心理的ストレスが、健康を害したり、疾患を引き起こしたりするとがこれまでに数多く報告されている。このように発症あるいは経過に心理社会的要因が関与する疾患を心身症と呼ぶ。 バセドウ病は、自己免疫疾患のひとつと考えられているが、生活上のストレスが発症に先行していることがあるということが、古くより臨床的に観察されてきた。心身医学のパイオニアと言われるアレキサンダーも、バセドウ病を代表的な心身症のひとつとしてあげている。その後、バセドウ病の発症と心理的ストレスの関係を調べた研究は数多く存在し、肯定的な結果が多く報告されている一方で、否定的な結果を報告しているものもある。しかし、それらの研究の多くは、データの収集方法やコントロール群を設定していないなど方法論的な問題があった。 これまでのところ、適切な統計学的な方法を用いた研究は、5編ある。この5編のうち4編が、心理的ストレスとバセドウ病の発症との関係に関して支持する結果を導いており、Grayらの1編のみ否定的な結論を導いている。しかし、Grayらの研究は、コントロール群として、甲状腺機能正常の甲状腺腫を持つ人を用いているのだが、甲状腺機能正常の甲状腺腫もまた心理的ストレスの関与を示唆する報告があるため、心理的ストレスとバセドウ病との関係がマスクされた可能性もあり、方法論的に問題がある。その他の4編も、交絡因子を取り除くための多変量解析を行っていなかったり、心理的ストレスに影響を与えるストレス対処能力や社会的支持を考慮していなかったり、という問題もあった。 一方、心理社会的要因のひとつである喫煙も免疫系に影響を与えると考えれている。これまでも、バセドウ病の発症に喫煙が影響を与えているという報告もある。しかし、心理的ストレスにより喫煙本数が増えるという報告もあり、各々の独立した影響を評価するためには、心理的ストレスと喫煙を同時に多変量解析しなければならないと考えられるが、それを行った研究はない。 さらに、バセドウ病発症後の治療経過に心理的ストレスが与える影響を評価した研究はこれまでなく、喫煙がバセドウ病の治療経過に悪影響を与える可能性を示唆する論文が1編存在する。ただし、この研究も心理的ストレスを同時には評価しておらず、心理的ストレスにより喫煙本数が増加するという影響を除去できていない。 そこで、我々は、多変量解析を用いて、ストレス対処能力や社会的支持などの変数をコントロールした上で、ストレスと喫煙がバセドウ病の発症に与える独立した影響を検討し(研究1)、さらに抗甲状腺剤による治療経過に与える各々の要因の独立した影響を評価した(研究2)。なお、性ホルモンが自己抗体産生に違いをもたらすという報告があるため、男女別々に解析を行った。 研究1における対象は、都内甲状腺疾患専門病院を受診した患者で、バセドウ病の診断後1ヶ月以内の患者325名であった。325名のうち231名(71%)から回答が得られたが、そのうち3名については年齢生別をマッチングさせたコントロールが見つからなかったために解析より除外した。よって、解析に組み込んだのは、女性182名(37.4±12.8歳)、男性46名(42.3±13.2歳)の合計228名である。コントロール群として、関東地方に居住する1386名の健常者のデータ(本研究に先立って行われた研究のために集められた)より年齢および性別をマッチングさせたデータを無作為に抽出した。 質問項目は、過去1年間のストレス・ライフイベント(28項目より該当するものを選択し、各々に100点満点とした自覚的な点数を記入)、日常のいらだち事、ストレス対処能力(下位尺度として、問題中心の対処行動、情動中心の対処行動、時間中心の対処行動からなる)、社会的支持、喫煙、飲酒であった。さらに、バセドウ病患者には、甲状腺疾患の家族歴の質問がされた。 統計解析は、条件付きロジスティック回帰分析を用いて、バセドウ病であるか否かを目的変数とし、各々の独立変数の影響力の指標として、相対危険度の近似値であるオッズ比を用いた。また、ストレス・ライフイベントに関しては、客観的な指標としてイベント数の比較をWillcoxonの順位和検定を用いて行った。 研究2における対象は、研究1において質問紙への回答があった231名のバセドウ病患者のうち、外科的治療を受けた患者1名を除く、抗甲状腺剤による治療を受けている230名(女性182名<37.4±12.8歳>、男性48名<42.3±13.2歳>)であった。データ収集の方法は、研究1において用いた質問紙に加え、治療開始後6ヶ月の時点で再度質問紙への回答を依頼した。2回目に用いた質問紙はストレス・ライフイベントが治療開始後6ヶ月に変更されている以外は1回目のものと基本的には変化はなかった。2回目の質問紙への回答は、230名中173名(75%)であった(女性143名<38.1±13.2歳>、男性30名<44.8±14、3歳>)。 解析は、治療開始後12ヶ月の時点での甲状腺機能により、甲状腺機能低下症群、甲状腺機能正常群、甲状腺機能亢進症群の3群に分け、初回および第2回目の質問紙の変数、初診時および治療開始後6ヶ月の時点での甲状腺機能の比較を分散分析により行った。また、甲状腺機能亢進症群と甲状腺機能正常群の2群に焦点を当て、これを目的変数としたロジスティック回帰分析を行った。なお、前述の各々の独立変数の影響力の指標として、相対危険度の近似値であるオッズ比を用いた。 研究1の結果であるが、女性では、ライフイベントの合計得点を30点きざみにカテゴリー分けしたところ、もっとも高得点のカテゴリーに関して、もっとも低得点のカテゴリーを基準としたときのオッズ比が7.1(95%信頼区間2.9〜17、p<0.001)となり、またトレンド検定でも有意に(p<0.001)得点が高いほど、つまりライフイベントによるストレスが大きいほどバセドウ病に罹患する相対危険度が高いという結果が認められた。また、ライフイベントの数の比較においても、女性においては、患者群の方が有意に健常群よりも多かった(p<0.01)。喫煙に関しても、喫煙するグループは、喫煙しないグループを基準とした場合、オッズ比2.6(95%信頼区間1.6〜4.3、p<0.01)であった。また、これらの結果は、ストレス対処能力、社会的支持、日常のいらだち事などの変数を同時に組み込み多変量解析を行っても、大きな変化は見られず、結果の妥当性が支持された。なお、男性においては、いずれの変数でも有意な結果は得られなかった。 研究2の結果であるが、女性に関しては、治療開始後12ヶ月における甲状腺機能により分けた、甲状腺機能低下症群、甲状腺機能正常群、甲状腺機能亢進症群の3群の比較では、初診時の遊離サイロキシンおよび抗甲状腺受容体抗体に関して、甲状腺機能亢進症群が甲状腺機能正常群より有意に高かった(P<0.05)。また、治療開始後6ヶ月における日常のいらだち事に関して、甲状腺機能亢進症群が甲状腺機能正常群より有意に高かった(P<0.05)。また、治療開始6ヶ月における遊離サイロキシンに関しては、甲状腺機能亢進症群が甲状腺機能正常群および甲状腺機能低下群より有意に高く(P<0.05)、治療開始6ヶ月における遊離トリヨードサイロニンおよび抗甲状腺受容体抗体に関して、甲状腺機能亢進症群が甲状腺機能正常群より有意に高かった(それぞれP<0.05、P<0.01)。男性に関しては、3群の比較で有意な違いが認められた変数はなかった。治療開始12ヶ月における甲状腺機能正常群を基準とし、甲状腺機能亢進症に対する相対危険度を求めるために行ったロジスティック回帰分析の結果では、女性に関しては、治療開始6ヶ月における日常のいらだち事が有意に影響を与えており、オッズ比4.1(95%信頼区間1.5〜10.8、P<0.01)で、日常の心理的ストレスが大きい方が甲状腺機能亢進症の相対危険率が高いという結果が認められた。さらに、同時期におけるストレス対処能力、甲状腺機能をコントロールした多変量解析でも有意な結果が得られたので、結果の妥当性が確認された。男性に関しては、有意な影響を与えている変数は認められなかった。 以上の結果より、女性においては、バセドウ病の発症に関しては、発症前1年間のストレスライフイベントおよび喫煙の影響が示唆された。ストレスライフイベントの影響に関しては、先行研究を支持する結果であった。喫煙に関しても、バセドウ病との関係を示唆する先行研究の結果を支持するものであった。しかし、これまでのところ、喫煙による免疫系への影響に関しては、基礎的な研究においても支持するものとそうでないものが存在し、さらに自己免疫疾患のひとつと考えられている潰瘍性大腸炎では、むしろ喫煙者の方が罹患の危険性が低いという逆の結果も報告されており、今後の検討課題と考えられる。 また、女性においては、抗甲状腺剤によるバセドウ病の治療経過に日常的なストレスが悪影響を与えている可能性が示唆された。これに関しては、これまで、心理的なストレスとバセドウ病の治療経過への影響との関係を検討した研究が存在しないので、先行研究との比較はできないが、バセドウ病において交感神経系の刺激と甲状腺機能亢進症との関係を示唆する報告と心理的ストレスにより交感神経系が興奮するという報告があるので、これらを総合すると、日常の心理的ストレスが交感神経系を通して甲状腺機能に影響を与えていることが推察される。 以上、女性においては、バセドウ病の発症とストレス・ライフイベントおよび喫煙との関連が示唆され、バセドウ病の治療経過と日常のいらだち事との関連が示唆された。 ただし、本研究には、以下の問題点もあり、今後の検討が必要と考えられる。 ・精神症状は、甲状腺機能による影響を受けるため、自覚的なストレス度を扱った変数においては、原因か結果かが明確に区別されない。 ・本研究におけるコントロール群は、厳密な意味で同じ母集団からの代表であるということが保証されないため、結果の解釈には限界がある。 ・服薬量および期間に関する検討を行っていないため、これらの因子による影響を除外できていない。 ・今後の展望としては、バセドウ病の家族など発症のリスクの高い母集団において、前向きの調査を行う必要があると考えられる。 |