学位論文要旨



No 113691
著者(漢字) 小林,千浩
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,カズヒロ
標題(和) 福山型先天性筋ジストロフィー(FCMD)遺伝子の同定
標題(洋) Identification of a gene for Fukuyama-type congenital muscular dystrophy(FCMD)
報告番号 113691
報告番号 甲13691
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1352号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 助教授 稲澤,譲治
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 助教授 北,潔
内容要旨 緒言

 福山型先天性筋ジストロフィー(Fukuyama-type Congenital Muscular Dystrophy:FCMD)は、先天性筋ジストロフィーに知能障害や痙攣発作などの中枢神経症状を伴う常染色体性劣性遺伝疾患である。本症は骨格筋の広範囲な筋ジストロフィー病変とともに、小多脳回を基本とする高度の脳奇形が必発である。日本人に多く、一般集団において約80人に1人が保因者であり、さらには日本で最も多い常染色体性劣性遺伝疾患の一つである。患児は生涯歩行不能であり、同時に高度の知能、言語発達遅延を伴い、全面的な介護を必要とする。決定的な治療法はなく、本症患者の運命は悲惨である。

 しかし本症は、デュシャンヌ型に比べ、本態がほとんどわかっておらず、治療へ向けて一日も早い病態の解明が望まれている。そのためには、原因遺伝子産物を同定することが非常に重要である。また、なぜ脳と筋肉が同時に障害されるのかも不明であるが、本症の脳病変は、発生過程での神経細胞遊走障害による脳奇形(小多脳回)であり、本症の原因遺伝子を同定することは、脳で発現する未知の機能分子の発見の可能性をも示唆している。

 本症の原因遺伝子を追求する第一歩として、近親婚を利用した解析法(ホモ接合性マッピング)を用いた連鎖解析により、FCMD遺伝子は第9番染色体長腕31-33領域に存在することが明らかにされた。その後、近親婚患者における同祖ホモ領域の同定や組み換えマッピングにより、FCMD遺伝子座はD9S127とCA246(D9S2111)の間の約5cMに絞り込まれるとともに、この領域内に存在する9q31のDNA多型マーカーD9S306との間に創始者効果を示す連鎖不平衡が見出され、FCMD遺伝子はこのマーカーの近辺約1Mb以内に追い込まれた。そして我々は、このマーカーD9S306を含むYACコンティグならびにコスミドコンティグを作製し、また、本症は遺伝的孤立集団である日本人に特異的に頻度が高いことから、病気の創始者は一人と考え、どこが最も連鎖不平衡が強いかを探る「連鎖不平衡マッピング」を行って、FCMD遺伝子はD9S2107を含んだ約100kb以下の領域に存在すると考えてきた。

 本研究において、従来から続けられているポジショナルクローニング法によるFCMD原因遺伝子の同定を目的とした研究の一貫として、「創始者ハプロタイプマッピング」を行ってさらに候補領域を狭め、本症患者において当領域中にinsertion変異を見出し、そしてついにFCMD原因遺伝子の同定に成功した。

方法、結果

 本研究において新たにD9S2170、D9S2171の2つのマイクロサテライトマーカーを単離、その位置を決定し、患者ならびに健常者をアレルタイプした。また連鎖不平衡マッピングで用いたマーカーと組み合わせ、ハプロタイプを調べた。病気の創始者は1人でありその1本のFCMD染色体が全国に広がったという我々の仮説を支持するように、FCMD染色体の大部分が創始者由来と思われる1つのハプロタイプにいきつくことがわかった。特に、4つのマーカー、D9S2105-D9S2170-D9S2171-D9S2107の230kbの範囲で、それぞれ138-192-147-183というハプロタイプを示すFCMD染色体は145本中119本(82%)あり、またFCMD患者78人中73人(94%)がこのハプロタイプのホモあるいはヘテロであった。このハプロタイプは正常染色体には現在までに1つも見出されていない。これ以外にあと8本のFCMDハプロタイプが同定され、日本のFCMD変異は、創始者変異以外にたかだか数回起きたものと考えられた。さらに、創始者ハプロタイプを不完全に持つ6本のFCMD染色体からそれぞれ創始者染色体由来だと思われる領域を比較する創始者ハプロタイプマッピングにより、FCMD遺伝子はD9S2105からD9S2170の間に存在することが考えられた。D9S2107を含んだ約100kb以下の領域という連鎖不平衡マッピングの結果を考慮し、FCMD遺伝子はD9S2170から動原体側のごく近い所に存在すると予想された。

 そこで本症患者でのこの領域中の欠失、挿入などの大きな変異の有無を調べるために、周辺のコスミドコンティグよりコスミドをプローブとして、サザン法により解析を行った。ハプロタイプマッピングで予想した所に存在するコスミドcE6をプローブとした時に患者のほとんどでrearranged-bandを検出し、その変異は1.4kbのEcoRI断片上での約3kbのinsertionであることがわかった。サザン法ならびにlong-PCR法により詳しく検討したところ、このinsertionはFCMD染色体144本中125本(87%)に認められ、創始者ハプロタイプを示す染色体に一致していた。一方、無関係な健常者では、このinsertionは88人中1人にヘテロで認められたのみで、日本人の本症保因者頻度によく一致していた。このinsertionは、本疾患の発症に密接に関与している可能性があると考えられた。

 次にこの1.4kbのEcoRI断片を起点としてcDNAライブラリーのスクリーニング、RACE法によるcDNAのクローニングを行ったところ、461アミノ酸のタンパク質をコードしていると考えられる約7.5kbにわたる一連の20個以上のcDNAクローンを得た。ノーザン解析によりこの遺伝子は、心臓、脳、骨格筋、胎盤、膵臓など、多くの臓器で発現していることがわかった。データベース検索からはこの遺伝子あるいはその産物とのホモロジーを示す既知の遺伝子あるいはタンパク質は得られず、この遺伝子産物の機能は不明である。また、タンパク質構造予測プログラムにより、この遺伝子産物はシグナル配列を持ち、膜貫通ドメインを1個持つかまたは持たないタンパク質であると推定された。

 cDNAとゲノムの塩基配列を比較したところ、創始者染色体上の約3kbのinsertionはこの遺伝子の3’非翻訳領域内で起きており、また患者のノーザン解析から、この遺伝子のmRNA量を著しく下げていることがわかった。塩基配列を調べたところ、この3kbのinsertionは繰り返し配列を含んだレトロトランスポゾンによるものと考えられた。太古から伝わるレトロトランスポゾン挿入変異による疾患は、本症が初めての発見である。さらに、insertionを持たないFCMD染色体にこの遺伝子上の変異を探すべく、4種の創始者ハプロタイプ以外のFCMD染色体についてPCR-SSCP法により遺伝子翻訳領域全体を検索したところ、2種類の変異を見出した。ひとつは47番目のアルギニンコドンをストップコドンにするナンセンス変異、もう一方は63番目のコドン中での2塩基の欠失によるフレームシフト変異であった。以上を総合して、本研究で得られた遺伝子はFCMD原因遺伝子であると結論した。

考察

 遺伝性神経筋疾患の多くは、従来の病理学的、生化学的研究からだけでは病因の解明が困難なものが多く、まず純粋に遺伝学的に遺伝子の位置を決定し、原因遺伝子を単離してから病態を考える、ポジショナルクローニング法がとられている。本研究においてもこの方法にしたがってFCMD原因遺伝子を同定することに成功した。

 本研究により、ほとんどのFCMD患者は1人の創始者から由来した同じ突然変異を持っていることが考えられたが、この創始者は約2500年前に存在していたと推定され、弥生時代に大陸から日本に渡ってきた渡来人であるかもしれないと想像される。今後のアジア地域の患者の検索が必要である。さらに、この創始者由来の変異は遺伝子の3’非翻訳領域内へのレトロトランスポゾンの挿入変異で、遺伝子のmRNA量を著しく低下させていることがわかった。一般に遺伝子の3’非翻訳領域はmRNAの安定性に深く関わっていると言われており、本疾患もひとつの可能性として、3’非翻訳領域内のinsertionによりmRNAが不安定ですぐに壊れてしまい、遺伝子産物ができなくなって発症するというメカニズムが考えられる。

 デュシャンヌ型筋ジストロフィー遺伝子産物であるジストロフィンや、筋鞘膜のジストロフィン結合タンパク複合体が発見されて以来、筋ジストロフィー全般の病態解明に向けて、精力的な研究が行われている。また、このタンパク複合体を形成する構成成分の異常が多くの筋ジストロフィーを引き起こすことが近年明らかになっている。FCMDにおいてもこの複合体の構成成分やそれと結合している基底膜の異常が報告されており、またFCMD遺伝子産物がシグナル配列を持ち膜貫通ドメインを持っているかもしれないことより、遺伝子産物がこの筋鞘膜の複合体と結合している可能性があると考えられる。

 本研究によりFCMD原因遺伝子が同定されたことは、本症の病態解明だけにとどまらず、筋ジストロフィー全般の病態解明、治療法の開発へも一助をなすと思われる。さらにFCMD遺伝子産物は脳で発現する未知の機能分子であり、脳の発生における分子機構の解明にもつながるであろう。

審査要旨

 本研究は先天性筋ジストロフィーに中枢神経症状を伴う常染色体性劣性遺伝疾患である福山型先天性筋ジストロフィー(FCMD)の病態を解明するために、従来から続けられているポジショナルクローニング法によるFCMD原因遺伝子の同定を目的とした研究の一貫として行われたものであり、下記の結果を得ている。

 1.新たにD9S2170、D9S2171の2つのDNAマーカーを単離し、以前から用いていたマーカーと組み合わせハプロタイプ解析を行ったところ、病気の創始者は1人でありその1本のFCMD染色体が全国に広がったという仮説を支持するように、FCMD染色体の大部分が創始者由来と思われる1つのハプロタイプにいきついた。特に、4つのマーカー、D9S2105-D9S2170-D9S2171-D9S2107の230kbの範囲で、138-192-147-183というハプロタイプを示すFCMD染色体は82%あり、またFCMD患者の94%がこのハプロタイプを持っていた。他にあと8本のFCMDハプロタイプを同定し、日本で起きたFCMD変異は、創始者変異以外にたかだか数回であると考えられた。

 2.創始者ハプロタイプを不完全に持つ6本のFCMD染色体で創始者ハプロタイプマッピングを行い、FCMD遺伝子はD9S2105からD9S2170の間に存在することが考えられた。D9S2107を含んだ約100kb以下の領域という連鎖不平衡マッピングの結果を考慮し、FCMD遺伝子はD9S2170から動原体側のごく近い所に存在すると予想された。

 3.患者での候補領域中の欠失、挿入などの大きな変異の有無を調べるために、周辺のコスミドコンティグよりコスミドをプローブとして、サザン法により解析を行った。コスミドcE6をプローブとした時に患者のほとんどでrearranged-bandを検出し、その変異は1.4kbのEcoRI断片上での約3kbのinsertionであった。サザン法ならびにlong-PCR法による詳しい検討によると、このinsertionはFCMD染色体の87%に認められ、創始者ハプロタイプを示す染色体に一致していた。一方、無関係な健常者では、このinsertionは88人中1人にヘテロで認められたのみで、日本人の本症保因者頻度によく一致していた。このinsertionは、本疾患の発症に密接に関与している可能性があることが考えられた。

 4.この1.4kbのEcoRI断片を起点としてcDNAライブラリーのスクリーニング、RACE法によるcDNAのクローニングを行ったところ、461アミノ酸のタンパク質をコードしていると考えられる約7.5kbにわたる一連の20個以上のcDNAクローンが得られた。ノーザン解析によりこの遺伝子は、心臓、脳、骨格筋、胎盤、膵臓など、多くの臓器で発現していることがわかった。データベース検索からはこの遺伝子あるいはその産物とのホモロジーを示す既知の遺伝子あるいはタンパク質は得られず、この遺伝子産物の機能は不明である。また、タンパク質構造予測プログラムにより、この遺伝子産物はシグナル配列を持ち、膜貫通ドメインを1個持つかまたは持たないタンパク質であると推定された。

 5.cDNAとゲノムの塩基配列を比較したところ、創始者染色体上の約3kbのinsertionはこの遺伝子の3’非翻訳領域内で起きており、また患者のノーザン解析から、この遺伝子のmRNA量を著しく下げていることがわかった。塩基配列を調べたところ、この3kbのinsertionは繰り返し配列を含んだレトロトランスポゾンによるものと考えられた。太古から伝わるレトロトランスポゾン挿入変異による疾患は、本症が初めての発見である。さらに、4種の創始者ハプロタイプ以外のFCMD染色体についてPCR-SSCP法により遺伝子翻訳領域全体を変異検索したところ、2種類の変異を見出した。ひとつは47番目のアルギニンコドンをストップコドンにするナンセンス変異、もう一方は63番目のコドン中での2塩基の欠失によるフレームシフト変異であった。以上を総合して、本研究で得られた遺伝子はFCMD原因遺伝子であると結論した。

 以上、本論文はポジショナルクローニング法によりFCMDの原因遺伝子を明らかにした。本研究は、これまで未知であったFCMDの病態の解明だけにとどまらず、筋ジストロフィー全般の病態解明、治療法の開発、さらに脳の発生における分子機構の解明にも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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