学位論文要旨



No 113678
著者(漢字) 相原,一
著者(英字) Aihara,Makoto
著者(カナ) アイハラ,マコト
標題(和) 中枢神経系における血小板活性化因子の産生と機能
標題(洋) Synthesis and function of planet-activating factor in the central nervous system
報告番号 113678
報告番号 甲13678
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1339号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前川,和彦
 東京大学 助教授 斉藤,英昭
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 講師 小山,文隆
内容要旨 緒言:

 血小板活性化因子(PAF)は、元来血小板凝集、形態変化、顆粒放出など,血小板を活性化する生理活性脂質として単離されたが、その後の研究により中枢神経系においても様々な働きをすることが報告されてきた。PAFの作用としては、たとえば海馬における長期増強(LTP)の誘発因子、シナプス伝達の増強、記憶増強、さらにウィルス感染による神経細胞死などに関与することが報告されている。また、PAFの分解酵素であるPAF acetyl hydrolase subunitの欠損が、無脳回症として知られるMillar-Dieker syndromeの原因遺伝子であることから、発生段階における神経系細胞の移動にも関与している可能性がある。また、中枢神経系におけるPAFの産生は、現在まで、虚血、持続的な電気刺激、ウィルス感染、あるいはアセチルコリン、ドーパミンの投与によって起こることが報告されている。しかし、神経系のどの細胞で、いかなる機構によりPAFが産生されるかは、不明であった。

 また、PAF受容体(PAFR)については、その脳における存在は既に報告されていたが、詳細なPAFR発現細胞とその機能に関しては全く不明であった。

 そこで、今回中枢神経系におけるPAFの産生、またPAFRの発現細胞の同定と、PAFの機能を以下の項目に従い検討したので報告する。

項目:

 A.中枢神経系におけるPAFの産生細胞の同定

 1.ラット初代培養系を用いたPAFの定量と産生細胞の同定

 2.神経細胞におけるPAF産生の機構

 B.中枢神経系におけるPAFRの局在

 1.in situ hybridization法によるPAFRの局在

 2.Northern blotting,RT-PCRによるPAFRの局在

 3.ラット初代培養系を用いた機能的PAFRの存在(細胞内カルシウムイメージング)

 C.PAFR発現細胞(microglia)におけるPAFの機能

 1.MAPKの活性化

 2.PAFに対するchemotaxisとその機構

 3.cPLA2の存在とアラキドン酸産生

 4.グルタミン酸放出

A.中枢神経系におけるPAFの産生細胞とその産生機構方法:

 1.ラット及びマウス神経系細胞初代培養

 神経細胞は、ラット及びマウス妊娠17日目の胎児海馬を切り出し、トリプシン処理により細胞を分離し、無血清培地での培養後、1週間ないし10日目に実験に用いた。

 アストログリアは、大脳皮質の混合培養系から、培養2週間目に継代培養を行い、単一細胞培養系を確立した後に用いた。ミクログリアも大脳皮質混合培養系から、培養2週間目に単離した後に用いた。

 2.PAFの定量法

 種々の刺激を加えた初代培養細胞を用い、培養上清及び細胞からBligh&Dyer法により脂質を抽出した後、ケイ酸カラムによりPAFを分画、粗精製した。定量は、PAFR高発現CHO細胞膜を用いたRadioreceptor assay法を用いた。

結果:

 1.ラット初代培養系を用いたPAFの定量と産生細胞の同定

 PAFは、主に神経細胞によりglutamic acid刺激で産生放出されることがわかった。特にNMDA刺激では、刺激後1分で最大となり、その後徐々に分解され、また用量依存的に産生された。アストログリア、ミクログリアからはほとんど産生されなかった。

 2.神経細胞におけるPAF産生の機構

 グルタミン酸受容体のうち、主にNMDA受容体を介して産生が誘導された。また、この反応はカルシウム依存的であった。

考察:

 神経系では、PAFは主要な神経伝達物質であるグルタミン酸により神経細胞で産生、放出され、直ちに分解されることがわかった。しかも、強い脱分極により機能するNMDA受容体を介していることは、脳内での、痙攣、虚血などの病因の際に、PAFが産生されることを支持する。PAFは、病変部において多量に産生され、炎症、神経細胞死を誘導する因子である可能性が高い。また、LTPの際にシナプスでPAFが産生され、逆行性伝達物質として働いている可能性も示唆する。既に、我々は、脳内にPAFRが存在することを報告しているが、さらに細胞レベルでの検討を要すると考えられた。

B.中枢神経系におけるPAFRの局在方法:

 1.PAFRの遺伝子レベルでの解析

 Wistar ratの全脳を切り出し、凍結切片を作成し、in situ hybridization及び免疫組織化学法を用いて、PAFRの局在とその細胞同定を行った。さらに初代培養系により、神経、アストログリア、ミクログリア細胞を培養後、mRNA抽出し、PAFR probeを用いてNothern blotting,RT-PCRを行った。

 2.PAFRの機能的受容体発現

 神経系細胞の混合培養系に対し、PAF刺激による細胞内カルシウム濃度の上昇をFura2-AMによる蛍光標識を用いて画像解析し、機能的受容体を発現している細胞を同定した。装置はArgus 50(HAMAMATSU photonics)を用いた。さらにカルシウムイメージングと免疫組織染色により、細胞の種類を同定した。細胞特異抗体は、神経細胞に対しては、neurofilament-200、アストログリア、ミクログリアはそれぞれ、GFAP,OX42またはisolectin B4を用いた。

結果:

 1.in situ hybridization法によるPAFRの局在

 脳内では主に、海馬錐体細胞層、及び白質層に均一に分布する強いシグナルを得た。免疫組織染色により、これらは海馬錐体細胞とミクログリアであった。また胎児から成体まで、発現量に変化は見られなかった。

 2 Northern blotting,RT-PCRによるPAFRの局在

 優位にミクログリアに発現していることが判明した。

 3 ラット初代培養系を用いた機能的PAFRの存在(細胞内カルシウムイメージング)

 免疫染色との併用により、PAFに反応したミクログリアで細胞内カルシウム濃度の上昇が見られた。さらにPAFR knock out mouseから培養したミクログリアでは、PAFに対する細胞内カルシウム上昇は見られなかった。

 以上から、脳内ではPAFRは優位にミクログリアに発現していることが判明した。

考察:

 中枢神経系ではPAFRは、主にミクログリアに存在することが判明した。海馬錐体細胞にも、遺伝子レベルでの存在は見られたが、細胞内カルシウム上昇は見られず、受容体の膜への発現があるいは細胞内伝達系が異なる可能性がある。一方、PAFを介した神経ミクログリア相互作用が、脳内で存在することが示唆される結果となり、ミクログリアにおけるPAFの機能を検討した。

C.PAFR発現細胞(microglia)におけるPAFの機能方法:

 1.細胞

 単離したミクログリアを、無血清培地で一晩培養した後にPAF刺激を行った。

 2.MAPキナーゼ(MAPK)の活性化

 PAFの細胞内シグナルを検討するため、MAPKの活性化をリン酸化によるgel shift assay及び32P-ATPの基質への取り込みにより検討した。さらに、MAPK familyのErk1&2の特異的キナーゼであるMEK1の阻害剤を用いて、chemotaxisシグナルへの影響を検討した。

 3.chemotaxis

 Boyden chamberおよびfibronectinコートしたフィルターを用いて、PAFおよび種々の薬剤の化学走化性に対する効果を検討した。

 4.cPLA2の局在

 MAPKにより活性化されるcPLA2の局在をNorthern blotting及びWestern blottingにより検討した。

 5.アラキドン酸及びグルタミン酸産生測定

 cPLA2により産生されるアラキドン酸(AA)放出を、3HラベルしたAAを取り込ませたミクログリアをPAF刺激した後に放出された量を定量しることにより検討した。グルタミン酸は、PAF刺激後の細胞上清を回収し、酵素法及びHPLCによるアミノ酸分析器を用いて測定した。

結果:

 1 MAPKの活性化

 ミクログリアにおいて、MAPK(Erk1/2)はPAFにより、2〜3分後に最大となる活性化を受けた。その活性化は、PAFR antagonist、百日咳毒素,MEK1阻害剤により抑制された。PAFRは、Gi型のG蛋白質を介し、MEK1,Erk1/2を活性化するシグナルを持つことが判明した。

 2PAFに対するchemotaxisとその機構

 ミクログリアはPAFに対してchemotaxisを示した。PAFR antagonist、PTX,MEK1阻害剤により、chemotaxisは阻害された。従ってミクログリアにおけるchemotaxisにはMAPK familyであるErk1/2の活性化が必要と考えられた。

 3.cPLA2とアラキドン酸産生

 MAPK(Erk 1/2)の基質の一つであるcPLA2は、mRNAおよび蛋白レベルでミクログリアに存在した。さらにcPLA2によって膜リン脂質から産生されるアラキドン酸はPAF用量依存的に、放出された。またこの産生はカルシウム依存的であった。

 4.グルタミン酸産生・放出

 ミクログリアからPAF刺激により、6時間で約2倍のグルタミン酸の放出が見られた。以上より、ミクログリアはPAFに対し活性化され、chemotaxisを起こすことが判明した。さらにグルタミン酸、アラキドン酸放出という新知見を得た。

考察:

 中枢神経系におけるPAFおよびPAFRの存在とその意義を検討した。PAFは主に神経細胞によりグルタミン酸刺激で産生され、さらにその主要な反応細胞はミクログリアであった。ミクログリアのchemotaxisにより、神経とミクログリア間の相互作用が考えられ、そこにはアラキドン酸産生など本来の機能の炎症細胞として働くことはもちろん、グルタミン酸を介した神経毒性が関係している可能性があり、非常に興味深い。

結語:

 中枢神経系においてその合成や受容体の存在が示唆されているPAFについて研究し、(1)産生細胞は主としてニューロンであること、(2)標的細胞は主としてミクログリアであり、化学走化性を示す、などの新しい知見を得た。

審査要旨

 本研究は、中枢神経系において様々な生理活性を持つ血小板活性化因子(PAF)の細胞レベルでの産生および産生機序、さらにその受容体であるPAFRの細胞レベルでの発現、そして、主な受容体発現細胞であるミクログリアにおける作用機序を明らかにするために行われた。ラット及びマウスの神経系細胞の初代培養系及びスライス標本を用いた方法での解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

A.中枢神経系におけるPAFの産生細胞の同定

 1.ラット初代培養系を用いて、PAF radioreceptor binding assayにより定量した結果、PAFは、主に神経細胞によりglutamic acid刺激で産生放出されることが示された。特にNMDA刺激では、刺激後1分で最大となり、その後徐々に分解され、また用量依存的に産生された。アストログリア、ミクログリアからはほとんど産生されなかった。

 2.神経細胞におけるPAF産生の機構を、種々のグルタミン酸受容体subtypeに対する特異的なagonist,antagonistを用いて解析した結果、主にNMDA受容体を介して産生が誘導された。また、この反応はカルシウム依存的であることも示された。

B.中枢神経系におけるPAFRの局在

 1.ラット脳において、in situ hybridization法によりPAFRの局在を解析した結果、脳内では主に、海馬錐体細胞層、及び白質層に均一に分布する強いシグナルを得、免疫組織染色により、これらは海馬錐体細胞とミクログリアであることが示された。また胎児から成体まで、発現量に変化は見られなかった。

 2Northern blotting,RT-PCRによりPAFRの局在を解析した結果、PAFR mRNAは優位にミクログリアに発現していることが示された。

 3ラット初代培養系を用いた機能的PAFRの存在を、細胞内カルシウムイメージングと免疫染色との併用により解析した結果、PAFに反応したミクログリアで細胞内カルシウム濃度の上昇が見られた。さらにPAFR knock out mouseから培養したミクログリアでは、PAFに対する細胞内カルシウム上昇は見られなかった。

 以上から、脳内ではPAFRは優位にミクログリアに発現していることが示された。

C.PAFR発現細胞(microglia)におけるPAFの機能

 1ミクログリアにおいて、PAF刺激によるMAPKの活性化をgel mobility shift assayにて解析した結果、MAPK(Erk1/2)はPAFにより、2〜3分後に最大となる活性化を受けた。その活性化は、PAFR antagonist、百日咳毒素,MEK1阻害剤により抑制された。PAFRは、Gi型のG蛋白質を介し、MEK1,Erk1/2を活性化するシグナルを持つことが示された。

 2ミクログリアはPAFに対してchemotaxisを示した。PAFR antagonist、PTX,MEK1阻害剤により、chemotaxisは阻害された。従ってミクログリアにおけるchemotaxisにはMAPK familyであるErk1/2の活性化が必要であることが示された。

 3.MAPK(Erk 1/2)の基質の一つであるcPLA2は、mRNAおよび蛋白レベルでミクログリアに存在した。さらにcPLA2によって膜リン脂質から産生されるアラキドン酸はPAF用量依存的に放出され、この産生はカルシウム依存的であることが示された。

 4.ミクログリアからPAF刺激により、6時間で約2倍のグルタミン酸の放出が見られることが示された。

 以上より、本論文はラット中枢神経系細胞を用いて、神経細胞からグルタミン酸刺激によりPAFが産生放出され、それはPAFRを高発現しているミクログリアを活性化しchemotaxisを起こすことを示した。さらにPAF刺激したミクログリアからのグルタミン酸、アラキドン酸放出という新知見を得ている。本研究は中枢神経系において、内因性生理活性脂質であるPAFを介した、神経-ミクログリア細胞間相互作用を詳細に検討したもので、神経系における虚血、炎症、可塑性、発生に関与するPAFの作用の解明に重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54654