学位論文要旨



No 113713
著者(漢字) 酒巻,利行
著者(英字)
著者(カナ) サカマキ,トシユキ
標題(和) マクロファージC型レクチンによる腫瘍細胞表面糖鎖の認識 : リンパ節転移との関係について
標題(洋)
報告番号 113713
報告番号 甲13713
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第832号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 久保,健雄
内容要旨

 癌治療において転移を抑制することは極めて重要である。癌の転移性は、多くの癌細胞形質のコンビネーションで決まると考えられているが、癌細胞が発現している糖鎖は、転移臓器選択性や予後に強く関わっている可能性が指摘されてきている。例えば癌細胞に糖タンパクのN-結合型糖鎖のプロセシングに影響する薬剤を投与するなどして、糖鎖の生合成や分解に関与する糖鎖を改変することにより、実験的な転移性を改変させた実験例が数多く報告されている。しかし、癌細胞の糖鎖が生体内でどのように認識され、癌細胞の挙動に影響を及ぼすのかは明らかになっていない。一方で、腫瘍細胞に対する自然免疫において重要な役割を担っていると考えられているマクロファージ(M)やNK細胞が、MHC非拘束でありながら選択的に腫瘍細胞を認識することに関して、細胞表面の糖鎖の関与が注目されている。当研究室では、抗腫瘍活性を持つMにおいてGal/GalNAc結合性でCa2+依存性のレクチン(MMGL)が、癌関連抗原であるTn抗原(GalNAc-O-Ser/Thr)に結合性を持つことや、癌細胞障害の認識過程にも関与することを示唆してきた。本研究では、癌細胞とMMGLを介したMとの相互作用が、癌細胞の転移性にどのような影響を与えているか、特に、臨床的重要性が高いにもかかわらず、そのメカニズムに未知な部分が多いリンパ節転移に着目して検討した。

<方法>1.MMGL結合性バリアント細胞株の樹立

 当研究室で以前に、天然型のMMGLの糖認識部位を含む細胞外部分のcDNAをpET-8cベクターに組み込み、それを導入した大腸菌BL21(DE3)pLysSを作製した。その組換え型大腸菌からIPTGによる誘導によりMMGLタンパクを発現させた後、Galactose-sepharoseによるアフィニティーにより可溶性のリコンビナント体(rML)を精製した。この可溶性のrMLは、天然型と同様な糖特異性を持ち、またM感受性のマウスマストサイトーマP815細胞に対しCa2+依存的に結合し、その特異的結合はTn抗原の増加に伴って増加した(1)。ビオチン標識したrMLを作製しマウス卵巣癌OV2944-HM-1細胞を反応させ、ビオチンにFITC-avidinを結合させた後、セルソーターにより細胞を分画した。蛍光強度の高低5%ずつをそれぞれ分取、培養した。増殖した細胞を再度セルソーターにより同様に分画した。この操作を7回繰り返すことにより、MMGL高結合性株と低結合性株を樹立した。

2.リンパ節転移能の測定及び転移性バリアント細胞株の樹立

 2-5x104個のOV2944-HM-1細胞を同系のB6/C3F1マウスの前肢足趾に皮下移植し、2週間後上腕リンパ節を採取し、重量を測定した。更にミンスして細胞をバラバラにした後、シャーレにて培養し、転移した癌細胞が増殖した時点でその細胞数を計測した。またリンパ節高転移性株の樹立の際には、同様に移植後2週間で上腕リンパ節を採取し、転移した細胞を増殖させた後回収し、再度マウスの前肢足趾に皮下移植した。この操作を8回繰り返した。

3.ボイデンチャンバー法による運動能の測定及びそれを用いた運動性バリアント細胞株の樹立

 10%FCSを含むMEMメディウム(MEM-10%FCS)を下室に入れたボイデンチャンバー(pore size:8m)の上室に、MEM-10%FCSに懸濁した105個のOV2944-HM-1細胞を加え、24時間後、下室に移動した細胞をグルタルアルデヒドで固定した後クリスタルバイオレットで染色し、細胞数を計測した。またバリアント細胞株を樹立する際には、同様にボイデンチャンバーアッセイを行い、24時間後下室に移動した細胞と上室に留まった細胞を分取、培養した。この操作を8回繰り返すことにより、高運動性株と低運動性株を樹立した。

4.MMGLリガンド分子の同定

 OV2944-HM-1細胞表面のタンパク質をジゴキシゲニン標識した後、Triton X-100により可溶化した細胞のlysateを用いて、Jacalin-agaroseにより沈降させた。さらにrML-agaroseにより再沈降させ、各々のレクチンビーズにおける結合画分及び非結合画分をSDS-PAGE後、POD標識抗ジゴキシゲニン抗体によりwestern blottingを行い、ECLにて検出した。精製する場合も同様のカラム操作を行ったが、分子量から不必要と思われる部分はsephacryl S-300カラムを用いたゲルろ過によって除いた。

<結果>1.MMGL結合性バリアント細胞株のリンパ節転移性

 バリアント細胞株のMMGL結合性を選別法と同様にフローサイトメトリーにより比較したところ、高結合性株で高く、低結合性株で低いことが確認された(Fig.1)。またプレートに固相化したrMLへの接着性も高結合性株の方が低結合性株よりも高く、この接着はガラクトースによりコントロールレベルまで阻害された。これらのMMGL結合性バリアント細胞株はin vitroにおける細胞増殖性には差がないが、同系のB6/C3F1マウスの前肢足趾に皮下移植した際の所属リンパ節への転移能は、低結合性株の方が高かった(Fig.2)。

2.リンパ節転移性バリアント細胞株のMMGL結合性

 得られたリンパ節転移性バリアント細胞株を同系のB6/C3F1マウスの前肢足趾に皮下移植した際の所属リンパ節への転移能を比較したところ、リンパ節高転移性株で転移能が高いことが確認された(Fig.3)。このバリアント細胞株間でin vitroにおける細胞増殖性には差がなかった。またこれらの細胞株のMMGLに対する結合性をフローサイトメトリーにより解析したところ、リンパ節高転移性株の方が結合性が低かった(Fig.4)。

Fig.1 MMGL結合性バリアント細胞株のrMLに対する結合性についてのフローサイトメトリー解析HM-1(-):低結合性株 HM-1(P):親株 HM-1(+):高結合性株Fig.2 MMGL結合性バリアント細胞株のリンパ節転移性Fig.3 樹立したリンパ節転移性バリアント細胞株のリンパ節転移性HM-1(L8):高転移性株 HM-1(P):親株Fig.4 リンパ節転移性バリアント細胞株のMMGL結合性についてのフローサイトメトリー解析
3.MMGL結合性バリアント細胞株及びリンパ節転移性バリアント細胞株の運転性

 これまでの結果から、MMGLを介したMによる認識がリンパ節転移を抑制する方向に働いている可能性が示唆された。しかしMMGL結合性以外の細胞形質がリンパ節転移性に関与している可能性も否定できない。そこで転移性を与える形質として重要な浸潤形質、特に細胞運動性について検討を加えた。それぞれのバリアント細胞株間でボイデンチャンバー法で測定した運動能を比較したところ、MMGL結合性が低く、リンパ節転移性が高いものの方が高かった。

4.運動性バリアント細胞株のMMGL結合性及びリンパ節転移性

 3.の結果から、運動性形質もリンパ節転移性に影響を与え得る可能性が生まれたため、次に運動性を指標にバリアント細胞株の樹立を試みた。得られたバリアント細胞株の運動性を選別法と同様にボイデンチャンバー法により比較したところ、高運動性株で高く、低運動性株で低いことが確認された。これらの運動性バリアント細胞株はin vitroにおける細胞増殖性には差がなかった。そこで、このバリアント細胞株間でMMGL結合性及びリンパ節転移性を比較したところ、高運動性株の方がMMGL結合性が低く、リンパ節転移性が高かった。

5.MMGLリガンド分子の同定

 MMGL結合性バリアント細胞株を用いて、種々の植物レクチンに対する結合性を調べた結果、O-結合型糖鎖上のGalNAcに特異的なVVA-B4レクチン及びDBAレクチンの結合性かMMGLへの結合性と相関したが、N-結合型糖鎖上のMan特異的なCon Aレクチン及びLCAレクチンの結合性はそのような相関がないことが解った。この結果から、MMGLは細胞上のムチン型糖タンパク質を認識している可能性が考えられる。レクチンビーズを用いた沈降実験の結果から、Jacalin-agarose結合画分においてrML-agaroseに結合性を有し、ガラクトースによりその結合が阻害される分子量約440kDa以上の細胞表面タンパク質の存在を認めた。さらにこの分子の発現レベルが、リンパ節転移性バリアント細胞株間でMMGL結合性と相関し、リンパ節転移性と逆相関した。よって、この分子に的を絞って、精製を試みた結果、CBB染色においてシングルバンドの電気泳動像が得られるまで精製された(Fig.5)。

Fig.5 精製したMMGLリガンド分子のCBB染色
<考察>

 マウス卵巣癌OV2944-HM-1細胞において、バリアント細胞株を用いた研究により、MMGL結合外と細胞運動性が共にリンパ節転移性を規定しうることが解った。また今回樹立したバリアント細胞株においては、MMGL結合性と細胞運動性とが逆相関を示したことから、両名の形質がどのような関係にあるのか興味深い点である。また、精製された卵巣癌のリンパ節転移に関与する分子の候補として、注目に値すると思われる。

<参考文献>(1)Sakamaki,T.et al.,J.Leukoc.Biol.57,407-414,1995
審査要旨

 マクロファージC型レクチンによる腫瘍細胞表面糖鎖の認識:リンパ節転移との関係について、と題する本研究は、癌治療において極めて重要なリンパ節転移の機構と、これに関与する癌細胞の分子形質特に細胞表面糖鎖の重要性を解明することを目的とした。癌細胞が発現している糖鎖は、転移臓器選択性や予後に強く関わっている可能性が指摘されてきているが、リンパ節転移の形成に関しては、癌細胞の糖鎖が生体内でどのような細胞によってどの様な機構で認識され、癌細胞の挙動に影響を及ぼすのかなど、全く明らかになっていなかった。本研究では、腫瘍細胞に対する自然免疫において重要な役割を担っていると考えられているマクロファージが、MHC非拘束的にかつ特異的に腫瘍細胞を認識する際、細胞表面の糖鎖を介していることに注目し、このような観点からマクロファージ表面に発現するガラクトース/N-アセチルガラクトサミン特異的なC-型レクチン(MMGL)を介した癌細胞とマクロファージとの相互作用が、リンパ節転移の形成を決定づけているという仮説の検証が目指された。その結果MMGLの結合性の低いマウス卵巣癌細胞は高いリンパ節転移性を示し、さらに高い運動性を有していることが示された。一般論として癌の転移性が、多くの癌細胞形質のコンビネーションによって左右されていることはよく知られているが、本研究は、複数の形質が転移性の高い癌細胞によって発現されるのが何故であるのかを検証するための基盤にも迫るものである。

 本研究をまとめた論文は三つの部分からなり、第一部はマウス卵巣癌細胞をMMGL結合性によって分画してリンパ節転移性を調べたこと、及びリンパ節転移性によって同じ細胞株から高転移バリアント細胞を樹立したところMMGLの結合性が低かったことが述べられている。具体的には前者では、ビオチン標識したMMGLのリコンビナント体を作製してマウス卵巣癌OV2944-HM-1細胞を反応させ、ビオチンにFITC-avidinを結合させた後、セルソーターにより細胞を分画し、蛍光強度の高低5%ずつをそれぞれ分取して培養し、増殖した細胞を再度セルソーターにより同様に分画した。この操作を7回繰り返すことにより、MMGL高結合性株と低結合性株を樹立した。後者では、2-5x104個の同じ親株細胞を同系のB6/C3F1マウスの前肢足趾に皮下移植し、二週間後上腕リンパ節を採取し、転移した細胞を増殖させた後回収し、再度マウスの前肢足趾に皮下移植した。この操作を8回繰り返した。いずれの場合も低MMGL結合性と、高リンパ節転移性が同じ細胞亜集団に見られた。

 第二部では、第一部で得られた高転移性/MMGL低結合性細胞が、高い運動性を持っていたという知見に基づき、高運動性バリアント細胞が選別されたことが述べられている。ボイデンチャンバーの上室に、OV2944-HM-1細胞を加え、24時間後下室に移動した細胞と上室に留まった細胞を分取して培養した。この操作を8回繰り返すことにより、高運動性株と低運動性株を樹立した。この細胞は、リンパ節転移性が高く、MMGLの結合性が低かった。すなわち全く別の方法で再び類似の癌細胞亜集団が取得されたことになる。

 第三部では、これらの方法で得られた、MMGL結合性が高く、運動性が低く、リンパ節転移性が低い卵巣癌細胞亜集団と、MMGL結合性が低く、運動性が高く、リンパ節転移性が高い亜集団との間の細胞表面分子の差異を追及した結果が述べられている。前者の細胞亜集団は、細胞表面に高分子量のO-結合型糖鎖を含む分子、おそらくムチンを発現していた。これは、細胞表面の蛋白をジゴキシゲニン標識した後、可溶化した細胞成分のうちリコンビナントMMGLにて沈降する分子として得られた。この分子は、Jacalin-agaroseに結合性を有し、ガラクトースによりその結合が阻害される分子量約440kDa以上の細胞表面糖蛋白であった。そこで、この分子に的を絞って、アフニティークロマトグラフィーなどによって精製を試みた結果、CBB染色で単一バンドの電気泳動像が得られるまで精製された。

 以上のように、もともと不均一な細胞集団を含むマウス卵巣癌細胞において、バリアント細胞株を得ることによって、MMGL結合性と細胞運動性が共同してリンパ節転移性を規定しうることがわかった。さらに卵巣癌のリンパ節転移に逆相関する、いわば転移抑制分子の候補が精製糖蛋白として得られた。本研究では、マウスのモデルを用いてリンパ節転移を再現した結果、その機構に糖鎖を介するマクロファージによる認識が重要であることが示された。また、リンパ節転移性の高い癌細胞が、転移に関係する複数の形質を同時に発現していることが明らかにされた。リンパ節転移という、これまで分子レベルでの解析がほとんど行われていなかった課題に、大きく貢献する研究成果である。これらの成果は腫瘍学、糖鎖生物学及び免疫学に資するところが大きく、本論文の提出者は博士(薬学)の学位を受けるに十分であると判断した。

UTokyo Repositoryリンク