生物細胞の遺伝子は、自然界に遍在する様々な有害因子、たとえば電離放射線、活性酸素、化学物質などにより損傷を受ける危険にさらされている。しかし主に2つの極めて精緻な機構により、遺伝子の完全性は維持されている。その機構とは損害修復機構及びチェックポイント機構である。損害修復機構の異常は核酸変異の固定を引き起こし、発癌の主要なメカニズムの一つになっていることは古くより認識されているが、遺伝子の損傷を検知した場合に細胞周期を停止させ、損傷修復を確実なものとする作用を持つチェックポイント機構の異常もまた発癌の大きな要因となりうることが近年明らかにされてきた。 我々は、ヒトの複雑な細胞周期制御機構を明らかにするため、分子生物学的に高等生物に極めて高い類似性を示し、遺伝子工学にとって様々な利点を持つ最も単純な真核細胞生物である分裂酵母(Schizo-saccharomycespombe)を用いた研究を行ってきた。分裂酵母では、放射線に対する高い感受性を基準にして、一連のrad変異株が分離樹立されている。その中でrad1、rad3、rad9、rad17、rad26各変異株は、ハイドロキシウレアなどのDNA合成阻害剤の存在下や、UV照射などによるDNA損傷時にも細胞周期を停止することができず、致死性を示すためチェックポイント変異であるとされている。その他、二重鎖切断修復(double strand break repair)や除去修復(nucleotide excision repair)などの損傷修復に関わる酵素に異常を持っていることが証明されている変異株も含まれている。 これら一連のrad変異株は、癌細胞においてみられる異常を要素的に有していると解釈することができる。また分裂酵母では、DNAに傷害を受けた時チェックポイント機構が介在して修復が完了するまでは分裂は停止するが増殖はそのまま継続するため、細胞は伸張した形態となり、チェックポイント機構の介在を目視できるという実験上の利点もある。そこで我々は、抗癌剤の作用とチェックポイント機構に関する知見を得るため、rad1からrad22までの一連の変異株にアドリアマイシン、シスプラチン、ブレオマイシン、シクロフォスファミドなどのDNA損傷薬剤を投与し、その反応を調べた。その結果、プリン残基に架橋することによりDNAを傷害する薬剤であるシスプラチンを投与したときに、興味深い反応が観察された。 野生株はシスラプチンに反応し、細胞周期を停止して顕著に伸張した表現型を呈した。一方、rad1、rad3、rad9、rad17の各チェックポイント変異株はシスラプチンによるDNA損傷が存在するにも関わらず、チエックポイント機構に異常があるため細胞周期を停止させることができず分裂を続けた。さらに予想に反してrad10、rad13、rad15、rad16、rad19、rad20の各変異株でも細胞分裂を継続している表現型が観察された。その他のrad変異株はシスプラチンに反応し、著明に伸張した。 色素性乾皮症(Xeroderma Pigmentosum)は極めて稀な常染色体劣性遺伝子疾患であるが、1968年にCleaverが患者の線維芽細胞の除去修復能が顕著に低下していることを報告して以来、分子学的な研究が進展し、現在色素性乾皮症は7つの相補正群に分類され、その原因遺伝子もほぼ全てがクローニングされているるその結果XPAからXPGまでの原因遺伝子の産物は、すべて除去修復複合体の構成因子であることがわかっている。興味深いことにrad10、rad16、rad20の各変異株は同一の遺伝子上に変異が存在することが証明され、XPFに高い相同性を示し、除去修復に関与するとされている。rad13とrad19の変異もXPGとの相同性を示す同一遺伝子上に存在する。またrad15もXPDのホモローグである。すなわちシスラプチンに対しチェックポイント変異株と同等の反応を示したrad変異株はすべて除去修復欠損株である。除去修復に異常があればシスラプチンによるDNA損傷は修復することができず、チェックポイント機構により細胞周期の進行は停止するはずであるが、これらの変異株では分裂は継続した。このことは除去修復複合体は損傷修復のみならずチェックポイント機構にも関与している可能性を示している。そこで我々はそのことを確認する実験を計画した。 まず、rad1変異株と野性株とを対照とし、シスラプチンに対する感受性を調べた。rad13変異株をはじめ除去修復欠損株はrad1変異株と同様にシスラプチンに対し高い感受性を示した。しかし、このことは修復能の欠損によっても説明が可能である。そこで次にシスラプチン存在下でも分裂が継続していることを直接説明するため、細胞数とseptation indexとを計測した。野性株がシスラプチンに反応して分裂増殖を停止するのに対し、rad1とrad13は分裂を継続することが明らかになった。また、この実験でもrad10、rad15、rad16、rad19、rad20がrad20がrad13と同様に挙動することが明らかになったため、以下の実験をrad13を用いて続行した。 G2/Mチェックポイントの異常を、より直接的に検証するため、高温でG2期に停止するcdc25-22温度感受性変異との二重変異株を作成し、同調実験を行った。G2期から細胞周期を再開したcdc25-22変異株は、シスラプチン存在かではM期への進行が停止するのに対し、rad13変異が加わると薬剤存在下でも分裂が開始してしまうことが明らかになった。一方、紫外線やブレオマイシンによる損傷に対しては、rad13変異が存在してもこれらに反応し分裂を停止することも明らかになった。このことはシスラプチンの架橋は除去修復機構のみにより修復されるのに対し、紫外線やブレオマイシンなどは二重鎖切断なども引き起こすため、それらに対する別の修復機構から増殖停止シグナルが出ることによると解釈された。 次にDNA複製と修復および異常な分裂とに関係を調べるため、窒素源枯渇によりG1期に同調し、S期への進行を再開した後にシスラプチンを投与し、FACSアナライザーを用いてDNA含量を計測した。野性株では、シスラプチンによりS期の進行は遅れるものの分裂を停止していることが確認された。一方rad13変異株はDNA複製が極めて遅れているにもかかわらず分裂が開始し、染色体の均質性が損なわれていることが明らかにされた。 以下の実験により、除去修復複合体はDNA修復のみならず、チェックポイント機構にとっても必須の因子であると結論した。 次にヒトのXP細胞でもシスラプシンに対するチェックポイント異常が見られるか否かを3種類の色素性乾皮症患者由来の線維芽細胞を用いて調べた。対数増殖期におけるシスプラチンおよびブレオマイシンに対する反応、およびG1期同調実験での結果から、ヒトXP細胞でも分裂酵母と同様に、シスラプチンのみに対してチェックポイント異常を示すと判断された。 以上の結果は、DNA損傷修復やチェックポイントなどの重要な機能は単純な真核細胞から高等生物まで高度に保存されており、酵母を用いた研究が高い実用性をもつことを示すと同時に、色素性乾皮症患者の高発癌頻度を説明する新たな側面を明らかにしたものと考える。また複雑なチェックポイント機構の源流の一端が明らかになったことにより、DNA損傷チェックポイントの研究が加速することが期待される。 |