本研究は、インスリンの主要な標的臓器である骨格筋細胞において、インスリン受容体基質(IRS)-1およびIRS-2が果たす役割を明らかにするために行われた。実験系としてL6筋肉細胞を用いてIRS-1とIRS-2のリン酸化の相違の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1.L6細胞にはIRS-1とIRS-2が発現しており、どちらもインスリン刺激によってチロシンリン酸化される。これらのリン酸化のインスリン濃度依存性を調べたところ、IRS-1もIRS-2もインスリン濃度依存的にリン酸化された。また、IRS-1とIRS-2に結合するPI3-kinase活性を測定したところ、どちらもインスリン濃度依存性に同様に上昇した。 2.L6細胞におけるIRS-1とIRS-2のチロシンリン酸化のtime courseを調べた結果、IRS-1もIRS-2もインスリンまたはIGF-1刺激の1分後にはリン酸化されるが、IRS-1のリン酸化は少なくとも60分持続するのに対し、IRS-2のリン酸化は10分以後急速に低下するという違いが認められた。ラットの骨格筋におけるin vivoの実験でも同様の結果が示された。さらにIRS-1とIRS-2に結合するPI 3-kinase活性のtime courseを、L6細胞を用いて検討した結果、IRS-1に結合するPI 3-kinase活性はインスリン/IGF-1刺激60分後でも48%持続しているのに比べ、IRS-2に結合する活性は急速に低下し、60分後には12%に減少した。 3.このIRS-2のチロシンリン酸化の早い消失は、L6細胞をtyrosine phosphatase阻害剤であるsodium orthovanadateでpreincubateすると抑制された。さらに、L6細胞をPI 3-kinase阻害剤であるwortmanninでpreincubateしたところ、この場合もIRS-2の早い脱リン酸化は阻害された。次に、PI 3-kinaseのp85調節サブユニットのp110結合部位をHA tagで置換したdominant negative p85( p85)を作製し、adenovirus発現系を用いてL6細胞に過剰発現させた。 p85によってPI 3-kinase活性を抑制した場合も、wortmanninの場合と同様、IRS-2の早い脱リン酸化は抑制された。 4.さらに、IRS-2の早い脱リン酸化に働いているのはPI 3-kinaseの活性全体なのか、それともIRS-2に結合するPI 3-kinase活性なのかを検討した。L6細胞を50mg/ml PDGFで30分incubateした後にインスリン刺激したところ、単にインスリン刺激した場合に比べて、PI 3-kinase活性は増加するがIRS-1・IRS-2に結合するPI 3-kinase活性は低下することが示された。この条件でIRS-2のリン酸化のtime courseを調べると、この場合もIRS-2の早い脱リン酸化は抑制された。したがって、IRS-2の速い脱リン酸化には、IRS-2に結合するPI 3-kinase活性が重要な役割を果たしていると考えられた。 本論文は、骨格筋細胞におけるIRS-1とIRS-2のリン酸化持続時間の差異、およびIRS-2のリン酸化の持続時間を調節するPI 3-kinaseの役割を明らかにした。本研究は、今まで明らかでなかったIRS-1とIRS-2の機能的な違いについて解明し、インスリンの急性・慢性作用の制御の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |