学位論文要旨



No 113635
著者(漢字) 白石,陽子
著者(英字)
著者(カナ) シライシ,ヨウコ
標題(和) マウス小脳生後発達に伴い変動する発現遺伝子群の探索
標題(洋) Identification of genes changing in developing cerebellum of postnatal mouse
報告番号 113635
報告番号 甲13635
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1296号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 Saffen,D.W.
 東京大学 助教授 中福,雅人
内容要旨 <背景>

 中枢神経系は、種々の神経細胞が、適切な場所に、適切な数だけ存在し、そして適切な神経細胞間で正しくシナプスを形成することから成り立っており、これには、発達過程において、細胞増殖・分化、細胞死、細胞移動と形態形成、細胞間認識、などのダイナミックなイベントが正確なタイムテーブルに沿って起こることが必須である。これらのイベントを制御するプログラムの基盤は、種々の機能分子が、適切な時期・場所において相互に連関して発現することにある。

 これまでに、齧歯類の小脳は細胞構成や回路網が比較的単純であることから、哺乳類中枢神経系の発達を観察するうえで格好の研究材料とされ、発達過程における組織学的所見の詳しい記述が進み、マウス小脳の場合、生後3週間に上記イベントが起こり、神経回路の機能発達がもたらされる事が判明している。また、weaver,reeler,staggerer,そしてLurcherといった小脳に変性をもたらすミュータントマウスの原因遺伝子の究明と、ノックアウトマウスなど人為的ミュータントマウスの作製及び解析から、小脳形成におけるある特定遺伝子の機能に関し多くの洞察が得られてきた。しかし、これらの解析は限られた分子機能の解明にとどまり、種々の関連機能分子との関連性には不明な点が多い。実際の小脳形成過程においては多種多様な分子が関与しているはずであり、小脳発達のシステマティックな制御機構解明という点では、まずどのような機能分子群が存在するのかを明らかにすべきである。

 これまでにも、蛋白質2次元電気泳動、cDNAサブトラクション、抗体を用いたスクリーニングなど、多様なディファレンシャル・スクリーニングによって、小脳発達過程において発現量の変化する分子の同定が試みられてきた。しかし、その感度の問題から、検出される分子は比較的発現量が多いか発現量の変化が明瞭な分子で、転写調節因子など発現量は少ないが極めて重要な働きをする微量機能分子などは、これらスクリーニングから漏れている可能性が強い。近年確立されたRT-PCRによるmRNAのフィンガープリンティングであるDifferential Display法(DD法)は、これまで検出不可能であった微量に発現するmRNAの検出を可能にした。実際、1個の細胞から抽出したmRNAからのcDNAクローニングも報告されており、現時点ではもっとも感度の高い、また複数のサンプルを同時に比較できる手法である。

 本研究では、このDD法を用いてマウス小脳の生後発達の各ステージにおいて発現する遺伝子を網羅的に比較・同定し、発達段階ごとにカタログ化するとともに、これまでのスクリーニングで検出できなかった未知の分子の探索を目的とし、よりシステマティックに小脳発達に関わる機能分子群を捉えることで、中枢神経系の機能発達を理解することをねらいとする。

<目的>

 中枢神経系の発達の分子メカニズムを解明するために、マウス生後小脳をモデルとし、発達段階特異的に発現する遺伝子群のカタログ化を行い、中枢神経系の発達事象を制御する遺伝子機能の解明を目的とした。

<方法>

 マウス生後発達期(E18,P0,P3,P7,P12,P15,P21,Adult)の小脳からmRNAを抽出し、蛍光ディファレンシャルディスプレイ(FDD)によるRNAフィンガープリンティングを行い、各ステージ間において約2500種の発現遺伝子群を比較した。発達に伴い発現が変化する遺伝子群についてカタログ化を行い、3’末端側の部分塩基配列を決定した。未知のクローンについては、さらにノザンブロット解析またはRT-PCR解析によって小脳発達に伴った発現パターンの解析による発現タイムテーブルの作製、および組織特異性を検討した。また、in situハイブリダイゼーションにより発現細胞の同定して、発現マップを作製した。とりわけ、外顆粒層から深部への移動時期の顆粒細胞に発現していた新規のクローン(13-2)については、全長cDNAのクローニングを行い、核酸配列を決定した。COS7細胞におけるGFP融合蛋白質の細胞内局在を観察するとともに、全長13-2蛋白質をGST融合蛋白質として大腸菌に発現、精製し、結合が予測されうるタンパク分子との共沈殿実験やリガンドオーバーレイ実験を行った。

<結果と考察>

 マウス生後小脳において、32セットのプライマーを用いたFDDにより約2000種の発現遺伝子群を比較し、発達段階で発現変化のあった遺伝子を136種検出した。発現パターンの傾向を分類すると、生後発現量が増加するものが61種(3.4%)、減少するものが43種(1.9%)、一過性に発現するものが32種(1.6%)存在し、残る94.2%を占める遺伝子群は発現に顕著な変化がなかった。特に目立った傾向として、P7まで発現しP12以降は発現しないパターン、逆に、P7までは発現せずにP12以降は発現し始めるというパターンが、比較的多く存在した。発現に変化のあったもののなかで、35種のFDDフラグメントをクローニングし、その塩基配列(いずれも3’末端側の部分塩基配列)を決定したところ、16種がデータベース登録済みの既知遺伝子で、19種が未登録の新規遺伝子であった。既知遺伝子のなかには、PCNA,Tau,Alpha Tublin,Mitochondrial cytochrome C,P400,PLP,MOBP,GIRK3,K-ATPase,Aldehyde dehydrogenase,ribosomal RNAなどが検出され、すでに報告されている発現パターンと整合性があり、このアプローチの有効性が実証された。新規のクローンに関し、発現パターンの再現性は、FDDフラグメントの塩基配列をもとに作成したインナープライマーによるRT-PCR、またFDDフラグメントをプローブとしたノザンブロット解析により確認された。組織分布に関しては、中枢神経系特異的なものが11種、そのうち小脳特異的なものが3種、存在した。さらに発現している細胞を明らかにするため、各ステージの全脳の傍矢状断切片を用いてDIG標識によるin situハイブリダイゼーションを行った結果、各クローン特有の発現分布が検出され、その発現時期にその細胞で起こる事象と関連があると推測される。

 これら新規の遺伝子群のなかで、P7の時期に一過性に強く発現するクローン「13-2」について、解析を進めた。小脳において13-2は、P3時には外顆粒層にもっとも発現し、移動中の顆粒細胞と思われる内顆粒層側に向かう細胞にも発現が認められた。P7時には、内顆粒層での発現が優位となり、P12時には外・内顆粒層ともに弱まり、P15時以降は全く検出されなかった。13-2をcDNAライブラリーから全長cDNA約1.8Kbpをクローニングした。アミノ酸配列を予測したところ343アミノ酸から構成され全体的に親水性の高い構造をもっていた。N末端から約90番目のアミノ酸からC末端にかけて-ヘリックスに富み、coiled-coil構造を持つ可能性が高い。モチーフとしては、N末端側80番目に膜蛋白質のクラスタリングに関与するPDZドメイン・コンセンサス配列(RXXXXGLGF)、C末端側に4個のロイシンジッパー様配列を有していた。ホモロジー検索にかけた結果、N末端側1〜120番目まで、Homer/Vesl(シナプス活動依存的に一過性に発現する早初期遺伝子でmGluR1,5と結合するものとして報告されている)とほぼ一致し、110番目〜C末端まで、Citron(低分子量GTPaseであるRho/Racの標的タンパクとして報告されている)のRho結合領域付近と緩いホモロジーがあり、特にグルタミン酸やアスパラギン酸など酸性アミノ酸の位置で一致が見られた。Homer/Veslとホモロジーのあった領域は、成長円錐においてFアクチンのproximal部位に局在するとの報告があるEVH1ドメインともホモロジーがあり、実際、大腸菌に発現させたGST融合13-2蛋白質とFアクチンは直接結合することが、Fアクチンとの共沈殿実験によって明らかになった。また、RhoA/Rac1/Cdc42によるリガンドオーバーレイ実験では、GTP結合型との親和性が示唆され、13-2蛋白質が新規の低分子量GTPase標的タンパクである可能性がある。

 顆粒細胞において、13-2が発現する時期に起こる事象として、1)Bergmann glia細胞に沿った外顆粒細胞層から内顆粒細胞層への移動、2)T字型軸索の伸展による平行線維の形成、3)プルキンエ細胞とのシナプス形成等、小脳の成り立ちにとってドラスティックな細胞動態が観察されている。これまでに細胞接着因子や、細胞骨格制御系、そしてイオン透過型膜チャネルなどが、いかにそれらの事象に関与するのか、多くの研究のなかで検討されてきた。しかし、顆粒細胞のどのような外的環境が、顆粒細胞にどのような刺激を与え、その刺激を顆粒細胞がどのような細胞内シグナルに変換し、どのように顆粒細胞の動的および形態的変化を誘導するのかという点は、依然不明な点が多い。本研究でクローニングされた、この新規蛋白質の機能解析は、顆粒細胞膜上への刺激から細胞骨格の動的構築までの一連のカスケードに関与する可能性を示唆している。今後、顆粒細胞動態変化の分子機序と13-2蛋白質との関係の詳細な研究が期待される。

<13-2蛋白質の構造予測図>
審査要旨

 本研究は、哺乳類の神経系発生の分子メカニズムを理解する目的で、生後のマウス小脳の発達に関わる遺伝子群の探索を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1. マウス生後発達期(E18,P0,P3,P7,P12,P15,P21,Adult)の小脳において、32セットのプライマーを用いた蛍光ディファレンシャルディスプレイ(FDD)により約2000種の発現遺伝子群を比較し、発達段階で発現変化のあった遺伝子を136種検出した。発現に変化のあったもののなかで、35種のFDDフラグメントをクローニングし、その塩基配列(いずれも3’末端側の部分塩基配列)を決定したところ、16種がデータベース登録済みの既知遺伝子で、19種が未登録の新規遺伝子であった。既知遺伝子のなかには、PCNA,Tau,Alpha Tublin,Mitochondrial cytochrome C,P400,PLP,MOBP,GIRK3,K-ATPase,Aldehyde dehydrogenase,ribosomal RNAなどが検出された。

 2. 新規のクローンに関しては、中枢神経系特異的なものが11種、そのうち小脳特異的なものが3種、存在した。さらにDIG標識によるin situハイブリダイゼーションを行った結果、各クローン特有の発現分布が検出され、その発現時期にその細胞で起こる事象と関連があると考えられた。

 3. 新規の遺伝子群のなかで、P7の時期に一過性に強く発現するクローン「13-2」について、解析を進めた。小脳において13-2は、P3時には外顆粒層にもっとも強く発現し、移動中の顆粒細胞と思われる内顆粒層側に向かう細胞にも発現が認められた。P7時には、内顆粒層での発現が優位となり、P12時には外・内顆粒層ともに弱まり、P15時以降は全く検出されなかった。したがって、13-2は小脳顆粒細胞の動的変化に関与している可能性が高いと考えられた。

 4. 13-2mRNAは約1.8Kbpの長さで、蛋白質として343アミノ酸から構成され全体的に親水性の高い構造をもち、N末端から約90番目のアミノ酸からC末端にかけて-ヘリックスに富み、coiled-coil構造を持つ可能性が高いと推測された。モチーフとしては、N末端側80番目に膜蛋白質のクラスタリングに関与するPDZドメイン・コンセンサス配列(RXXXXGLGF)、C末端側に4個のロイシンジッパー様配列を有していた。ホモロジー検索にかけた結果、N末端側1〜120番目まで、Homer/Vesl(シナプス活動依存的に一過性に発現する早初期遺伝子でmGluR1,5と結合するものとして報告されている)とほぼ一致し、110番目〜C末端まで、Citron(低分子量GTPaseであるRho/Racの標的タンパクとして報告されている)のRho結合領域付近と緩いホモロジーがあった。

 5. 13-2蛋白質のHomer/Veslとホモロジーのあった領域は、成長円錐においてFアクチンのproximal部位に局在するとの報告があるEVH1ドメインともホモロジーがあり、実際、大腸菌に発現させたGST融合13-2蛋白質とFアクチンは直接結合することが、Fアクチンとの共沈殿実験によって明らかになった。

 6. 13-2蛋白質に対するRhoA/Rac1/Cdc42によるリガンドオーバーレイ実験では、特にGTP結合型Rac1/Cdc42との親和性が示唆された。

 7. COS7細胞に、GFP融合13-2蛋白質を一過性に発現させたところ、細胞質全体にわたって斑点様の局在が観察された。

 以上、本論文は、マウス小脳の生後発達期に発現量の変化する未知および既知の遺伝子群を記載し、また特に、小脳顆粒細胞の動態がドラスティックに変化する時期に一過性に発現する新規の遺伝子「13-2」の存在を明らかにした。本研究におけるこの新規蛋白質の発見は、顆粒細胞動態変化の分子機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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