学位論文要旨



No 113693
著者(漢字) 河野,祐子
著者(英字)
著者(カナ) カワノ,ユウコ
標題(和) 集合住宅居住の子どもをもつ母親の生活音に対する評価とその母子保健学的意義に関する研究
標題(洋)
報告番号 113693
報告番号 甲13693
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1354号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 金川,克子
 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 助教授 中村,安秀
内容要旨 I.緒言

 近年、集合住宅居住では建築様式と生活様式から、居住者の日常生活において音に関する問題意識は極めて高い。これは住民の快適な生活環境に対する要求が高まりを示す一方、一般家庭の日常生活に伴って発生する生活騒音の問題が生活環境の質を低下させる要因としてクローズアップされている集合住宅特有の問題と言える。そこで本研究では母親の視点からみた生活音の意識を通して母子の健康との関連性の検討を試みた。まず第一段階として子どもの足音や声が階下や周囲に及ぼす影響と母子の健康関連要因を把握する。

 【調査I】 続いて調査Iを踏まえ、子どもの足音や声のみならず日常生活に伴う生活音全般を捉え、それが母子の健康とどう関わり得るのかを探るため、集合住宅居住における母親の生活音の感じ方を総合的に評価する指数を作成した【調査II】。

II.対象と方法

 【調査I】は1996年8〜9月に神奈川県川崎市内の一民間分譲団地にて、満1歳の幼児から学童までをもつ母親を対象に質問紙調査を通して実施した。分析対象は176世帯(子ども数256名)であった。【調査II】は1997年7月に都内練馬区内の一民間および公団分譲団地が混在する一区立幼稚園を通じ、園児の母親を対象に質問紙調査を通して行った分析対象は84世帯(子ども数84名)であった。

 なお居住階層は1〜5階までを低層階、6階以上を高層階とした。【調査I】、【調査II】の対象の属性について、居住階・居住年数・母子の年齢・1世帯当たりの子ども数に有意の差は認められなかった。本研究では【調査I】および【調査II】より、データ分析および因子の抽出にあたっては2検定・Wilcoxon検定・Studentのt検定・相関関係・主成分分析を用い、以下の結果を得た。

III.結果

 1.集合住宅居住の幼児から学童をもつ母親の83.6%は、子どもの足音や声に対して何らかの配慮をしていることが分かった。その具体的配慮方法として「振動や音の出る遊びを控えさせる」が74.1%と最も多かった(複数回答)。一方、他の子どもの足音や声に対して不快感をもつ母親は26.1%であった【調査I】。

 2.「現在の団地に入居する前後で健康状態の変化を感じている母親」、「自分が消極的な性格であると自己評価している母親」、「他の子どもの足音や声が聞こえると評価している母親」、「現在の居住棟に満足している母親」、「自然環境に満足している母親」、「安全性に満足している母親」、子どもが「胃腸不調」や「食欲不振・偏食」であると評価する母親は、子どもの足音や声に対する母親の配慮と有意に関連する要因であった(各々2=5.91,2=5.16,2=10.13,2=4.19,2=4.13,2=14.16,2=8.48,2=6.12,DF=1)【調査I】。

 3.集合住宅居住の幼児をもつ母親の生活音に対する配慮は、特に「子どもに外遊びをさせる」が4点満点中3.2点と最も高かった。一方、母親の生活音に対する不快感は、特に「子どもや大人の足音や声」が5点満点中2.6点と最も高かった【調査II】。

 4.集合住宅居住の幼児をもつ母親の生活音に対する配慮、および不快感を総合的に示すために行った主成分分析の結果、第1主成分が項目全体の傾向を示し、各々の第1主成分得点を「生活音配慮指数」、「生活音不快指数」とした【調査II】。

 5.生活音配慮指数は、「子どもが風邪をひきやすい」と母親が思う場合、「同じ団地内で電話しあう母親の友人数」が多い場合、母親の「1日平均外出時間」が短い場合、「団地入居時の近所あいさつ」を経験した場合、近所付き合いの中で「音に関する話題」の頻度が多い場合に高くなる傾向にあった(p<0.05,p<0.01)。

 一方、生活音不快指数と母子の健康との関連性については、「子どもがけがをしやすい」と母親が思う場合、母親の「育児・教育環境に対する満足度」が低い場合、母親の「1日平均外出時間」が短い場合に、母親の生活音不快指数が高くなる傾向にあった(p<0.05,p<0.01)【調査II】。

IV.考察

 本研究では集合住宅居住の子どもをもつ母親の意識からみた生活音に対する配慮および不快感の実態、母親の配慮と母子の健康関連要因を把握した。また母親の生活音に対する配慮および不快感を総合的に示す指数を作成し、生活音ストレスと母子の健康との関連性を検討した。本研究では「同じ団地内で電話しあう友人数」が多い場合、「団地入居時の近所あいさつ」を経験した場合、近所付き合いの中で「音に関する話題」の頻度が多い場合に母親の生活音配慮指数が高くなる傾向がみられた。即ち、集合住宅という1つのコミュニティの中で、生活音配慮に対する母親の意識は高く、積極的に近所付き合いを行なっていることが考えられた。一方、母親の生活音不快指数は、「子どもがけがをしやすい」と母親が思う場合、母親の「育児・教育環境に対する満足度」が低い場合、母親の「1日平均外出時間」が短い場合に高くなる傾向にあった。これは団地内やその周辺における育児や教育に関する設備等の不備、あるいは他の家の子どもの躾や行動等に対して不満を感じる母親が、他の家の子どもを中心とした音に不快を覚えると思われる。また母親の「1日平均外出時間」が短いと、室内で過ごす時間が長くなり、他の家からの物音を聞く機会が多くなるため、母親の不快感が生じると考える。従って、「生活音ストレスは母子の健康度に影響する」という本研究の仮説を支持する結果を得た。

 これまで母子の健康に関する研究は、どちらかというと現象の把握を中心に報告されてきたが、本研究ではこれを数量化、即ち生活音指数の作成、客観的に評価することを可能とし、今後、急増すると考えられる居住者、特に母子の生活音を中心とした環境を評価する際に有用可能な方法であると考える。

 本研究では生活音に対する評価を母親の意識を中心に行ったが、音を主観的に捉えることは、同じ音源でもその評価にバラツキが生じやすい欠点を伴い、集合住宅居住において生活音に対する母親の評価を実際に定量的に測定することは殆どなく、主に母親の主観的な受け止め方が中心となり、それが母親のストレスとなりうる。即ち、生活者である母親の立場からすると、生活音に対する受け止め方は物理量としての音源・音量よりも意味がある。従って本研究では普段、住居内で過ごすことの多い母親の主観的な生活音評価に着目し、ストレスとの関連性を検討した。本研究では母子の健康関連要因についても母親の主観的評価に基づくものであったため、生活音ストレスと母子の健康との関連性を明確に裏付けるデータではなかった。今後、騒音計や振動計の使用により生活音の音源を科学的に把握、また客観的な母子の健康関連要因を把握し、母親の主観的な評価と客観的な評価とのズレ、および評価と母子の健康関連要因の検討を行なう必要がある。

 さらに本研究ではサンプル数が少なかったこと、コントロール群が設定できなかったことから今後の課題として、(1)さらに例数を増やしながら実際に指数の有用性を確認し、妥当性・信頼性を検討、(2)子どものいない者や既に成人した子どもをもつ母親を対象に検討、(3)戸建て住宅居住者との比較検討、を行ない、さらに集合住宅居住者の生活音に対する評価の特性を明確にする必要がある。

 本研究結果から、生活音に対する住民の配慮と不快感は集合住宅居住特有の住民ストレスと考えられた。子どもの足音や声を含む生活音は戸建て住宅の場合、物理的に平面上に伝導するが、集合住宅では住居の積層化により音が様々な方向に波及する。従って生活音は戸建て住宅に比べ集合住宅では深刻な問題であり、日常生活を送る上で日々向き合っていかなければならない。しかし生活音ストレスをなくす方向で考えることは現実的ではない。むしろ住民が生活音ストレスと上手く付き合うことが重要である。集合住宅居住における生活音問題への対処方法は2通りあると考えられる。1つは建築サイドからの上下階の界床の遮音性能の向上の検討、2つめは住民サイドからの生活音に対する自発的配慮やよりよい近所付き合いの促進である。居住者自身が1つのコミュニティの中でお互いに生活音に適応していくには、音が近所迷惑にならないように、かつ居住者自身も音を出すということへの加害者意識を過度にもつことがないように日常生活において、例えば電化製品を壁から離して置くこと、部屋にカーヘット等の敷物を使用することなど様々な工夫が必要である。また医療従事者をはじめ、教育者や建築関係者等、様々な分野の人々が、生活音が集合住宅特有の問題であることや居住者の生活音への対応の実態を把握し、健診や講演の場で集合住宅居住者の生活環境の向上に対する教育に努める必要がある。また保健婦等に対し、住環境と健康に関する教育を保健機関等で行なうことも重要である。

 わが国の住居の積層化・高層化は必然的な流れとなり、現在、都市圏では集合住宅居住者の割合が戸建て住宅居住者を上回る状況になり、集合住宅居住は都市における平均的な住まいの形となった。最近、少子化傾向に伴い、ますます母子が住居内で密接に関わりやすくなり、住居の積層化に対して母子がいかにうまく適応していくかが今後の課題となる。従って生活音評価と母子保健を論じた本研究の意義は大きい。

審査要旨

 本研究は集合住宅居住の子どもをもつ母親の生活音評価と母子の健康との関連性を明らかにするため、母親の意識からみた生活音に対する配慮および不快感を総合的に示す指標の作成を試み、下記の結果を得ている。

 1.集合住宅居住の幼児から学童をもつ母親の83.6%は、子どもの足音や声に対して何らかの配慮をしており、具体的な配慮方法として「振動や音の出る遊びを控えさせる」が74.1%と最も多いことが示唆された。一方、他の子どもの足音や声に対して不快感をもつ母親は26.1%であることが示された。

 2.「現在の団地に入居する前後で健康状態の変化を感じている母親」、「自分が消極的な性格であると自己評価している母親」、「他の子どもの足音や声が聞こえると評価している母親」、「現在の居住棟に満足している母親」、「自然環境に満足している母親」、「安全性に満足している母親」、「子どもが『胃腸不調』や『食欲不振・偏食』であると評価する母親」は、子どもの足音や声に対する母親の配慮と有意に関連する要因であることが示唆された。

 3.集合住宅居住の幼児をもつ母親の生活音に対する配慮は、特に「子どもに外遊びをさせる」が4点満点中3.2点と最も高く、一方、母親の生活音に対する不快感は、特に「子どもや大人の足音や声」が5点満点中2.6点と最も高いことが示された。

 4.集合住宅居住の幼児をもつ母親の生活音に対する配慮、および不快感を総合的に示すために行った主成分分析の結果、第1主成分が項目全体の傾向を示し、各々の第1主成分得点を「生活音配慮指数」、「生活音不快指数」と解釈することができた。

 5.生活音配慮指数は、「子どもが風邪をひきやすい」と母親が思う場合、「同じ団地内で電話しあう母親の友人数」が多い場合、母親の「1日平均外出時間」が短い場合、「団地入居時の近所あいさつ」を経験した場合、近所付き合いの中で「音に関する話題」の頻度が多い場合に高くなる傾向にあることが示唆された。従って、母親の生活音配慮には特に近所付き合いの良好さが関連すると考えられた。

 一方、生活音不快指数と母子の健康との関連性については、「子どもがけがをしやすい」と母親が思う場合、母親の「育児・教育環境に対する満足度」が低い場合、母親の「1日平均外出時間」が短い場合に、母親の生活音不快指数が高くなる傾向にあることが示された。

 以上、本論文は集合住宅居住の幼児をもつ母親において、母親の意識からみた生活音に対する配慮および不快感を総合的に示す指数の作成から、母親の生活音評価と母子の健康との関連性を明らかにした。これまで居住環境と母子の健康に関する研究は、どちらかというと現象面の記述を中心に報告されてきたが、本研究はこれを数量化、即ち生活音指数の作成、客観的に評価することを可能とし、今後、急増すると考えられる居住者、特に母子の生活音を中心とした環境の評価に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと判断された。

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