキソン・イントロン境界が存在することが分かった。以上のことからZic遺伝子ファミリーとopa遺伝子は共通の祖先から進化の過程で派生してきたものであることが推察された。

 opaはその変異体の解析から、engrailed、winglessの遺伝子発現制御に関与することが明らかになっている(Benedyk et al.,1994)。engrailed、winglessの哺乳類ホモログEn1、En2、Wnt1は遺伝子ターゲッティングにより、中脳、後脳の形態形成に関与していることが明らかにされており、実際にこれらの遺伝子の発現領域はZic1の発現とoverlapしている。このことから、哺乳類の中脳、後脳の発生に関与する遺伝子群がZic1の下流標的遺伝子の中に含まれる可能性が考えられた(Aruga et al.,1996)。

[Zic遺伝子ファミリーのマウス初期胚における発現パターンの解析]

 このような知見からZic遺伝子ファミリーもマウスの発生過程において何らかの役割を担っていることが推測された。そこで筆者はZic遺伝子ファミリーの胚発生における役割を探る手がかりを得るために、それぞれの遺伝子の発現パターンをin situハイブリダイゼーション法により解析した。その結果原腸陥入期(胎生6.5〜7.5日)にはZic2、Zic3ともに胚領域全体にわたって強い発現が観察された。一方Zic1はわずかに発現が認められるのみであった。原腸陥入期には外、中、内の三胚葉が形成されるが、Zic1は中胚葉に、Zic2は特に頭部側の外胚葉(神経性上皮)及び中胚葉に、Zic3は最前部を除く外胚葉、中胚葉に発現が認められた。さらに発生が進んで様々な組織が形成される時期になると神経管、体節、肢芽、小脳原基、網膜原基などで一部overlapする領域が存在するものの、それぞれに特異的な発現を示すことが明かとなった。このことからZic遺伝子ファミリーが形態形成の様々な局面で何らかの役割を持つことが推測された。特に神経管や体節においてはこれらの組織形成が始まる胎生8日から背側に限局した発現が認められ背腹パターンの形成に関与していることが示唆された。

 次に、神経管形成に関与する遺伝子とZic1、Zic2の相互作用を検討するために、発現パターンおよびミュータントマウスの表現形からZic1、Zic2との遺伝学的な相互作用が期待される変異マウス(Splotch(Pax3欠損)、Wnt1欠損、open brain)においてZic1、Zic2の発現がどのように変化するかを調べた。しかしながらこれらのマウスにおいてはZic1、Zic2の発現に本質的な変化は見られなかった。このこととZic1、Zic2の発現開始時期の早さからZic1、Zic2はPax3,Wntlなど神経管の形成に関与する遺伝子カスケードの上流に位置するか、もしくはこれらの遺伝子が唯一の発現調節因子ではないことが示唆された。

 一方、神経管の腹側に存在する脊索から分泌されるShhが底板の誘導を通じて神経管腹側の形成に関与することが明らかとなっている。そこで、Zic1、Zic2の背側での発現に脊索からのシグナルが関与しているかどうかを検討するために、尾部領域で脊索が欠損しているWnt3a欠損マウスでのZic1、Zic2の発現を調べた。その結果、脊索が欠損しShhの発現が認められない領域ではZic1、Zic2は背側に限局せず神経管全体にわたって発現していた。このことからZic1、Zic2は脊索からの分泌因子によって負に発現制御されていることが示唆された(Nagai et al.,1997)。

[Zic2遺伝子のマウス初期発生における役割]

 最近、ポジショナルクローニングによりヒトZic2が13q症候群の原因遺伝子の候補として単離された。13q症候群は常染色体性不完全優性遺伝形質を示す。症状は胎生期から認められ、頭部領域では小頭症、無脳症、脳ヘルニア等が、骨格型では指根骨の融合や指の欠失、椎骨の形態異常等が観察され、その多くは胎生致死となる。一方、奇形がそれ程重篤でないものは出生するが、成長障害や精神障害が認められる(Brown et al..1994)。この13q症候群の発症機序は多くの症例報告にも関わらず全く分かっていない。そこで筆者はZic2遺伝子欠損マウスを作製し、13q症候群のモデル動物として有効かどうかを評価するためにZic2ヘテロ欠損(Zic2+/-)マウス胚の形態学的解析を行った。

 一部のZic2+/-の新生仔(35%,n=40)は外見的には小頭症、二分脊椎、螺旋状の尻尾等の形態的異常が観察され、この様な形態異常が見られるものは全て出生数時間後に呼吸不全により死亡した。呼吸不全が何故起こるのかを調べるために、様々な発生段階の胚の組織標本を作製し同腹仔の野生型と比較したところ胎生17.5日頃から細気管支や肺胞の発達に異常が見られることが明らかになった。Northern blotやin situ hybridizationではZic2の肺での発現が検出できないことから、Zic2が直接肺の発生に関わっているかどうかを結論するには今後の解析を待たねばならない。

 次に新生仔における外見的形態異常がどの様にして起こるのかを調べるために胎生期の組織標本および骨格標本を作製し、同腹仔の野生型と比較した。その結果、骨格型では頭蓋骨、椎骨、肋骨、胸骨、指根骨に形態異常が見られ、神経系では大脳の低形成、脊髄の変性脱落が見られた。異常が観察された部位はZic2が発現している部位と重なっており、Zic2がこれらの組織の発生に重要な役割を持っていることが示唆された。また、形態的異常の類似からZic2+/-マウスが13q症候群のモデル動物として有用であると考えられた。

[参考文献]Aruga,J.,Yokota,N.,Hashimoto,M.,Furuichi,T.,Fukuda,M.and Mikoshiba,K.(1994).A novel zinc finger protein,Zic,is involved in neurogenesis,especially in the cell lineage of cerebellar granule cells.J.Neurochem.63,1880-1890.Aruga,J.,Nagai,T.,Tokuyama,T.,Hayashizaki,Y.,Okazaki,Y.,Chapman,V.M.and Mikoshiba,K.(1996).The mouse Zic gene family:homologues of the Drosophila pair-rule gene odd-paired.J.Biol.Chem.271,1043-1047.Aruga,J.,Minowa,O.,Yaginuma,H.,Kuno,J.,Nagai,T.,Noda,T.and Mikoshiba,K.(1998).Mouse Zic1 is involved in cerebellar development.J.Neuroscience 18,284-293.Benedyk,M.J.,Mullen,J.R.and DiNardo,S.(1994).odd-paired:a zinc finger pair-rule protein required for the timely activation of engrailed and wingless in Drosophila embryos.Genes Dev.8,105-117.Brown,.S.,Gersen,S.,Anyane-Yebao,K.and Warburton,D.(1993).Preliminary definition of a"critical region"of chromosome 13 in q32:Report of 14 cases with 13q deletion and review of the literature.Am.J.Med.Genet.45,52-59.Nagai,T.,Aruga,J.,Takada,S.,Gunther,T.,Sporle,R.,Schughart,K.and Mikoshiba,K.(1997).The expression of the mouse Zic1,Zic2and Zic3 gene suggests an essential role for Zic gene in body pattern formation.Dev.Biol.182,299-313.
審査要旨

 本研究はマウス小脳の発生過程において重要な役割を演じているZnフィンガー型転写因子Zic1に注目し、その関連遺伝子を単離した。さらにそれらのマウス発生過程における役割を明らかにするために発現パターンの解析ならびに遺伝子欠損動物の作製を行い下記の結果を得ている。

 1. マウスZic1cDNAをプローブとしたマウスゲノムライブラリーのlow stringencyスクリーニングの結果、2種類の新規遺伝子Zic2およびZic3を単離することができた。Northern blotならびにRNase protection assayの結果、これらの遺伝子はZic1同様小脳に強く限局して発現していることを明らかにした。またinterspecific backcross解析からZic1,Zic2,Zic3がそれぞれ9番、14番、X染色体に存在することが明らかにされた。さらに遺伝子構造の解析からZic1,Zic2,Zic3とショウジョウバエのペアルール遺伝子odd-pairedがいずれも3つのエキソンからなり、かつエキソン・イントロンの境界が同一であることから、一つの遺伝子ファミリーを形成していることを示した。odd-pairedがショウジョウバエの発生過程のいくつかの現象において非常に重要な役割を担っていることから、Zic遺伝子も成獣小脳のみならず胚発生の過程においても何らかの役割を持つことが考えられた。

 2. マウス胎仔に対するin situハイブリダイゼーションを行ったところ、原腸陥入期(胎生6.5〜7.5日)には、Zic1はほとんど発現が認められなかったが、Zic2は頭部側の外胚葉(神経性上皮)及び中胚葉に、Zic3は最前部を除く外胚葉、中胚葉に発現が認められた。さらに発生が進んで様々な組織が形成される時期になると神経管、体節、肢芽、小脳原基、網膜原基などで一部overlapする領域が存在するものの、Zic1,Zic2,Zic3それぞれに特異的な発現を示すことが明かとなった。このことからZic遺伝子ファミリーが形態形成の様々な局面で何らかの役割を持つことが推測された。次に、神経管形成に関与する遺伝子の変異マウスSplotch(Pax3欠損)、Wnt1欠損、open brainにおいてZic1、Zic2の発現がどのように変化するかを調べたが、これらのマウスにおいてはZic1、Zic2の発現に本質的な変化は見られなかった。さらに尾部領域で脊索が欠損しているWnt3a欠損マウス胚神経管でのZic1、Zic2の発現を調べた。その結果、脊索が欠損する領域ではZic1、Zic2は背側に限局せず神経管全体にわたって発現していた。このことからZic1、Zic2は脊索からの分泌因子によって負に発現制御されていることが示唆された。

 3. Zic2遺伝子のエキソン1をNeomycine耐性遺伝子に置き換えることにより、Zic2遺伝子欠損マウスを作製した。生後1日目のマウスのSouthern blot解析の結果Zic2-/-個体を確認できなかった。このことからZic2欠損により胎生致死になることが明らかとなった。一方、Zic2+/-個体の一部(〜35%)に小頭症、二分脊椎、骨格系の形態異常等が観察された。これらの所見はヒトにおいてZic2が欠損することにより発症すると考えられている13q deletion症候群のそれと極めて類似していた。

 以上、本論文はZic1関連遺伝子の単離、発現解析、機能解析により、Zic2が脊椎動物の個体発生の特に神経系、骨格系の形成に重要な役割を演じていることを明らかにした。本研究は、これまで全く未知に等しかった、重篤な奇形を呈するヒト遺伝病13q deletion症候群の発症機序解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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