学位論文要旨



No 113700
著者(漢字) 棚谷,綾
著者(英字)
著者(カナ) タナタニ,アヤ
標題(和) グアニジンの立体特性を利用した水溶性芳香族分子構築
標題(洋)
報告番号 113700
報告番号 甲13700
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第819号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨

 グアニジン類はY型共役という独特の安定化能で知られる強塩基性官能基であり、水素結合のドナー・アクセプターとして分子認識や超分子形成もしくはアルギニン等の生体内物質や多くの医薬品の活性発現に重要な役割を果たしている。また、このような電子的効果に加え、C-N結合の部分二重結合性により適度な堅固性と柔軟性とをあわせもった官能基であり、アミド結合同様、その立体化学がしばしば分子の三次元構造や生理活性物質の機能発現に関与していると考えられる。当研究室ではこれまでベンズアニリド等の芳香族二級アミド類の窒素原子上にメチル基を導入して得られる三級アミド化合物が結晶中および各種溶液中においてシス型を優先するという事実を見いだしている(図1)。この立体特性は芳香族ウレアでもみられるとともに、ユニークな立体挙動を示す芳香族分子への応用が可能である。本研究ではこのN-メチル化に伴うシス型優先性の一般化と展開を目的として、芳香族グアニジン類の立体特性を詳細に解析し、水溶性のキラルなプロペラ構造もしくは層状構造を有する芳香族分子の構築へ応用した。

図1グアニジン類の立体特性

 グアニジンは3つのC-N結合からなり、E/Z異性体のほか、二重結合の位置によってイミノ型/アミノ型の互変異性が存在する(図2)。N,N’-ジフェニルグアニジン(1)をEtOHから再結晶すると、その条件によって外形の異なる2種類の結晶が得られた。一方はプレート状のキラル結晶、もう一方はプリズム状のラセミ結晶であり、再結晶の際にタネを用いることで望みの結晶を得ることができた。両者はX線結晶解析における空間群(キラル:P212121:ラセミ:P21/c)およびIRスペクトルから区別することができる。キラル結晶、ラセミ結晶はどちらも単位格子にN,N’-ジフェニルグアニジン(1)を8分子含んでおり、非対称単位には2分子存在していた。いずれも分子内のねじれによりキラルなコンフォメーションとなっているが、キラル結晶では一方のエナンチオマーのみ存在しているの対し、ラセミ結晶では互いにエナンチオマーの関係にある分子が単位格子中に存在していた。N,N’-ジフェニルグアニジン(1)の各結晶ににおける構造はどちらも類似していた。このとき分子間水素結合は観測されず、どの分子も芳香環を有する2つのC-N結合のうちの1つの長さが1.28-1.30Åともう1つのC-N結合よりも短く、かつC=N二重結合の標準値(約1.28Å)に近いことから、2種類の互変異性体のうちアミノ型で存在していることがわかった。1のコンフォメーションは、キラル結晶でもラセミ結晶でも(E,Z)型で、短いC-N結合がE型、長いC-N結合がZ型であった(図3a,b)。

図2図3

 次に化合物1のN-メチル化体を複数合成し(図4、2-6)、その構造を解析した結果、フェニル基をもつ窒素原子2つ共にメチル基を導入した化合物4aでは、芳香環をもたないC-N結合が1.26-1.27Åと短く、1とは異なりイミノ型をとっていた。また4aのコンフォメーションはグアニジノ基がシス型をとり、2つの芳香環が層状に重なった構造を示した(図3c)。2つの芳香環の距離は、芳香環中央同士で3.85Å、イプソ位同士で2.89Åであり、その2面角(37-38°)は平行に近いが、芳香環同士の電子間の反発により、幾分広がっている。このシス型優先性はグアニジニウム塩4bでも観測された。4bではグアニジノ基の3つのC-N結合の長さがほぼ等しく、部分二重結合性が同等に分布していることがわかる。各種有機溶媒及び重水中での1H-NMRにおいて化合物4の芳香環プロトンのケミカルシフトが高磁場シフト(:6.79-7.18ppm)していることから溶液中でもそのシス型構造を優先していることが示唆された。このようにアミド基やウレア基でみられたN-メチル化に伴うシス型優先性はグアニジノ基、更にはアミジノ基に対しても成立する。

図4
プロペラ状グアニジニウムイオンの分子不斉

 グアニジノ基にメチル基を導入していくとグアニジノ基自身の平面性は保持されるものの、C-N結合の周りにねじれが生じる。特にテトラメチル体(6)の結晶構造を詳細に検討すると、グアニジノ基を中心としてC-N結合がいずれも同一方向に40°程度ねじれており、プロペラ状構造を形成していることがわかった(図5)。6のキラルな結晶には片方のエナンチオマーのみ含まれている。従って、CHCl3-AcOEtからていねいに再結晶することにより一方のキラリティーをもつ結晶のみを得ることができ、タネを用いれば望みのキラル結晶を得ることができる。この互いにエナンチオマーの関係にあるキラル結晶は、結晶のCDスペクトルにより両エナンチオマーが区別でき、それぞれX線結晶解析(Bijvoet法)により絶対構造を決定した(図5)。溶液中においては、化合物6は室温では速い平衡下にあるが、温度を下げると各コンフォマーのシグナルが分離し、N-メチル基のシグナル解析により、183Kで、(E,E)、(E,Z)、(Z,Z)の3つのコンフォマーが20:50:30で存在していることがわかった。各N-メチル基のシグナルは、キラルな1,1’-bi-2-naphtholの添加により各々2つに分かれ、各エナンチオマーの存在が示された。

図5
水溶性多層芳香族分子の構造と機能

 化合物4bのシス型優先性による芳香族の層状構造を応用すれば、分子内多層構造をもつ水溶性分子が構築できると考え、テトラグアニジン5MGおよび5PGを合成した。5MG、5PGいずれの場合もN-メチルシアナミド体とN-メチルアミノ体をクロロベンゼン中で加熱してN,N’-ジメチルグアニジノ基を合成したが、グアニジノ基の数が増すにつれ、有機溶媒への難溶性および反応性の低下によりこの条件ではカップリング反応は進行せず、最終段階では、ルイス酸AlCl3を用いて活性化することで目的物を得ることができた(図6)。予想通り、化合物5MGおよび5PGは高い親水性を示した。

図6

 5MG、5PGの1H-NMR測定をすると、芳香環プロトンのケミカルシフトがモノマーに相当する4bやシス型アミドと同じ高磁場シフトをしていることから、有機溶媒中および水中で層状構造を優先していることが示唆された。層状構造の内側のプロトンは末端のプロトンよりも更に大きな高磁場シフトが観測された。これらN,N’-ジメチルグアニジンユニットが種々の溶媒中で層状構造を優先していることはNOEによっても支持された。しかし、183Kまで温度を下げてNMR測定を行っても、複数のコンフォマーへの分裂は観測されず、穏やかなブロードニングが観測されるだけであった。また、様々なキラル試薬も用いたがキラルコンフォメーションの分離もできなかった。おそらくメジャーである層状コンフォメーションといくつかのマイナーコンフォメーションの速い平衡にあるのだろう。

 5MG、5PGの結晶構造では、どちらも1つの芳香環からでる2つの置換基はすべてシス型アンチコンフォメーションをとり、層状構造をなしていた(図7)。各分子の構造はモノマー単位である化合物4bとよく類似しており、芳香環同士の2面角はいずれも30°程度であった。更にメタ置換体5MGでは巻き方によって螺旋状のコンフォメーションをとると予想し、実際、その結晶構造では単一の分子に注目するとall-R(またはall-S)型のキラルな層状螺旋構造を示したが、単位格子中においては両エナンチオマーを等量含むラセミ結晶であった。また、5MGの結晶のパッキング構造をみると、分子が集まってジグザグ状の二重鎖を形成しており、各一本鎖は、単一のエナンチオマーで構成されていた。この時、一本の鎖中の隣り合う分子の末端のベンゼン環同士は、T型構造をとっており、その距離は約4.9Åとなっていた。

 5MG、5PGのこの層状構造において、各芳香環の距離が2本鎖DNAの核酸塩基対同士の距離と類似していることにヒントを得て考察したところ、層状分子の形状がDNAのマイナーグルーブによくフィットすることが予想された。このような観点から当研究室の福富によって、5MG、5PGとDNAの相互作用が検討され、限外濾過膜を用いた結合実験により5MG、5PGはともに結合定数が107M-1と大変高いDNA親和性を示した。これまでマイナーグルーブバインダーとしては主にNetropsinのような平面的構造の化合物が多く知られているが、5MG、5PGのように層状でしかもある程度厚みも持ち合わせた化合物は、新規なマイナーグルーブバインダーとして、今後の展開が期待できる。

図7
結論

 N-メチル化によるシス型優先性が芳香族グアニジン類に対しても一般性をもつ立体的性質であることがわかった。また、この立体特性をもとに分子不斉の発生や層状分子等ユニークな立体化学を示す芳香族分子の構築を可能とした。特に層状グアニジン類については強いDNA結合能をもつ水溶性芳香族機能性分子として応用展開をはかることができた。

審査要旨

 グアニジンはそのC-N結合の部分二重結合により適度な堅固性と柔軟性をあわせもつ官能基であり、その立体構造は分子の三次元構造を規定するとともに生理活性の発現にもクリティカルな寄与がある筈である。しかし、その立体化学の研究は極めて少ない。棚谷はジフェニルグアニジン類の立体特性をNMRおよびX線結晶解析によって精査した。

 N,N’-ジフェニルグアニジン(1)は結晶中ではイミノ型(1a)で存在するが、溶液中ではイミノ型とアミノ型(1b)の平衡にある。N,N’-ジメチル-N,N’-ジフェニルグアニジン(2)はN-メチル基とイミノ基がcis配置をとり、二つの芳香環が重なりあった構造が結晶解析およびNMRによって確認できた。この構造はグアニジニウム塩(3)においても保持される。

 テトラメチルグアニジニウム塩(4)はプロペラ状のねじれ構造をとり光学活性結晶が容易に分晶する。溶液中では(2)や(3)と同様の(Z,Z)構造が優先する。

 N,N’-ジメチル体のcis(Z,Z)優先性による芳香環の層状構造を応用してテトラ(N,N’-ジメチルジフェニルグアニジニウム)化合物(5,6)を合成した。para位で連結した5はラセン状の、meta位で連結した6は段状の大変美しい構造をとることが結晶解析で示された。これらは溶液中でもこの構造を保持している。

 以上、棚谷は芳香族グアニジンおよびグアニジウム塩の一般的立体特性を明らかにした。その結果、新しいタイプの分子不斉化合物や立体的規則性をもつ水溶性芳香族分子の構築を可能とした。これらの成果は有機化学の基礎的知見であるとともに、新規分子、医薬分子の設計において貴重、有用な指針を与えるものである。よって、棚谷の研究は薬学博士の学位を授与するに十分なものと判定する。

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UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54659