学位論文要旨



No 113648
著者(漢字) 阿部,純一
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ジュンイチ
標題(和) 血管障害後内膜肥厚におけるPDGFの役割
標題(洋) The Role of Platelet-Derived Growth Factor in Neointimal Formation after Vascular Injury
報告番号 113648
報告番号 甲13648
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1309号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 山田,信博
内容要旨 [はじめに]

 経皮的バルーン血管形成術(PTCA)は,現在多くの虚血性心疾患の治療に用いられておりその有効性は確立されている。数々の新しい器具の出現により治療成績は改善されてきてはいるものの、術後3-6ヶ月後におこる「再狭窄」は未だおおきな制約となっている。再狭窄の発症には、細胞接着や凝固、また平滑筋細胞の遊走、増殖や細胞外マトリックスの増生などが複雑に関連しあっていると考えられる。そのなかでも平滑筋細胞の遊走、および増殖はPTCA後1-28日における主要なプロセスの一つと考えられている。

 ラットバルーン血管傷害モデルにおいて、多くの細胞増殖因子やサイトカインが内膜肥厚の形成に関与することが示唆されている。例えば、FGF抗体をラットに静注した場合、傷害後24-48時間におこる平滑筋細胞の増殖が抑制されるという報告や、PDGF抗体の投与により主として遊走の抑制を介して内膜肥厚が抑制されるとの報告などがなされている。また、heparin-binding epidermal growth factor(HB-EGF)は内膜に発現することが報告され、その強い細胞増殖刺激作用により注目されている。Insukin-like growth factors(IGFs)は増殖刺激作用はさほど強くないものの、血管内膜に発現し他の細胞増殖因子の作用を増強することにより内膜肥厚にたいするcomitogenとしての可能性が示唆されている。アンギオテンシンII(AII)は、その受容体拮抗薬の内膜肥厚に対する強力な抑制作用によりこの過程における関与が示唆されている。以上のように数々の因子を介した複雑な過程を経て内膜肥厚が形成されると考えられてはいるが、それぞれの過程においてどの因子が"Key Factor"としての役割を担っているかを同定する試みは現在のところなされてはいない。

 多くの細胞増殖因子がその受容体と結合するにあたって受容体に内在するチロシンキナーゼを活性化し、受容体自体を自己リン酸化するないしは受容体キナーゼの基質をリン酸化することが知られている。このチロシンリン酸化の過程は受容体活性化がもたらす遺伝子発現やDNA合成に必須であり、受容体あるいはその基質のチロシンリン酸化を測定することは受容体活性化のよい指標となると考えられる。

[目的]

 本研究の目的は、ラットバルーン血管傷害モデルにおいて、1)PDGFを含め報告されている細胞増殖因子が実際内膜肥厚の過程で活性化されているかを、in vivoで受容体自己リン酸化および受容体キナーゼ基質のチロシンリン酸化の定量によって評価し、2)AII選択的受容体拮抗薬、TCV-116、を用い内膜肥厚およびこれに伴う上記受容体チロシンリン酸化にたいする効果を検討することにより、細胞増殖因子受容体活性化とAIIとの関連を明らかにすること、さらに3)Directional coronary atherectomy(DCA)のサンプルを用いヒト動脈硬化巣におけるPDGF受容体活性化と再狭窄および種々の臨床指標との関連性を検討し、内膜肥厚における細胞増殖因子受容体活性化の意義を明らかにすることである。

[方法]

 1)ラットバルーン血管傷害モデルの作成:左総頚動脈を2Fフォガテイーカテーテルを外頚動脈より挿入し、バルーンにより擦過後外頚動脈を結札した。選択的AII拮抗薬であるTCV-116(10mg/kg body weight/day)およびCa拮抗薬であるamulodipine(10mg/kg body weight/day)を定められた期間経口的に投与した。一部の実験ではこれにTCV-116の活性体であるCV-11974をF-127 pluronic gelに溶解し傷害血管周囲に塗付した。この際、コントロール血管である右総頚動脈血管周囲にも同様にF-127 pluronic gelを塗付した。2)チロシンリン酸化の測定:In vivoでのチロシンリン酸化の測定は、バルーン傷害後血管ないしはDCAサンプルを採取しホモジェナイズした後、それぞれチロシンキナーゼ受容体抗体ならびにInsulin rteceptor substrate-I(IRS-1)抗体により免疫沈降を行い、抗チロシンリン酸化抗体でWestern blotting法により測定した。ヒト線維芽細胞をPDGF-BBで刺激した後、このPDGF-受容体のチロシンリン酸化をデンシトメトリーで測定し、これを標準としてDCAサンプルにおけるPDGF-受容体のチロシンリン酸化の度合をこれに対する比として表し、評価した。3)RNA分析:傷害血管を液体窒素で凍結破砕後、acid guanidium isothioeyanate/phenol/chloroform法によりRNAを採取し、ノーザンブロット解析を行った。4)DCA前後および3-6ヶ月後にfollow-up冠動脈造影を施行しimmediate gainおよびlate lossの測定をおこなった。術後3-6ヶ月のfollow-up冠動脈造影において狭窄度75%以上を再狭窄とした。

[結果]ラットバルーン血管傷害モデルにおけるPDGF--受容体、EGF受容体、およびIRS-Iのチロシンリン酸化

 内膜肥厚は術後7日より明らかとなり14日後にフラトーに達した。PDGF--両受容体のチロシンリン酸化は傷害血管において検出可能であった。その値はバルーン血管傷害後7-14日に最大レベルに達し、28日後までには対照レベルに低下した。PDGF-受容体の発現量は全期間を通じて著名な変化は認められなかった。一方、インシュリン,またはIGF-1の受容体チロシンキナーゼの基質であるIRS-1およびEGF,HB-EGFの受容体となるEGF受容体のチロシンリン酸化レベルは術後14日以内では著名な変化は認められなかった。

AII受容体拮抗薬(TCV-116)のPDGF受容体活性化および内膜肥厚に対する効果

 AIIのPDGF受容体活性化および内膜肥厚に対する影響を確かめる目的で、術前4日よりAIIのI型受容体選択的拮抗薬であるTCV-116を投与し術後14日におけるPDGF-,-両受容体のチロシンリン酸化およびI/M比を検討した。AII拮抗薬は内膜肥厚をほぼ完全に抑制するとともにPDGF-,-両受容体のチロシンリン酸化を完全に抑制した。これとは対照的にAII拮抗薬とほぼ同程度の降圧をひきおこすCa拮抗薬amlodipineは内膜肥厚を抑制せず、PDGF-,-両受容体のチロシンリン酸化にも影響しなかった。AII受容体拮抗薬TCV-116はほぼ完全に内膜肥厚を抑制したため、この内膜肥厚の減少自体がPDGF受容体のチロシンリン酸化レベルの低下をひきおこす可能性を検討するため、内膜肥厚が術後14日の約70%のレベルに達する術後10日よりTCV-116の投与を開始し、投与開始後4日目にこのPDGF受容体チロシンリン酸化レベルに対する影響を非投与群と比較検討した。TCV-116はPDGF受容体のチロシンリン酸化を著明に低下させ、これと同時に内膜肥厚の増加を抑制した。

内膜肥厚におけるPDGFA,B鎖およびPDGF-,-受容体mRNA発現に対するAII受容体拮抗薬(TCV-116)のin vivoでの効果

 TCV-116を術前4日より連日経口投与し、術後14日における頚動脈のPDGFA,B鎖およびPDGF-,-受容体mRNAの発現をノーザンブロット法で解析し非投与群と比較検討した。バルーン血管傷害自体は、軽度にPDGFA鎖のmRNAレベルを増加させるのみであった。TCV-116の投与により傷害血管においてPDGFA,B鎖およびPDGF-受容体mRNAの発現レベルは低下したが、PDGF-受容体mRNAレベルには変化は認められなかった。したがって、AII受容体拮抗薬(TCV-116)の投与によるPDGFA,B鎖およびPDGF-受容体mRNA発現レベルの低下はPDGF受容体チロシンリン酸化の抑制の一機序と考えられる。

ヒト内胸動脈(LITA)およびDCAサンプルにおけるPDGF-受容体のチロシンリン酸化の解析

 著明な動脈硬化が認められないLITA(n=15)とDCAサンプル(n=59)におけるPDGF-受容体のチロシンリン酸化を比較検討したところ、チロシンリン酸化レベルは各々0.17±0.08と0.84±0.67(mean±SD,p<0.0001)であり有意にDCAサンプルにおいて高値であった。これは冠動脈狭窄病変では正常血管と比較しPDGF-受容体のチロシンリン酸化のレベルが高値であることを示す。

PDGF-受容体のチロシンリン酸化とDCA後再狭窄との関連

 DCA後49病変に対しfollow-upの冠動脈造影を施行した。このうち15病変に再狭窄が認められ、再狭窄群と非狭窄群とのPDGF-受容体のチロシンリン酸化を比較した場合、各々1.31±0.87と0.63±0.43(mean±SD,p<0.02)であり有意に再狭窄群で高値を示した。また、PDGF-受容体のチロシンリン酸化はloss index(late loss/immediate gain)と良い相関を示した(r=0.664,p<0.0001)。しかし、immediate gainとは相関は認めなかった(r=0.201,p=0.17)。このことからPDGF-受容体のチロシンリン酸化はDCAの手技自体ではなくその再狭窄過程と関連していることが示唆された。

PDGF-受容体のチロシンリン酸化と臨床上の諸指標との関連

 単回帰分析ではPDGF-受容体のチロシンリン酸化と相関がみられたのは、不安定狭心症(p<0.0001),年齢(p=0.0012),と喫煙歴(p=0.0391)であった。これに対して変数選択-重回帰分析で相関が認められたのは不安定狭心症とコレステロール値で標準回帰係数により、不安定狭心症がPDGF-受容体のチロシンリン酸化ともっとも強い相関が認められることが示された。

[考察]

 PDGF,EGF(HB-EGF),およびIGF-1はいずれも血管傷害の内膜肥厚において発現が認められ、この発症に重要な役割を有する増殖因子と考えられてきた。しかし、これまでに傷害血管でこれら増殖因子の活性の亢進がみられるか否かは知られていなかった。本研究によって初めてバルーン傷害をうけた血管壁PDGF-,-両受容体の自己チロシンリン酸化が増大すること、すなわちPDGF受容体が活性化されていることが明らかとなった。これに対し、EGF(HB-EGF)受容体、およびIGF-1受容体のsubstrateであるIRS-1のチロシンリン酸化の増大が認められないことは、これらの増殖因子が内膜肥厚の過程で重要な役割を果たすいわゆる"Key Factor"ではないことを示唆する。

 さらに、このPDGF受容体の活性化および内膜肥厚はAII受容体拮抗薬によってほぼ完全に抑制された。対照的に同程度の降圧を引き起こすCa拮抗薬にはこのような抑制作用はみられなかった。したがって、AII受容体拮抗薬はその降圧作用とは異なる機序を介してPDGF受容体活性化および内膜肥厚を抑制すると考えられる。本研究ではまたAIIがin vivoにおいてPDGFA,B鎖mRNA発現の制御に関与していることが示唆された。この作用はAII受容体拮抗薬によるPDGF受容体活性化抑制の一機序であると考えられる。最近、AIIがATI受容体を通じてPDGFを介さずにPDGF-受容体のチロシンリン酸化を引き起こすことが報告された。これは、バルーン傷害血管におけるAII依存性のPDGF受容体活性化を説明する上で、AII受容体とPDGF受容体のcross-talkの存在を示唆し興味深い。

 また、本研究によりDCAサンプルにおいてもPDGF受容体がチロシンリン酸化されていることが初めて明らかになった。これと、DCA後の再狭窄過程と不安定狭心症との間に関連がみられたことは、バルーン血管傷害モデルのみならずヒト冠動脈硬化巣においてもPDGF受容体活性化が重要な役割を演じていることが考えられた。

[結論]

 内膜肥厚の進展に伴い、血管壁PDGF-,両受容体がともに活性化されることが明らかとなった。AII拮抗薬が内膜肥厚とともにPDGF受容体活性化を強く抑制したことから、PDGF受容体活性化にAIIの関与があることが明らかとなった。また、DCAサンプルにおいてPDGF受容体チロシンリン酸化と再狭窄過程との関連が見られたことより、ヒト冠動脈硬化巣においてもPDGF受容体の活性化が内膜肥厚の発症、進展に重要な役割を演じていると推察された。

審査要旨

 本研究の目的は、ラットバルーン血管傷害モデルにおいて、1)PDGFを含め報告されている細胞増殖因子が実際内膜肥厚の過程で活性化されているかを、in vivoで受容体自己リン酸化および受容体キナーゼ基質のチロシンリン酸化の定量によって評価し、2)AII選択的受容体拮抗薬、TCV-116、を用い内膜肥厚およびこれに伴う上記受容体チロシンリン酸化にたいする効果を検討することにより、細胞増殖因子受容体活性化とAIIとの関連を明らかにすること、さらに3)Directional coronary atherectomy(DCA)のサンプルを用いヒト動脈硬化巣におけるPDGF受容体活性化と再狭窄および種々の臨床指標との関連性を検討し、内膜肥厚における細胞増殖因子受容体活性化の意義を明らかにすることであり、下記の結果を得ている。

 1.ラットバルーン血管傷害モデルにおける内膜肥厚は術後7日より明らかとなり14日後にフラトーに達した。PDGF-,-両受容体のチロシンリン酸化は傷害血管において検出可能であった。その値はバルーン血管傷害後7-14日に最大レベルに達し、28日後までには対照レベルに低下した。PDGF-受容体の発現量は全期間を通じて著名な変化は認められなかった。一方、インシュリン,またはIGF-1の受容体チロシンキナーゼの基質であるIRS-1およびEGF,HB-EGFの受容体となるEGF受容体のチロシンリン酸化レベルは術後14日以内では著名な変化は認められなかった。

 2.AIIのPDGF受容体活性化および内膜肥厚に対する影響を確かめる目的で、術前4日よりAIIのI型受容体選択的拮抗薬であるTCV-116を投与し術後14日におけるPDGF-,-両受容体のチロシンリン酸化およびI/M比を検討した。AII拮抗薬は内膜肥厚をほぼ完全に抑制するとともにPDGF-,-両受容体のチロシンリン酸化を完全に抑制した。これとは対照的にAII拮抗薬とほぼ同程度の降圧をひきおこすCa拮抗薬amlodipineは内膜肥厚を抑制せず、PDGF-,-両受容体のチロシンリン酸化にも影響しなかった。AII受容体拮抗薬TCV-116はほぼ完全に内膜肥厚を抑制したため、この内膜肥厚の減少自体がPDGF受容体のチロシンリン酸化レベルの低下をひきおこす可能性を検討するため、内膜肥厚が術後14日の約70%のレベルに達する術後10日よりTCV-116の投与を開始し、投与開始後4日目にこのPDGF受容体チロシンリン酸化レベルに対する影響を非投与群と比較検討した。TCV-116はPDGF受容体のチロシンリン酸化を著明に低下させ、これと同時に内膜肥厚の増加を抑制した。

 3.TCV-116を術前4日より連日経口投与し、術後14日における頚動脈のPDGFA,B鎖およびPDGF-,-受容体mRNAの発現をノーザンブロット法で解析し非投与群と比較検討した。バルーン血管傷害自体は、軽度にPDGFA鎖のmRNAレベルを増加させるのみであった。TCV-116の投与により傷害血管においてPDGFA,B鎖およびPDGF-受容体mRNAの発現レベルは低下したが、PDGF-受容体mRNAレベルには変化は認められなかった。したがって、AII受容体拮抗薬(TCV-116)の投与によるPDGFA,B鎖およびPDGF-受容体mRNA発現レベルの低下はPDGF受容体チロシンリン酸化の抑制の一機序と考えられる。

 4.著明な動脈硬化が認められないLITA(n=15)とDCAサンプル(n=59)におけるPDGF-受容体のチロシンリン酸化を比較検討したところ、チロシンリン酸化レベルは各々0.17±0.08と0.84±0.67(mean±SD,p<0.0001)であり有意にDCAサンプルにおいて高値であった。これは冠動脈狭窄病変では正常血管と比較しPDGF-受容体のチロシンリン酸化のレベルが高値であることを示す。

 5.DCA後49病変に対しfollow-upの冠動脈造影を施行した。このうち15病変に再狭窄が認められ、再狭窄群と非狭窄群とのPDGF-受容体のチロシンリン酸化を比較した場合、各々1.31±0.87と0.63±0.43(mean±SD,p<0.02)であり有意に再狭窄群で高値を示した。また、PDGF-受容体のチロシンリン酸化はloss index(late loss/immediate gain)と良い相関を示した(r=0.664,p<0.0001)。しかし、immediate gainとは相関は認めなかった(r=0.201,p=0.17)。このことからPDGF-受容体のチロシンリン酸化はDCAの手技自体ではなくその再狭窄過程と関連していることが示唆された。

 6.単回帰分析ではPDGF-受容体のチロシンリン酸化と相関がみられたのは、不安定狭心症(p<0.0001)年齢(p=0.0012),と喫煙歴(p=0.0391)であった。これに対して変数選択-重回帰分析で相関が認められたのは不安定狭心症とコレステロール値で標準回帰係数により、不安定狭心症がPDGF-受容体のチロシンリン酸化ともっとも強い相関が認められることが示された。

 以上、本論文によりDCAサンプルにおいてもPDGF受容体がチロシンリン酸化されていることが初めて明らかになった。これと、DCA後の再狭窄過程と不安定狭心症との間に関連がみられたことは、バルーン血管傷害モデルのみならずヒト冠動脈硬化巣においてもPDGF受容体活性化が重要な役割を演じていることが考えられた。本研究はこれまで検討されたことのない内膜肥厚の発症、進展に重要な役割を演じるいわゆる"key factor"の解析に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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