学位論文要旨



No 113692
著者(漢字) 山内,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤマウチ,タロウ
標題(和) パプアニューギニア高地フリのエネルギー・行動適応の変化と多様性-母村・町居住者、都市移住者の比較研究
標題(洋) Change and Diversity of Energetic and Behavioral Adaptation of the Huli-speaking Population : A Comparative study of the Village and Town Dwellers and the Migrants in Urban Settlements.
報告番号 113692
報告番号 甲13692
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1353号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 金川,克子
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 真鍋,重夫
 東京大学 講師 奥,恒行
内容要旨

 世界の人口の半数が都市に居住する現在、都市では人口増加、居住環境の劣化、ストレスの増大など多様な問題が生じている。成人病は先進国の主要な健康問題であるが、途上国においてもこれらの病気の罹患の上昇及びリスクファクターの増加が報告されており、感染症から成人病へという疾病構造転換が、途上国において新たな健康問題となっている。これらの問題は、都市部で特に顕著であるが、途上国では都市住民の中に農村部からの移住者が多く含まれているため、彼らの適応・健康問題の理解は農村部居住者との比較が不可欠である。

 本研究では、パプアニューギニア(PNG)高地に居住するフリ語族について、1993年から1995年に、高地の母村(山岳地・平坦地)、近郊の町に住む集団、そして首都ポートモレスビーへの移住者集団を対象として調査を行った。この調査研究の目的は、都市化過程における途上国住民の環境適応を人類生態学及び人間生物学の視点から明らかにすることであり、具体的には行動適応と栄養生理適応に着目し、前者を活動の身体強度・時間利用・エネルギー消費量の側面から、後者をエネルギー収支・主要栄養素摂取量・心拍数モニタリングから、統合的・定量的に評価することである。

 本論文の構成は、この全体の序言に続き、2つの村落と近郊の町の住民を比較した第1章、村落の住民とポートモレスビーへの移住者集団を比較した第2章からなる。

第1章:パプアニューギニア高地に居住するフリのエネルギー適応-農村と町の比較研究緒言

 エネルギー摂取量・消費量の測定は、人間集団の自然環境・社会環境条件への適応を定量的に評価する手段の一つである。ところが、野外条件下では酸素消費量の測定が困難なため、自由に生活している集団を対象としたエネルギー消費量研究は限られている。本研究は、パプアニューギニア高地に居住するフリを対象として、地形が異なる二つの農村(山岳地と平坦地)と近郊の町で、24時間心拍数モニタリングと行動追跡調査を行った。以下の三点を目的とする。1.パプアニューギニア高地集団のエネルギー適応を世界の自給的生活を営む集団の中で位置づける。2.対照的な自然・社会経済的環境に居住している3集団(2農村と町)のそれぞれの環境への適応をエネルギー消費量、時間利用データから比較する。3.上記の目的に関連して、新しく開発したエネルギー消費量推定法(呼気分析を省略したフレックス心拍法)の適用可能性を評価する。

対象と方法1.対象

 既婚成人43名(男性23名、女性20名)を対象とした。2農村(ヘリ、ウェナニ)の対象者は全てサツマイモ栽培を中心とする自給的農業を営んでいた。町(タリ)の対象者は様々な賃金労働に従事していた。

2.方法

 日常生活における心拍数(HR)を、胸バンドと腕時計型レシーバーからなる軽量な心拍計を用い、屋外での活動を終えた午後6時頃から24時間測定し、同時に対象者の行動を分単位で記録した。記録された1分毎のHRを対応する活動に応じて分類し、平均値を求めた。個人毎に踏み台昇降(15回/分、30cmの台)時のHRと安静時のHRからフレックスHR値を決定し、HRとエネルギー消費量の回帰式を決定した。24時間(1440分)のHR値から1日総エネルギー消費量(TEE)を推定した(フレックスHR法)。さらに、フレックスHR法の妥当性を検討するために、個人毎に各活動に費やされた時間(分)と文献値のエネルギーコストからTEEを推定した(ファクトリアル法)。各個人について、活動毎の平均心拍数と決定されたフレックス心拍数から身体負荷指標(PEI=平均HR/フレックスHR×100)を算出し、活動の身体負荷レベルを同定し、性・集団で比較した。

結果と考察

 修正フレックスHR法によるTEEの推定値は、FAO/WHO/UNUが推奨する標準的なファクトリアル法によるTEE推定値と非常に強く相関していた(r=0.934,p<0.0001)。Bland and Altmanの統計手法による分析からも両方法の一致度が高いことが確認され、修正フレックスHR法によるTEE推定値は妥当であると結論できた。先行研究では、ファクトリアル法によるTEE推定値はフレックスHR法による推定値より有意に低いと言われていたが、本研究ではファクトリアル法によるTEE推定値はフレックスHR法に比べて低値をとる傾向を示したものの、両者に有意差は見られなかった。これは、先行研究では対象者の行動調査を自己報告や翌日のインタビュー、または現地のアシスタントよって行っていたのに対し、本研究では調査者自らが対象者と行動をともにして分単位の直接観察をおこなったため、ファクトリアル法によるTEE推定値の精度が高かったためと考えられる。

 本研究の対象であるフリの農村集団は、特異的に身体活動が高い時期(収穫期、雨季など)に測定された研究を除くと、農耕民の中では高い身体活動レベル(PAL)を示した。また、男性より女性の身体活動レベルが相対的に高かった。PNG高地集団の先行研究も同様の結果を示しており、これらの結果は集約的なサツマイモ栽培とブタの飼育で特徴づけられる、PNG高地集団のTEEおよびPALの一般的特徴であるといえる。一方、町の集団は農村集団よりはPALは低かったが、身体活動の非常に低いPNGの沿岸部の集団よりは高値であった。

 対照的な自然・社会経済的環境に居住しているフリの3集団のTEE・PALに有意差はみられなかった。自然環境の異なる2農村の比較においては、山岳地の集団のTEE・PALは、平坦地の集団より低値をとる傾向を示した。活動別のエネルギーコストおよび時間利用から、農作業よりむしろ移動(traveling)に費やされた時間およびエネルギーがTEE・PALに影響していたことが示唆された。農村と近郊の町との比較からは、町の居住者は、身体負荷の高い(PEI100)自給的農業から身体負荷の低い(PEI<100)賃金労働へ生業活動が変化していたことがわかった。また町の男性は村の男性と比べて休息時間が短かく(p<0.05)、労働時間は3〜5倍と著しく長かった(p<0.05)。女性でも同様の傾向がみられたが差は有意ではなかった。従って、身体負荷の高い自給的農業を短時間行う農村対象者と、身体負荷の低い賃金労働に長時間従事する町の対象者では、1日総エネルギー消費量には差がなかったと結論できる。

第2章:パプアニューギニア高地に居住するフリの都市化に伴うエネルギー適応-農村居住者と都市移住者の比較研究緒言

 肥満、糖尿病、循環器疾患などの成人病は先進国の健康問題であるが、途上国でも特に都市部においてこれらの罹患およびリスクファクターの増大が報告されている。都市化による身体活動レベルの低下が、これらのリスクを増加させることが指摘されているが、活動レベルの把握はインタビューによるものが一般的であり、定量的研究は十分に行われていない。PNG高地に居住する母村集団と首都ポートモレスビーのセツルメントに居住する移住者集団とを対象として、24時間心拍数(HR)モニタリングと同時に行動調査、食物摂取量調査(秤量)をおこなった。本研究の目的は以下の3点である。1.農村集団と都市移住者集団のTEEを測定し、都市対象者で身体活動レベルの低下が起こっているかどうかを検証する。2.エネルギーと主要栄養素(タンパク質と脂質)の摂取量を推定し、都市化に伴う食事の変化を解明する。3.農村・都市で身体活動レベルの変化が起こっていたなら、その原因・メカニズムを活動の身体強度(PEIおよびエネルギーコスト)の変化と時間利用の変化から解明する。

対象と方法1.対象

 既婚成人56名(男性29名、女性27名)を対象とした。農村居住者(n=27)は全てサツマイモ栽培を中心とする自給的農業を営んでいた。都市のセツルメントの居住者(n=29)には定職に就いていた者は少なく、大多数は調理食品や嗜好品をマーケットやセツルメント内で販売し、現金収入を得ていた。

2.方法

 農村と都市で、各対象者に1日24時間心拍数モニタリングと行動調査を行った。フレックス心拍数、1日総エネルギー消費量(TEE)、身体負荷指標(PEI)の算出は第1章と同じ方法を用いた。ただし、TEEはフレックスHR法によってのみ推定した。さらにその日の摂取食物を全て秤量した。摂取された食物の主要栄養素(エネルギー、タンパク質、脂質)を文献値の食品成分表を元に算出した。ただし、農村で主食として摂取されているサツマイモ(8種類)と緑色野菜(6種類)については、サンプルを乾燥させて日本に持ち帰り、実験室で分析した値を用いた。

結果と考察

 都市移住者の1日の身体活動レベル(PAL=TEE/BMR)は、農村居住者に比べて有意に低下していた(p<0.05)。1日を活動レベルに基づいて「睡眠」、「安静」、「活動」に3分し、それぞれの部分のエネルギー消費量を農村・都市間で比較すると、「睡眠」、「安静」の部分の変化は小さく、「活動」部分の低下がPALの低下の主たる原因となっていたことがわかった。

 睡眠時間を除いてTEEの約半分(41-53%)を占め、農村・都市という対照的な居住環境を反映する「職業活動(occupational)」と「移動(traveling)」に注目し、費やされた時間、エネルギーコスト、エネルギー消費量の観点から農村・都市間比較を行った。

 都市では、身体負荷の高い農耕から負荷の低い現金獲得活動に職業活動が変化した。しかし、男性では労働時間の大幅な増加(4.6倍,P=0.0013)したため、身体負荷つまりエネルギーコストの低下の影響は相殺され、むしろ職業活動のエネルギーは都市で増加した。一方、女性は労働時間の増加は少なく(1.2倍,NS)、エネルギーコスト低下の影響を受けて、職業活動のエネルギー消費量は都市で減少した。

 「移動(歩行、ぶらつき)」に関しては、この活動が行われる自然環境の変化(山岳地・湿地から平坦な舗装道路)によって、都市対象者のエネルギーコストは低下した。一方、都市対象者の歩行時間は大幅に減少していた。これは都市対象者が、1日の大部分をセツルメントの中で過ごしていたことと、交通機関(バス)の発達という社会経済的環境の変化によって引き起こされたと考えられる。コストの低下と時間の減少から、移動に費やされたエネルギーは男女ともに都市で顕著に減少した。

 食物摂取調査からは、農村と都市で対照的な食事内容が明らかとなった。農村の食事はサツマイモに大きく依存していたのに対し、都市の食事は、米とサバの缶詰に代表される購入食品に100%依存していた。1日のエネルギーバランス(摂取量-消費量)は農村・都市対象者ともに5%以内に収まり、釣り合いはとれていたが、都市対象者は摂取量、消費量ともに低いレベルであった。都市居住者のエネルギー消費量の低下は、脂質摂取量の急激な増加とともに肥満や循環器疾患などの成人病のリスクを増大させていることが示唆された。

 近代化・都市化がもたらす健康に対する負の影響が顕在化しつつある途上国において、人々の自然・社会文化的環境に対するエネルギー適応に関してさらなる研究が必要である。

審査要旨

 本研究は、都市化過程における途上国住民の環境適応を人類生態及び人間生物学の視点から明らかにするため、パプアニューギニア高地に居住するフリ言語族について自然環境の異なる2母村(山岳地・平坦地)、村近郊の町、そして首都ポートモレスビーに居住する移住者集団、計4集団を対象として心拍数モニタリング、行動追跡調査、食物摂取量調査を行い、人々の行動適応・栄養生理適応を統合的・定量的に評価することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

第1章:パプアニューギニア高地に居住するフリのエネルギー適応-農村と町の比較研究

 1.フリ農村集団は、世界の自給的集団の中で、特異的に身体活動が高い時期(収穫期、雨季など)に測定された研究を除くと、農耕民の中では高い身体活動レベル(PAL)を示した。一方、町の集団は農村集団よりはPALは低かったが、身体活動の非常に低いPNGの沿岸部の集団よりは高値をとった。

 2.フリの3集団(2農村と町)において、エネルギー消費量(TEE)及びPALには有意差はみられなかった。また、活動別のエネルギーコストおよび時間利用からは、職業活動よりむしろ移動に費やされた時間およびエネルギーがTEE・PALに影響していたことが示された。

 3.農村と町との比較からは、町の居住者は、身体負荷の高い自給的農業から身体負荷の低い賃金労働へ職業活動が変化していたことがわかった。また町の男性は村の男性と比べて休息時間が短かく、労働時間は3〜5倍と著しく長かった。女性でも同様の傾向がみられたが差は有意ではなかった。

第2章:パプアニューギニア高地に居住するフリの都市化に伴うエネルギー適応-農村居住者と都市移住者の比較研究

 1.都市対象者は農村に比べてPALが有意に低下しており、非活動的であった。1日を活動レベルに基づいて「睡眠」、「安静」、「活動」に3分し、それぞれの部分のエネルギー消費量を農村・都市間で比較すると「活動」部分のエネルギー消費量の低下が都市移住者のPALの低下の主たる原因となっていたことが判明した。

 2.活動内容別のエネルギー消費量の農村・都市間比較からは、労働のエネルギー消費量とPALは男性では関係していないことが分かった。歩行時間の減少と身体負荷度の低下による歩行のエネルギー消費量の減少が男女ともに都市対象者の身体活動の低下に貢献していたことが示唆された。

 3.食物摂取調査からは、農村と都市で対照的な食事内容が明らかとなった。農村の食事はサツマイモに大きく依存していたのに対し、都市の食事は、米とサバの缶詰に代表される購入食品に100%依存していた。1日のエネルギーバランス(摂取量-消費量)は農村・都市対象者ともに5%以内に収まり、釣り合いはとれていたが、都市対象者は摂取量、消費量ともに低いレベルであった。

 以上、本論文は自然環境及び都市化の程度の異なる4つの小集団を対象として、人々の行動適応・栄養生理適応を統合的・定量的に比較評価した。これまで未知に等しかった、遺伝的に均一な集団の母村と都市移住集団の行動適応・栄養生理適応の比較を行ったことによって、エネルギー適応のメカニズムの解明、さらに都市居住者のエネルギー消費量の低下と脂質摂取量の急激な増加が示唆する、都市化がもたらす健康に対する負の影響の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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