学位論文要旨



No 113711
著者(漢字) 國枝,武和
著者(英字)
著者(カナ) クニエダ,タケカズ
標題(和) センチニクバエ肢原基in vitro再生糸を用いた再生機構の解析
標題(洋)
報告番号 113711
報告番号 甲13711
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第830号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 嶋田,一夫
内容要旨

 再生は多くの多細胞生物の示す強力な自己修復機構の一つである。生物が如何にして失われた組織を再構築するのかという生物学の基本的問題を含むにもかかわらず、再生機構には不明な点が数多く残されている。完全変態昆虫の肢原基は将来成虫の肢を構築する幼虫組織で、成虫腹部でのin vivo培養で再生する。肢原基は肢各部の位置情報を保持しながら分化が完了しておらず、分化に伴う影響を受けずに位置情報の回復機構にアプローチできる優れた材料である。肢原基の再生は、まず傷口が癒合するwound healingが起こり、引き続く位置情報の回復と細胞増殖により再生が進行する。私は、修士課程において昆虫ステロイドホルモンである20-hydroxyecdysone(20-HE)が2.5x10-8Mでセンチニクバエの成虫原基断片のwound healingをin vitroで誘導することを明らかにした。また、同時にこのin vitro系で培養することによって、切除した領域内に局在していたwinglessが融合した傷口部位に再発現することを示し、円周方向の位置情報の回復がin vitroで再現されていることを示した。これは組織再生をin vitroで再現した初めての例であり、本系の確立により再生現象に人為的な操作を加えることが可能となった。このin vitro再生系を利用して本研究で私は、肢原基の再生が20-HEによる正の制御の他に幼若ホルモンによる負の制御を受けることを明らかにした。さらに、in vivoの系では解析が困難であった傷の修復、位置情報の回復、細胞増殖3者間の関連をこのin vitro再生系を利用することによって解析し、細胞増殖が傷の修復には不要である一方で位置情報の回復には必須であることを明らかにした。また、再生関連遺伝子のスクリーニングの過程で、肢原基近位領域に局在し、近遠軸における位置情報を反映する新規遺伝子を同定した。

1.ホルモンによる肢原基再生の制御

 修士課程で示した20-HEによる肢原基断片の再生誘導は組織再生がホルモンによって制御されていることをin vitroで明確に示している。20-HEはそもそも昆虫の脱皮・変態ホルモンとして同定されており、実際再生を誘導する40倍の濃度で成虫原基の成虫構造への分化をin vitroで誘導する。この20-HEの成虫構造への分化誘導活性は別の昆虫ホルモンである幼若ホルモン(JH)により抑制されることが知られている。そこで、組織再生のホルモンによる制御をより詳細に調べるため、また20-HEによる再生誘導が、分化誘導活性と同様の機構を持っているかを知るために、in vitroの再生に与えるJHの影響を検討した。高濃度のエクダイソンによる分化誘導活性を抑制する濃度である10-3MでJHを再生系に添加すると、20-HEの再生誘導活性も分化誘導活性と同様に完全に抑制された。このことから、20-HEによる分化誘導機構と再生誘導機構には共通の機構が存在している可能性が考えられた。

2.in vitro再生系における細胞増殖の役割

 組織の再生において、細胞増殖によって失われた細胞群を補充することは必要不可欠な事象であると考えられる。そこで、私の構築したin vitro再生系が細胞増殖を伴う系であるかどうかをDNA合成量を測定することにより解析した。まず、20-HE存在下で培養した原基断片の3H-Thymidineの取り込み量を測定した。その結果、20-HE非存在下で培養した原基断片の約6倍、同濃度の20-HE存在下で培養した正常原基の約3倍という高い放射活性を示した。このことは、in vitroでの再生に相関して、細胞増殖が促進されていることを示しており、in vitroにおける再生が細胞増殖を伴うものであることを示唆している。次に、再生原基に取り込ませたBrdUに対して間接蛍光抗体法を行い、DNA合成が起きている領域を検出した。その結果、癒合した傷口部位に偏ってDNA合成が起きていることが分かった。このことは、切除により失われた領域が接触した傷口の間に挿入されるというこれまでの知見とよく一致し、in vivoにおける再生と同様の様式がin vitroで再現されていることを示唆している。

 さらに、再生における細胞増殖の役割を明確にするために、in vitro再生に対して細胞増殖の抑制の与える影響を検討した。DNA polymerase阻害剤であるAphidicolinをin vitro再生系に添加して培養して、その影響を解析したところ、aphidicolinの添加により、確かにBrdUの取り込みは認められなくなったが、原基断片の形態変化に影響はなく、傷の修復の進行が認められた。このことから、原基断片の傷の修復には細胞増殖は必要ではないことが明らかとなった。また、この時に失われた領域に局在していたwingless遺伝子が再発現するかどうかは、(I)位置情報の回復が先にあってそれから細胞増殖により元の大きさが回復されるのか、(II)細胞増殖が先に起こって新生した細胞によって失われた位置情報が担われるのかという発生生物学で古くから議論されている再生機構の大きな問題に答える重要な実験である。この結果、細胞増殖を阻害するとwingless遺伝子の再発現が認められなくなり、位置情報の回復には細胞増殖が必須であることを明らかにした。これらの結果はin vitro系を用いることで初めて明確に示し得た成果である。

3.成虫肢原基近位領域に発現する新規遺伝子1L1の同定

 先に述べたように、原基の再生においては位置情報の再構築が行われ、これら位置情報を担う遺伝子の発現変動が起こると考えられる。そこで、位置情報の再構築に関わる遺伝子を同定するために、正常原基と再生原基断片との間で発現量の異なる遺伝子をDifferential Display(DD)法により検索したが、得られた候補遺伝子はいずれもRT-PCRで差異発現が確認できなかった。しかしながら、 whole mount in situ hybridization解析により、得られた候補の1つ1L1は、肢原基の外縁部(肢近位領域)に局在して発現していることが分かった。このことから、1L1は肢の近遠軸において最近位領域の位置情報を反映する遺伝子であり、近遠軸の分子基盤の一端を担っている分子である可能性が考えられる。

 つぎに1L1の1次構造を決定するためにcDNA cloningを行った。1L1のmRNAはNorthern blot上、約13k baseと長いことから、oligo-dT priming及びrandom priming Sarcophaga leg disc cDNA libraryから、DD法で得た遺伝子断片を出発プローブとして互いにオーバーラップする複数の陽性クローンを単離した。これらをつなぎあわせ、これまでに約4.7k baseの配列を決定した。この中には5’-末端より1.6k baseにわたって連続するopen reading frameが存在し、541残基のアミノ酸配列をコードしていたが、データベース中に有意な相同性を示すものはなく、1L1は新規な遺伝子であると考えられる。

まとめと考察

 本研究で私は、センチニクバエ肢原基のin vitroでの再生が、JHによって抑制されることを明らかにし、、20-HEの再生誘導機構が、分化誘導時と同様のホルモンによる制御を受けている可能性を示唆した。また、in vitro再生系において細胞増殖が傷口近辺で促進されていることを示し、in vitroの再生系が細胞増殖の点でもin vivoの再生をよく再現できていることを明らかにした。さらに、細胞増殖阻害の実験により、細胞増殖が傷の修復には不要である一方で位置情報の回復には必須であることを明らかにした。

 さらに、位置情報の再構築に関連する遺伝子のスクリーニングの過程で、肢原基の近位領域に局在する新規遺伝子1L1を同定し、肢の近遠軸の分子基盤の解析をすすめる新たな分子として期待される。

審査要旨

 生物の有する自己復元能力の現れである再生現象は、古くから多くの研究者により観察され、その機構に関する魅力的なモデルが提唱されている。しかし、.その分子機構は未だ明らかにされず、近年の進展著しい発生分子生物学の研究の中でも残された研究領域といえる。

 再生能力を有する多細胞生物の中でも、昆虫は単なる傷口の修復や周辺細胞の再分化にとどまらず、形態を完全に再構築するという高次の再生能を示す。完全変態昆虫の肢原基(将来成虫の肢を構築する幼虫組織)は肢各部の位置情報を保持しながら分化が完了しておらず、分化に伴う影響を受けずに位置情報の回復機構にアプローチできる優れた再生研究の材料である。本学位論文著者は、修士課程において昆虫ステロイドホルモンである20-hydroxyecdysone(20-HE)が低濃度でセンチニクバエの成虫原基断片の傷口の修復をin vitroで誘導すること、更に切除した領域内に局在していた位置情報を担う遺伝子であるwinglessが融合した傷口部位に再発現し、円周方向の位置情報の回復が再現されることを示した。これは組織再生をin vitroで再現した初めての例であり、再生現象に人為的な操作を加え、その機構を解析することが可能となった。

 この論文は、この再生系を用いて、再生誘導に関する昆虫ホルモンの関与を解析し、また複雑な再生現象の素過程についてその相互依存関係を解明したものである。本論文は序と総括を含み5章より構成される。

 2章では、ホルモンによる肢原基再生の制御機構について報告している。通常発生過程においては、20-HEの成虫構造への分化誘導活性は別の昆虫ホルモンである幼若ホルモン(JH)により抑制される。この知見と試験管内では20-HEにより再生が進行する事実を鑑みて、in vitroの再生に与えるJHの影響を検討した。その結果、10-3MでJHを再生系に添加すると、20-HEの再生誘導活性は完全に抑制された。この結果は肢原基の再生が20-HEによる正の制御の他に幼若ホルモンによる負の制御を受ける可能性を指摘したものであり、評価できる。

 3章では、再生現象でみられる3つのステップ、即ち傷の修復、位置情報の回復、細胞増殖の関連を解析している。まず、組織の再生においては、細胞増殖によって失われた細胞群を補充することは必要不可欠であり、実際にin vitroにおける再生も傷口周辺の細胞増殖を伴うものであることを示した。更にDNA polymerase阻害剤Aphidicolinをin vitro再生系に添加し、その影響を解析した結果、原基断片の形態変化に影響はなく、傷の修復の進行が認められる一方で、wingless遺伝子の再発現が認められなくなった。これは即ち、細胞増殖が傷の修復には不要である一方で位置情報の回復には必須であることを示している。これらの結果、特に位置情報の回復と細胞増殖との関係に関する結果は、再生現象を説明する2つのモデルのうち、極座標モデルが成虫原基の再生を説明するスキームとして有効であることを意味しており、発生生物学上の大きな論点に一つの解答を与えた点で大変重要な知見をもたらすものであるといえる。

 4章では、成虫肢原基近位領域に発現する新規遺伝子1L1の同定を報告している。今まで、位置情報の回復を前後背腹軸の決定に関する遺伝子を用いて解析してきたが、近遠軸に関する分子基盤を説明する分子はほとんど解析されていない。再生特異的発現を示す遺伝子を解析する過程で肢原基の外縁部(肢近位領域)に局在して発現する1L1遺伝子を発見した。この遺伝子の解析は本論文では完了していないが、およそ5kbにわたる解析で新規な遺伝子であることが予想されており、今後の解析により、原基の分化に関して新たな知見をもたらすことが期待される。

 以上、本研究は、in vitroの成虫原基再生系を用いて、再生誘導に関する昆虫ホルモンの関与を解析し、また複雑な再生現象の素過程について解明し再生モデルにおける論点に解答を与えた初めてのものであり、高い独創性に基づく研究といえる。発生生物学の進展に寄与するところは大きく、博士(薬学)の学位に相当するものと判断した。

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