学位論文要旨



No 113694
著者(漢字) 坂本,なほ子
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,ナホコ
標題(和) タイ中央部における幼稚園児の肥満傾向の社会疫学的研究
標題(洋)
報告番号 113694
報告番号 甲13694
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1355号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 ソムアッツ,ウォンコントン
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 柳澤,正義
 東京大学 教授 衛藤,隆
内容要旨 1.緒言

 現在のタイでは、急激な疫学的転換が起こっており、子どもの健康問題にも変化が生じてきている。実際、新たな健康問題として、小児肥満についていくつかの地域で小学生を対象として散発的な調査が行われ始めている。しかし、まだ就学前児童に注目した大規模な調査は行われおらず、客観的に体格あるいは肥満傾向について組織的な把握が行われた研究例は未だにないのが現状である。また、途上国における小児肥満に関する従来の研究は、一般的に対象数が少ないために、社会経済的要因との関連を考える場合の交絡要因の検討も不十分であった。そこで、今回の調査では対象地域からの代表性を考慮した上で、解析に耐える対象数を確保することに留意した。

 本研究では、公的な幼稚園教育制度が充実してきたタイで、首都バンコク近郊の工業化しつつある県において、就学前児童における肥満傾向児の出現頻度について明らかにすると共に、その発現にかかわる社会経済的要因について検討を行い、今後の研究の端緒とすることを目的とする。

2.対象

 タイ国内の7県における予備調査および現地との交渉を経て、調査地として、首都バンコクの北方約100kmに位置する中部地方のサラブリ県を選択した。このサラブリ県は、人口550,138人、総面積3,576.5km2、そして、農地面積がその約半分を占めている。また、工場の建設も進んでおり、1996年の工場数は843にのぼる。

 本調査の対象はサラブリ県内の幼稚園児である。1996年に就学前2年と1年に在籍している幼稚園児数は10,640人であった。対象者のサンプリングは、幼稚園単位の抽出によって行った。郡部の幼稚園は2段抽出法によって抽出した。まず3郡を無作為抽出し、次に各郡内から2園ずつを無作為抽出し、計6園を郡部の対象幼稚園とした。市部の対象幼稚園は、県庁所在地であるサラブリ市から無作為に2園を抽出した。実際の調査対象はこの8園に通う1,778名である。これは同県の同年齢層幼稚園児の約16.7%に相当する。

3.方法

 予備調査の後、本調査を1997年3月に実施した。各幼稚園において、園児の身長と体重の計測を行った。そして、身体計測を行った園児に質問票を配布し、各家庭で記入後、再び各幼稚園で回収した。質問票は自記式で、各園児の保護者に記入を依頼している。

 身体計測を行った園児数、すなわち質問票の配布数は1,441であり、記入済み質問票の回収数は1,208であり回収率は83.8%であった。このうち、質問票に欠損値が多いケースや年齢が7歳を超えるケースを除いた1,157名のデータを分析には用いた。分析対象数は、市部・郡部の男児・女児の間でほぼ等しく差はない。また、月齢についても、市部・郡部の男児・女児の4群に差はなく、平均69.3ヶ月であった。

4.結果1)身体計測値

 平均身長と平均体重を表1にまとめた。男児についても女児についても、郡部よりも市部の方が発育が良いことが分かった。

表1 : 平均身長と平均体重(平均値±標準偏差)

 次に、タイ保健省が作成し、タイで使用されているパーセンタイル値による体格指標を用いて、各園児の体格を分類した。パーセンタイル値3未満は「やせすぎ」、3以上10未満は「やせ」、10以上90以下は「ふつう」、90を超えて97以下は「太りぎみ」、97を超えるは「肥満」に分類される。この体格の分布を比較したところ、男女間には有意差がみられなかった。しかし、表2のように郡部と市部の間には有意差がみられた。市部での「肥満」の割合は、22.7%と高いものであった。

表2 : 身長あたり体重のパーセンタイル値による体格分布
2)社会経済要因と体格

 園児の体格と父母の学歴および1ヶ月の世帯所得との関係を調べた。母親の学歴や父親の学歴に関しては、どちらについても高学歴になるほど肥満児の割合は高かった。1ヶ月の世帯所得を、5,000Baht未満、5,000以上10,000Baht未満、10,000以上20,000Baht未満、20,000Baht以上の4つのカテゴリーに区分し、体格との関連を調べたところ、高所得になるほど肥満児の割合が高くなっていた。

 次に、父母の学歴や世帯所得について郡部と市部の間で比較を行った。母親の学歴や父親の学歴については有意な地域差があり、市部の方が高学歴である傾向がみられた。1ヶ月の世帯所得の平均値にも、地域間に有意差(p<0.001)が存在した。それぞれの平均値と標準偏差は、郡部9,895±10,344Baht、市部29,797±55,282Bahtであり、市部の方が高額であった。前出の世帯所得4カテゴリーと居住地域のクロス集計からも、市部が高所得であり郡部が低所得という傾向がみられた。以上から、市部には高学歴で高所得の世帯が多く、郡部には低学歴で低所得の世帯が多いことが分かった。

3)地域影響

 身体計測値や体格について郡部と市部の間に地域差が存在すること、体格と社会経済的要因の間には関連が存在することは既述の通りである。また、社会経済的地位が郡部と市部の間で異なっていることも分かった。これまで、途上国における子どもの体格の地域格差は、この社会経済地位の違い、特に母親の学歴差や世帯所得差で説明されてきた。そこで、今回、この2つの要因を制御した上での小児肥満に対する居住地域の影響を検討した。多重ロジスティック・モデルを用いてオッズ比を算出したところ、3.24であった。また、95%信頼区間は1.99-5.30であり、下限でも1.00を大きく上回っていた。郡部ではなく、市部に居住することによって、小児肥満となるオッズが3倍以上に増加することが分かった。

4)子どもの生活

 スナック菓子、ジュース類、ファーストフードといった食品は高カロリー食品として、子どもの肥満を促進させる食べ物と考えられている。これらの食品の摂取と外食頻度について郡部と市部の間で比較を行った。スナック菓子、果汁飲料、炭酸飲料の平均摂取量について有意差(p<0.001)がみられ、郡部の方が高摂取であった。しかし、外食頻度やファーストフードの摂取頻度については、世帯所得で層化を行って比較をしても、有意に市部の方が高い頻度で摂取していた(p<0.001)。

 普段の子どもの遊び場所について調べたところ、郡部の子どもでは屋外5.9%、屋内26.2%、両方67.8%であったのに対して、市部では屋外3.9%、屋内40.4%、両方55.8%となっていた。郡部より市部の方が、屋内遊びをする子どもが多く、屋外で遊ぶ子どもが少ないことが分かった。同様に、パーセンタイル値97以下の非肥満群と超える肥満群を比較したところ、肥満群で屋外遊びをしている子どもは1.1%と少なかった。

5.考察

 従来から途上国での小児肥満について言及されてはいたが、実証的な調査研究がきわめて少なかった。タイでも僅かな調査研究はあるが、小学校の生徒を対象としたものである。今回はじめて、幼稚園児について1,000例以上を対象として、肥満傾向をあらわす頻度を社会経済要因別、居住地域別に得ることができた。

 本研究では、世帯所得が高額である家庭や親が高学歴である家庭に肥満児の出現頻度が高く、郡部に比べると市部における出現頻度が高いことも明らかとなった。これまでの途上国における小児の体格研究においては、小児の体格に関する地域格差は、世帯所得や母親の学歴といった社会経済的要因における地域格差に由来するものとされてきた。また、小児肥満に焦点を当てた研究においても、高い社会経済的地位の都市部の集団において高頻度であるという記述に止まっていた。

 しかし、今回の研究では世帯所得や母親の学歴といった社会経済的要因の影響を同時に除去してもなお、地域差が認められた。推定オッズ比によれば、郡部ではなく市部に居住することによって小児肥満となるリスクが3倍以上に増加することになる。

 このような、社会経済的要因を除去しても小児肥満の頻度に影響を与え、地域差を生じさせている要因として、保護者の考え方、子どもの生活などがあった。外食頻度やファーストフードを摂取する頻度については、郡部よりも市部の方が明らかに高頻度であった。地域間には食生活パターンの違いや商業食物へのアクセスビリティの違いが存在すると推測される。また、遊ぶ場所については市部ほど、また、太っている子ほど外で遊ばない傾向が見られた。

 以上のように、単に社会経済的地位が小児肥満の出現頻度に対して決定的に作用するのではないことから、途上国における子供を取り巻く生活環境の改善や健康教育の必要性が示唆された。

6.結語

 肥満の生物医学的な要因は世界中で普遍であり、各個人がその要因をコントロールすれば肥満の治療もしくは予防が可能であろう。しかし、途上国地域において、肥満を個人レベルの問題として扱い、各自で克服していくことは、現時点では難しい。本研究は、小児肥満を集団レベルの問題として扱い、公衆衛生学的問題として位置づけ、社会疫学的に検討を行った。

審査要旨

 本研究は急激な経済発展が進展しているタイにおいて、幼児の肥満に焦点を当てた実態調査を行い現状を明らかにした上で、社会経済的要因との関連を明らかにすることを目的とした分析を行った。そして、下記の結果を得ている。

 1.今回はじめて、タイの幼稚園児について1,000例以上を対象として、肥満傾向をあらわす頻度を社会経済要因別、居住地域別に得ることができた。その単純集計の結果から、世帯所得が高額である家庭や親が高学歴である家庭に肥満児の出現頻度が高いことが分かった。また、郡部に比べると市部における出現頻度が高いことも明らかとなった。

 2.これまでの途上国における小児の体格研究において、小児の体格に関する地域格差は、世帯所得や母親の学歴といった社会経済的要因における地域格差に由来するものとされてきた。また、小児肥満に焦点を当てた研究においても、高い社会経済的地位の都市部の集団において高頻度であるという記述に止まっていた。しかし、今回の分析結果では世帯所得や母親の学歴といった社会経済的要因の影響を同時に除去しても地域差が認められた。推定オッズ比を算出したところ、郡部ではなく市部に居住することによって小児肥満となるリスクが3倍以上に増加することが分かった。

 3.小児肥満の頻度について地域差を生じさせている要因として、保護者の考え方、子どもの生活などについて検討した。外食頻度やファーストフードを摂取する頻度については、郡部よりも市部の方が明らかに高頻度であった。地域間には食生活パターンの違いや商業食物へのアクセスビリティの違いが存在すると推測される。また、遊ぶ場所については市部ほど、また、太っている子ほど外で遊ばない傾向が見られた。

 以上、本論文は現状調査の結果から、タイにおいても肥満児が相当の頻度で発生していることを記述し、今後のタイ小児における健康問題の一分野となり得る小児肥満に関して基礎情報を呈示した。また、肥満を促進させる要因として、居住地域が大きな影響を与えることを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、途上国における小児肥満に関して、社会疫学的な手法を用いて信頼性の高い結果を呈示し、今後の集団としての健康問題を示した点において、国際保健学領域における学術的貢献をなしていると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54656