学位論文要旨



No 113682
著者(漢字) 林,直子
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,ナオコ
標題(和) がん患者の疼痛管理(Pain Management)に必要な看護知識の獲得を目的としたコンピュータによる学習教材(Computer Assisted Instruction)の開発と評価
標題(洋)
報告番号 113682
報告番号 甲13682
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1343号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,通代
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 助教授 青木,幸昌
 東京大学 講師 河,正子
内容要旨 I緒言

 癌の罹患率は年々増加の一途を辿り、今や4人に1人が癌で死亡している。一般に進行がん患者の約70%に中程度から強度の痛みが生じるといわれており、Pain Managementは症状コントロールの中でも重要な位置を占めている。’86年にWHOから「Cancer Pain Relief:がんの痛みからの解放-WHO方式癌疼痛治療法-」が出版され、そこに示された治療法は世界各国で用いられるようになった。この治療法はがん患者の疼痛緩和において非常に有効であることが示されている一方で、痛みに苦しむ患者の数は依然として多い。その一因に、治療法に関する医療者の知識不足があると指摘されている。

 看護職は患者に対するケア提供者として最も身近な存在であり、またPain Managementにおいては、それを実行し調整する責任と義務がある。従って看護職はがん患者のPain Managementに必要な知識を有していることが求められるが、様々な先行研究が示すように十分とはいえないのが現状である。このような専門的知識は現在、看護基礎教育課程で系統的に学ぶことはなく、卒後の自己研鑽に負うところが大きい。そこで看護職ががん患者のPain Managementに必要な知識を獲得することができるような学習教材を開発することが必要だと考えられる。

 ある一定の知識を学習者の理解度やペースに合わせて学ぶことができる学習手段の一つに、コンピュータによる個別学習(Computer Assisted Instruction:CAI)がある。CAIは、これまで様々な分野でその教育効果が示されてきた。看護学の分野でも’70年代以降研究開発が進められ、現在では国内外で数多くのCAIコースウェアが報告されている。しかしがん看護に関するCAIコースウェアは本邦はおろか海外でも僅かであり、特にがん患者の痛みに関するものは皆無である。

 そこで本研究では、わが国のがんの臨床に携わる看護職がPain Managementに必要な知識を獲得するための学習教材をCAIコースウェアにて開発し、その効果を検証することを目的として調査研究を行った。コースウェアを作成するにあたり、Pain Managementに必要な知識を明確にする必要がある。そのため本研究は「Pain Managementに必要な知識を明確にし、CAIコースウェアを作成する」までの過程と、「CAIコースウェアの教育効果の検討」の2部構成で行った。

IICAIコースウェアの開発

 がん専門病院の1病棟に勤務する看護職27人を対象に、半構造的質問紙を用いて、対象ががん患者のPain Managementに必要だと認識する知識を問う調査を行った。その結果、Pain Managementに必要な知識は「疾患に関する知識」「痛みに関する知識」「がん患者の痛みに関する理論・概念の知識」「情報収集の実施に関連した知識」の4つの大項目に大別された。各大項目はいくつかの中・小項目から構成されていたが、「痛みに関する知識」を構成する中項目「疼痛緩和ケア」の小項目「薬物治療」は全記述の半数近くを占めていた。

 この結果をもとに、さらに内容妥当性を確保する目的で文献を参照し「薬物治療」と「痛みの原因」に関する「知識項目リスト」(全19項目)を作成した。

 このリストを用いてがん専門病院2施設に勤める看護職316人を対象に、各項目の重要度、精通度を問う調査を行った。また各項目の知識レベルを測るため、19問から成る質問紙も併せて施行した。

 その結果「強オピオイド鎮痛薬(モルヒネ)の副作用及びその対応」「癌患者が持つ痛みの原因」「痛みの閾値に影響を及ぼす因子」の3項目は、重要度、精通度共にスコアが高かった。また精通度については、がん専門病院における臨床経験満5年以上が5年未満より全項目でスコアが高かった。知識テストの平均は10.4点(19点満点)であり、満5年以上と5年未満との間で得点に有意差が認められ、対象全体の正答率が40%を切る設問は「痛みの発生機序」に関する設問(正答率17%)、「異なる鎮痛薬に変更する際の換算方法」に関する設問(正答率26.9%)等であった。

 このように臨床経験満5年未満と満5年以上との間で知識に差があることが明らかになったことから、がん患者のPain Management初心者を使用対象に想定したCAIコースウェアを開発することとした。CAIコースウェアの設問項目・解説内容の決定に際しては、臨床経験満5年以上の看護職が重要度・精通度が高いとした項目、知識テストで正答率が低かった項目を選択基準とした。作成したCAIコースウェア「がん患者の痛みを緩和するために知っておきたい薬物治療のポイント」は全80フレーム、15設問を含み、プレテストの結果から所要時間はおよそ20分であった。

IIICAIコースウェアの評価

 対象はがん専門2施設に勤務する看護職80人で、所属部署を層とする層化無作為抽出により、まずCAIコースウェアで学習した後にパンフレットを渡す群(CAI群)を抽出し、残りをパンフレットのみを渡す群(対照群)とした。対象の知識レベルを測るため、各々介入の前後(CAI群はCAIコースウェア実施の直前、直後、及び2週間後、対照群はパンフレットを渡す直前とその2週間後)に知識テスト(33点満点)を行った。

 その結果、介入前に行った知識テストの得点は、二群間で有意差がみられなかった。所属部署要因は得点に対して有意であり、外科系病棟は内科系病棟、混合病棟に比べ有意に得点が低かった(F(3,76)=4.074,p<.01;多重比較LSD法MSe=16.421,5%水準)。

 介入の2週間後に行った知識テスト3ではCAI群、対照群ともに介入前の得点より有意に上昇し(CAI群:19.4±3.85点から27.45±2.97点へ、対照群:18.72±4.7点から24.76±5.44点へ、ともにp<.001)、パンフレット、CAIコースウェア双方に学習効果が認められた。しかし、両群の知識テスト3の得点を比較したところ、CAI群の得点が有意に高くなっていた(p<.01)。知識テスト3の得点について、介入前に行った知識テスト1の得点を共変量とし群要因、施設要因を主効果とする共分散分析を行ったところ、群要因は有意であったが(p<.01)、施設要因及び交互作用は有意ではなかった。また各対象ごとに得点変化を検討すると、CAI群の知識テスト3の得点は、知識テスト1の得点に関わりなく全体的にある一定レベル(27点付近)まで上昇しているのに対し、対照群の知識テスト3の得点にはバラツキが大きかった。これはCAIコースウェアが、ある一定のレベルまで全体の知識レベルを引き上げることが可能であることを示すものだと考えられる。

 CAIの所要時間は平均約22分であったが、介入直後に行った知識テストを比較すると所要時間が18分以下であった対象の得点は19分以上25分以下と比較して有意に低い傾向がみとめられた(Tukey法,.05<P<.1)。

 両群におけるパンフレットの使用状況を検討したところ、使用頻度には相違は見られなかったがCAI群は「知識の確認」等の目的意識をもってパンフレットを使用する傾向が見られた。また、CAI群はコースウェアを体験したことで「新たな知識を得た」「知識の確認になった」と感じ、院内研修などの場、あるいは自己学習教材として使用したいという希望を持っており、この様な学習形態が臨床の看護職にも受け入れられることが示された。

IV結論

 がん専門病院で臨床に携わる看護職がPain Managementに必要だと認識する知識は、患者の疾患に関する知識から痛みに関する知識、がん患者の痛みに関する理論・概念の知識、情報収集に関連した知識まで幅広いことが明らかになった。その中で特に重要だと認識されているものは「痛みの原因」と「疼痛緩和ケア」の一方法である「薬物治療」に関する知識であった。がん専門病院における臨床経験年数によって疼痛緩和ケアに関する知識に相違が認められたことから、がん患者のPain Management初心者(ここでは臨床経験5年目以下とした)を使用対象に想定した学習教材(CAIコースウェア)を開発した。このCAIコースウェアを用いて有効性を検討したところ、明らかな教育効果が認められた。また学習教材としてパンフレットのみを与えられた場合と比較すると、CAIコースウェアを行った上でパンフレットを使用した群の方が2週間後の知識レベルが有意に高かった。

 本研究で開発したCAIコースウェアは教育教材として有効であり、また臨床の看護職にも受け入れられるものであることが明らかとなった。

審査要旨

 本研究は、わが国でがんの臨床に携わる看護職がPain Managementに必要な知識を獲得するための学習教材をCAI(Computer Assisted Instruction:CAI)コースウェアにて開発し、その効果を検証することを目的として調査および研究を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.がん専門病院の1病棟に勤務する看護職27人を対象に、半構造的質問紙を用いて、対象ががん患者のPain Managementに必要だと認識する知識を問う調査を行った。その結果、Pain Managementに必要な知識は「疾患に関する知識」「痛みに関する知識」「がん患者の痛みに関する理論・概念の知識」「情報収集の実施に関連した知識」の4つの大項目に大別された。各大項目はいくつかの中・小項目から構成されていたが、「痛みに関する知識」を構成する中項目「疼痛緩和ケア」の小項目「薬物治療」は全記述の半数近くを占めていた。

 2.この結果をもとに、さらに内容妥当性を確保する目的で文献を参照し「薬物治療」と「痛みの原因」に関する「知識項目リスト」(全19項目)を作成した。

 3.作成したリストを用いてがん専門病院2施設に勤める看護職316人を対象に、各項目の重要度、精通度を問う調査を行った。また各項目の知識レベルを測るため、19問から成る質問紙も併せて施行した。その結果「強オピオイド鎮痛薬(モルヒネ)の副作用及びその対応」「癌患者が持つ痛みの原因」「痛みの閾値に影響を及ぼす因子」の3項目は、重要度、精通度共にスコアが高かった。また精通度については、がん専門病院における臨床経験満5年以上が5年未満より全項目でスコアが高かった。知識テストの平均は10.4点(19点満点)であり、満5年以上と満5年未満との間で得点に有意差が認められた。

 4.調査結果から臨床経験満5年未満と満5年以上との間で知識に差があることが明らかになったため、がん患者のPain Management初心者を使用対象に想定したCAIコースウェアを開発した。CAIコースウェアの設問項目・解説内容の決定に際しては、臨床経験満5年以上の看護職が重要度・精通度を高く示した項目、知識テストで正答率が低かった項目を選択した。作成したCAIコースウェア「がん患者の痛みを緩和するために知っておきたい薬物治療のポイント」は全80フレーム、15設問を含むものであった。

 5.作成したCAIコースウェアを用いて、教育効果を検討した。対象はがん専門2施設に勤務する看護職80人で、所属部署を層とする層化無作為抽出により、CAIコースウェアで学習した後にパンフレットを渡す群(CAI群)を抽出し、残りをパンフレットのみを渡す群(対照群)とした。

 6.その結果、介入前に行った知識テスト1の得点は、二群間で有意差がみられなかったが、介入の2週間後に行った知識テスト3ではCAI群、対照群ともに介入前の得点より有意に上昇し(CAI群:19.4±3.85点から27.5±2.97点へ、対照群:18.7±4.7点から24.8±5.44点へ、ともにp<.001)、パンフレット、CAIコースウェア双方に学習効果が認められた。

 7.しかし、両群の知識テスト3の得点を比較したところ、CAI群の得点が有意に高かった(p<.01)。介入前に行った知識テスト1の得点を共変量とし群要因、施設要因を主効果とする共分散分析を行ったところ、群要因は有意であったが(p<.01)、施設要因及び交互作用は有意ではなかった。さらに各対象ごとに得点変化を検討すると、CAI群の知識テスト3の得点は、知識テスト1の得点に関わりなく全体的にある一定レベル(27点付近)まで上昇しているのに対し、対照群の知識テスト3の得点にはバラツキが大きかった。

 8.CAI群はコースウェアを体験したことで「新たな知識を得た」「知識の確認になった」と感じ、院内研修などの場、あるいは自己学習教材として使用したいという希望を持っており、この様な学習形態が臨床の看護職にも受け入れられることが示された。

 以上、本論文はがん患者のPain Managementに必要な看護知識を獲得するための学習教材(CAIコースウェア)を開発し、教育教材として有効であることを明らかにした。本研究は、これまで各看護職が手探りで自己研鑽に努めていたPain Managementの知識獲得に有効な教育手段を開発した点で、がん看護の教育的発展および痛みをもつがん患者のPain Managementに対する重要な貢献をなすと考えられることから、学位の授与に値するものと考えられる。

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