学位論文要旨



No 113672
著者(漢字) 野村,幸世
著者(英字) Nomura,Sachiyo
著者(カナ) ノムラ,サチヨ
標題(和) X染色体不活化を用いた胃正常腺管、腸上皮化生腺管のクローナリティの解析
標題(洋) Clonal analysis of single gastric normal gland and intestinal metaplastic gland using X-chromosome inactivation
報告番号 113672
報告番号 甲13672
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1333号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 助教授 名川,弘一
 東京大学 講師 江里口,正純
内容要旨 はじめに

 種々の消化器癌はモノクローナルな増殖をした細胞集団であることが知られている。胃癌もまた例外ではない。大腸では腺腫もモノクローナルであることが報告されている。一方、胃の腸上皮化生は分化型腺癌に随伴することが知られているが、腫瘍性の増殖をした前癌病変であるのか否か議論のあるところである。

 近年になり、X染色体多型を用い、メチル化感受性の制限酵素とpolymerase chain reaction(PCR)法により少量のDNAからそのクローナリテイを解析することが可能となった。そこで、我々はヒト胃正常粘膜、腸上皮化生粘膜よりEDTA処理にて遊離した単一胃腺管、単一腸上皮化生腺管のクローナリテイをX染色体連鎖phosphoglycerate kinase(PGK),human androgen receptor(HUMARA)遺伝子を用いて解析し、腸上皮化生が元来存在した正常粘膜に比して広範囲にわたりモノクローナルに拡大した病変か否かを検討した。さらに、胃正常粘膜に関しては、トランスジェニックマウスを用い、解析方法の妥当性を確認した。

対象及び方法

 胃正常腺管に対しては国立がんセンター東病院にて1995年5月から1996年1月に胃癌にて切除された女性の胃のうちPGKに関してのみヘテロな3検体、HUMARAのみヘテロの2検体、両方に関してヘテロの3検体を、腸上皮化生腺管に対しては1996年4月に胃癌にて切除された女性の胃のうちHUMARAに関してヘテロな3検体を対象とした。

 正常腺管に対しては、テス・テープ法にて腸上皮化生粘膜を除外したのち、胃底腺領域、幽門腺領域を分類して採取し、EDTA処理を行い、腺管を遊離した。遊離腺管は実体顕微鏡下に採取し、DNAを抽出した。腸上皮化生腺管に対してはトレハロース、シュクロースを用いたテス・テープ法にて腸上皮化生を完全型、不完全型に分類し、さらに中間帯領域、幽門洞領域に分け、直径6mmにパンチアウトした。パンチアウトした粘膜をさらに半切し、片方は組織学的検索に用い、腸上皮化生領域であることを確認した。もう片方より腺管を遊離し、1腺管ずつOCTコンパウンドに包埋した。これより、単一腺管の凍結切片を作成した。薄切はHE染色にて杯細胞が確認できるまで行い、残余腺管を解凍し、DNAを抽出した。

 これらDNAをメチル化感受性の制限酵素Hpallにて処理、未処理の2チューブを組み合わせ、2つのHpallサイトとPGK、HUMARAそれぞれの遺伝子多型を含む領域をはさむプライマーを用いてPCRを行い、電気泳動を施行した。

 マウス正常胃粘膜のクローナリテイは活性X染色体上で一様に発現する-galを有するトランスジェニックマウス胃粘膜を用い、固定後にX-gal処理を行い、5m切片を作成し解析した。

結果

 単一腺管の実体顕微鏡下の観察においては、67%の胃底腺管、55%の幽門腺管が分枝を有した。正常腺管のPGKを用いた解析においては胃底腺管80、幽門腺管7を採取した。胃底腺管80のうち43腺管(54%)はX染色体の同じアリルのメチル化を示す細胞集団(以下、ホモテイピック)であり、37腺管(46%)は異なるアリルのメチル化を示す細胞集団の混合(以下、ヘテロテイピック)であった。幽門腺管7のうち6腺管(86%)はホモテイピックであり、1腺管(14%)はヘテロテイピックであった。すべてのDNAサンプルに対し、解析は2回以上行い、結果はすべて同一であった。

 同様にHUMARAに関しヘテロな検体より胃底腺管61、幽門腺管74を採取した。胃底腺管61のうち37腺管(61%)がホモテイピックであり、24腺管(39%)がヘテロテイピックであった。

 両遺伝子にて検索し得た3症例より得られた31胃底腺管、6幽門腺管では両遺伝子における解析結果はすべて一致した。また、ホモテイピックな腺管の解析結果より同一症例X染色体上でのPGKアリルとHUMARAアリルとの連鎖が確認された。

 トランスジェニックマウスの胃粘膜においては約10%の胃底腺管、約4%の幽門腺管がヘテロテイピックであった。

 腸上皮化生腺管のクローナリテイに用いた3症例のうち症例1からは幽門洞領域の不完全型のみしか得られなかった。症例2、3からは幽門洞領域、中間帯領域の完全型、不完全型のそれぞれ4種類が得られた。

 13の径6mm粘膜のうち3腺管以上の腸上皮化生腺管が得られた11の粘膜はすべて異なる細胞由来の複数の腸上皮化生腺管を有していた。

 全86腺管のうち、45腺管(52%)がホモテイピックであり、41腺管(48%)がヘテロテイピックであった。クローナリテイのタイプと腺管採取領域、組織型には相関は認められなかった。

 症例2の1つの完全型中間帯領域にloss of heterozygosity(以下LOH)を示す腺管が1つ認められた。この腺管はクローナリテイの解析からは除外した。

 症例1の幽門領域より採取した1つの不完全型腸上皮化生領域からは3腺管しか得られなかったが、この3腺管はすべて同様のreplication error(以下、RER)を示し、かつ、Hpall処理後に見るメチル化のパターンはすべて異なっていた。この3腺管の結果はクローナリテイの解析からは除外した。

考察

 胃正常腺管は、キメラマウスを用いた報告にて大腸同様にすべてモノクローナルであると報告されているが、今回のX染色体不活化を用いた解析ではヒトにおいてもマウスにおいてもポリクローナルな腺管が存在した。この違いの正確な原因は不明であるが、キメラマウスにおいては種の違なる細胞が共同して単一腺管を形成し得ない可能性があると考えられる。

 腸上皮化生をはじめとする化生とは小領域に集合して生ずるため元来モノクローナルな病変であると考えられてきた。しかし、腸上皮化生はその最小単位である腺管にまで細分してもその少なくとも約半数はポリクローナルであり、化生とはモノクローナルに進展する病変ではなく、環境因子等の影響により複数の細胞が形態変化をおこすものであると考えられる。

 13中11の径6mm粘膜領域が複数の細胞由来の腸上皮化生腺管の混合であった。これより、腸上皮化生はその発生部位、組織型にかかわらず、モノクローナルに拡大する病変ではないと考えられる。この意味では腸上皮化生はモノクローナルな前癌病変ではないといえる。しかし、p53の変異のある腸上皮化生の報告もあり、腸上皮化生が多段階発癌過程におけるモノクローナルな段階に至る以前の段階であることを否定できるものではない。ともあれ、腸上皮化生一般がすでにモノクローナルに増殖している段階の前癌病変ではないと考えられる。

 腸上皮化生腺管は正常胃腺管が徐々に形態を変化させ形成されるといわれているが、今回の結果では正常腺管の96%がホモテイピックである幽門腺領域に発生した腸上皮化生腺管でさえもその約半数はヘテロテイピックであった。正常腺管の約半数がヘテロテイピックである胃底腺領域では腸上皮化生腺管の生成は正常腺管を構成する細胞の単純な形態的変化でも説明がつくが、幽門腺領域では不可能である。

 1つの可能性としては元来ポリクローナルな正常腺管が腸上皮化生腺管への変化をおこしやすいというものである。

 2番目の可能性としては腸上皮化生腺管の生成のために正常腺管にそれを主に構成していた以外の細胞群の参画があるというものである。この新たな細胞群の幹細胞はもとから正常腺管内に分裂することなく潜んでいたのか、それとも腺管外から由来するのかは不明である。

 3番目の考え方はヘテロタイプとホモタイプを腸上皮化生腺管が生成されてからの時間的違いととらえるものである。キメラマウスの正常十二指腸腺管の発生において初めポリクローナルであった腺管が徐々にモノクローナルに純化されることが報告されている。胃の腸上皮化生の生成も正常腸上皮の発生を模倣している可能性がある。

 まったく異なる解釈として、腸上皮化生腺管の生成時にX染色体のメチル化にも変化が起きている可能性がある。もしも、そうであれば、X染色体のメチル化を用いて腸上皮化生のクローナリテイを解析することは無意味である。しかし、変化することがないといわれているX染色体のメチル化の見地からは非常に興味深い。

 RERが認められた腺管の結果はこの最後の2つのモデルを支持するものである。RERはまれなできごとであるから、同じタイプのRERが近傍の異なる3細胞に起こることは考え難い。そこで、この3腺管は1つの細胞から分裂、増殖した細胞集団を含んでいることになる。しかし、この3腺管のメチル化パターンは異なっていた。これは、同じ複数の幹細胞から分裂してできた3腺管がそれぞれ異なる細胞群に純化しているか、幹細胞が分裂後にメチル化が決定しなおされているかを示すものと考えられる。

 以上、腸上皮化生腺管の生成は単純な正常腺管の形態変化ではなく、また、腸上皮化生は全体が腫瘍性の増殖をしたものではないことが示唆された。

審査要旨

 本研究は胃分化型腺癌の発生母地と考えられている胃粘膜腸上皮化生の癌発生に対する位置づけを、X染色体不活化を用いて検索したクローナリテイの観点より試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.腸上皮化生に変化する以前の正常胃粘膜単一腺管においては、胃底腺ではX染色体上のPhosphoglycerate kinase(PGK)遺伝子を用いた解析ではその少なくとも46%がポリクローナルであり、Human androgen receptor(HUMARA)遺伝子を用いた解析ではその少なくとも39%がポリクローナルであった。幽門腺ではPGK遺伝子を用いた解析ではその少なくとも14%がポリクローナルであり、HUMARAを用いた解析ではその少なくとも4%がポリクローナルであることが示された。

 2.PGK遺伝子とHUMARA遺伝子の両遺伝子を用いて解析しえた31胃底腺管、6幽門腺管ではそのクローナリテイ解析結果は両遺伝子ですべて一致し、ホモテイピックな解析結果より、同一症例においてはX染色体上で両遺伝子の各タイプがリンクすることが確認された。このことより、クローナリテイ解析において、PGK遺伝子とHUMARA遺伝子は互換性があることが示された。

 3.X染色体上に一様に発現するようなプロモーターを伴ったE.ColiのlacZ遺伝子を導入したマウスをもちいて解析した正常胃粘膜においても、ポリクローナルな腺管が存在することが示され、大腸腺管との発生様式の違いが示された。

 4.3症例の腸上皮化生粘膜より打抜いた直径6mmの13箇所の粘膜より遊離させた腸上皮化生単一腺管のクローナリテイ解析において、2腺管以下しか採取できなかった2箇所の粘膜を除いて、11箇所の粘膜はすべて、ポリクローナルな腺管を含んでいるか、異なるタイプのホモテイピックな腸上皮化生腺管を含んでいた。このことより、腸上皮化生は径6mmを超えてモノクローナルに拡大することはまれであることが示された。また、腸上皮化生粘膜をその組織像により完全型、不完全型に分類し、胃粘膜上の位置により中間帯領域と幽門洞領域に分類して採取することにより、上記の傾向はこの分類とは無関係に存在することが示された。このことより、腸上皮化生はすでにモノクローナルに拡大している、癌になる直接的前段階の病変ではないことが示された。

 5.腸上皮化生単一腺管のクローナリテイは組織型(完全型、不完全型)、胃粘膜上の部位にかかわらず、ホモテイピックなものとヘテロテイピックなものとが存在することが示された。合計すると52%がホモテイピックであり、48%がヘテロテイピックであることが示された。4%しかヘテロテイピックな腺管が存在しない幽門腺領域より発生する腸上皮化生腺管もその約半数はヘテロテイピックであり、腸上皮化生腺管の発生は単なる正常腺管の形態変化では説明がつかないことが示された。

 6.1箇所の径6mmの粘膜より採取した腸上皮化生腺管3腺管に同一のReplication error(RER)が認められたが、この3腺管のX染色体メチル化パターンは、すべて異なっていた。このことより、腸上皮化生の生成において、従来変わることがないといわれているX染色体メチル化にかけ変わりが起こっている可能性も否定できるものではないことが示された。

 以上、本論文は胃粘膜正常腺管、腸上皮化生腺管のクローナリテイの解析から、胃分化型腺癌に対する腸上皮化生の位置付けを行うと同時に腸上皮化生の発生様式を明らかとした。本研究はこれまで未知に等しかった、化生という組織変化とその発癌との関連とを解明するにあたり重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54653