学位論文要旨



No 113645
著者(漢字) 戸澤,由美子
著者(英字)
著者(カナ) トザワ,ユミコ
標題(和) ラットにおける尿中イサチン排泄量とストレス反応との関連
標題(洋) A link between urinary isatin excretion and stress responses in rats
報告番号 113645
報告番号 甲13645
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1306号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松下,正明
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 助教授 横山,和仁
 東京大学 助教授 長尾,正崇
内容要旨 目的

 Isatin(indole-2,3-dione)は、1988年、内因性モノアミンオキシダーゼ阻害活性物質であるトリビュリンの、一活性成分として同定された化合物である。in vitroの研究で、MAO-B選択性の阻害、ベンゾジアゼピンレセプター結合阻害、心房性ナトリウム利尿ペプチドレセプター結合阻害等の作用が、明らかにされてきている。種々の動物体内で特徴的分布をし、体外からの投与で不安誘発作用を示す濃度域が明らかにされている。トリビュリン活性は動物実験に於いて種々のストレス負荷時に増加し、また人に於いても、不安、焦燥と関係が深いとされている種々の病的状態で増加することから、ストレスや不安との関連が強く示唆されている。イサチンに関してはストレスや不安との関連は確立されておらず、また、イサチンにより惹起される神経化学的、行動学的変化についての集中的研究にも拘らず、その不安誘発作用の神経化学的基盤も明らかではない。このため本研究では第一部で、異種のストレス下での24時間尿中イサチン排泄量の変化を調べ、更にその変化をもたらすものが何であるのかを究明しようと試みた。この結果、ストレスによるイサチンの尿中排泄量の著明な増加と、この反応にコルチコトロピン放出因子及びカテコールアミン系神経細胞の賦活が関わっていることが明らかになった。この為、第二部では不安との関連が強く示唆され、かつその作用発現にコルチコトロピン放出因子の分泌促進が関与しているとの報告のあるセロトニン作働物質をラットに投与して、不安による尿中イサチン排泄量の変化と、この反応にコルチコトロピン放出因子増大が関係している可能性を検討しようと試みた。

材料及び方法1.ラットに於けるストレス誘発性の尿中イサチン排泄量増加1)ラット尿の採取と薬物投与

 Wistar系ラット(雄、180-200g体重)は一匹ずつ代謝ケージにて、12時間明暗サイクル下、以下の場合を除いて、室温23℃で固形食と水を与えて飼育した。寒冷曝露は4℃、2時間とし、絶食実験中は低張性電解質溶液のみ与えた。尿は24時間毎に、午後一時に採取し、ストレス負荷群は、採取の一時間後に負荷を開始した。薬物は、生理食塩水(生食)又は1%Tween80を含む生食にて溶解あるいは懸濁液として、すべて腹腔内投与とした。

2)尿中イサチンの抽出

 ラット尿サンプル(1〜2ml)を蒸留水にて希釈後、塩酸酸性(PH1)下で、酢酸エチル10mlを加え有機層を分取した。窒素ガス下で乾燥後Bond Elut C18カラムを用いて抽出を行なった。

3)高速液体クロマトグラフ(HPLC)によるイサチンの測定

 HPLCによるイサチンの測定は、Syodex ES-502C columnにより部分精製後、Kasei sorb LC ODS Super column(250mm×4.6mm)により最終分析を行なった。溶離液[50mM KP Buffer(PH7.4)-Acetonitrile(85:15)]、流速[1ml/min]とし、検出は240nmで行なった。

 イサチンの分離は良好で、クロマト上単独で鋭いピークが得られ、また、クロマト上の高さと標準イサチンの用量は直線関係を示した。この直線関係を用いてサンプル中のイサチン含量を算出した。

2.ラットに於ける5-HT2Cレセプターアゴニスト投与による尿中イサチン排泄量増加

 Wistar系ラット(雄、180-200g体重)を用い、室温23℃、12時間明暗サイクル下で、固形食と水を与え、代謝ケージあたり一匹ずつ飼育した。24時間尿は、毎日午後1時に採取した。薬物は生食又は1%Tween80を含有する生食に使用直前に溶解又は懸濁液とし、すべて腹腔内投与した。種々のセロトニン作働薬投与による尿中イサチン排泄量の変化を明らかにするため、投与前及び投与後の24時間尿中イサチン排泄量の経時的変化を調べた。尿中イサチンの抽出及び、HPLCによる測定については、第一部と同様に実施した。

結果1.ラットに於けるストレス誘発性の尿中イサチン排泄量の増加1)絶食ストレスが、尿中イサチン排泄量に及ぼす影響

 絶食ストレス開始後24時間の尿中イサチン排泄量は開始前値に比べ、約5倍の増加を示した。絶食開始後48時間の時点の尿中イサチン排泄量は、開始前値以下まで減少し、以降72時間の時点まで更に減少傾向が続いた。

2)寒冷曝露ストレスが尿中イサチン排泄量に及ぼす影響

 寒冷曝露(4℃、2時間)開始後24時間の尿中イサチン排泄量は、開始前値の約2.5倍の増加を示した。開始後48時間の時点の尿中イサチン排泄量は、開始前値以下まで減少した。

3)デキサメサゾンの前投与が絶食ストレス誘発性の尿中イサチン排泄量増加に及ぼす影響

 絶食ストレス誘発性の尿中イサチン排泄量の増加に、CRFが関与しているかどうかを調べる目的で、視床下部でのCRF分泌量及び室傍核でのCRFmRNAのレベルを低下させるのに充分な濃度(0.5mg-2mg/kg/day)で、デキサメサゾンを前投与した。その結果、デキサメサゾンは完全に絶食ストレスによる尿中イサチン排泄量増加を阻止し、かつ、高用量(2mg/kg/day)の方が、低用量(0.5mg/kg/day)よりも、尿中イサチン排泄量を強く低下させた。

4)デキサメサゾンの前投与が寒冷曝露誘発性の尿中イサチン排泄量増加に及ぼす影響

 高用量(2mg/kg/day)デキサメサゾンの前投与は、完全に寒冷曝露による尿中イサチン排泄量増加をも阻止し、以上よりCRFの作用が、2種の異なるストレス時の尿中イサチン排泄量増加に寄与していることが示唆された。

5)ベンゾジアゼピンレセプターアゴニストであるジアゼパムの前投与が絶食による尿中イサチン排泄量増加に及ぼす影響

 ジアゼパムは、抗不安薬として用いられているが、CRFの作用に拮抗することが明らかにされている。ジアゼパム(1mg/kg)の前投与は、絶食ストレスによる尿中イサチン排泄量増加を阻止した。

6)-メチル-p-チロシン(-MT、チロシンヒドロキシラーゼ阻害薬)及びジエチルジチオカーバメイト(DDC、ドーパミン--ヒドロキシラーゼ阻害薬)の前投与が絶食ストレスによる尿中イサチン排泄量増加に及ぼす影響

 ストレス誘発性の尿中イサチン排泄量増加に、ノルアドレナリン系ニューロンの活動性亢進が関与しているとの仮説を証明する目的で、カテコールアミン生合成経路で働く重要な2つの酵素に対する阻害薬、-MT及びDDCを前投与した。その結果-MT前投与時のみ、尿中イサチン排泄量増加は阻害され、チロシン水素化反応が、イサチン産生増加に重要な役割を果たすことが示唆された。

2.ラットにおける5-HT2Cレセプターアゴニスト投与による尿中イサチン排泄量の増加1)5-HT2Cレセプターアゴニストであるm-CPP投与が24時間尿中イサチン排泄量に及ぼす影響

 ヒトや動物で不安誘発作用の確立されている。m-CPP(0.5mg/kg)投与により、尿中イサチン排泄量は投与前値の約6倍に増加した。投与後48時間の時点の尿中イサチン排泄量は、ほぼ投与前値に復した。

2)種々のセロトニンレセプターアゴニスト及びアンタゴニストの投与の、尿中イサチン排泄量に及ぼす影響

 m-CPPの投与量と、尿中イサチン排泄量との関係を調べたところ、0.05mg〜5.0mg/kgの間で用量依存性が認められた。そこで、その他の種々のセロトニンレセプターアゴニスト、アンタゴニストを投与して、尿中イサチン排泄量の変化を調べた。その結果、5-HT2Cレセプター刺激作用を有する(±)-DOIで排泄量増加が認められ、逆に5-HT2Cレセプターアンタゴニストとして作用する薬物、ケタンセリン、リタンセリン、LY53857、及びメチオテピンが排泄量を減少させた。以上により、尿中イサチン排泄量が、5-HT2Cレセプターを介する機構で、調節されている可能性が示唆された。

3)m-CPPによる尿中イサチン排泄量増加に対し、5-HT2Cレセプターアンタゴニスト投与の及ぼす影響

 尿中イサチン排泄量が5-HT2Cレセプターを介して調節されているとの仮説を支持する証拠を得る目的で、種々の5-HT2Cレセプターアンタゴニスト投与後に、m-CPPを投与した。その結果、5-HT2Cレセプターアンタゴニスト、ケタンセリン及びリタンセリンは、m-CPPによる尿中イサチン排泄量増加を、用量依存的に抑制した。

考察

 イサチンについての研究の多くは、イサチン投与により惹起される神経化学的、行動学的変化を調べたものであったが、本研究ではその生理学的役割や生合成経路についての情報を得る目的で、尿中イサチン排泄量を増加或いは減少させるものが何であるかを調べた。生体にストレスが加わると、視床下部-下垂体-副腎皮質系と交感神経系が賦活される。特に、CRFはストレス反応に於いて中心的役割を果たしている。ストレス反応時のCRFmRNAは、ストレス負荷により増加し、合成グルココルチコイド(デキサメサゾン)投与により減少するとの報告がある。更に、抗不安薬であるジアゼパムは、CRFの作用に拮抗すると考えられている。本研究では、絶食及び寒冷ストレス負荷により、尿中イサチン排泄量が増加し、デキサメサゾン又は、ジアゼパムの投与により、このイサチン増加が完全に阻止された。この結果から2種のストレスは共に、視床下部室傍核のCRF増加を介してイサチン増加を惹起していることが示唆された。また、視床下部室傍核のCRF産生細胞はノルアドレナリン系の投射を受けており、視床下部-下垂体-副腎皮質系と交感神経系は相互に増強し合うように作用するとの報告がある。カテコールアミン合成阻害、特にチロシン水酸化酵素阻害により、ストレス時のイサチン排泄増加が完全に阻止されることから、イサチン排泄増加の背景には視床下部-下垂体-副腎皮質系と交感神経系の相互作用もあると考えられる。加えてベンゾジアゼピン系薬物のジアゼパムは、脳内ノルアドレナリン系及び交感神経系への抑制作用もあり、この薬物の作用発現にイサチン産生抑制も関わっている可能性もある。

 不安は、動物、特に、ヒトに於いてストレス反応の主要な徴候である。セロトニン系は、実験及び臨床に於いて不安との関連が強く示唆されている。特に、5-HT2Cレセプター刺激が強く不安を誘発し、臨床面でも不安や焦燥との関連が指摘されている。CRF産生細胞はセロトニン系の投射を受け、5HT2Cレセプターを介する伝達機構が報告されている。本研究では、種々のセロトニンレセプターアゴニスト、アンタゴニストをラットに投与した場合、不安誘発物質である5-HT2Cレセプターアゴニストにより尿中イサチン排泄が増加し、5-HT2Cレセプターアンタゴニストによりこのイサチン増加が用量依存的に抑制された。この結果より、不安状態に於いては5-HT2Cレセプターを介する機構で尿中イサチン排泄量が増加し、その背景にCRF産生増大もある可能性が強いと考えられる。

 本研究は、初めて尿中イサチン排泄量とストレス及び5-HT2Cレセプター刺激との関連を明らかにしたもので、その結果イサチンがある種のストレスや不安の内在性の指標になりうる可能性が強く示唆された。更にイサチン産生増加にCRF産生増大とカテコールアミン系賦活が密接に関わっていることを、最初に示した点にも本研究の意義がある。特に末梢でのイサチン産生増加は腸内細菌に起因するとの仮説があるものの不明であり、本研究によって、交感神経系活動性を反映する血漿ドーパミン及びその代謝産物レベルと関連する可能性も示され、ジアゼパムの作用発現との関連性と共に、今後のイサチン研究に一つの方向性を示し得たものと考えられる。

審査要旨

 本研究は、動物及びヒトに於いて、ストレスや不安との関連が強く示唆されているトリビュリンの一構成成分と考えられているIsatin(indole-2,3,-dione)の尿中排泄量がストレス反応の指標になりうるかを明らかにするため、異種ストレス下での尿中排泄量の変化、及び5-HT2Cレセプター刺激、コルチコトロピン放出因子(CRF)、カテコールアミン系神経細胞の賦活と尿中排泄量との関連をHPLCによる測定を用いて検討したものである。下記の結果が得られている。

 1.絶食ストレス及び寒冷暴露ストレスの負荷前後の24時間尿中イサチン排泄量の変化を調べたところ、共にストレス負荷開始後24時間の尿中イサチン排泄量の有意な増加が認められた。このことより尿中イサチン排泄量がストレス反応と関連があることが強く示唆された。

 2.視床下部-下垂体-副腎皮質系を強力に活性化しストレス反応の中枢での統合-調節因子であるCRFがストレス下のイサチン産生、排泄増加に関わっている可能性を検討したところ、室傍核でのCRF産生、放出を抑制するデキサメサゾンの前投与が、異種ストレス下での尿中イサチン排泄量を完全に、かつ用量依存的に抑制した。

 3.更に、CRFの作用に拮抗するベンゾジアゼピンレセプターアゴニスト、ジアゼパムの前投与も、絶食ストレスによる尿中イサチン排泄量増加を完全に阻止し得ることが示されイサチン産生、排泄が中枢を介しCRFの関与する何らかのメカニズムで調節されているという仮説が支持された。

 4.尿中イサチン排泄量増加に、ノルアドレナリン系ニューロンの活動性昂進が関与している可能性を検討したところ、カテコールアミン生合成経路に働く2つの酵素、チロシンヒドロキシラーゼとドーパミンヒドロキシラーゼのうち前者の阻害のみが完全にイサチン排泄量増加を阻止し得ることが示され交感神経系の活動性昂進がイサチン産生排泄増加の背景にあることが示唆された。

 5.不安誘発物質である5-HT2Cレセプターアゴニスト、m-CPPの投与により用量依存的にイサチン排泄量は増加しその増加は5-HT2Cレセプターアンタゴニスト前投与で用量依存的に阻止されイサチン産生、排泄量が中枢性に5-HT2Cレセプターを介したメカニズムで調節されその背景に5-HT2Cレセプター刺激によるCRF産生増大の関与が示唆された。

 以上、本論文は、ラット尿中イサチン排泄量をHPLCで測定することにより初めてイサチンがストレス反応のひとつの指標になりうる可能性を示し、また中枢を介したイサチン産生制御の機構解明にひとつの方向性を示しえたと考えられ学位の授与に値するものと考えられる。

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