学位論文要旨



No 113708
著者(漢字) 宇野,朋典
著者(英字)
著者(カナ) ウノ,トモノリ
標題(和) MUC1ムチン特異的細胞障害性T細胞を用いた腺癌免疫療法の基礎的研究
標題(洋)
報告番号 113708
報告番号 甲13708
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第827号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 武藤,誠
 東京大学 講師 加藤,晃一
内容要旨 [序論]

 ムチンは、上皮細胞が産生するセリン/スレオニン結合型(O-結合型)糖鎖を多く含む高分子量(20万以上)の糖蛋白である。ヒトではコアペプチドの遺伝子としてMUC1〜MUC8がクローニングされている。この中でMUC1ムチンは膜結合部位を持つ1型膜タンパクであり、糖鎖結合部位を含む30から90回の繰り返し構造(タンデムリピート)を細胞外に持っている。MUC1ムチンはもともと血中の腫瘍マーカーとして発見され大腸癌、膵臓癌、乳癌、卵巣癌、肺癌など多くの腺癌に発現が認められる。腫瘍細胞では糖鎖修飾の変化が起こる他、本来管腔側に発現すべきものが組織内に漏出したり本来発現しない臓器由来の細胞に発現するなどの異所的発現がみられる。このようなMUC1ムチンは腫瘍抗原としてBおよびTリンパ球の両者によって認識される可能性が指摘されてきた。CD8陽性細胞障害性Tリンパ球(CTL)に認識される種々の腫瘍抗原が最近同定されるようになったが、MUC1ムチンのみがMHC非拘束的に認識されるという報告もこの分子のT細胞による認識がユニークなものであることを強く示唆している。本研究ではこのMHC非拘束的認識におけるMUC1ムチン上の糖鎖の影響を調べる目的でMUC1ムチン特異的CTLの誘導をヒトとマウスの両者で試み、得られたCTLの特異性の解明を進めている。

1ヒト癌患者由来リンパ球からのMUC1ムチン特異的CTLの誘導[目的]

 2人の乳癌患者由来リンパ球、3人の卵巣癌腹水リンパ球からMUC1ムチン特異的なCTLを誘導し、それらの性質を明らかにする。

[方法]

 リンパ球を数種のMUC1ムチン陽性培養癌細胞(乳癌および膵臓癌)と共培養して刺激し、活性化した。数種の培養癌細胞にて順次刺激を加えたのはMHC拘束的に認識されるなんらかの腫瘍抗原の寄与を最小限にするためである。増殖したリンパ球の癌細胞に対する細胞障害性を標準的4時間51Cr遊離測定法により測定した(CTL assay)。

[結果]

 2例の乳癌患者の腫瘍近傍リンパ節由来リンパ球をBT-20細胞(乳癌)とHPAF-II細胞(膵臓癌)を用いて刺激した。4回の刺激後に得たリンパ球(BR-I及びBR-II)を用いてCTL assayを行った。BR-I,-IIどちらもBT-20細胞,HPAF-II細胞に対する細胞障害性を有していたが刺激細胞として用いていなかったMUC1ムチンを発現しているCapan-2細胞(膵臓癌)に対する細胞障害性は有していなかった。

 3例の卵巣癌患者腹水由来のリンパ球は刺激細胞としてBT-20細胞,HPAF-II細胞,Capan-2細胞を用いて培養した(OV-I,-II,-III)。CTL assayを行ったところ、OV-IIでは癌細胞に対する細胞障害性が検出されずNatural killer(NK)活性(K562細胞に列する細胞障害性)のみであった。OV-IIIでは3種類のMUC1ムチン発現細胞の中でCapan-2細胞に対してのみ細胞障害活性を示した。

 OV-Iは他のリンパ球と比べ培養中に著しい細胞増殖が観察され、刺激1週間後にはNK活性のみが、3週間後には一部の培養癌細胞に対して細胞障害活性を有していることが観察された(Fig1)。抗体でOV-Iの細胞障害性を阻害する実験を行った結果、これらのリンパ球はCD8陽性でありMHC拘束的に標的細胞を認識していることが判明した。抗MUC1ムチン抗体により細胞傷害性が阻害されなかったことよりMUC1ムチンは主要な認識相手ではなかったと考えられる(Fig2)。そこでOV-IのCTL活性に対するMUC1ムチンの影響を調べた。このリンパ球はMUC1陰性のヒト喉頭癌細胞であるH.Ep2細胞高継代株に対しても障害性を有しており、その活性は細胞にMUC1ムチンを強制発現させることにより阻害された(Fig3)。

Fig1 OV-I CTL assay(A)1 week(B)3 weeksFig2 各種抗体によるOV-Iの細胞障害性阻害

 また、障害されなかったHPAF-II細胞をO-結合型糖鎖伸長阻害剤であるBzl-GalNAcにより処理すると、感受性は上昇した(Fig 4)。

 以上の結果から、少なくとも培養腺癌細胞に対するCTL活性に関してはMUC1ムチンが阻害的に作用することがあり、O-結合型糖鎖がその阻害作用に重要であることがわかった。

Fig3 OV-Iの細胞障害性に与えるMUC-1ムチンの影響Fig4 OV-Iの細胞障害性に与えるO-結合型糖鎖の影響
2MUC1ムチン発現Recombinant Vaccinia Virus (rVV-MUC1)を用いたマウスリンパ球からのMUC1ムチン特異的CTLの誘導[目的]

 MUC1ムチン特異的なヒト由来のCTLの誘導が容易ではなく、またヒトのリンパ球から誘導されたリンパ球は長期培養がきわめて困難なため同一のヒトリンパ球を使用したCTLの研究はきわめて難しい。そこでMUC1ムチン遺伝子をVaccinia Virus(VV)に組み込んだ組み換えウイルスをマウスに免疫することによりMUC1ムチン特異的CTLの誘導を試みた。

[方法]

 VV早期/後期プロモーターp7.5の下流にMUC1遺伝子を連結後、相同性組み換えによりVVチミジンキナーゼ遺伝子内に組み込んだ(Fig 5)。MUC1遺伝子はVVに組み込まれる際、タンデムリピート部分の遺伝子の欠損が起きることが報告されていたが、今回私達の作製したrVV-MUC1は全長のMUC1遺伝子を含むものであることがわかった。このrVV-MUC1感染細胞でMUC1ムチンの発現が確認されたため、rVV-MUC1(1×107pfu)をC57BL/6マウスに静脈注射により免疫した。3週間後に脾細胞を回収し、Bzl-GalNAc処理してO-結合型糖鎖の伸長を阻害しておいたMUC1トランスフェクタント細胞と6日間共培養して刺激後、CTL assayを行った。Transport-associated protein with antigen processing(TAP)の変異体で、MHC class Iが細胞表面に発現しない細胞であるRMA-S、及びRMA-SにMUC1ムチンを強制発現させたトランスフェクタント細胞を標的細胞に用いてMHC拘束性を判定した。

Fig5(A)Vaccina Virusチミジンキナーゼ(TK)遺伝子領域へのトランスファーベクター(B)相同性組み換えによるrVV-MUC1作成方法
[結果]

 CTL assayの結果野生株(WR)VVで免疫したマウスとrVV-MUC1で免疫したマウスとでは、RMA-SおよびRMA-S MUC1トランスフェクタント細胞に対する細胞障害性は検出されたが、差はほとんど見られなかった。そこでトランスフェクタント細胞をO-結合型糖鎖伸長阻害剤であるBzl-GalNAcにて処理した後これに対する細胞障害性を測定した。WR免疫マウス由来リンパ球を用いた場合はBzl-GalNAc処理をしても、未処理やO-結合型糖鎖に影響を与えないBzl-GlcNAc処理した時の細胞障害性とかわらなかった。しかし、rVV-MUC1免疫マウス由来のリンパ球を用いた場合はBzl-GalNAc処理にてO-結合型糖鎖の伸長を阻害したRMA-S-MUC1トランスフェクタント細胞に対する細胞障害性のみが上昇した(Fig 6)。これらの結果からrVV-MUC1によってMUC1ムチンのコアペプチドを認識するCTLが誘導されたが、これらのCTLはMUC1ムチンの糖鎖が伸長していると認識できないと解釈できる。これらの細胞はMHC class Iの発現がなくMUC1ムチン由来ペプチド断片はMHC class I上に提示されれいないため、MUC1ムチンはMHC非拘束的に認識されていると考えられる。MUC1ムチンのタンデムリピート構造がB細胞によるT細胞非依存性抗原認識の場合と類似のMHC非拘束性の認識を可能にしているのかもしれない。

Fig6 rVV-MUC1免疫マウスCTLの細胞障害性に与えるO-結合型糖鎖の影響(A)WR免疫マウス由来CTLの細胞障害性 (B)rVV-MUC1免疫マウス由来CTLの細胞障害性
[まとめと考察]

 本研究では、ヒトとマウスのリンパ球からMHC非拘束性のMUC1ムチン特異的CD8陽性CTLの誘導を試みた。癌患者由来リンパ球から培養腫瘍細胞を用いて誘導したリンパ球はMUC1ムチン特異的ではなかった。一方、MUC1ムチンによるヒト由来のCTLに対する阻害効果がみられた。これまでの研究ではT細胞に認識される腫瘍抗原のほとんどがメラノーマから同定されてきた。MUC1ムチンに対するCTLが誘導、単離出来たなら養子免疫治療などの腫瘍免疫に有効であると思われる。CTLのMHC非拘束性認識が、マウスの系で初めて観察できたことは有意義と思われ、今後はこれらのCTLを用いCTL認識にあたえる糖鎖の影響を調べたり、様々なCTLクローンを確立し抗原特異性などを調べていくつもりである。

審査要旨

 本論文は、固形癌を形成している癌細胞に対する特異的なT細胞免疫応答を利用した、新しい癌の免疫療法を目指す研究の成果から成り立っている。癌細胞に対する免疫応答を誘導するに当たって、MUC1ムチンを用いている点に大きな特徴がある。この分子は、細胞傷害性リンパ球による認識には必須とされている抗原提示分子である主要組織適合抗原(MHC)Class Iに依存しない腫瘍抗原であることが本論文に示されている。腫瘍に対する免疫応答を利用した癌の治療法の開発は、癌の治療法として理想的ではあるものの、認識される抗原に一般性が乏しく、特に上皮系の腺癌に特異的な抗原が多くは見つかっていないこと、腫瘍細胞が抗原提示に必須と考えられているMHC Class Iを欠失させることによって癌細胞が免疫学的な認識を回避すること、などの問題点が多かった。本論文の結果は、これらの腫瘍免疫研究の現状に新たな打開の方向性を与えるだけでなく、免疫学的にも謎に満ちていたCTL誘導の機構の解明にも資するものである。論文全体は、大きく二つの部分にから成る。前半では、ヒト癌患者由来リンパ球からMUC1ムチン特異的細胞傷害性リンパ球(CTL)を誘導することが、後半では、MUC1ムチンに特異的なマウスリンパ球由来のCTLを誘導しその性質を明らかにすることが目的とされている。

 前半の記述は、二例の乳癌患者と三例の卵巣癌患者のリンパ球からMUC1ムチン特異的なCTLを誘導し、それらのCTLの性質を解明することに焦点が絞られている。CTLの誘導には、リンパ球を数種のMUC1ムチン陽性培養癌細胞とサイトカイン存在下に共培養するという方法が用いられた。増殖したリンパ球の癌細胞に対する細胞障害性は51Cr遊離測定法によった。これら五例のうち、一人の卵巣癌患者由来のリンパ球が著しく増殖し、刺激後3週間目にはCD8陽性でMHC拘束的に標的細胞を認識するCTLが増殖していることが判明した。患者由来のリンパ球を用いた合計数十例の試行のうちで、最も強力なCTLが得られたこの卵巣癌患者由来のリンパ球の例では、腫瘍細胞に発現するMUC1ムチンは認識相手ではなく、むしろCTL活性に対して抑制的に機能していることが明かとなった。さらに、O-結合型糖鎖がその抑制作用に重要であることが判った。以上の実験から、MUC1ムチン特異的なヒト由来のCTLを得ることは、材料が限られていること、個体差、CTLの性質の不安定性などから容易でないという結論が導かれた。

 そこで、MUC1ムチン遺伝子をVaccinia Virus(VV)に組み込んだ組み換えウイルスでマウスを免疫することにより、MUC1ムチン特異的なCTLを誘導する実験が次に試みられた。種々の条件で免疫を行って検討した結果、リコンビナントVV-MUC1(rVV-MUC1)をC57BL/6マウスに静脈注射により免疫する方法をとることとなった。免疫したマウスから3週間後に脾細胞を回収し、MUC1ムチントランスフェクタント細胞と6日間共培養して刺激している。

 ここで刺激に用いたMUC1ムチントランスフェクタント細胞は若干特殊なものである。すなわち、Transport-associated protein with antigen processing(TAP)の変異体で、MHC class Iが細胞表面に発現しない細胞(RMA-S細胞)を親株としている。また、O-結合型糖鎖の伸長阻害剤である、ベンジル-N-アセチルガラクトサミニド(Bzl-GalNAc)であらかじめ処理して用いている。用いたターゲット細胞に関しても同様である。ターゲット細胞をBzl-GalNAcであらかじめ処理しないと、免疫源に用いたMUC1ムチンの効果が見られなかった。これらの結果からrVV-MUC1によってMUC1ムチンのコアペプチドを認識するCTLが誘導されたが、これらのCTLはMUC1ムチンの糖鎖が伸長していると認識できないと解釈できる。これらの細胞にはMHC class Iの発現がなくMUC1ムチン由来ペプチド断片はMHC class I上に提示されていないので、MUC1ムチンはMHC非拘束的に認識されていると考えられる。MUC1ムチンのタンデムリピート構造は、B細胞によるT細胞非依存性抗原認識の場合と類似の、MHC非拘束性の認識を可能にしているのかもしれないとの提案がなされている。

 本研究では、ヒトとマウスのリンパ球からMHC非拘束性のMUC1ムチン特異的CD8陽性CTLを誘導することが試みられたが、リコンビナントワクシニアウイルスを用いてマウスに免疫するという方法を用いることによって、MHC非拘束性でMUC1ムチンに特異的なCTLの存在が初めて明らかにされたことは、極めてインパクトの高い成果である。細胞表面のムチンというよく知られた腫瘍抗原を介する、宿主免疫系による癌細胞の認識と免疫学的な除去の機構を解明するうえでの、重要なマイルストーンを残したといえる。これらの研究成果は腫瘍学及び免疫学に資するところが大であり、本論文の提出者は博士(薬学)の学位を受けるに十分であると判断した。

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