学位論文要旨



No 113689
著者(漢字) 春名,めぐみ
著者(英字)
著者(カナ) ハルナ,メグミ
標題(和) 妊娠・産褥における特異な骨代謝回転の解析
標題(洋)
報告番号 113689
報告番号 甲13689
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1350号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 土屋,尚之
 東京大学 講師 奥,恒行
内容要旨 【緒言】

 エストロゲンは骨代謝を制御する中心物質で、骨量を増加させ骨を保護する。妊娠中は高エストロゲン血症、産褥早期は低エストロゲン血症にあるので、それぞれ骨は保護されている状態から、骨量減少へ変化していくと考えられていた。ところが、妊娠中に骨量が減少するという報告があり、腰椎骨密度で平均3.5%にも達する減少も報告されている。産褥では非授乳群および6カ月未満の短期授乳群では共に減少が少ないか、しないのに対し、6カ月以上の授乳をした場合、骨量が減少することが報告されている。これらの報告は高エストロゲン状態の妊娠中に骨量が減少する可能性を示唆するものであり、低エストロゲン状態の産褥早期に骨量の減少はむしろ少ないことを示唆する事象と言える。即ち妊娠、産褥では、非妊時にみるエストロゲンの骨代謝制御機構では理解し難い特殊な骨代謝動態にあることが想定される。そこで骨代謝マーカーの経時的な変化を追うことにより妊娠中及び産褥の骨代謝回転を分析した。

 低エストロゲン状態では、末梢血単球、骨髄間質細胞や骨芽細胞からIL-1、TNF,IL-6等の骨吸収活性の高いサイトカインの産生が亢進し、骨吸収優位の高代謝回転となる。即ちサイトカインがエストロゲンのメディエーターとして作用しており、その動態は骨代謝をみる上で重要な因子となる。そこで妊娠中にこれらの骨吸収活性の高いサイトカインが過量分泌されているか否かにつき、末梢血単球でのサイトカイン産生及び遺伝子発現について検討した。

 閉経期及び卵巣摘出後では血中のサイトカイン濃度の上昇はみられないが、時に上昇するとの報告もあるので念のため血中のサイトカインレベルの検討も加えた。一方、閉経期骨粗鬆症では、骨吸収性サイトカイン特にIL-6は過量分泌されておらず、血中のsoluble IL-6 receptor(sIL-6R)が増加し、更にシグナル伝達タンパクであるgp130が増加することにより、破骨細胞機能が亢進して高代謝型骨回転が生じるという新しい考え方がある。即ち低エストロゲン状態での骨吸収亢進には、レセプター側のサイトカインに対する反応性の上昇が関与している可能性がある。そこで血中のsoluble IL-6 receptor(sIL-6R)の分析も行った。

【対象及び方法】

 対象は正常な妊娠経過にある妊婦および褥婦を対象とした。同年代の健常な女性をコントロール群とした。またこれら対象者よりインフオームドコンセントを得た。

 骨吸収マーカーとして、尿中総pyridinoline(Pyr)、総deoxypyridinoline(D-Pyr)を蛍光検出高速液体クロマトグラフィー(HPLC)法で、尿中遊離型D-Pyrをenzymeimmunoassay(EIA)法、血清tartarate-resistant acid phosphatase(TrACP)をBessey Lowry法(大西1990)で測定した。形成マーカーとして血漿intact osteocalccin(I-OC)をtwo-site immunoradiometric assay(IRMA)法、血漿procollagen type 1 C-peptide(PICP)をenzyme linked immuno sorbent assay(ELISA)法、血漿alkaline phospahtase type III(Al-P III)をELISA法で測定した。

 末梢血単球はヘパリン採血して得た血液をFicoll/Hypaque法にて遠心分離後、マクロフアージ分離プレートへ付着させて、48時間培養した。この培養上清中へのサイトカイン(TNF、IL-6)産生をELISA法にて定量した。また血漿中のsIL-6Rおよびサイトカイン(TNF、IL-6)濃度を測定した。

【結果及び考察】

 妊娠中と産褥の骨代謝回転について骨吸収マーカーを用いて検討したところ、妊娠中は骨吸収が亢進し、骨形成は抑制された負のアンカップリング状態(metabolic uncoupling with high bone resorption and low bone formation)にあり、産褥では逆に骨吸収は抑制され、骨形成優位の正のアンカップリング状態にあることが示唆された。(図1.2.)

図1.非妊時、妊娠中、産褥での尿中遊離型deoxypyridinoline(Free D-Pyr.)値A:非妊時、妊娠中、産褥3、6日及び1〜12カ月での推移、B:授乳群(▲)と非授乳群(■)の比較 Mean±S.E.,**:p<0.01,*:p<0.05 v.s.non-preg.,##:p<0.01,#:p<0.05 v.s.preg.38w.図2 妊娠、産褥での血清intact osteocalcin(I-OC)値A.非妊時、妊娠中、産褥3、6日及び1〜12カ月での推移、B.授乳群(▲)と非授乳群(■)の比較 Mean±S.E.,**:p<0.01,*:p<0.05 v.s.non-preg.,##:p<0.01 v.s.preg.38w.

 妊娠中は高エストロゲン状態にありながら、なぜ骨吸収亢進状態が出現するのかを検討するため、エストロゲン作用のメディエーターであり、骨局所での代謝動態を反映する末梢血単球からのサイトカイン産生を分析した。その結果、IL-6、TNF-(図3.)はともに妊娠早期より産生が漸増しており、骨吸収マーカーの推移に一致した変化を示し、分娩後は減少した。また血中ではこれらのサイトカインの上昇はなかったが、sIL-6Rの濃度は、妊娠中はやや高値をとり、産褥6カ月までは妊娠中と同じレベルを持続し、その後は減少する傾向を認めた。(表1.)この結果より妊娠中は末梢血単球より骨吸収性サイトカインが過剰発現し、骨吸収の亢進状態がおこり、産褥ではその産生は減少するがsIL-6Rは産褥6カ月までは高値を持続しており、これがIL-6の活性を増強することにより骨吸収が持続する可能性が示唆された。

図3.妊娠、産褥3、6日及び1〜12カ月での末梢血単球からのTumor necrosis factor (TNFa)産生量Mean±S.E.,**:p<0.01*:p<0.05 v.s.non-preg., ##:p<0.01 #:p<0.05 v.s.preg.38w.表1.妊娠、産褥での血漿sIL-6R値

 妊娠中は高エストロゲン状態にありながら、骨吸収活性の高いサイトカインの産生が亢進し、破骨細胞機能および骨吸収が亢進した状態にあることが明らかとなった。この結果は妊娠中に生理的に骨量が減少することを示唆するものであり、妊娠中の骨量減少の報告を裏付けるものである。

 低エストロゲン状態となる産褥ではむしろ骨吸収活性の高いサイトカインの産生能はむしろ低下しているのにもかかわらず、産褥6カ月までは、骨吸収は亢進し、それ以降骨吸収は低下するという特異な骨代謝動態にあることが示唆された。

 授乳群の方が非授乳群に比べ、産褥6カ月以降、骨吸収および骨形成がともに亢進した高代謝回転型の骨代謝となる傾向が認められたが、両群間での有意な差は認められなかった。

審査要旨

 本研究は妊娠中および産褥での骨代謝回転を詳細に検討するため、血中および尿中骨代謝マーカーおよび末梢血単球での骨吸収性サイトカインの産生、血中soluble IL-6 receptor(sIL-6R)を分析し、検討を行ったcross sectional studyで、以下の結果を得ている。

 1.妊娠中は、骨吸収マーカーである尿中遊離型D-Pyr、尿中総Pyr、総D-Pyr、血清TrACPはともに妊娠初期から後期にかけて漸増し、妊娠後期では非妊時の約1.5〜2倍の有意な高値を示し、妊娠後期での骨吸収亢進が示唆された。

 2.妊娠中は骨形成マーカーである血漿I-OC、血漿PICP、血清Al-PIIIは妊娠初期では非妊時のレベルかむしろそれよりも低く、妊娠後期にかけて上昇しており、妊娠中は骨形成は抑制された状態にあり、妊娠後期にかけて上昇し、高代謝回転型の骨代謝となることが明らかとなった。

 3.産褥では、骨吸収マーカーである尿中遊離型D-Pyr、尿中総Pyr、総D-Pyrは産褥3〜6ヵ月ごろまで妊娠後期の高いレベルにあり、その後低下した。血清TrACPは産褥9カ月以降減少し、骨吸収は産褥6〜9カ月までは亢進し、それ以降低下することが示唆された。

 4.産褥では、骨形成マーカーである血漿I-OC、血清Al-PIIIは産褥6日もしくは産褥1カ月以降上昇し、産褥6カ月もしくは9カ月以降低下し、骨形成は産褥1カ月以降、産褥6カ月もしくは9カ月までは亢進し、それ以降低下していくことが示唆された。

 5.妊娠中は、末梢血単球からのTNF-、IL-6産生(ELISA)が上昇し、高エストロゲン状態でありながら、骨吸収活性の高いサイトカインの産生が亢進していることが明かとなった。

 6.産褥では、低エストロゲン状態にもかかわらず、末梢血単球からのTNF-、IL-6といったサイトカインの産生は抑制されることが明らかとなった。

 7.血漿中sIL-6R濃度は非妊時に比べ、妊娠中はやや高値を示し、産褥9カ月以降は低値を示し、産褥1カ月に比べて低い傾向(p=0.04)がみられた。今回はサンプル数が少なく統計的な有意差には至らなかったが、相応の危険率を考慮すれば、血漿中sIL-6Rの変化が産褥6カ月までの骨吸収亢進に関与している可能性が考えられた。即ち産褥6カ月までの骨吸収マーカーの高値はサイトカインによるものでなく、むしろレセプターの機能亢進により出現した可能性が示唆された。

 以上、本論文は妊娠中は高エストロゲン状態にもかかわらず、骨吸収活性の高いサイトカインの末梢血単球からの産生が増加し、骨吸収が亢進し、骨形成は抑制されており、反対に産褥ではエストロゲン低値となるが、骨吸収活性の高いサイトカインの産生はむしろ低下しているのにもかかわらず、産褥6カ月までは骨吸収は亢進し、それ以降骨吸収は低下するという特異な骨代謝動態にあることを見出した。本研究は妊娠、産褥のみならず、骨代謝そのものの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54655