学位論文要旨



No 113710
著者(漢字) 紙,圭一郎
著者(英字)
著者(カナ) カミ,ケイイチロウ
標題(和) NMRによるIgG抗体結合性タンパク質プロテインA-Bドメイン(FB)の安定性と機能解析
標題(洋)
報告番号 113710
報告番号 甲13710
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第829号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨 【序論】

 プロテインAは、黄色ブドウ球菌の細胞壁表面に存在する多ドメインタンパク質であり、免疫グロブリンG(IgG)のFc領域にpH依存的に結合・解離するアミノ酸約60残基から成る5個の細胞外ドメインを含んでいる。本研究で取りあげるBドメイン(FB)は、これらの各ドメインのコンセンサスシーケンスを有する細胞外ドメインである。今までのFBに関する生化学的および物理化学的研究により、FBは極めて高い熱安定性を持ち、またFc領域に対し高い親和性を有していることが知られている。

【目的】

 このようにFBは、高い熱安定性およびpH依存性を示すFc結合活性という2つの特徴を持っている。そこで本研究では、FBの持つこれらの特徴をNMRを用いることによって、溶液中で原子レベルで解析することを目的とし研究を行った。

 熱安定性の解析では、疎水性コアに存在する残基の役割に着目し、改変体を用いて解析を行った。FBの高い熱安定性の原因を立体構造の観点から明らかにすることは、タンパク質の構造安定化メカニズムを明らかにし、さらには構造形成メカニズムの解明につながると考えられる。また構造安定化のメカニズムに関する情報は、将来我々が新たな機能を付与したタンパク質を人工的にデザインする場合にも有用な情報を提供すると考えられる。

 一方、タンパク質の活性発現メカニズムを明らかにするためには、そのタンパク質が溶液中単独で存在している状態と活性を発現した状態(FBの場合はFcに結合した状態)の両状態を原子レベルで解析する必要がある。

 活性に関する解析では、FB-Fc相互作用がpH依存性を有することから、FB単独状態でpH変化によりどのような構造変化が生じるが解析を行った。またFB-Fc複合体を溶液中で解析するに当たっては、従来のNMR法では分子量による制限があり困難であるため、溶液中で直接解析することを目的として研究を行った。このようなFB-Fc複合体をリガンドである低分子量のFB側から直接解析することの意義は、FB-Fc相互作用を理解するだけでなく、一般にNMRの適用が困難な高分子量複合体系の相互作用を溶液中で解析することを可能にし、さらにはレセプターに作用する新規薬物のデザインにも応用していくことが可能であると考えられる。

【1:FBの高度耐熱性の解析】

 FBの水溶液中における立体構造は、3本の-helixで構成されていることがNMRによる立体構造解析から明らかになっている。その結果、立体構造上の特徴として、親水性残基が互いに水素結合可能な位置に存在し、またPhe31は疎水性コアの中心付近に位置し、Leu23,Leu45,Leu52に囲まれていることがあげられる。このうちPhe31に関してはAlaに置換した改変体(F31A)が、FBより熱安定性が著しく低下していることがカロリメトリー実験から明らかになっている。

 そこで、FBの熱安定性に寄与していると考えられる2つの要因、側鎖の水素結合および疎水性コアにおけるPhe31の役割について原子レベルで解析を行った。

【親水性残基の役割】

 saturation transfer測定の結果、Gln27,56,41,Asn22,53の側鎖アミドプロトンの水素交換速度が遅いことが判明した。このうち、Gln27,56およびAsn22,53は空間的に近く互いの側鎖間で水素結合を形成することにより、helix III後半部分をhelix I,IIをつなぐループに固定化するアンカー的役割を果たしていると考えられる。

【疎水性コアに存在するPhe31の役割】

 次に、疎水性コアにおけるPhe31の役割を明らかにするため、F31Aの立体構造決定を行いFBと比較を行った。その結果、両者で3本の-helixの相対配置にアミノ酸置換による影響はほとんどなかったが、Phe31をAlaに置換したことにより疎水性コアにくぼみが生じており、F31AではFBより疎水性コアが溶媒に曝されていることが明らかになった。さらに、F31AのL23主鎖アミドプロトンおよびQ27,56側鎖アミドプロトンに化学交換が観測され、F31Aには部分的な運動性が存在することが明らかになった。

 疎水性コアが溶媒に曝されることは熱力学的に見るとエントロピー的に不利である。また、タンパク質の変性の駆動力は分子内の運動性であることを考慮すると、L23,Q27,Q56に存在する部分的運動性も安定性低下の原因であると考えられる。

 以上の結果から、Phe31は疎水性コアの溶媒への露出を防ぎ、かつ分子内の部分的運動性を抑えることによって、FBの構造安定化に寄与していることが明らかになった。

【2:pHに依存した構造変化】

 プロテインAとIgG抗体のFcフラグメントの結合はpH依存性を示し、中性領域で結合し酸性領域で解離するが、IgGのサブクラスによって異なる。そのため、プロテインAとFcフラグメントの結合能のpH依存性は、抗体側によって主に支配されていることが考えられる。しかし、プロテインA側から結合能のpH依存性に全く寄与がないとは考え難い。プロテインAが結合能のpH依存性に影響を持つならば、構造的に何らかの変化があることが予想される。そこで、FBの構造がpHに依存して変化をするのかどうか明らかにし、さらにはそのメカニズムの解明を目指して、Fc結合能が低下するpH5.1および高い結合能を示すpH8.1において立体構造解析を行った。

 その結果、pH5.1および8.1におけるFBの立体構造は同じであり、helixの相対配置はpHに影響を受けないが、F14,L18側鎖間のNOEパターンがpHによって変化することが明らかになった。また、カップリング定数3J(H-H)の測定から、F14,L18の1 angleは、pH8.1では180°の状態に片寄ることが判明した。

 また、芳香族残基側鎖プロトンの化学シフト値のpH依存性からpKa値を解析した結果、F14のpKaはH19側鎖のpKaと一致し、F14はH19側鎖のイオン化の影響を受けていることが考えられる。F14とH19は共にhelix Iに存在するが、直接相互作用できない位置関係にある。一方、Y15はH19とcation- interactionを行い、その相互作用はpHに依存するためY15側鎖の配向はpHによって変化する。その影響を受けF14の側鎖配向はpHによって変化し、さらにはL18にも影響が伝わると考えられる。

 X線結晶構造解析から、Fc結合状態のF14およびL18の1 angleはそれぞれ180°であり、またF14およびL18はFBのFc結合活性に必須の残基であることを考慮すると、F14およびL18側鎖の配向のpH依存性はFB-Fc相互作用のpH依存性に影響を及ぼすものと考えられる。

 今後、H19を置換した改変体を用いることによって、構造変化のpH依存性および活性への影響をより詳細に解析することが可能であると考えられる。

【3:Fc領域との相互作用解析】

 安定同位体標識法の導入および多次元多核種NMR測定法の開発により、分子量20k程度のタンパク質に対し、NMRによる立体構造解析が可能になった。一方、本研究で扱うFB-Fc複合体の場合、分子量が64kにものぼり分子量増大に伴う核緩和の加速によるNMRシグナルの減衰のため、主鎖原子のシグナル帰属も困難になる。しかしながら、一度帰属が確立されたならば、主鎖アミド窒素の緩和パラメーターおよび主鎖アミドプロトンの水素交換速度からタンパク質の部位特異的情報を得ることができる。

 そのためには核緩和を除き、NMRシグナルの減衰を抑える必要がある。核緩和の原因となるものにはいくつかあるが、そのうち水素核の双極子・双極子相互作用は非交換性プロトンを重水素に置換することによって除くことができ、高分子量タンパク質でも解析可能なNMRシグナルを得ることが可能になる。そこで、重水素化の手法を利用することによって、FBのFc結合状態を溶液中で直接観測することを試みた。

 重水素化されたFBの調製は、100%Acetate、100%D2O培地で生育する大腸菌のセレクションを行い、FBの発現を行った結果、非交換性プロトンの大部分が重水素化されたFBサンプルを得ることができた。高度に重水素化することによって分子量64kの複合状態でも核緩和が抑えられ、観測されるシグナルの数は増加し、FBのFc結合状態シグナルの帰属を行うことができるようになった。

 シグナルの帰属は、FB過剰状態(free:bound=1:1.66)でFB単独状態とFc結合状態間の交換を観測することによって帰属を行った。シグナルの帰属が付くことによって部位ごとの情報を得ることができ、FB単独状態とFc結合状態間の化学シフト変化からFBのFc結合部位に関する情報を得ることができた。化学シフト変化の大きい残基はN末ループ、helix Iおよびhelix IIに集中していた。N末ループは主鎖アミド窒素の緩和測定から、結合部位ではないと結論した。これまでの溶液中におけるFc結合部位に関する研究と今回直接解析することによって明らかになった結果を合わせてFBのFc結合部位を考察すると、FBはF14とL18で構成される疎水性面を形成し、その両脇に親水性残基が配置した結合面を形成してFcと相互作用すると考えられる。

【結論】

 安定性の解析から、FBは疎水性コアの溶媒への露出および部分的運動を抑えることによって、高い熱安定性を保持していることが明らかになった。この構造安定化に関する知見が、今後新たな機能を付与したタンパク質をタンパク質工学的にデザインする場合の有用な情報につながると期待される。

 また、タンパク質を重水素化する手法を利用することによって、従来のNMR法で解析困難であったFB-Fc複合体を溶液中で直接観測できるようになった。これはFB-Fc複合体の解析のみならず、一般に高分子量複合体を形成するレセプター・リガンド相互作用を溶液中で観測することにも応用できると考えられる。

審査要旨

 プロテインAは黄色ブドウ球菌の細胞壁に存在し、5個の細胞外ドメインを含む多ドメインタンパク質である。そしてこれらのドメインは、免疫グロブリンG(IgG)のFc領域に対してpH依存的に結合・解離することが知られている。本研究で取りあげるBドメイン(FB)は、これらの各ドメインのコンセンサスシーケンスを有する細胞外ドメインである。今までのFBに関する生化学的および物理化学的研究により、FBは極めて高い熱安定性を持ち、またFc領域に対し高い親和性を有していることが知られている。本論文は、FBの持つこれらの特徴に着目し、NMRによりFBの溶液中における立体構造を原子レベルで解析を行なったものである。

1.FBの高度耐熱性の解析

 FBの立体構造上の特徴から、高度耐熱性の要因と考えられる親水性残基間の水素結合および疎水性コアの中心付近に位置しているPhe31に着目し、それらの残基の安定性に関する役割を明らかにした。

 親水性残基の役割に関してはsaturation transfer測定の結果、Gln27,56およびAsn22,53は空間的に近く互いの側鎖間で水素結合を形成することにより、helix III後半部分を固定化する役割を果たしていることが示された。また、疎水性コアにおけるPhe31の役割を明らかにするため、Phe31をAlaに置換した改変体(F31A)の立体構造決定を行いFBと比較した結果、両者で3本の-helixの相対配置にアミノ酸置換による影響はほとんどなかったが、疎水性コアがが溶媒に曝されていることが明らかになった。さらに、F31AのL23主鎖アミドプロトンおよびQ27,56側鎖アミドプロトンに運動性が存在することが明らかになった。以上の結果から、Phe31は疎水性コアの溶媒への露出を防ぎ、かつ分子内の部分的運動性を抑えることによって、FBの構造安定化に寄与していることが明らかになった。

2.pHに依存した構造変化

 FBのpHに依存した構造変化とそのメカニズムに関して、立体構造決定・カップリング定数の測定・化学シフト変化の解析を行い、プロテインA側からの結合能のpH依存性への影響について論じた。その結果、pH5.1および8.1におけるFBの立体構造はほとんど変化がなく、helixの相対配置はpHに影響を受けないが、F14,L18側鎖間のNOEパターンがpHによって変化することが明らかになった。また、カップリング定数の測定から、F14,L18の1 angleは、pH8.1では180°の状態に片寄ることが判明した。さらに芳香族残基側鎖プロトンの化学シフト値のpH依存性から、F14はH19側鎖のイオン化の影響を受けていることが考えられる。F14およびL18はFBのFc結合活性に必須の残基であることを考慮すると、これらの結果はF14およびL18側鎖の配向のpH依存性はFB-Fc相互作用のpH依存性に影響を及ぼす要因の一つであることを示唆している。

3.Fc領域との相互作用解析

 本研究で扱うFB-Fc複合体の場合、分子量が64kにものぼり従来のNMR法でシグナルの観測および帰属を行うことは困難である。そこで、重水素化の手法を利用することによって、FBのFc結合状態を溶液中で直接解析することを行った。シグナルの帰属は、FB単独状態とFc結合状態間の交換を利用して行った。化学シフト変化の大きい残基はN末ループ、helix Iおよびhelix IIに集中していた。N末ループは主鎖アミド窒素の緩和測定およびHN-HN NOEパターンから、結合部位ではないと結論した。これまでの溶液中におけるFc結合部位に関する研究と今回明らかになった結果を合わせると、FBはF14とL18で構成される疎水性面を形成し、その両脇に親水性残基が配置した結合面を形成してFcと相互作用することが示された。

 以上、本研究はprotein A-B domain(FB)の2つの特徴である、Fc結合能および高度耐熱性について原子レベルで解析を行った。耐熱性およびpHに依存した構造変化に関する結果は、我々が将来的にタンパク質の構造と機能を人工的にデザインし、また制御していく時に有用な情報になると考えられる。また、Fc結合解析で示された戦略は、より高分子量の複合体系を溶液中で解析するための方向性を示すものと考えられる。以上を考慮した結果、博士(薬学)を授与するに値するものと認めた。

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