学位論文要旨



No 113687
著者(漢字) 村上,義孝
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,ヨシタカ
標題(和) 不確定性を考慮したシステムモデルによる疾患患者数予測と治療法の評価 : インスリン依存性糖尿病から腎症、透析への経過を適用例として
標題(洋)
報告番号 113687
報告番号 甲13687
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1348号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 郡司,篤晃
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 助教授 木内,貴弘
 東京大学 助教授 菅田,勝也
 東京大学 講師 門脇,孝
内容要旨 I.はじめに

 保健医療に携わる行政が将来的な健康問題を回避すべく、政策立案をすることは責務であり、将来的な傷病量に関する基礎資料の作成は必要不可欠となる。傷病量の将来予測を目的とした研究は数多く実施されており、既にいくつかの将来予測法が存在する。その中で疾病の臨床経過をいくつかの状態に分け、状態間の移行の流れを記述したシステムモデルにより、将来予測を行う方法がある。

 システムモデルによる将来予測は、疾病の臨床経過を反映させたモデルを使用している点で他の方法より現実的であり、疾病に対する対策効果の検討など様々なシナリオに柔軟に対応できるという長所をもつ。一方、疾病の臨床経過をモデル化するためモデルの妥当性、特に状態間の移行率の不確定性について問題が存在する。移行率の不確定性を考慮する方法として感度分析が存在するが、複数の移行率が不確定である場合、通常実施されている感度分析の結果は煩雑なものになる。医学判断学の分野では、この煩雑さを回避するため、移行率に確率分布を仮定した感度分析が提案されている。この方法を疾病の将来予測に応用し、移行率の不確定性を考慮したシステムモデルによる将来予測を行うことが考えられる。

 本論文の目的は次の2つである。

 (1)システムモデルによる患者数予測を定式化し、移行率に確率分布を仮定することで不確定性を考慮したシステムモデルによる患者数の将来予測を提案する。

 (2)上記のシステムモデルをインスリン依存性糖尿病(以下IDDM)患者の合併症である糖尿病性腎症の臨床経過に適用し、糖尿病性腎症、透析患者数の年次推移を推定する。

II.システムモデルの定式化と移行率の不確定性に対するモデル化

 疾病に罹病していない状態から疾病に罹病し、いくつかの状態を経て、死亡に至る臨床経過を概念化した図を図1に示す。図1で四角部分は疾病の各状態を、矢印は各状態の移行を示している。またA1,A2,…Akはある時点の各状態の対象者数、Dは死亡者数、r1,r2,…rkは状態間の移行率、m1,m2,…mkは各状態における死亡率を表している。

図1 疾病の臨床経過の概念図

 年次、年齢、疾病の罹病年数を考慮し、状態S、年次x、年齢i、状態Sの罹病年数dの対象者数、状態S+1への移行率、死亡率を各々,,とし、状態間の移行にマルコフ性を仮定すると、1年後の状態S+1,状態Sの対象者数は以下の式で計算される。

 ,

 c年次に出生した対象者のx年次での臨床経過を考える。状態kでの罹病年数をdk、各状態における罹病年数が(d1,d2,…ds)である年次x,年齢i,状態Sの対象者数をとすると、c年次出生者における年次xに状態Sである対象者数、年次xに状態Sである1歳以上c歳以下の対象者数は次式により求まる。

 

 移行率の不確定性は、以下の式で算出された平均、標準偏差の正規分布を逆ロジット変換したlogistic-normal分布を仮定することより検討可能となる。

 

III.IDDM患者の腎症、透析への経過に対する将来予測

 IIのモデルをIDDMに適用するためA1をIDDMでない対象者、A2をIDDM患者、A3を糖尿病性腎症患者、A4を透析患者としたk=4のシステムモデルを考える。将来予測として、1995年次に1歳以上18歳以下のIDDM患者数を対象とし、2015年までの糖尿病性腎症、および透析患者数を推定した。また1995年の推計結果と既存の資料との比較もあわせて実施した。データ選択基準として日本で代表性の高いと思われ、年齢階級、罹病年数別の移行率が記載された研究を中心に収集した。透析への移行率を除いた全ての移行率は日本国内の研究の論文、報告書に記載されたものである。論文記載のない透析患者の死亡率は研究者に直接問い合わせ、収集した。表1に各状態におけるデータの出典を示す。

表1 データの出典将来予測に使用する出生者数は人口動態統計を使用

 糖尿病性腎症移行率については、シナリオ1:移行率が1995年次のまま一定、シナリオ2:1995年から2015年まで腎症移行率が介入効果により単調に減少、シナリオ3:1995年に移行率が介入効果により半減、の3つのシナリオをおき、将来予測を実施した。

 移行率に関しては不確定性を考慮するため、各々の移行率に確率分布を仮定し、移行率のとりうる下限は移行率の値の10%と設定した。1000回のシミュレーションを実施、各年次の分布を推定し、分布の平均、5%点、95%点を求めた。

IV結果と考察

 システムモデルによる1995年推計結果と既存資料との比較結果を示す。システムモデルによる1995年次の推計IDDM患者数は平均3819.5人(5%点3214.9人、95%点:4551.7人)であった。これは小児慢性特定疾患治療研究事業1995年給付報告より推計した5161.6人、1992年日本糖尿病学会疫学データ委員会報告記載の有病率より算出した2621.7人の中間に位置する。小児インスリン非依存性糖尿病患者が近年増加しており、給付報告の推計患者に過分に含まれているおそれがある。またIDDM有病率は近年増加している可能性があり、委員会報告から算出した数は過小評価であるとも考えられる。以上より推計結果が中間に位置することは大きな問題でないと思われる。また大阪IDDM registryの1995年次IDDM患者における腎症合併症割合は2.15%であるのに対し、システムモデルによる予測結果は平均0.9%(5%点:0.65%、95%点:1.2%)であり過小評価である。しかしながら大阪IDDM registry調査の回収割合は54%であること、未回収者の腎症合併症割合に対する影響は検討できないことを考慮すると、過小評価であると断言することはできない。以上より既存統計とモデルによる推計結果の不整合は、1995年次移行の将来予測に対する妥当性に大きな影響を及ぼすものではないと考えられ、2015年までの予測を実施した。

 次に、1995年次1歳以上18歳以下のIDDM患者を2015年までの糖尿病性腎症、透析患者数の年次推移をシナリオ1とシナリオ3について、図2に示す。シナリオ1では、2015年の糖尿病性腎症患者数の平均は790.5人(5%点:652.6人、95%点:955.1人)、透析患者数の平均は253.0人(5%点:207.3人、95%点:310.0人)となる。シナリオ3では、2015年の糖尿病性腎症患者数の平均は418.9人(5%点:345.4人、95%点:506.1人)、透析患者数の平均は133.4人(5%点:109.0人、95%点:163.8人)となった。糖尿病性腎症発症率の減少により、2015年次には糖尿病性腎症患者数が約370人、透析患者数が約120人減少することが示された。

図2 1995年次に1歳以上18歳以下であるIDDM患者の2015年までの臨床経過

 また年次推移より、両シナリオとも糖尿病性腎症患者数は2000年から増加し始め2015年に横ばいになること、透析患者数は2005年から増加、2015年においても増加傾向にあることが示された。現在、システムモデルによる糖尿病の合併症の検討がされつつあるが、移行率のデータの不足から様々な仮定をおき、実施しているのが現状である。本論文で提案した方法の適用が望まれる。

V.結論

 (1)システムモデルによる患者数予測法を定式化し、移行率に確率分布を仮定することで不確定性を考慮したシステムモデルによる患者数予測を提案した。

 (2)(1)で提案したモデルを1995年次、1歳以上18歳以下IDDM患者の2015年までの臨床経過に適用した。糖尿病性腎症患者数、透析患者数の年次推移を推定し、各年次の患者数の平均、5%点、95%点を示した。

審査要旨

 本研究は、システムモデルによる疾患患者数予測において、移行率のパラメータの不確定性を考慮するための方法論を提案するものである。従来のパラメータを点推定値として扱う方法を拡張し、パラメータをlogistic-normal分布に従う確率変数としシステムモデルにより、疾患患者数の将来予測、および治療法の評価を行う方法論を提案した。また提案した方法論の適用例として、インスリン依存性糖尿病(IDDM)患者における合併症である糖尿病性腎症発症に関する将来疾患患者数予測、および将来的な患者数の減少を指標とした治療法の評価を実施した。

 主要な結果は下記の通りである。

 1.疾患患者数予測、および治療法の評価に用いられるシステムモデルにおいて、複数のパラメータが存在する場合の疾患患者数予測の方法論が定式化された。

 2.上記1.で定式化されたシステムモデルによる将来予測の方法論に対し、パラメータがlogistic-normal分布に従う確率変数とし、パラメータの不確定性を考慮するシステムモデルの方法論を定式化された。また前述した方法論実行のためのコンピュータプログラムが作成された。

 3.提案された方法論の適用例として、インスリン依存性糖尿病(以下IDDM)患者を対象とし、患者集団が糖尿病性腎症、透析に移行する一連の臨床経過に対するシステムモデルが作成された。また作成されたシステムモデルの妥当性を過去の資料により検討、その妥当性が確認された。

 4.1995年次、1歳以上18歳以下のIDDM患者の糖尿病性腎症の臨床経過に関し、2015年までの糖尿病性腎症、透析の予測患者数の平均と5%点、95%点が各々算出された。

 5.将来的なインスリン強化療法の普及を考慮し、インスリン療法の中でのインスリン強化療法の割合が(1)直線的に増加し、2015年に100%となる、(2)1995年に100%になる、の2つのシナリオについて疾患患者数を予測した。その結果、将来的にインスリン強化療法が普及しない場合に比し、(1)については若干の患者数の減少、(2)については患者数が約半分に減少することが示された。

 以上、本論文は疾患患者数の将来予測で問題となる、移行率の不確定性を考慮するための方法論としては初めての研究であり、これからの公衆衛生学分野に必須となる政策決定の科学的方法論として有用と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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