学位論文要旨



No 113639
著者(漢字) 塚本,忠
著者(英字)
著者(カナ) ツカモト,タダシ
標題(和) ハンチントン病の遺伝子産物に関する研究
標題(洋)
報告番号 113639
報告番号 甲13639
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1300号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 松下,正明
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 中田,隆夫
内容要旨 [目的]

 ハンチントン病は常染色体性優性に遺伝する中枢神経変性疾患である。この遺伝子の翻訳産物であるハンチンチンは、推定分子量348kの機能が未知のタンパクである。ハンチントン病遺伝子のエクソン1内にはCAGの3塩基からなる配列が繰り返し連続する領域がある。この繰り返し(リピート)数が、正常では35以下であるのに対し、ハンチントン病の患者では36から120に伸長している。このように、その責任遺伝子中の3塩基の繰り返し数が、患者個体で異常な伸長を示す一群の疾患をトリプレットリピート病と言い、3塩基のリピート数と発症年齢が逆相関の関係にある。

 トリプレットリピート病の中で、トリプレットリピートが責任遺伝子の翻訳領域の中にある疾患群の発症の機序は、遺伝子産物中に出現するポリグルタミン鎖の伸長が、その機能の喪失(loss of function)もしくは新たな機能の獲得(gain of function)をもたらすことによると考えられてきた。ポリグルタミン鎖の伸長が遺伝子産物の構造を破壊することで機能が失われたり、伸長したポリグルタミン鎖を持つ変異型遺伝子産物が野生型の機能を阻害するなどの機構により機能の喪失は説明される。機能の獲得は、(1)構造がポリグルタミン鎖の伸長によって変化し、それに応じて他の分子(タンパク質)との結合力・親和性が新たに生じたり、強くなったりする。(2)ポリグルタミン鎖の伸長によって、新たに他の酵素の基質となる。(3)ポリグルタミン鎖の伸長により遺伝子産物の代謝・異化の速度が変化する。(4)他の分子と、もしくは変異遺伝子産物同士が結合して凝集する、などの機序が考えられる。(1)〜(4)は互いに重なり合った考え方である。

 我々は、機能の喪失という面からハンチンチンの正常機能を調べた。これまでの抗ハンチンチン抗体を用いた研究によると、ウエスタンブロットを用いた研究では野生型ハンチンチンのみならず変異型ハンチンチンも発現することが確認されている。免疫組織化学的研究ではハンチンチンは脳以外の末梢にも広範に存在するが、脳において強く発現しており、細胞質・核周囲・軸索などで特に強く検出される。細胞分画法を用いた研究では可溶性画分、核画分、ミトコンドリア画分、リソゾーム画分のいずれにも存在するが、電子顕微鏡的研究では細胞骨格、特に微小管周囲に多く検出された。我々は、ハンチンチンの機能が微小管と強く関係すると考え、in vitroでの微小管とハンチンチンの間の結合の可能性を生化学的に調べた。

[方法と材料]

 ラット脳組織(大脳皮質)を用いて、温度依存性に微小管の重合・脱重合を3回行なった。この時の各微小管画分内のラットハンチンチンの存在を抗ハンチンチン抗体で確認した。凍結ヒト大脳皮質(対照および患者脳)の可溶性画分に精製ラットチューブリンを入れて温度依存性に重合させたところ微小管が重合した。この画分中のヒトハンチンチンの存在を調べた。さらに、微小管、微小管関連タンパクとハンチンチンとの結合を調べるため、チューブリン固定化カラム、MAPs(微小管結合タンパク質)固定化カラム、GAPDH(グリセルアルデヒド3リンデヒドロゲナーゼ)固定化カラムにヒト大脳皮質可溶性画分を通し、ヒトハンチンチンがカラムに吸着するかどうかを確かめた。

[結果]

 ラットハンチンチンは3回の微小管重合・脱重合を通して、重合した微小管と共沈した。ヒトハンチンチンも、ヒト脳可溶性画分中へのラットチューブリン添加により重合が可能になった微小管と共沈した。この時、微小管と共沈した野生型および変異型ハンチンチンの量比は、もとの可溶性画分における量比とほぼ同程度であった。野生型および変異型ハンチンチンはチューブリン固定化カラムやMAPs固定化カラム、GAPDH固定化カラムに吸着しなかった。

[考察]

 ハンチントン病遺伝子産物ハンチンチンは正常機能として微小管にin vitroで結合する機能があることがわかった。ハンチンチンはMAPsやGAPDHには高い結合力を持って結合するものではなく、チューブリンにも結合しない。微小管に含まれる微量構成因子と高い親和性を持って結合するのか、重合した微小管の構造に結合し、その構成要素単独は認識しない可能性がある。ポリグルタミン鎖が伸長した変異型も、野生型と同程度に微小管に結合することができ、このことはハンチンチンと微小管の結合が発症に直接関連するものではないことを示唆する。我々のデータは、ハンチントン病の発症はハンチンチン中のポリグルタミン鎖の伸長による機能の喪失によるのではない(少なくとも微小管結合能の喪失によるのではない)ことを支持する。

 以上の結果、ハンチントン病の発症の機序はポリグルタミン鎖の伸長による機能の獲得によるという可能性が強くなった。

 1997年以降、ポリグルタミン病の患者脳神経細胞の核内もしくは細胞質内に封入体構造が観察されるという報告が続いている。遺伝子産物(断片)の核内への移行の詳細はまだ不明であるが、細胞質から核膜孔近傍までの移動は細胞骨格(特に微小管)によるものである可能性が高い。今後は核内への移行の各ステップの詳細な解析、ハンチンチン分子の切断・ (ユビキチン化などの)修飾、変異型ハンチンチンに特異的な代謝・修飾の有無、封入体の構成物質の同定など、それらが核内移行に及ぼす影響の検討が必要になるであろう。これらの研究が将来の疾患の治療につながる可能性は高いと考えられる。

審査要旨

 本研究は常染色体優性遺伝形式をとる神経変性疾患であるハンチントン病の遺伝子産物(ハンチンチン)の機能を調べることを目的としたものである。ハンチンチンが細胞骨格の一つである微小管と結合しているという作業仮説を立て、脳微小管を温度依存性に重合・脱重合を繰り返し、この時、ハンチンチンが遠心によって微小管と共沈殿するかどうかを調べることによって、ハンチンチンと微小管との結合を確かめた。ヒト対照脳、患者脳、ラット脳について、ハンチンチンと微小管との結合を調べ、さらに、微小管の構成タンパクのうちのいくつかを固定化したカラムを用いて、ハンチンチンとそれらタンパクとの間の直接の結合について検討を加え下記の結果を得た。

 1.未凍結のヒト対照脳から温度依存性に微小管を重合・脱重合させることによって微小管画分を調製し、その画分中にハンチンチンが存在することを数種の抗ハンチンチン抗体を用いたウエスタンブロット法によって確認した。2回の重合・脱重合のサイクルを通して、ヒトハンチンチンは微小管と共沈殿した。

 2.ヒト凍結脳ホモジネートを遠心して得られた上清にラット精製チューブリンを加えることで温度依存的に微小管を重合させることができた。これにより、ヒト凍結脳内の微小管を構成する因子を調べることが可能になった。

 3.凍結保存された対照および患者脳より微小管を上記方法により調製し、ハンチンチンの微小管との共沈殿を調べた結果、ヒト野生型および変異型ハンチンチンはどちらも微小管と結合した。また、その量比は、上清において変わらないことから、微小管との結合はどちらも同程度であると推測された。

 4.ラットハンチンチンは3回の重合・脱重合サイクルで重合(ラット)微小管と共沈した。

 5.ハンチンチンは、変異型・野生型にかかわらず、固定化したラット精製チューブリンに結合しなかった。

 6.全長のハンチンチンは、微小管結合タンパクのひとつであり、他グループからハンチンチンに結合すると報告されているグリセルアルデヒド3リン酸デヒドロゲナーゼ(GAPDH)に結合しなかった。

 以上,本論文はin vitroにおいてハンチントン病遺伝子産物であるハンチンチンと細胞骨格微小管との結合を示した。そして、チューブリン固定化カラム、微小管結合タンパク(MAPs)カラム、GAPDHカラムにハンチンチンが吸着しないことより、ハンチンチンが微小管と結合する形式として(1)他の微小管構成タンパクのひとつと結合する、(2)チューブリンダイマーではなく重合したチューブリンの構造を認識して結合する可能性などが考えられる。

 他グループの免疫組織化学的研究の結果からハンチンチンはin vivoでも微小管と結合していることが示唆され、本研究により確認されたハンチンチンと微小管との結合は、神経変性疾患であるハンチントン病の病態・病因に密接に関与していることが推測される。本研究はハンチントン病の病態・病因の解明や治療法の研究に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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