学位論文要旨



No 113636
著者(漢字) 須賀,圭
著者(英字) Suga,Kei
著者(カナ) スガ,ケイ
標題(和) マウス卵の受精および活性化におけるカルシウムシグナリング機構に関する研究
標題(洋) Studies on calcium signaling mechanisms at fertilization and activation of mouse eggs
報告番号 113636
報告番号 甲13636
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1297号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 助教授 郭,伸
内容要旨 (背景)

 哺乳動物の受精の際、初期の応答として精子と卵の結合・融合によるCa2+波(Ca2+wave)と周期的な上昇であるCa2+オシレーション(Ca2+oscillation)が起こり、その上昇に伴って多精拒否に関与すると考えられている表層顆粒の放出(cortical granule exocytosis)が起こる。細胞内における情報伝達系においてCaイオン(Ca2+)は重要なセカンドメッセンジャーとして様々な細胞機能に関与していることが明らかにされてきている。卵と精子の相互作用により受精した卵内においてCa2+がいかにして増加し、どのような機能を果たすのかは、受精機構における本質的な問いである。近年、Ca2+感受性蛍光試薬と画像解析の方法の発展により、受精時のCa2+動態の詳細がかなり明らかにされつつある。Ca2+オシレーションは細胞の内膜系に存在するCa2+貯蔵庫(Ca2+ストア)からのCa2+放出(Ca2+release)と再取り込み(Ca2+re-uptake)さらには細胞外からのCa2+の流入および細胞外へのCa2+の汲み出しが巧妙に調節されて起こる現象であると考えられている。細胞内Ca2+ストアとしての小胞体にはCa2+チャネルであるIP3受容体が存在しており、ハムスター卵を用いた研究により受精の際にIP3誘発性Ca2+放出(IP3-induced Ca2+release;IICR)とCa2+誘発性Ca2+放出(Ca2+-induced Ca2+release;CICR)が起きていることが明らかにされた。さらに、酸化剤の一種であるthimerosalがハムスターやマウスの卵において受精によるものと非常によく似たCa2+オシレーションを誘発することが示され、その機構はIP3受容体を介するCa2+誘発性IICRであることが示唆された。しかし、現在3種のIP3受容体サブタイプの存在が知られているが、マウスの卵においてどのサブタイプが発現し、機能しているのかは未だ解明されていない。また、マウス卵におけるCa2+オシレーションの際の細胞内Ca2+ストアへのCa2+の再取り込みに関与するCa2+-ATPaseの機能や、細胞外からのCa2+の流入機構についてはほとんど解明されていない。さらには、その上昇に伴って引き起こされる表層顆粒の放出が細胞内Ca2+濃度によりどのように調節されているのかについては未だ不明な点が多い。

(目的)

 本研究はマウス卵の受精の際の初期の現象であるCa2+オシレーション及びその上昇に伴って引き起こされる表層顆粒の放出(cortical granule exocytosis)に注目し、マウス卵におけるCa2+オシレーションの際に、Ca2+放出機構を担う分子として、どのIP3+受容体サブタイプが発現して機能し得るのか、そして放出されたCa2+の再取り込みに関与するCa2+-ATPaseおよび細胞外からCa2+の流入機構がどのように機能しているのか、さらに引き続いて起こるcortical granule exocytosisが細胞内Ca2+濃度によってどのように調節されているかを解明することを目的とした。

(方法)

 マウス成熟未受精卵は、排卵誘発剤を投与した雌ICRマウスより採取し、実験に供した。卵細胞内Ca2+濃度変化の測定は、Ca2+感受性蛍光色素であるfura-2AMを取り込ませた卵を、細胞内Ca2+濃度画像解析システムを用いたCa2+イメージングにより行った。表層顆粒放出の検出には、蛍光標識したレクチン(Lens culinaris agglutinin)を用い、蛍光顕微鏡により解析した。未受精卵におけるIP3受容体の発現、局在の解析は、IP3受容体の各サブタイプ特異的な抗体を用いたウエスタンブロッティングおよび共焦点レーザー顕微鏡を用いたwhole mountでの免疫組織染色により行った。

 Ca2+オシレーションの誘発は精子をin vitroにおいて媒精する方法及び、thimerosalの添加により行い、Ca2+-ATPaseおよびCa2+流入機構の機能解析には、構造が非類似のCa2+-ATPase阻害剤であるthapsigarginと2,5-di-(tert-butyl)-1,4-hydroquinone(BHQ)及びcapacitative calcium entryのアンタゴニストであるSK&F96365を用いた。

(結果と考察)

 初めに、現在までに知られている3種のIP3受容体の各サブタイプのマウス卵における発現をウエスタンブロッティングおよびwhole mountでの免疫組織染色により調べた。結果、マウスの成熟卵においては、タイプ1IP3受容体が優勢に発現しており、さらにタイプ1IP3受容体は斑点状のクラスターを形成し、卵の表層近くに局在していた。他の2つのサブタイプ(タイプ2,タイプ3IP3受容体)の発現はほとんど検出できなかった。これらの結果より、マウス卵の受精においてCa2+放出機構を担っている細胞内Ca2+チャネルは、ほとんどがタイプ1IP3受容体である可能性が示唆された。

 次に、Ca2+オシレーションにおける、Ca2+の再取り込みおよびCa2+流入機構の機能的解析を行った。細胞内に存在するCa2+-ATPaseのCa2+オシレーションにおける役割を調べるために、まず、Ca2+-ATPase阻害剤であるthapsigarginおよびBHQの細胞内Ca2+濃度に対する効果について検討した。Thapsigargin及びBHQは細胞外のCa2+非存在下において濃度依存的に細胞内のCa2+上昇を誘起し、それぞれ20M,100Mで最大のCa2+release活性を示し、さらに両阻害剤を加算的に添加することにより、いずれの阻害剤も機能的に共通の細胞内Ca2+ストアからの遊離を引き起こした。次に、マウス卵においてcapacitative calcium entryの機構が存在するかどうかについて検討した。細胞外Ca2+非存在下において、20M thapsigargin,100M BHQで処理した後、外液にCa2+を添加したところthapsigarginは細胞外からのCa2+流入を引き起こしたが、BHQは流入を引き起こさなかった。Thapsigarginによって引き起こされた細胞外からのCa2+流入はcapacitative calcium entryのアンタゴニストであるSK&F96365で卵を前処理することにより阻害された。これらの結果よりマウス卵にはCa2+ストアの枯渇により細胞外からのCa2+流入を促進する機構(capacitative calcium entry)が存在し、Ca2+オシレーションの際に機能しうる可能性が示唆された。Ca2+オシレーションにおけるこの流入機構の関与を調べる目的で、thimerosalにより誘起されるCa2+オシレーションに対するSK&F96365の効果を検討した。検討の結果、SK&F96365は濃度依存的にCa2+オシレーションの頻度を減少させる効果が見出だされた。以上のことより、マウス卵におけるCa2+オシレーションの際に、capacitative calcium entryの機構が機能している可能性が示唆された。

 次に、thimerosalおよび精子により誘起されるCa2+オシレーションにおけるCa2+-ATPaseの機能について検討した。Thimerosal添加の前後において、20M,50M thapsigarginおよび100M,200M BHQで処理した結果、細胞外のCa2+の有無に関わらずCa2+オシレーションを抑制した。次に、精子によりCa2+オシレーションを誘発した後に、20M,50M thapsigarginおよび100M BHQを添加することにより検討した結果、thapsigarginおよびBHQは受精によるCa2+オシレーションに対しても抑制効果を示した。これらの機能的解析の結果より、マウス卵には、少なくともthapsigarginおよびBHQに感受性のCa2+-ATPaseが存在しており、thimerosalおよび精子によって誘起されるCa2+オシレーションにおいて、細胞内Ca2+ストアへのCa2+の再取り込みに関与していることが示唆された。

 以上の結果より、マウス卵におけるCa2+オシレーションは、細胞内Ca2+ストアに存在するタイプ1IP3受容体からのCa2+放出とthapsigarginおよびBHQに感受性のCa2+-ATPaseによるCa2+の再取り込み、さらには細胞内Ca2+ストアの枯渇にともなうSK&F96365に感受性のCa2+channelを介した細胞外からのCa2+流入が巧妙に調節されて起こる機構である可能性が示唆された。

 最後に、未受精卵を20M thapsigargin及び100M BHQで処理した結果、受精に伴うCa2+の上昇によって引き起こされるものと非常に類似したcortical granule exocytosisまでも誘起することを見いだした。この結果は、cortical granule exocytosisは卵細胞内における一過性のCa2+濃度上昇だけで誘発されることを示唆した。

審査要旨

 本研究はマウス卵の受精および活性化において、初期の現象であるCa2+オシレーション及び表層顆粒の放出(cortical granule exocytosis)におけるカルシウムシグナリング機構の機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1. Ca2+放出機構を担っている分子であるIP3受容体の3種のサブタイプのマウス卵における発現をウエスタンブロッティングおよびwhole mountでの免疫組織染色により調べた。結果、マウスの成熟卵においては、タイプ1IP3受容体が優勢に発現しており、さらにタイプ1IP3受容体は斑点状のクラスターを形成し、卵の表層近くに局在していることを見出した。他の2つのタイプ(タイプ2,3IP3受容体)の発現はほとんど検出できなかった。これらの結果より、マウス卵の受精においてCa2+放出機構を担っている細胞内Ca2+チャネルは、ほとんどがタイプ1IP3受容体である可能性が示唆された。

 2. Ca2+-ATPase阻害剤の卵細胞内Ca2+濃度に対する効果を検討した。ThapsigarginおよびBHQはいずれも細胞外のCa2+非存在下において濃度依存的に細胞内のCa2+上昇を誘起し、それぞれ20M,100Mで最大のCa2+release活性を示した。さらに両阻害剤を加算的に添加する実験により、両阻害剤は機能的に共通の細胞内Ca2+ストアからの遊離を起こすことが示された。これらの結果より、少なくともthapsigarginおよびBHQに感受性のCa2+ストアが存在しており、両阻害剤は共通のCa2+-ATPaseを阻害していることが示唆された。

 3. 細胞外Ca2+非存在下において、20M thapsigargin,100M BHQで処理した後、外液にCa2+を添加したところthapsigarginは細胞外からのCa2+流入を引き起こしたが、BHQは流入を引き起こさなかった。Thapsigarginによって引き起こされた細胞外からのCa2+流入はcapacitative calcium entryのアンタゴニストであるSK&F96365で卵を前処理することにより阻害された。これらの結果よりマウス卵にはCa2+ストアの枯渇により細胞外からのCa2+流入を促進する機構(capacitative calcium entry)が存在し、Ca2+オシレーションの際に機能しうる可能性が示唆された。

 4. Ca2+オシレーションにおけるこの流入機構の関与を調べる目的で、thimerosalにより誘起されるCa2+オシレーションに対するSK&F96365の効果を検討した。検討の結果、SK&F96365は濃度依存的にCa2+オシレーションの頻度を減少させる効果が見出だされた。以上のことより、マウス卵におけるCa2+オシレーションの際に、capacitative calcium entryの機構が機能している可能性が示唆された。

 5. Thimerosalおよび精子によって誘起されるCa2+オシレーションにおけるCa2+-ATPaseの機能について検討した。Thimerosal添加の前後において、20M,50M thapsigarginおよび100M,200M BHQで処理した結果、細胞外のCa2+の有無に関わらずCa2+オシレーションを抑制した。次に、精子によりCa2+オシレーションを誘発した後に、20M,50M thapsigarginおよび100M BHQを添加することにより検討した結果、thapsigarginおよびBHQは受精によるCa2+オシレーションに対しても抑制効果を示した。これらの機能的解析の結果より、マウス卵には、少なくともthapsigarginおよびBHQに感受性のCa2+-ATPaseが存在しており、thimerosalおよび精子により誘起されるCa2+オシレーションにおいて、細胞内Ca2+ストアへのCa2+の再取り込みに関与していることが示唆された。

 6. 未受精卵を20M thapsigargin及び100M BHQで処理した結果、受精に伴うCa2+の上昇によって引き起こされるものと非常に類似したcortical granule exocytosisまでも誘起することを見いだした。この結果は、cortical granule exocytosisは卵細胞内における一過性のCa2+濃度上昇だけで誘発されることを示唆した。

 以上、本論文はマウス卵のCa2+オシレーションにおける細胞内Ca2+ストアへのCa2+の再取り込みに関与するCa2+-ATPaseの機能や、細胞外からのCa2+流入機構について解析を行ったものである。本研究は受精におけるカルシウムシグナリング機構さらには後の卵の発生過程におけるカルシウムシグナリング機構の理解に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54651