学位論文要旨



No 113641
著者(漢字) 矢澤,生
著者(英字)
著者(カナ) ヤザワ,イクル
標題(和) 歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症の遺伝子産物に関する研究
標題(洋)
報告番号 113641
報告番号 甲13641
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1302号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 助教授 戸田,達史
内容要旨 [序論]

 歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症(DRPLA)は常染色体優性遺伝の脊髄小脳変性症である。DRPLAの原因遺伝子は第12染色体短腕上に存在し、DRPLA患者ではDRPLA遺伝子の翻訳領域にあるCAG repeatが異常に伸長していることが報告された。同様に異常に伸長するCAG repeatが原因遺伝子の翻訳領域にある疾患として、spinobulbar muscular atrophy、Huntington病、spinocerebellar ataxial(SCA1)、Machado-Joseph病、SCA2、SCA6、SCA7が報告された。DRPLAでは異常に伸長するCAG repeat数は正常では約40以下、DRPLA患者では約50から100であり、CAG repeat数と患者の発症年齢の間に負の相関があることも明らかになった。DRPLA遺伝子は1184個のアミノ酸からなる蛋白をコードすると考えられたが、この蛋白と既存の蛋白にホモロジーはなく、その遺伝子産物の機能は不明である。本研究では、DRPLA遺伝子から予想されるアミノ酸配列に対するポリクローナル抗体を作成し、その遺伝子産物(DRPLA蛋白)を同定し、DRPLA患者脳ではCAG repeatの異常な伸長により、DRPLA遺伝子は異常な翻訳調節は受けないことを示し、DRPLAはDRPLA蛋白の異常により発症する疾患である可能性を示した。さらに、DRPLA蛋白の異常伸長したポリグルタミンがどのようにDRPLAの発症に関与するのかを考察した。

[方法]

 (1)ヒトDRPLA遺伝子から推定されるアミノ酸配列のN端10-21とC端1171-1184に対応する合成ペプチドを作成、またN端のアミノ酸配列13-168のグルタチオンSトランスフェラーゼ融合蛋白を作成し、家兎に免疫した。血清をアフィニティーカラムで精製し、ポリクローナル抗体を作成した。

 (2)コントロール8例(年齢43-79才)とDRPLA患者8例(24-69才)の剖検凍結脳、およびラット2匹(体重150,450g)の凍結脳について、作成した抗体でイムノブロットをおこなった。イムノブロットは7.5%polyacrylamide gelで電気泳動後、ゲル中の蛋白をpolyvinylidene difluoride膜に転写し、抗体で反応させ酵素抗体染色法で発色した。剖検凍結脳では脳部位別に切り出しイムノブロットをおこなった。また、正常コントロール5例(年齢28-59才)、DRPLA患者9例(16-66才)の培養リンパ芽球細胞について、イムノブロットをおこなった。

 (3)2次元電気泳動は、コントロール、DRPLA大脳皮質およびリンパ芽球細胞について、1次元に固定pH勾配ゲルで等電点泳動後、2次元に7.5%polyacrylamidegelでsodium dodecyl sulfate(SDS)電気泳動し、イムノブロットをおこなった。

 (4)コントロール3例とDRPLA患者1例の剖検脳およびラット脳について、作成した抗体で免疫組織染色した。剖検脳は大脳皮質、淡蒼球、被殻、尾状核、小脳皮質、歯状核、中脳、黒質、橋、延髄の各脳組織およびラット全脳を細切し、4%パラホルムアルデヒドで固定し、凍結後に薄切し、アビチン-ビオチン-ペルオキシダーゼ法で免疫組織染色した。

 (5)剖検凍結脳とリンパ芽球細胞からゲノムDNAを抽出し、DRPLA遺伝子のCAG repeatを含む部分を、polymerase chain reaction法によって増幅し、CAG repeat数を決定した。

[結果]

 ヒトコントロール脳のイムノブロットでSDS電気泳動上約190-200kDaのバンドを検出し、DRPLA遺伝子のwild-type alleleに対応するDRPLA蛋白(wild-type protein)と同定した。DRPLA患者脳ではこのバンドに加えて、異常に伸長したCAG repeatを含むmutant alleleに対応する、wild-type proteinより電気泳動の移動度の小さい約200-220kDaのDRPLA蛋白(mutant protein)を検出した。DRPLA患者脳のイムノブロットでは、wild-type proteinとmutant proteinのバンドはほぼ等しい免疫反応性を示した。正常コントロールとDRPLA患者のリンパ芽球細胞でも、脳と同様に、電気泳動上約190-200kDaのwild-type proteinに加えて、DRPLA患者リンパ芽球細胞でmutant proteinを認めた。DRPLA蛋白の電気泳動の移動度とDRPLA遺伝子のCAG repeat数に正の相関関係を認め、DRPLA蛋白に異常伸長するポリグルタミンがあることが確認された。コントロールとDRPLA患者の部位別の脳組織のイムノブロットで、DRPLA蛋白は広く中枢神経系に分布していた。コントロール脳とDRPLA患者脳でのDRPLA蛋白の分布には差はなかった。DRPLA患者で大脳と卵巣の組織間のDRPLA蛋白量を比較すると、DRPLA蛋白は卵巣に少なく、大脳に多かった。ラット脳のイムノブロットでも、電気泳動上約190kDaにDRPLA蛋白を同定し、C端抗体はDRPLA蛋白のみと特異的に反応した。この抗体を使ったラット脳の免疫組織染色では、大脳皮質の神経細胞に強い反応性を示し、その細胞内の分布は神経細胞の細胞質に反応性を認めた。DRPLA蛋白のC端、N端に対する2抗体を使ったヒトコントロール脳の免疫組織染色では、大脳皮質、小脳皮質および橋などの比較的大きな神経細胞に強い染色性を示した。免疫反応は主に神経細胞の細胞質に認めた。コントロール脳と比べて、DRPLA患者脳ではDRPLA蛋白の分布に差はなかった。コントロール大脳の2次元電気泳動イムノブロットでは、wild-type proteinに相当する、SDS電気泳動上約190-200kDaに抗体と反応する複数のspotの集合を認め、等電点の範囲は7.0-9.5で、約7.3に最大の反応性を示した。正常コントロールリンパ芽球細胞の2次元電気泳動イムノブロットでは、約190-200kDaの等電点7.2-9.3にspotの集合を認め、最大の反応性は8.5-9.0であった。故に、大脳とリンパ芽球細胞では抗体と反応するspotの集合の等電点の範囲と最大の反応性に相違を認めた。

[考察]

 ヒト脳においてDRPLA蛋白(wild-type protein)を同定し、さらにDRPLA患者脳でDRPLA遺伝子のmutant alleleに対応するmutant proteinが異なる移動度で存在することを示した。DRPLA蛋白は電気泳動の移動度とDRPLA遺伝子のCAG repeat数は正の相関関係を認め、DRPLA蛋白にポリグルタミンがあることを示した。DRPLA遺伝子の発現調節については、DRPLA患者脳でmutant proteinはwild-type proteinとほぼ同量のDRPLA蛋白を認め、DRPLAではCAGrepeatの異常な伸長によりDRPLA遺伝子の翻訳に異常な調節は受けないことを示した。したがって、DRPLAでは、異常に伸長したCAG repeatによる遺伝子異常が直接発症に関与するのではなく、蛋白として翻訳された異常伸長したポリグルタミンをもつDRPLA蛋白が関与する可能性が示された。DRPLA蛋白は、DRPLA遺伝子のアミノ酸配列から推定される分子量が124kDaで、同定したDRPLA蛋白のSDS電気泳動から推定される190kDaと異なっていた。DRPLA蛋白のアミノ酸配列にアルギニン-グルタミン酸ストレッチや豊富なプロリンが存在し、電気泳動の移動度に影響を与えることが考えられ、この蛋白固有の性質が移動度に影響することが示唆された。DRPLA蛋白は広く中枢神経系に分布し、脳に多く存在する可能性を示した。免疫組織学的にDRPLA蛋白は神経細胞に分布し、DRPLA蛋白が神経細胞の機能に密接に関わっていることを示唆した。また、大脳とリンパ芽球細胞では等電点が異なり、脳に特異的な翻訳後修飾をDRPLA蛋白が受けている可能性を示した。以上の結果は、DRPLA蛋白が神経細胞に特異性をもつことを示し、DRPLAでは中枢神経のみが特異的に障害されることから、DRPLA蛋白自体がDRPLAの発症に深く関わっていることが推定された。

審査要旨

 本研究は歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症(DRPLA)の原因遺伝子がどのようにDRPLAの発症に関与するのかを明らかにするために、DRPLA遺伝子から予想されるアミノ酸配列に対するポリクローナル抗体を作成し、その遺伝子産物(DRPLA蛋白)を同定し、DRPLA患者脳におけるDRPLA蛋白の解析を試みたもので、下記の結果を得ている。

 1.ヒトDRPLA遺伝子から推定されるアミノ酸配列のN端とC端に対するポリクローナル抗体を作成し、ヒトコントロール、DRPLA患者の剖検凍結脳について、イムノブロットをおこなった。コントロール脳で電気泳動上約190-200kDaの、DRPLA遺伝子のwild-type alleleに対応するDRPLA蛋白(wild-type protein)を同定した。DRPLA患者脳では、wild-type proteinに加えて、異常に伸長したCAG repeatを含むmutant alleleに対応する、wild-type proteinより電気泳動の移動度が小さいDRPLA蛋白(mutant protein)を同定した。DRPLA遺伝子のアミノ酸配列から予想される分子量は124kDaで、同定したDRPLA蛋白の190kDaと異なり、DRPLA蛋白のアミノ酸配列は電気泳動の移動度を遅延させることを示唆した。DRPLA患者脳のイムノブロットでは、wild-type proteinとmutant proteinのバンドの免疫反応性は等しく、CAG repeatの異常な伸長によりDRPLA遺伝子の翻訳に異常な調節は受けないを示した。

 2.正常コントロールリンパ芽球細胞のイムノブロットでは、脳と同様に電気泳動上約190-200kDaのwild-type proteinを認め、DRPLA患者リンパ芽球細胞でwild-type proteinに加えてmutant proteinを認めた。DRPLA蛋白の電気泳動の移動度とCAG repeat数の間に正の相関関係を認め、DRPLA蛋白に異常伸長するポリグルタミンがあることが確認された。

 3.コントロール、DRPLA患者の部位別の脳組織のイムノブロットで、DRPLA蛋白は広く中枢神経系に認めた。コントロール脳とDRPLA患者脳でのDRPLA蛋白の分布には差はなかった。DRPLA患者で大脳と卵巣の組織間のDRPLA蛋白量を比較すると卵巣で少なく、DRPLA蛋白は脳で多く存在する可能性を示した。

 4.ラット脳のイムノブロットで、電気泳動上約190kDaのDRPLA蛋白を同定し、C端抗体はDRPLA蛋白のみと特異的に反応した。この抗体を使ったラット脳の免疫組織染色では、大脳皮質の神経細胞の細胞質に反応性を認めた。ヒトコントロール、DRPLA患者の剖検脳の免疫組織染色では、ラット脳と同様に神経細胞の細胞質に免疫反応を認めた。コントロール脳と比べて、DRPLA患者脳ではDRPLA蛋白の分布に差はなかった。

 5.コントロール、DRPLA患者の大脳とリンパ芽球細胞について、2次元電気泳動後にイムノブロットをおこなった。コントロール大脳では、wild-type proteinに相当する、電気泳動上約190-200kDaに抗体と反応する複数のspotの集合を認め、その等電点は7.0-9.5で約7.3に最大の反応性を示した。コントロールリンパ芽球細胞では約190-200kDaの等電点7.2-9.3にspotの集合を認め、最大の反応性は8.5-9.0で、大脳とリンパ芽球細胞では等電点が異なり、DRPLA蛋白が脳特異的な翻訳後修飾を受ける可能性を示した。

 以上、本研究はヒト脳でDRPLA蛋白を同定し、DRPLA患者脳でmutant proteinが異なる移動度で存在することを示し、DRPLA患者脳ではCAG repeatの異常な伸長によりDRPLA遺伝子の翻訳に異常な調節は受けないことから、異常伸長したCAG repeatによる遺伝子異常が直接発症に関与するのではなく、蛋白として翻訳された異常伸長したポリグルタミンをもつDRPLA蛋白が関与する可能性を示した。ゆえに本研究はDRPLAの発症の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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