学位論文要旨



No 113705
著者(漢字) アフメド・ムスレ・ウディン
著者(英字) Mosleh Uddin Ahmed
著者(カナ) アフメド・ムスレ・ウディン
標題(和) 細胞内環状AMP産生によるホスファチジルイノシトール3-キナーゼの活性調節
標題(洋)
報告番号 113705
報告番号 甲13705
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第824号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 櫨木,修
内容要旨

 多くの細胞増殖因子は、チロシンキナーゼ活性を細胞質内にもつ細胞膜受容体に結合して受容体自身または他の細胞内蛋白質をリン酸化するが、そのチロシンリン酸化部位はSrc homology2(SH2)領域をもつ別の酵素やアダプター蛋白質によって認識され、受容体刺激のシグナルを細胞内へと伝達している。近年この機構で活性化される酵素として、SH2領域をその調節サブユニット分子内にもち、イノシトールリン脂質(PI)の3-位OH基をリン酸化する二量体型の脂質キナーゼ(PI3-K)が、細胞増殖などにおいて重要な役割を果たすことが報告されてる。一方、細胞膜7回貫通型受容体は、サブユニットからなる三量体G蛋白質を介してその情報を細胞内に伝達するが、このタイプの受容体刺激により惹起される種々の細胞応答にもPI3-Kの活性化が必須であることが、その強力な阻害薬であるワートマニンを用いた検討から明らかにされてきた。これらの知見は、異種のタイプの受容体刺激後のシグナル伝達経路にPI3-Kが共通して介在することを意味するが、活性化と制御機構が異なる複数のPI3-Kサブタイプの存在も指摘されている。

 本研究で私は、先ずモルモット好中球におけるG蛋白質共役型の走化性ペプチド(fMLP)受容体刺激を介する活性酸素産生が、細胞内環状AMP(cAMP)を増大させた条件下で抑制されることを見出し、その抑制機構について細胞内シグナル分子の産生動態から詳細に検討した。その結果、fMLP受容体刺激から活性酸素の産生に至るシグナル伝達経路においてPI3-Kが重要な役割を果たすこと、また、cAMP増大による活性酸素産の抑制は、先に推定されていた細胞内Ca2+に対するものでは説明出来ず、その作用点はむしろPI3-K活性化の抑制にあることを明らかにした。次に、ラット肝の遊離細胞において、チロシンキナ-ゼ型受容体と結合する上皮増殖因子(EGF)の作用と細胞内cAMPの増大が与える影響を検討し、EGFによるPI3-Kの活性化は、好中球細胞の場合とは異なり、cAMP産生の増大によって逆に増強されることを見出した。これらの知見は、G蛋白質共役型とチロシンキナーゼ型という異なるタイプの受容体刺激によって活性化されたPI3-Kが、細胞内cAMP増大によって全く逆の制御を受けることを意味している。

1.モルモット好中球おけるfMLPの活性酸素産生作用と細胞内cAMP産生増大の影響1.1cAMPおよびPI3K阻害薬による活性酸素産生の抑制

 好中球にfMLPを添加するとメジウム中に活性酸素が放出されるが、この応答は、細胞膜透過性cAMPアナログのジブチリルcAMP、ホスホジエステラーゼ阻害剤の3-イソブチル-1-メチルキサンチン(IBMX)、あるいはアデニレートシクラーゼを活性化する受容体アゴニストのプロスタグランジン(PG)E1の添加により、細胞内cAMPを増大させると抑制された。最も強い抑制は、IBMX存在下でPGE1を添加した細胞において観察された。一方、プロテインキナーゼ(PK)Cを直接活性化するフォルボールエステル(PMA)も活性酸素を産生したが、この作用はcAMP増大の影響を全く受けなかった。すなわち、PKCより上流の機能蛋白質分子がcAMP依存的にリン酸化され、活性酸素産生の抑制を導くことが示唆された。PI3-Kの特異的な阻害薬であるワートマンニンとLY294002は、いずれもcAMPと同様に、PMAの効果に影響を与えることなく、fMLPによる活性酸素産生を完全に抑制した。したがって、PI3-KもまたPKCの上流で機能しているものと思われた。

図1図2
1.2fMLPによる細胞外Ca2+の細胞内への流入とcAMPによるその抑制

 細胞内Ca2+濃度の上昇は、細胞内貯蔵部位からの動員と細胞外からの流入の両者によるが、細胞外のCa2+を除去した状態でfMLPを添加すると、一過性の細胞内Ca2+の上昇のみが観察され、これは細胞内貯蔵部位からの動員と考えられた。このピークが基底状態まで下降した後に細胞外にCa2+を添加すると、fMLPによって再び細胞内Ca2+の上昇が観察され、これは細胞外からの流入を意味した(図-1)。細胞内cAMP産生を増大させた条件下では、fMLPによる細胞内Ca2+の動員は同様に認められたが、細胞外からの流入が強く抑制された(図-1)。一方、PI3-Kの阻害薬は細胞内貯蔵部位からの動員には全く影響を与えず、細胞外からのCa2+流入をむしろ増強した。したがって、cAMPは細胞外Ca2+の流入を抑制するが、この抑制は必ずしも活性酸素産生の抑制とは関連しないものと思われた。

1.3fMLPによる細胞内Ca2+濃度上昇と活性酸素産生に対する細胞外Ca2+除去の効果

 細胞外からCa2+を除去してfMLPによる細胞外からのCa2+流入を抑制しても、細胞内貯蔵部位からの動員による一過性のピークは観察された。このとき、fMLPによる活性酸素産生は細胞外にCa2+が存在する時と全く同様であった。この事実は、cAMPによる細胞外Ca2+の流入抑制では活性酸素産生の抑制を説明できない、という先の結果を支持している。

1.4fMLPによるアラキドン酸放出と細胞内cAMP増大によるその抑制

 fMLPはホスホリパーゼA2を活性化して細胞膜リン脂質からアラキドン酸の放出を増加させる。この応答は細胞外からのCa2+流入の動態と一致した。すなわち、cAMPによって抑制され、細胞外Ca2+の除去によっても抑制されたが、PI3-Kの阻害薬は無効であった。この結果はcAMPによるアラキドン酸放出の抑制もまた活性酸素産生の抑制を説明し得ないことを意味した。

1.5fMLPによるPI3-K活性化と細胞内cAMP増大によるその抑制

 fMLPはPI3-Kを活性化してホスファチジルイノシトール-3,4,5-トリスホスフェート(PIP3)の生成を増加させた(図-2)。PIP3産生はIBMX存在下にPGE1を添加しておくと抑制され、活性酸素産生の抑制とよい相関を示した(図-2)。PI3-K阻害薬による活性酸素産生の抑制を考え合わせると、PI3-KはcAMPによる活性酸素産生抑制の作用点の一つの候補であると考えられた。

2.ラット肝遊離細胞おけるEGFのPI3-K活性化作用と細胞内cAMP産生増大の影響2.1EGFによるPI3-Kの活性化

 ラット肝遊離細胞においてEGFはPI3-Kを活性化し、細胞内PIP3産生を増加させた(図3)。このPIP3産生はPI3-Kの特異的な阻害薬で抑制された。

図3図4
2.2EGFによりチロシンリン酸化される蛋白質に会合したPI3-K活性

 EGFとグルカゴンで肝細胞を刺激し、細胞の抽出液を抗ホスホチロシン抗体で免疫沈降してPI3-K活性を測定した。EGFにより免疫沈降画分中のPI3-Kは活性化されたが、グルカゴンの単独刺激は無効であった。しかしながら、このグルカゴン刺激によって細胞内cAMPが増大した状態においては、EGFによるPI3-Kの活性化は著しく増強された。この活性化はワートマンニンとEGF受容体チロシンキナーゼ阻害薬のチロホスチンAG1478によって抑制された(図4)。したがって、チロシンキナーゼ型EGF受容体からPI3-Kに至る何らかの蛋白質分子がcAMP依存的にリン酸化され、EGFによるPI3-Kの活性化が増強される経路が推定された。

まとめ

 モルモット好中球におけるG蛋白質を介したPI3Kの活性化は、細胞内cAMP産生の増大によって抑制され、また肝遊離細胞における受容体型チロシンキナーゼを介したPI3Kの活性化は、cAMPによって増強された。本研究から、これら2種の異なるタイプのシグナル伝達経路に位置するPI3-Kが、cAMPによって全く逆の制御を受けるこが明らかにされたが、この差異とPI3-Kサブタイプとの関連は今後の興味ある課題である。

[参考論文]Mosleh U.Ahmed,Kaoru Hazeki,Osamu Hazeki,Toshiaki Katada,and Michio Ui. Cyclic AMP-increasing Agents Interfere with Chemoattractant-induced Respiratory Burst in Neutrophils as a Result of the Inhibition of Phosphatidylinositol 3-kinase Rather than Receptor-operated Ca2+ Influx.J.Biol.Chem.270,23816-23822,1995.
審査要旨

 イノシトールリン脂質3-キナーゼ(PI3-K)は、イノシトール環の3位水酸基をリン酸化する脂質キナーゼで、細胞増殖因子受容体などのチロシンキナーゼ型受容体刺激により活性化される。一方、三量体G蛋白質と共役する細胞膜7回貫通型受容体を介するいくつかの細胞応答にも、PI3-Kの関与が明らかにされつつある。これらの知見は、異種のタイプの受容体刺激後のシグナル伝達経路にPI3-Kが共通して介在することを意味するが、それらの活性化と制御機構については不明の点が多い。「細胞内環状AMP産生によるホスファチジルイノシトール3-キナーゼの活性調節」と題した本論文では、先ずモルモット好中球において、G蛋白質共役型の走化性ペプチド(fMLP)受容体刺激を介する活性酸素産生が、細胞内環状AMP(cAMP)産生の増大によって抑制されることを見出し、その抑制機構について細胞内シグナル分子の産生動態から詳細に検討した結果、fMLP受容体刺激から活性酸素の産生に至るシグナル伝達経路においてPI3-Kが重要な役割を果たすこと、さらに、cAMPによる活性酸素産の抑制は、PI3-Kの活性化の抑制に作用点があることを明らかにしている。また、ラット肝の遊離細胞において、チロシンキナーゼ型受容体と結合する上皮増殖因子(EGF)の作用と細胞内cAMPの増大が与える影響を検討し、EGFによってPI3-Kが活性化されること、またこの活性化は好中球細胞の場合とは異なり、cAMP産生の増大によって逆に増強されることを見出している。

モルモット好中球おけるfMLPによる活性酸素産生とPI3-Kの活性化及びcAMP産生増大の影響

 好中球にfMLPを添加すると活性酸素が放出されるが、この細胞応答は、細胞膜透過性cAMPアナログ、cAMP分解酵素の阻害剤、あるいはプロスタグランジンE1の添加によって細胞内cAMP産生を増大させると抑制された。一方、プロテインキナーゼC(PKC)を直接活性化するフォルボールエステル(PMA)も活性酸素を放出したが、この作用はcAMP産生の影響を全く受けなかった。すなわち、PKCより上流の機能蛋白質分子がcAMP依存的にリン酸化され、活性酸素産生の抑制を導くことが示唆された。PI3-Kの特異的な阻害薬であるワートマニンは、cAMP産生増大と同様に、PMAの効果に影響を与えることなくfMLPによる活性酸素産生を完全に抑制した。

 fMLPによる細胞内Ca2+濃度の上昇、ホスホリパーゼA2の作用による細胞膜リン脂質からアラキドン酸放出、PI3-KによるPI-3,4,5-三リン酸(PIP3)の生成など、細胞内シグナル分子の産生に対する細胞内cAMP産生の影響と活性酸素産生との関連が詳細に検討され、fMLP受容体刺激から活性酸素の産生に至るシグナル伝達経路においては、PI3-Kが重要な役割を果たすこと、また、cAMPによる活性酸素産の抑制はPI3-Kの活性化の抑制に作用点があると考えられた。

ラット肝遊離細胞おけるEGFによるPI3-Kの活性化とcAMP産生増大の影響

 ラット肝遊離細胞において、EGFはPI3-Kを活性化して細胞内PIP3産生を増大させることを見出した。EGFまたはグルカゴンで肝細胞を刺激し、細胞の抽出液を抗ホスホチロシン抗体で免疫沈降してPI3-K活性を測定した結果、EGFにより免疫沈降画分中のPI3-Kは活性化されたが、グルカゴン刺激は無効であった。しかしながら、このグルカゴン刺激によって細胞内cAMPが増大した状態においては、EGFによるPI3-Kの活性化は著しく増強された。この活性化はワートマニンとEGF受容体チロシンキナーゼ阻害薬によって抑制された。すなわち、チロシンキナーゼ型EGF受容体からPI3-Kに至る何らかの蛋白質分子がcAMP依存的にリン酸化され、EGFによるPI3-Kの活性化が増強される経路が推定された。

 以上を要するに、本論文は、モルモット好中球において、G蛋白質を介したPI3-Kの活性化が細胞内cAMP産生の増大によって抑制されること、一方、肝遊離細胞における受容体型チロシンキナーゼを介したPI3-Kの活性化は、cAMPによって逆に増強されることを見出している。これらの知見は、G蛋白質共役型とチロシンキナーゼ型という異なるタイプの受容体のシグナル伝達経路に位置するPI3-Kが、細胞内cAMP産生の増大によって全く逆の制御を受けることを意味している。これらの研究成果は、今後のPI3-Kの分子多様性と生理的意義を解明する上で有益な知見であり、博士(薬学)の学位として価値あるものと認められる。

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