学位論文要旨



No 113652
著者(漢字) 三瀬,直文
著者(英字)
著者(カナ) ミセ,ナオブミ
標題(和) メサンギウム細胞における非筋型ミオシン重鎖(SMemb)発現の機序と臨床的意義の検討
標題(洋)
報告番号 113652
報告番号 甲13652
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1313号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 鳥羽,研二
 東京大学 講師 五十嵐,隆
 東京大学 講師 山沖,和彦
内容要旨 背景

 様々な糸球体疾患において、糸球体細胞の形質が変換し、その病態に関わっていることが報告されている。中でもメサンギウム細胞は、形質変換すると増殖し細胞外基質を盛んに産生するようになるため、糸球体疾患の発症、進展に密接に関係していることが想定され、注目されてきた。

 従来より、さまざまな腎炎でメサンギウム細胞は形質変換し、a平滑筋アクチン(-actin)を発現すると報告されている。この発現は、活性化したメサンギウム細胞の増殖を反映していると考えられている。非筋型ミオシン重鎖アイソフォームであるSMembは、活性化した増殖型(合成型)の平滑筋細胞に発現すると考えられている。ヒトやラットの腎障害でも、メサンギウム細胞が形質変換するとSMembが発現することが報告されている。

 しかし、糸球体疾患におけるメサンギウム細胞のSMemb発現の臨床的意義や、糸球体組織障害との関係は詳細に検討されていない。本研究では、その意義を検討するために、研究1ではヒトのIgA腎症における臨床的研究を、研究2ではラットを用いた基礎的研究を行った。

研究1ヒトIgA腎症における検討【目的1】

 メサンギウム細胞におけるSMemb発現の、腎組織像と腎機能の予後に対する意義を、ヒトIgA腎症の臨床データを用いて検討する。

【対象及び方法1】

 対象:IgA腎症45例。

 1)糸球体組織障害とSMemb発現の関係:全症例の全糸球体489個を連続切片で観察した。糸球体の組織障害(メサンギウム細胞の増殖、糸球体硬化)はPAS染色で、メサンギウム細胞におけるSMembと-actinの発現は免疫組織化学を用いて、糸球体ごとに半定量的に評価した。メサンギウム細胞の増殖、糸球体硬化のそれぞれの程度(grade0-2/0-3)と、SMembと-actinの発現の程度(grade0-3)の関係を、non-parametric法で解析した。

 2)腎機能の予後とSMemb発現の関係:対象45例の中から、腎生検時の血清クレアチニン値が正常(1.3mg/dl以下)で、5年以上(平均8.6±1.5年)追跡可能だった24例を、予後良好群(血清クレアチニン値が上昇しなかった群、13例)と予後不良群(血清クレアチニン値が異常高値に上昇、あるいは血液透析導入となった群、11例)の2群に分けた。メサンギウム細胞におけるSMemb、-actinの発現を症例ごとに半定量的に評価し、先の2群間で、non-parametric法で比較した。また、各症例で追跡期間中の1/血清クレアチニン値(1/Cre)の月あたりの変化率を計算した。

【結果1】

 1)糸球体組織障害とSMemb発現の関係:メサンギウム細胞の増殖のgrade2の糸球体では、0、1の糸球体に比べ、有意にSMembの発現gradeが高値を示した(1.7±1.1vs.1.3±1.1,1.2±1.0、p<0.05)。-actinの発現gradeは、増殖のgrade2の糸球体で、0の糸球体に比べ有意に高値であった(1.2±0.8vs.0.9±0.8、p<0.05)。糸球体硬化のgrade2、3の糸球体では、0、1の糸球体に比べ、有意にSMembの発現gradeが高値を示した(1.8±1.1,2.1±1.0vs.1.1±1.0,1.3±1.0、p<0.05)。しかし、-actinの発現gradeは、異なる硬化のgrade間で有意差はなかった。

 2)腎機能の予後とSMemb発現の関係:症例毎に算出したSMembの発現スコアは、予後不良群では良好群に比べ有意に高値を示した(1.7±0.6vs.0.8±0.6、p<0.05)が、-actinの発現スコアは、2群間で有意差はなかった(1.2±0.6vs.0.8±0.5、ns)。1/Creの月あたりの変化率は、予後不良群では良好群に比べ有意に高値であった[(7.7±7.9)×10-3dl/mg/月vs.(0.5±1.9)×10-3dl/mg/月、p<0.05]。その値はSMembの発現スコアと有意な相関を示した(R=0.5、p<0.05)が、-actinの発現スコアとは相関を示さなかった(R=0.33、ns)。

【考察1】

 本研究により、SMembは細胞増殖あるいは細胞外基質の増加の見られるメサンギウム細胞に発現していることが示された。一方、-actinの発現はメサンギウム細胞の増殖とは関係していたが、細胞外基質との関係は明らかではなかった。この結果から、SMemb発現の意義は-actinとは異なっており、細胞外基質の蓄積と関係していることが推測された。

 臨床的には、予後不良群では良好群に比べ、SMembがメサンギウム細胞に強く発現していた。さらに、1/Creの変化率は、SMembの発現スコアと有意な相関を示した。しかし、-actinの発現と予後との間には、明らかな関係は見出せなかった。

【結論1】

 SMembのメサンギウム細胞での発現は、糸球体での細胞外基質の蓄積と腎機能の予後に関係していた。したがって、SMembを発現しているメサンギウム細胞は増殖し、細胞外基質をさかんに産生し、最終的に糸球体硬化に陥ると考えられる。

研究2:培養メサンギウム細胞・ラットにおける検討【目的2】

 SMembの細胞外基質との関係に注目し、基礎実験を行った。組織レニン・アンギオテンシン系は、細胞外基質の蓄積・糸球体硬化の進行との関係が注目されており、アンギオテンシンII(AII)は糸球体においてメサンギウム基質の産生を増加させることが報告されている。そこで、AIIによる培養メサンギウム細胞の刺激と、ラットへのAIIのin vivo投与を行い、糸球体のSMemb発現と細胞外基質の蓄積の関係を検討した。

【対象及び方法2】

 1)培養メサンギウム細胞におけるSMembの発現:ラット培養メサンギウム細胞を、AII(10-6M)、TGF-(10ng/ml)、PDGF(BB,10ng/ml)、IL-6(5ng/ml)で0-48時間刺激した後、Western Blot AnalysisでSMembの蛋白発現を検討した。検出されたバンドの濃度をNIH image1.61で解析した。

 2)AII慢性投与による糸球体のSMemb発現:5週齢のSprague-Dawley(SD)ラット(オス、100g)の皮下に浸透圧ミニポンプを植え込み、AII(200ng/kg/min)または生理食塩水を14日間持続投与した。また、AT1受容体拮抗薬であるTCV116を10mg/kg/日または水を、連日経口投与した。ラットは以下の4群(各群6匹)に分けた:

 (1)コントロール群(生理食塩水を持続皮下投与、水を経口投与)

 (2)AII群(AIIを持続皮下投与、水を経口投与)

 (3)TCV群(生理食塩水を持続皮下投与、TCV116を経口投与)

 (4)AII+TCV群(AIIを持続皮下投与、TCV116を経口投与)。

 糸球体のSMembの蛋白発現は、免疫組織化学とWestern Blot Analysisで評価した。免疫組織化学では、糸球体ごとにSMembの発現を半定量的に評価した。免疫組織化学用の検体を採取した後、残りの腎組織からシービング法により糸球体を単離し、蛋白を抽出した。Western Blot Analysisを行い、NIH image1.61で解析した。

 また、糸球体蛋白中のファイブロネクチンの量を、酵素免疫法で測定した。

【結果2】

 1)培養メサンギウム細胞におけるSMembの発現:培養メサンギウム細胞では、無刺激でもSMembが強く発現していた。AII、TGF-、PDGF、IL-6刺激によるSMembの発現の増強は明らかではなかった。

 2)AII慢性投与による糸球体のSMemb発現:免疫組織染色では、AII群ではコントロール群に比べ有意にSMembの発現スコアが高値を示した(0.87±0.33vs.0.40±0.19,p<0.05)。AII+TCV群では、コントロール群との間に有意差を認めなかった(0.17±0.14vs.0.40±0.19,ns)。一方、TCV群では、コントロール群に比べ有意にSMembの発現スコアが低値であった(0.17±0.10vs.0.40±0.19,p<0.05)。

 Western Blot Analysisでも、AII群ではコントロール群に比べ有意にSMembの発現が増強していた(2.03±0.44vs.1.00±0.49,p<0.05)。

 糸球体のファイブロネクチンの量は、AII群ではコントロール群またTCV群に比べ、有意に増加していた(302±207 ng/5g protein vs.96±81 ng/5g protein,94±86 ng/5g protein,p<0.05)。また、SMembの発現の強い個体ではファイブロネクチンの発現も強い傾向があった(R=0.30,ns)。

【考察2】

 本研究で、in vivoのAII慢性投与により、糸球体細胞は形質転換し、SMembを発現することが示された。この効果はAT1受容体拮抗薬により抑制された。また、AII投与により、SMembとともに細胞外基質のファイブロネクチンも増加した。

 培養メサンギウム細胞では無刺激でもSMembが強く発現するため、刺激後の変化は検出されなかった。これは、培養によって細胞が増殖型に形質変換するためと考えられる。

 In vivoでAIIをラットに投与すると、糸球体のSMemb発現が増強した。この時SMembは、メサンギウム細胞に強く、一部上皮細胞にも発現していた。この効果は、AT1受容体拮抗薬で抑制されたため、AT1受容体を介した作用と考えられる。

 In vivoのAII投与は、糸球体のSMemb発現と同時にファイブロネクチンの発現も増強させた。また、SMembの発現の強い個体ではファイブロネクチンの発現も強い傾向があった。

【結論2】

 AIIは、AT1受容体を介してメサンギウム細胞の形質変換を促し、SMembとファイブロネクチンの発現を増強した。

全体の総括およびまとめ

 ヒトのIgA腎症では、メサンギウム細胞は形質変換し、SMembを発現した。この発現は、細胞外基質の増加および腎機能の予後と関係していた。腎生検時にメサンギウム細胞のSMemb発現を調べることにより、腎機能の予後に関してより多くの情報を得ることが出来ると考えられる。

 ラットを使った実験において、AIIはAT1受容体を介してメサンギウム細胞の形質を転換し、SMemb発現を増強することが示された。このSMembの発現は、細胞外基質の増加を伴っていた。

結論

 SMembは、AIIなどの細胞外基質の蓄積を促進する刺激により強く発現し、糸球体硬化に至る過程で重要な役割を果たしていると考えられた。

審査要旨

 本研究は、糸球体硬化の進展において重要だと考えられるメサンギウム細胞の形質変換の意義を明らかにするため、メサンギウム細胞における非筋型ミオシン重鎖アイソフォームの一つSMembの発現について検討しており、以下の結果を得ている。

 1.ヒトIgA腎症を対象に、メサンギウム細胞のSMemb発現を組織学的、臨床的に検討した。さらに、従来からメサンギウム細胞の形質変換の一例として研究されていた-actinの発現と比較した。

 1)腎生検標本の連続切片を用いて、糸球体ごとに組織変化とSMemb、-actinの関係を検討した。PAS染色で糸球体組織障害を、免疫組織化学でSMemb、-actinの発現を、それぞれ半定量的に評価した。その結果、メサンギウム細胞のSMembの発現は、メサンギウム細胞の増殖およびメサンギウム基質の増加と関係していた。しかし、-actinの発現の発現は、メサンギウム細胞の増殖とは関係していたが、メサンギウム基質の増加との関係は明らかでなかった。本研究により、メサンギウム細胞のSMemb発現と糸球体組織障害との関係が初めて明らかにされた。また、SMembが糸球体の細胞外基質の蓄積と関係している可能性が示された。

 2)6年以上(平均8.6±1.5年間)、腎機能の予後を追跡したところ、メサンギウム細胞のSMembの発現は腎機能の予後と有意な相関があり、SMembがメサンギウム細胞に強く発現している症例は予後不良であった。しかし、-actinの発現と腎機能の予後との間には有意な相関は認められなかった。本研究により、-actin、SMembの発現と長期予後との関係が明らかにされた。

 2.アンギオテンシンII(AII)は、メサンギウム細胞の細胞外基質産生を促進させることが知られているが、AII刺激によるメサンギウム細胞の形質変換について検討した。

 1)培養メサンギウム細胞をAIIで刺激し、Western blot analysisでSMembの発現を観察したが、発現の変化は明らかでなかった。TGF-、PDGF、IL-6による刺激でも、同様の結果であった。これは、メサンギウム細胞は、培養すると形質変換し、無刺激でもSMembを強く発現するようになるためと考えられた。

 2)SDラットに浸透圧ミニポンプを埋め込み、AIIを持続皮下投与した。14日後に糸球体を単離し、Western blot analysisでSMembの発現を調べ、酵素免疫法でファイブロネクチンの定量を行った。この結果、AIIはメサンギウム細胞の形質を変換し、SMembを発現させることが示された。また、このSMembの発現は、ファイブロネクチンの増加を伴っていた。AT1受容体拮抗薬(TCV116)は、上記の変化を抑制した。よって、AIIはAT1受容体を介してメサンギウム細胞にSMembを発現させ、細胞外基質の産生を亢進させる可能性が考えられた。

 本論文は、メサンギウム細胞におけるSMemb発現の組織学的、臨床的意義を明らかにした。また、SMembが糸球体における細胞外基質の蓄積と関係していることを初めて明らかにし、糸球体疾患の進行の機序の一端を解明するための道を拓いた点で、学位の授与に値するものと考えられる。

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