マクロファージC型レクチンによる腫瘍細胞表面糖鎖の認識:リンパ節転移との関係について、と題する本研究は、癌治療において極めて重要なリンパ節転移の機構と、これに関与する癌細胞の分子形質特に細胞表面糖鎖の重要性を解明することを目的とした。癌細胞が発現している糖鎖は、転移臓器選択性や予後に強く関わっている可能性が指摘されてきているが、リンパ節転移の形成に関しては、癌細胞の糖鎖が生体内でどのような細胞によってどの様な機構で認識され、癌細胞の挙動に影響を及ぼすのかなど、全く明らかになっていなかった。本研究では、腫瘍細胞に対する自然免疫において重要な役割を担っていると考えられているマクロファージが、MHC非拘束的にかつ特異的に腫瘍細胞を認識する際、細胞表面の糖鎖を介していることに注目し、このような観点からマクロファージ表面に発現するガラクトース/N-アセチルガラクトサミン特異的なC-型レクチン(MMGL)を介した癌細胞とマクロファージとの相互作用が、リンパ節転移の形成を決定づけているという仮説の検証が目指された。その結果MMGLの結合性の低いマウス卵巣癌細胞は高いリンパ節転移性を示し、さらに高い運動性を有していることが示された。一般論として癌の転移性が、多くの癌細胞形質のコンビネーションによって左右されていることはよく知られているが、本研究は、複数の形質が転移性の高い癌細胞によって発現されるのが何故であるのかを検証するための基盤にも迫るものである。 本研究をまとめた論文は三つの部分からなり、第一部はマウス卵巣癌細胞をMMGL結合性によって分画してリンパ節転移性を調べたこと、及びリンパ節転移性によって同じ細胞株から高転移バリアント細胞を樹立したところMMGLの結合性が低かったことが述べられている。具体的には前者では、ビオチン標識したMMGLのリコンビナント体を作製してマウス卵巣癌OV2944-HM-1細胞を反応させ、ビオチンにFITC-avidinを結合させた後、セルソーターにより細胞を分画し、蛍光強度の高低5%ずつをそれぞれ分取して培養し、増殖した細胞を再度セルソーターにより同様に分画した。この操作を7回繰り返すことにより、MMGL高結合性株と低結合性株を樹立した。後者では、2-5x104個の同じ親株細胞を同系のB6/C3F1マウスの前肢足趾に皮下移植し、二週間後上腕リンパ節を採取し、転移した細胞を増殖させた後回収し、再度マウスの前肢足趾に皮下移植した。この操作を8回繰り返した。いずれの場合も低MMGL結合性と、高リンパ節転移性が同じ細胞亜集団に見られた。 第二部では、第一部で得られた高転移性/MMGL低結合性細胞が、高い運動性を持っていたという知見に基づき、高運動性バリアント細胞が選別されたことが述べられている。ボイデンチャンバーの上室に、OV2944-HM-1細胞を加え、24時間後下室に移動した細胞と上室に留まった細胞を分取して培養した。この操作を8回繰り返すことにより、高運動性株と低運動性株を樹立した。この細胞は、リンパ節転移性が高く、MMGLの結合性が低かった。すなわち全く別の方法で再び類似の癌細胞亜集団が取得されたことになる。 第三部では、これらの方法で得られた、MMGL結合性が高く、運動性が低く、リンパ節転移性が低い卵巣癌細胞亜集団と、MMGL結合性が低く、運動性が高く、リンパ節転移性が高い亜集団との間の細胞表面分子の差異を追及した結果が述べられている。前者の細胞亜集団は、細胞表面に高分子量のO-結合型糖鎖を含む分子、おそらくムチンを発現していた。これは、細胞表面の蛋白をジゴキシゲニン標識した後、可溶化した細胞成分のうちリコンビナントMMGLにて沈降する分子として得られた。この分子は、Jacalin-agaroseに結合性を有し、ガラクトースによりその結合が阻害される分子量約440kDa以上の細胞表面糖蛋白であった。そこで、この分子に的を絞って、アフニティークロマトグラフィーなどによって精製を試みた結果、CBB染色で単一バンドの電気泳動像が得られるまで精製された。 以上のように、もともと不均一な細胞集団を含むマウス卵巣癌細胞において、バリアント細胞株を得ることによって、MMGL結合性と細胞運動性が共同してリンパ節転移性を規定しうることがわかった。さらに卵巣癌のリンパ節転移に逆相関する、いわば転移抑制分子の候補が精製糖蛋白として得られた。本研究では、マウスのモデルを用いてリンパ節転移を再現した結果、その機構に糖鎖を介するマクロファージによる認識が重要であることが示された。また、リンパ節転移性の高い癌細胞が、転移に関係する複数の形質を同時に発現していることが明らかにされた。リンパ節転移という、これまで分子レベルでの解析がほとんど行われていなかった課題に、大きく貢献する研究成果である。これらの成果は腫瘍学、糖鎖生物学及び免疫学に資するところが大きく、本論文の提出者は博士(薬学)の学位を受けるに十分であると判断した。 |