学位論文要旨



No 113654
著者(漢字) 荻原,健英
著者(英字)
著者(カナ) オギハラ,タケヒデ
標題(和) 骨格筋細胞においてインスリン受容体基質(IRS)-2はホスファチジルイノシトール3-キナーゼとの結合を介してIRS-1より速く脱リン酸化される
標題(洋) Insulin Receptor Substrate(IRS)-2 is Dephosphorylated More Rapidly than IRS-1 via Its Association with Phosphatidylinositol 3-Kinase in Skeletal Muscle Cells
報告番号 113654
報告番号 甲13654
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1315号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
内容要旨

 インスリン受容体チロシンキナーゼはインスリンの結合により活性化され、数種類の細胞内基質をリン酸化する。これらの基質のうち、IRS-1とIRS-2はN端部分にhomologyがあり、アミノ酸配列上非常に似た構造を取っている。また、両者とも全長にわたっていくつかの共通するチロシンリン酸化部位をもっている。そのため、PI3-kinaseを活性化したり、Grb2との結合を介してras・MAP kinaseを活性化したりするなどの共通の機能を持つことが知られている。このように、IRS-1とIRS-2にはさまざまな共通性が認められるが、それぞれの機能的な違いについては現在のところはっきり分かっていない。そのため本研究では、インスリン情報伝達系においてIRS-1とIRS-2の性質がどのように異なり、どのような役割分担を果たしているかを、インスリンの主要な標的臓器である骨格筋細胞を用いて検討した。

方法1.IRS-1およびIRS-2抗体の作製

 IRS-1とIRS-2はC端にhomologyを持たないことを利用し、IRS-1(マウス・ラット・ヒト)とIRS-2(マウス)の各C端部分のアミノ酸の合成ペプチドを抗原にしてrabbit polyclonal抗体を作製した。

2.細胞および動物

 L6myoblastはDME medium(10%ウシ胎児血清)中でほぼconfluentに培養した後、2%血清にして約10日培養し、80-90%の細胞が融合しmyotubeを形成したところで使用した。動物はオスのSprague-Dawley ratを12時間絶食後、麻酔し門脈より10-5Mインスリン4mlを注入した。その後ヒラメ筋を取り、homogenizeした上清を用いて後述の免疫沈降・PI3-kinase活性の測定を行った。

3.recombinant adenovirusの作製

 PI3-kinaseのp85サブユニットのp110結合部位をHA tagに置き換えることにより、dominant negative p85を作り、これを含むrecombinant adenovirusを作製した。

4.Immunoprecipitation,Immunoblotting

 L6細胞およびrat骨格筋homogenateは、上述のIRS-1・IRS-2抗体で免疫沈降し、SDS-PAGEを行った。これをnitrocelluloseシートにtransfer後、IRS-1・IRS-2抗体、抗phosphotyrosine抗体でblotし、ECLで蛋白を検出した。

結果

 L6筋肉細胞においては、IRS-1とIRS-2が発現しており、どちらもインスリン刺激によってチロシンリン酸化される。これらのチロシンリン酸化のインスリン濃度依存性を調べたところ、IRS-1もIRS-2もインスリン濃度依存的にチロシンリン酸化された。また、IRS-1とIRS-2に結合するP I3-kinase活性を測定したところ、どちらもインスリン濃度依存性に同様に上昇した。

 次に、L6細胞におけるIRS-1とIRS-2のチロシンリン酸化のtime courseを調べた。その結果、IRS-1もIRS-2もインスリンまたはIGF-1刺激の1分後にはリン酸化されるが、IRS-1のリン酸化は少なくとも60分持続するのに対し、IRS-2のリン酸化は10分以後急速に低下するという違いが認められた。同様の実験をラットの骨格筋を用いて行ったが、この場合もIRS-1のリン酸化はインスリンを門脈から静注後60分は持続するのに対し、IRS-2のリン酸化は10分以後急速に消失するという違いがあった。さらにIRS-1とIRS-2に結合するPI 3-kinase活性のtime courseを、L6細胞を用いて検討した。その結果IRS-1に結合するPI 3-kinase活性はインスリン/IGF-1刺激60分後でも48%持続しているのに比べ、IRS-2に結合する活性は急速に低下し、60分後には12%に減少した。

 このIRS-2のチロシンリン酸化の早い消失は、L6細胞をtyrosine phosphatase阻害剤であるsodium orthovanadateでpreincubateすると抑制された。さらに、L6細胞をPI 3-kinase阻害剤であるwortmannin(100nM)でpreincubateしたところ、この場合もIRS-2の早い脱リン酸化は阻害された。次に、PI 3-kinaseのp85調節サブユニットのp110結合部位をHA tagで置換したdominant negative p85(p85)を作製し、adenovirus発現系を用いてL6細胞に過剰発現させた。p85によってPI 3-kinase活性を抑制した場合も、wortmanninの場合と同様、IRS-2の早い脱リン酸化は抑制された。

 さらに、IRS-2の早い脱リン酸化に働いているのはPI 3-kinaseの活性全体なのか、それともIRS-2に結合するPI 3-kinase活性なのかを検討した。方法としては、L6細胞を50mg/ml PDGFで30分incubateした後にインスリン刺激した。この場合、単にインスリン刺激した場合に比べて、PI 3-kinase活性は増加するがIRS-1・IRS-2に結合するPI 3-kinase活性は低下する。これは、活性化されたPDGF受容体にPI 3-kinaseが結合するために、インスリン刺激後にIRS-1やIRS-2に結合するPI 3-kinaseが減少している現象と考えられる。この条件でIRS-2のリン酸化のtime courseを調べると、この場合もIRS-2の早い脱リン酸化は抑制された。

考察

 本研究で、骨格筋細胞のインスリン情報伝達系において、IRS-2はIRS-1に比べインスリン/IGF-1刺激後のチロシンリン酸化が急速に消失し、PI 3-kinaseの活性化もより一時的であることが示された。また、IRS-2の速い脱リン酸化には、何らかのtyrosine phosphataseとIRS-2自体に結合するPI 3-kinaseが重要な役割を果たしていると考えられた。

 IRS-2に結合するPI 3-kinaseがIRS-2の脱リン酸化を促進する機序として、以下のようなものが考えられる。第一に、IRS-1に結合するPI 3-kinaseはIRS-1のセリンをリン酸化することが知られており、セリンリン酸化されたIRS-1はチロシンリン酸化が低下していることも示されている。IRS-1のセリンリン酸化がチロシンリン酸化だけでなく脱リン酸化に関与している可能性がある。PI 3-kinaseがIRS-2の脱リン酸化に役立つ機序として、IRS-2に結合するPI 3-kinaseがIRS-2をセリンリン酸化し、そのリン酸化部位がIRS-1と異なるために何らかのtyrosine phosphataseが結合しやすくなり早く脱リン酸化される機序が推測される。第二に、PI 3-kinaseは酵母において蛋白の小胞輸送に関与しており、PDGF受容体のエンドサイトーシス後の輸送にもPI 3-kinaseが必要であることが知られている。これらのことから、PI 3-kinaseがIRS-1とIRS-2に結合すると、各々を細胞内の適切な場所に輸送するのに役立つのかもしれない。PI 3-kinaseの結合によりIRS-1とIRS-2では細胞内の異なるコンパートメントにsortingされるために、脱リン酸化の速さが異なる可能性も推測される。

 IRS-1とIRS-2は構造的に類似しているが、その機能的な違いについてはいまだによく分かっていない。IRS-1とIRS-2のチロシンリン酸化や下流分子への情報伝達の違いについては、今回の研究で初めて明らかになった。本研究での結果をもとにIRS-1とIRS-2の役割を考えてみると、インスリン受容体からのシグナルのうち、リン酸化時間の長いIRS-1は持続的なシグナルを伝え、リン酸化の短いIRS-2は一時的なシグナルを伝達しているという役割分担が想定される。しかもIRS-2はPI 3-kinaseの活性化の状態によってリン酸化の持続時間が違うため、IRS-2はPI 3-kinaseの活性化状態によって調節可能なシグナルを伝える役割があるのではないかと推測された。このような2つの経路による制御はインスリンの急性・慢性の作用を調節するのに役立っている可能性があると考えられる。

審査要旨

 本研究は、インスリンの主要な標的臓器である骨格筋細胞において、インスリン受容体基質(IRS)-1およびIRS-2が果たす役割を明らかにするために行われた。実験系としてL6筋肉細胞を用いてIRS-1とIRS-2のリン酸化の相違の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.L6細胞にはIRS-1とIRS-2が発現しており、どちらもインスリン刺激によってチロシンリン酸化される。これらのリン酸化のインスリン濃度依存性を調べたところ、IRS-1もIRS-2もインスリン濃度依存的にリン酸化された。また、IRS-1とIRS-2に結合するPI3-kinase活性を測定したところ、どちらもインスリン濃度依存性に同様に上昇した。

 2.L6細胞におけるIRS-1とIRS-2のチロシンリン酸化のtime courseを調べた結果、IRS-1もIRS-2もインスリンまたはIGF-1刺激の1分後にはリン酸化されるが、IRS-1のリン酸化は少なくとも60分持続するのに対し、IRS-2のリン酸化は10分以後急速に低下するという違いが認められた。ラットの骨格筋におけるin vivoの実験でも同様の結果が示された。さらにIRS-1とIRS-2に結合するPI 3-kinase活性のtime courseを、L6細胞を用いて検討した結果、IRS-1に結合するPI 3-kinase活性はインスリン/IGF-1刺激60分後でも48%持続しているのに比べ、IRS-2に結合する活性は急速に低下し、60分後には12%に減少した。

 3.このIRS-2のチロシンリン酸化の早い消失は、L6細胞をtyrosine phosphatase阻害剤であるsodium orthovanadateでpreincubateすると抑制された。さらに、L6細胞をPI 3-kinase阻害剤であるwortmanninでpreincubateしたところ、この場合もIRS-2の早い脱リン酸化は阻害された。次に、PI 3-kinaseのp85調節サブユニットのp110結合部位をHA tagで置換したdominant negative p85(p85)を作製し、adenovirus発現系を用いてL6細胞に過剰発現させた。p85によってPI 3-kinase活性を抑制した場合も、wortmanninの場合と同様、IRS-2の早い脱リン酸化は抑制された。

 4.さらに、IRS-2の早い脱リン酸化に働いているのはPI 3-kinaseの活性全体なのか、それともIRS-2に結合するPI 3-kinase活性なのかを検討した。L6細胞を50mg/ml PDGFで30分incubateした後にインスリン刺激したところ、単にインスリン刺激した場合に比べて、PI 3-kinase活性は増加するがIRS-1・IRS-2に結合するPI 3-kinase活性は低下することが示された。この条件でIRS-2のリン酸化のtime courseを調べると、この場合もIRS-2の早い脱リン酸化は抑制された。したがって、IRS-2の速い脱リン酸化には、IRS-2に結合するPI 3-kinase活性が重要な役割を果たしていると考えられた。

 本論文は、骨格筋細胞におけるIRS-1とIRS-2のリン酸化持続時間の差異、およびIRS-2のリン酸化の持続時間を調節するPI 3-kinaseの役割を明らかにした。本研究は、今まで明らかでなかったIRS-1とIRS-2の機能的な違いについて解明し、インスリンの急性・慢性作用の制御の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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