学位論文要旨



No 113715
著者(漢字) 辻本,典子
著者(英字)
著者(カナ) ツジモト,ノリコ
標題(和) Fc受容体刺激によりチロシンリン酸化されるイノシトールリン脂質3-キナーゼ結合蛋白質の解析
標題(洋)
報告番号 113715
報告番号 甲13715
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第834号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 今井,康之
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 櫨木,修
内容要旨 【はじめに】

 好中球やマクロファージは生体防御において中心的な役割を担う血球細胞であり、走化性ペプチドであるformyl-Met-Leu-Phe(fMLP)は炎症部位において破砕された細菌より放出される。そのようなfMLPは、好中球を細菌の増殖場所へ導くために遊走性を与えると共に、活性酸素を産生させることにより殺菌作用を引き起こす因子としても作用し、生体防御という意味で重要な生理的意味を担っている。一方Fc-II受容体は抗体のFc部分に対する受容体であり、IgGでおおわれた異物が認識されるとFc受容体により結合し、貪食作用が活性化する。このようにfMLP受容体とFc受容体は共に異物よりの生体防御に関与しており、両受容体を刺激することにより起こる細胞応答には興味が持たれる。

 また、fMLP受容体はGTP結合蛋白質(G蛋白質)と共役しており、その受容体刺激によりG蛋白質を介して種々の効果器が活性化し、最終応答として活性酸素産生を引き起こす。一方、Fc-II受容体の刺激は、種々の細胞内蛋白質のチロシンリン酸化を引き起こすことにより情報を伝達することが知られている。そこで分化させた無傷のTHP-1細胞を用いて、Fc-II受容体刺激によるチロシンリン酸化を介する情報伝達経路と、fMLP受容体刺激によるG蛋白質を介した情報伝達経路を同時に刺激するという実験系による細胞応答を検討した。

1.fMLP受容体とFc-II受容体刺激による相乗的な活性酸素産生

 無傷の分化THP-1細胞において、fMLP受容体刺激に応答した活性酸素産生を検討したところ、Fc-II受容体の刺激共存下に著しく増強されるという興味深い知見が得られた(Fig.1)。尚、当研究室の検討によりCD38分子を介してFc-II受容体を刺激することが知られている、抗CD38モノクローナル抗体HB-7を用いても同様の活性酸素の産生増強が認められた。細菌感染などの炎症部位において、複数の受容体が同時に活性化している可能性を考えると、この現象は情報伝達系の相互作用のみならず、生理的にも意義があると考えられる。活性酸素の産生増強に関与する細胞内因子を検索する目的で、fMLP受容体刺激とHB-7を用いたFc-II受容体刺激による、種々のセカンドメッセンジャーの変化を解析した。その結果、イノシトール3,4,5-三リン酸(IP3)産生量、アラキドン酸放出、細胞内カルシウム動員についてはfMLP受容体刺激に応答した上昇は認められたものの、Fc-II受容体刺激を共存させることによる効果は認められなかった。一方、イノシトールリン脂質(PI)3-キナーゼの反応生成物であるPI-3,4,5-三リン酸(PIP3)については、両受容体刺激により産生量が増強されていた(Fig.2)。また、PI3-キナーゼの阻害薬であるワートマンニン処理により活性酸素の産生は顕著に抑制された。これらの結果より、両受容体刺激による活性酸素の産生増強において、PI3-キナーゼが重要な役割を果たしていることが示された。

fig.1 fMLPとFcII受容体刺激による活性酸素産生の増強

 一般的に、二量体型のPI3-キナーゼはチロシンリン酸化蛋白質との結合により活性化されることが知られている。そこで、細胞内蛋白質のチロシンリン酸化と活性酸素産生の増強作用の関係を検討した。その結果、細胞内蛋白質のチロシンリン酸化と活性酸素産生の増強という2つの細胞応答を引き起こすHB-7の濃度はほぼ一致した。また、チロシンリン酸化の阻害薬であるハービマイシンの影響を検討したところ、チロシンリン酸化の低下と活性酸素産生の抑制には良い相関性が認められた。これらの結果より、活性酸素の産生増強はFc-II受容体刺激によるチロシンリン酸化の亢進に依存していることが示された。そこで、Fc-II受容体を介するシグナル伝達経路における、蛋白質のチロシンリン酸化とPI3-キナーゼの関連について検討した

Fig.2 fMLPとFcII受容体刺激(HB-7)によるPIP3産生量の増加
2.Fc-II受容体刺激によりチロシンリン酸化されるPI3-キナーゼ結合蛋白質の検討

 PI3-キナーゼはチロシンキナーゼ系の情報伝達に関わる重要な酵素であり、触媒サブユニット(p110)とsrc homology2(SH2)ドメインをもつ調節サブユニット(p85)からなる二量体より構成されており、そのp85を介してチロシンリン酸化蛋白質と直接結合することにより活性化される。このPI3-キナーゼと結合するチロシンリン酸化蛋白質としては、PDGF受容体自身やインスリン受容体でリン酸化されるアダプター蛋白質のinsulin receptor substrateなどがよく知られている。Fc-II受容体の場合は受容体自身にはチロシンキナーゼ活性は無く、antigen receptor activation motifsというコンセンサス配列を介してチロシンキナーゼと会合し、細胞内蛋白質をチロシンリン酸化することが知られているが、二量体型PI3-キナーゼを活性化する際に介在するアダプター蛋白質の実体については不明の点が多い。

 そこで、Fc-II受容体とfMLP受容体刺激を介するPI3-キナーゼの活性化機構を検討するために、刺激した細胞の抽出液をPI3-キナーゼの触媒サブユニットに対する抗体で免疫沈降し、チロシンリン酸化蛋白質を解析した。その結果、Fc-II受容体の架橋刺激に依存して、PI3-キナーゼと共沈してくる120kDa(p120)と100kDa(p100)のチロシンリン酸化蛋白質が認められた(Fig.3)。特異的な抗体を用いた解析から、p120はプロトオンコジーン産物であるp120c-cblと同定された。一方のp100は、これまでにPI3-キナーゼとの相互作用が報告されている蛋白質に対する抗体とは反応せず、新規のものであると考えられた。PI3-キナーゼとこれらの蛋白質の結合様式について検討を行った結果、PI3-キナーゼとチロシンリン酸化蛋白質の会合に関わるSH2領域と直接結合していることが明らかになった。よって、p120c-cblとp100は、Fc-II受容体の刺激時にチロシンリン酸化されて、PI3-キナーゼを活性化するアダプター蛋白質であると思われる。

Fig.3 FcII受容体刺激によりチロシンリン酸化されるPI3-キナーゼ結合蛋白質の検出IP:anti PI3-kinase p110 subunit IB:anti-PY

 また、Fc-II受容体の架橋刺激によりチロシンリン酸化されるp100について、その特性を検討したところ、fMLP受容体刺激の共存下において、SDS-PAGE上での移動度が、経時的に高分子量側へ移行するという現象が認められた(Fig.4)。

Fig.4 SDS-PAGE上でのfMLP受容体刺激によるp100の移動度の変化IP:anti PI3-kinase p110 subunit IB:anti-PY

 このfMLP受容体刺激共存下におけるp100の高分子量側へのバンドシフトに関わる化学修飾について検討したところ、セリン/スレオニン残基特異的なホスファターゼであるPP2A処理により低分子量側へ戻ることから、セリン/スレオニンリン酸化が起きていることが示された。このp100のバンドシフトは、受容体とG蛋白質の共役を阻害する百日咳毒素で細胞をあらかじめ処理することにより消失し、fMLPの替わりにプロテインキナーゼCを活性化するホルボールエステルで再現された。これらの知見は、fMLP受容体と共役するG蛋白質がプロテインキナーゼCに類似した何らかのセリン/スレオニンキナーゼを活性化し、チロシンリン酸化されてPI3-キナーゼと結合しているp100のセリン/スレオニン残基をさらにリン酸化することを示している。また、ワートマニン処理を行っても、p100のバンドシフトは影響されないことから、p100のバンドシフトに関わるセリン/スレオニンキナーゼは、PI3-キナーゼの下流に存在するキナーゼカスケードの影響を受けないと考えられる。即ち、p100はFc-II受容体刺激によりチロシンリン酸化されるだけではなく、G蛋白質系のシグナル伝達経路を介してセリン/スレオニンリン酸化されるという、二重の制御を受けるユニークなアダプター蛋白質であることが明らかにされた。

 また、PI3-キナーゼの触媒サブユニットに対する抗体の免疫沈降画分におけるPI3-キナーゼ活性を検討した。尚、ヘテロダイマー型のPI3-キナーゼが、チロシンリン酸化ペプチドとG蛋白質のサブユニットにより相乗的に活性化されるという知見があるため、サブユニットの有無における酵素活性を測定した。その結果、Fc-II受容体刺激により、G蛋白質のサブユニット存在下のPI3-キナーゼ活性は相乗的に上昇した。さらに、両受容体刺激によりチロシンリン酸化のみならずセリン/スレオニンリン酸化したp100と結合しているPI3-キナーゼにおいては、Fc-II受容体刺激単独と比較して、G蛋白質のサブユニットに対する感受性が上昇している傾向が認められた。この知見は、アダプター蛋白質の化学修飾によりPI3-キナーゼ活性が制御されている可能性を示しており、PI3-キナーゼの新たな活性化メカニズムを示唆しているという意味で興味深いと考えられる。

[まとめ]

 fMLP受容体とFc-II受容体の同時刺激において、活性酸素の産生量が顕著に増加していることが示された。活性酸素産生に関与する種々の細胞内メッセンジャーの検討を行ったところ、両受容体刺激により、PI3-キナーゼが相乗的に活性化していることを見出した。また、活性酸素産生増強は細胞内チロシンリン酸化と相関していることが示された。これらの結果より、チロシンリン酸化により活性化したPI3-キナーゼが活性酸素の産生増強に関与していると考えられる。PI3-キナーゼと結合する蛋白質を解析したところ、Fc-II受容体刺激に依存してチロシンリン酸化されるp120c-cblと未知の100kDaの蛋白質(p100)が認められた。さらに、p100はfMLP受容体刺激に伴い活性化されるキナーゼにより、セリン/スレオニンリン酸化を受けるというユニークな特性を示した。そして、そのように二重にリン酸化されたp100と結合したPI3-キナーゼの酵素活性を検討したところ、G蛋白質のサブユニットに対する感受性が上昇しているという、生理的に興味深い現象が認められた。

1)Matsuo,T.,Hazeki,K.,Tsujimoto,N.,Inoue,S.I.,Kurosu,H.,Kontani,K.,Hazeki,O.,Ui,M.,and Katada,T.:Association of phosphatidylinositol 3-kinase with the proto-oncogene product Cbl upon CD38 ligation by a specific monoclonal antibody in THP-1 cells.FEBS Lett.397,113-116(1996).2)Tsujimoto,N.,Kontani,K.,Inoue,S.,Hoshino,S.,Hazeki,O.,Malavasi,F.,and Katada,T.:Potentiation of chemotactic peptide-induced superoxide generation by CD38 ligation in human myeloid cell lines.J.Biochem.121,949-956(1997).3)Inoue,S.,Kontani,K.,Tsujimoto,N.,Kanda,Y.,Hosoda,N.,Hoshino,S.,Hazeki,O.,and Katada,T.:Protein-tyrosine phosphorylation by IgG1-subclass CD38 monoclonal antibodies is mediated through stimulation of the Fc-II receptors in human myeloid cell lines.J.Immunol.159,5226-5232(1997).
審査要旨

 イノシトールリン脂質3-キナーゼ(PI3-K)は、イノシトール環の3位水酸基をリン酸化する脂質キナーゼで、チロシンキナーゼ型受容体あるいは三量体G蛋白質共役型受容体の刺激により活性化される。チロシンキナーゼ型受容体を介する経路では、110-kDa触媒サブユニットと85-kDa調節サブユニットからなるPI3-K(p110/p85)が、そのp85に存在するSrc homology2(SH2)領域を介して、受容体刺激によってチロシンリン酸化された部位と結合し、p110の酵素活性が増大する。Fc受容体など分子内にキナーゼ活性をもたない受容体も、細胞内のチロシンキナーゼを介してPI3-Kを活性化すると考えられるが、その機構については不明の点が多い。「Fc受容体刺激によりチロシンリン酸化されるイノシトールリン脂質3-キナーゼ結合蛋白質の解析」と題した本論文では、単球様に分化させたTHP-1細胞を用いて、G蛋白質共役型の走化性因子(fMLP)受容体とFc-II受容体を介するシグナル伝達経路を解析し、両受容体刺激によってPI3-Kを経由する活性酸素産生が相乗的に活性化されることを見出している。Fc-II受容体からPI3-Kへのアダプター蛋白質として、チロシンリン酸化される原癌遺伝子産物のp120c-cblと新規の100-kDa蛋白質を同定し、fMLP受容体の刺激共存下では、PI3-Kに結合したチロシンリン酸化100-kDa蛋白質がさらにセリン/スレオニン-リン酸化の化学修飾を受けることを明らかにしている。

 分化THP-1細胞でのfMLPとFc-II受容体刺激による活性酸素産生

 分化THP-1細胞において、fMLP受容体刺激に応答した活性酸素産生は、Fc-II受容体の架橋刺激共存下に著しく増強された。fMLP受容体刺激により細胞内で産生する種々の2次メッセンジャーの動態を解析し、PI3-K反応生成物の細胞内蓄積が、Fc-II受容体刺激で著明に増強されることを見出した。これらの細胞応答は、PI3-Kの阻害薬であるワートマニンとG蛋白質をADPリボシル化してその機能を抑制する百日咳毒素によって、完全に消失した。免疫担当細胞の重要な機能の一つである走化性ペプチドによる活性酸素産生が、Fc-II受容体刺激で増強される経路には、少なくてもPI3-Kの活性化が重要であると考えられた。

 Fc-II受容体刺激によりチロシンリン酸化されるPI3-K結合蛋白質

 上記2種の受容体刺激を介する細胞内チロシンリン酸化蛋白質を解析し、Fc-II受容体刺激に依存してPI3-Kと結合する120kDa(p120)と100kDa(p100)のチロシンリン酸蛋白質を同定した。特異的な抗体を用いた解析から、p120は原癌遺伝子産物のp120c-cblと同定され、一方のp100は新規のものと考えられた。p120c-cbl及びp100とPI3-Kとの結合様式について、p85に存在するSH2領域を発現させた蛋白質を用いて検討が加えられ、p120とp100は共にそのチロシンリン酸部位を介して、PI3-K-p85のSH2領域に直接結合することが明らかにされた。

 PI3-K結合蛋白質p100のG蛋白質を介するセリン/スレオニン残基リン酸化

 Fc-II受容体の単独刺激によるp100のチロシンリン酸は一過性であり、刺激後早い時間経過で消失したが、fMLP受容体を刺激すると、p100はSDS-PAGE上の移動度において経時的に高分子量側へ移行する現象が認められた。このfMLP受容体刺激を介する高分子量側へのシフトは、1)ホスファターゼ処理により低分子量側へ戻ること、2)細胞を予め百日咳毒素で処理すると認められないこと、3)ワートマニンによりPI3-K活性を抑制しても認められること、などの特性を示した。これらの結果から、fMLP受容体に共役するG蛋白質が何らかのセリン/スレオニンキナーゼを活性化し、PI3-Kに結合したチロシンリン酸蛋白質p100のセリン/スレオニン残基をさらにリン酸化することが示された。

 以上を要するに、本論文は分化THP-1細胞においてG蛋白質共役型のfMLP受容体とFc-II受容体を介するシグナル伝達経路を解析し、両受容体刺激によってPI3-Kを経由する活性酸素産生が相乗的に活性化されることを見出している。さらに、Fc-II受容体からPI3-Kの活性化に至るアダプター蛋白質として、チロシンリン酸化されるp120c-cblと新規p100を同定し、fMLP受容体の刺激共存下ではp100がさらにセリン/スレオニン残基リン酸化されることを明らかにしている。これらの成果は、今後のPI3-Kの生理的意義を解明する上で有益な知見であると同時に、細胞生理学における新たな視点を提供するものであり、博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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