学位論文要旨



No 113717
著者(漢字) 伏見,英樹
著者(英字)
著者(カナ) フシミ,ヒデキ
標題(和) ヒト大腸癌由来のエンド型ヘパラン硫酸分解酵素
標題(洋)
報告番号 113717
報告番号 甲13717
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第836号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨

 ヘパラン硫酸はプロテオグリカンの一種であるヘパラン硫酸プロテオグリカンの糖鎖部分である。ウロン酸とグルコサミンの繰り返し構造を基本とする高分子であり、不均一な硫酸化とエピマー化による多様な糖鎖構造が存在することが知られている。一見不規則に見える硫酸化多糖にはマトリックスや増殖因子等の複数のタンパクの結合に必須の構造が含まれており、多くのヘパラン硫酸結合性タンパク質の機能制御に役立っていると考えらている。この複雑な多糖の合成系路については分子レベルでの解析が進んでいるにもかかわらず、分解酵素特にエンド型分解酵素の基質特異性とそれに伴うヘパラン硫酸結合性タンパクの活性制御への関与については未知な部分が多い。よって既知の酵素とは基質特異性の異なるエンド型分解酵素の存在を明らかにしていくことはヘパラン硫酸の多様な糖鎖構造と機能の解析にはきわめて重要であるといえる。

 私はヒト大腸癌細胞がユニークな基質特異性を有するエンド型ヘパラン硫酸分解酵素を産生すること、この酵素が細胞表面や細胞外マトリックス中のヘパラン硫酸を分解することを見出した。

第1章蛍光ヘパラン硫酸分解を用いたヘパラン硫酸分解酵素活性測定法の確立とヒト大腸癌細胞由来のヘパラン硫酸分解酵素の基質特異性の検討1-1 FITC標識ヘパラン硫酸を基質としたヘパラン硫酸分解酵素活性測定法の確立と由来の異なるヘパラン硫酸分解酵素の基質特異性の比較

 これまで放射性同位体標識ヘパラン硫酸を用いたヘパラン硫酸分解酵素活性測定法によって血小板、肥満細胞、メラノーマ細胞などにヘパリン・ヘパラン硫酸分解酵素の存在が認められ精製が試みられている。放射性同位体標識物には感度や定量性という点でのメリットはあるものの即時性という点に欠ける。そこで私はヘパラン硫酸のウロン酸の一部をフルオレセインアミンで標識したフルオレセインアミン標識ヘパラン硫酸(FITC-HS)を作製し、これを基質としてゲル濾過HPLCにて分子量の変化を測定するヘパラン硫酸分解酵素活性測定法を確立した。ヘパラン硫酸分解活性とその基質特異性について情報の多い血小板(ヘパリン・ヘパラン硫酸に作用するエンド型酵素)、B16メラノーマ細胞(ヘパラン硫酸に作用し、ヘパリンで阻害されるエンド型酵素)と、情報の少ない大腸癌細胞株細胞由来の細胞抽出液を用いた分解様式の比較を行った。細胞由来の酵素はB16メラノーマ同様にヘパリンで阻害されたが、細胞由来の分解産物のほうが高分子量であった。一方、血小板由来の酵素はヘパリンで阻害されず、エキソグルクロニダーゼ阻害剤と考えられていたサッカリックアシッド1,4ラクトンで阻害された。

1-2B16メラノーマ細胞、細胞由来の分解酵素の基質特異性の比較

 B16メラノーマ細胞と細胞由来の分解酵素の産物の分子量が異なったことから両者の基質特異性に差異があると考え、基質であるヘパラン硫酸のグルコサミンのアミノ基や水酸基の硫酸基(N硫酸、O硫酸)を脱着した誘導体(completely desulfated N-acetylated heparansulfate(HS)(CDSNA)completely desulfated N-resulfated HS(CDSNS)N-desulfated N-acetylated HS(NDSNA))の分解様式と阻害剤であるヘパリン誘導体の阻害効果を比較した。溶出時間25分以降の溶出物が全体に占める割合を指標にするとB16メラノーマ由来酵素はいずれの誘導体も分解したが、細胞由来酵素はCDSNAをほとんど分解しなかった。よって細胞の酵素は水酸基、アミノ基の硫酸化構造を分解するが、B16メラノーマ細胞由来酵素は必ずしも水酸基の硫酸化を必要としないことが示された。また細胞由来酵素の分解産物中にB16メラノーマ細胞由来酵素の切断部位が存在することも分かった。よってヘパラン硫酸上にB16メラノーマ細胞由来酵素の切断部位が細胞由来酵素のそれより多く存在するために細胞由来酵素の分解産物の方が高分子量だったのではないかと考えられた。ヘパリン誘導体の効果を比較すると、細胞とB16メラノーマ細胞のヘパラン硫酸分解酵素が基質アナログによる阻害においても差異があることが示唆された。

 しかし、細胞抽出液を用いているので精製酵素を用いて比較検討するべく精製の条件検討を行っている。

第2章ヘパラン硫酸分解酵素を産生する大腸癌細胞の特性2-1ヘパラン硫酸分解活性を有する大腸癌細胞株の特性

 ヒト大腸癌細胞株のヘパラン硫酸分解酵素が細胞表面や細胞外マトリックスに存在するヘパラン硫酸プロテオグリカンに作用するか否かについて未知な部分が多いことから、17種類のヒト大腸癌細胞株におけるヘパラン硫酸分解活性の発現とこの活性を有する細胞の特性を調べた。

 フローサイトメーターによる抗ヘパラン硫酸抗体反応性を検討したところ、FITC-HS分解活性を有する細胞はおおむね抗ヘパラン硫酸抗体反応性が高くFITC-HS分解活性と抗体反応性から17種類の細胞株を4つのカテゴリーに分類した。無機硫酸で大腸癌細胞を放射標識した結果、酵素活性と抗体反応性ともに高い群の培養上清中にヘパラン硫酸プロテオグリカンの断片が検出され、ヘパラン硫酸分解解酵素の関与が推測された。

 抗ヘパラン硫酸抗体の反応性が高かった細胞のうちLS174T細胞とDLD-1細胞は細胞外マトリックスに対してヘパラン硫酸依存的な接着を示した。しかし、抗体反応性と酵素活性が相関したことの生物学的重要性は不明である。

2-2細胞外マトリックス中のヘパラン硫酸プロテオグリカンの分解

 35S硫酸標識した内皮細胞のマトリックスを用いて19種類の大腸癌細胞株によって細胞外マトリックス中のヘパラン硫酸が分解されるか否かをゲル濾過カラムにて検討した。細胞によるゲル濾過カラムの溶出パターンを図に示した。断片化されたヘパラン硫酸はフラクション20から30に溶出され、ピークトップの分子量は20kDa前後であり、FITC-HSを基質にした場合の分解産物の分子量と近い値だった。マトリックスからのヘパラン硫酸の断片の遊離もヘパリンで阻害された。8種類のFITC-HS分解活性を有するヒト大腸癌細胞株のうち6種類が内皮細胞由来マトリックス中のヘパラン硫酸を分解した。

第3章他の上皮系細胞のヘパラン硫酸分解酵素活性

 大腸癌以外の上皮系細胞のヘパラン硫酸分解活性を測定した。ヒト腎癌細胞、喉頭癌細胞、卵巣癌細胞のヘパラン硫酸分解酵素活性を測定した。その結果ヒト卵巣癌細胞のうち3種類の細胞に蛍光ヘパラン硫酸分解活性を認めた。今後、基質特異性等を検討していきたい。

結語

 (1)血小板、B16メラノーマ細胞、ヒト大腸癌細胞の抽出物によるヘパラン硫酸分解様式を比較したところ血小板のみがヘパリンで阻害されず、サッカリックアシッド1,4-ラクトンで阻害された。また細胞由来の分解産物はB16メラノーマ細胞由来のものにくらべ高分子であった。

 (2)3種類のヘパラン硫酸誘導体に対してB16メラノーマ細胞由来の酵素はいずれも分解したが、細胞由来のものは2種類のみであった。ヘパリン誘導体による阻害活性は細胞、B16メラノーマ細胞ともアミノ基の修飾と水酸基の硫酸化が必要だがその特異性にも差異があることが示唆された。

 (3)ヘパラン硫酸分解活性を有する大腸癌細胞株はマトリックス中のヘパラン硫酸を分解した。

 (4)ヘパラン硫酸分解活性を有する大腸癌細胞株の多くは細胞表面にヘパラン硫酸プロテオリカンを発現していた。

 (5)大腸癌細胞以外の上皮系細胞にもヘパラン硫酸分解酵素を有する細胞を卵巣癌細胞にも見出した。

審査要旨

 本論文には、ヘパラン硫酸に特異的なエンド型のグリコシダーゼ(ヘパラナーゼと総称される)の中で、ヒト大腸癌細胞の産生するものの性質を明らかにする、という研究の結果が述べられている。ヘパラン硫酸はヘパラン硫酸プロテオグリカンの糖鎖部分であり、ウロン酸とグルコサミンの繰り返し構造を基本とする高分子である。不均一な硫酸化とエピマー化によって、一つのポリマーの中に多様な糖鎖構造が存在することが知られている。このような糖鎖の非常に限られた配列のみを加水分解する可能性を秘めたヘパラナーゼは、糖鎖に対する制限酵素として位置づけられる可能性がある。一方、ヘパラン硫酸の断片は細胞外マトリックスの成分として、また種々の増殖因子の共働因子としての機能を持ち、特定の構造を持つ断片を生じるヘパラナーゼの作用は、これらの生理活性糖鎖を生成する過程としても注目される。本研究では、これまで解析の進んでいなかった上皮系細胞のヘパラナーゼとして、ヒト大腸癌細胞が産生するものが見いだされ、ユニークな基質特異性が明らかになった。本論文は、第1章:蛍光ヘパラン硫酸分解を用いたヘパラン硫酸分解酵素活性測定法の確立とヒト大腸癌細胞由来のヘパラン硫酸分解酵素の基質特異性の検討、第2章:ヘパラン硫酸分解酵素を産生する大腸癌細胞の特性、第3章:他の上皮系細胞のヘパラン硫酸分解酵素活性、という三つの部分からなる。

 第1章では、ヘパラン硫酸のウロン酸の一部をフルオレセインアミンで標識したフルオレセインアミン標識ヘパラン硫酸が作製され、これを基質として用いてゲル浸透クロマトグラフィーによってHPLCにて分子量の変化を測定するという活性測定法が確立された。ヘパラン硫酸分解活性、基質特異性、基質の構造類似体による阻害について、異なる細胞由来の酵素が比較さた。メラノーマ細胞、血小板、上皮系の大腸癌細胞では異なる特性を持ち、分解産物の分子量に違いがあることが明かとなった。ヘパラン硫酸のグルコサミンのアミノ基や水酸基の硫酸基(N硫酸、O硫酸)を脱着した誘導体の分解様式から、ヘパラン硫酸鎖の硫酸基の分布に関する酵素の基質特異性が異なることが明かにされた。すなわち、ヘパラン硫酸のグルコサミン残基のアミノ基に置換した硫酸基を除いたもの、水酸基とアミノ基の両方に置換した硫酸基を除きアミノ基をアセチル化したもの、水酸基の硫酸基を除去したままで、アミノ基を硫酸化したものに対する分解活性を比較した。メラノーマ細胞由来の酵素はいずれの誘導体も分解したが、大腸癌細胞由来の酵素は水酸基とアミノ基の両方に置換した硫酸基を除きアミノ基をアセチル化したものをほとんど分解しなかった。すなわち、メラノーマ細胞由来の酵素は大腸癌細胞由来のものと異なり、硫酸基に対する要求性が低いことが示された。また大腸癌細胞由来酵素の分解産物中にメラノーマ細胞由来酵素の切断部位が存在することも分かった。ヘパラン硫酸上にメラノーマ細胞由来酵素の切断部位が大腸癌細胞由来酵素のそれより多く存在するために、大腸癌細胞由来酵素の分解産物の方が高分子量だったのではないかと考えられた。大腸癌細胞とメラノーマ細胞のヘパラン硫酸分解酵素に対する、種々のヘパリン誘導体による阻害効果を比較すると差異があることが示された。

 第2章では、ヘパラン硫酸分解酵素を産生する大腸癌細胞と産生しない大腸癌細胞の間に、どのような違いがあるかが述べられている。フローサイトメトリーによって抗ヘパラン硫酸抗体の細胞表面への結合性をしらべたところ、蛍光標識ヘパラン硫酸を分解できる細胞は抗ヘパラン硫酸抗体との反応性が高かった。ヘパラン硫酸分解酵素を産生している細胞では、結果としてヘパラン硫酸プロテオグリカンの断片が培養上清中に放出されていた。更に、これらの細胞は、内皮細胞がin vitroで産生するマトリックス中のヘパラン硫酸を分解することが判明した。また、これらの細胞が基底膜を浸潤する際にこの酵素が関与することが示された。

 第3章では、種々の上皮系癌細胞のヘパラン硫酸分解酵素活性が、蛍光ヘパラン硫酸を用いて測定された。多くのヒト腎癌細胞、喉頭癌細胞、卵巣癌細胞などの活性を比較すると、卵巣癌細胞のうち3種類の細胞に分解活性が認められ、腫瘍細胞の挙動とヘパラン硫酸分解活性との間に関連があるという可能性が示された。

 これらの研究成果はプロテオグリカンの分解機構を通した、細胞認識と細胞交通の制御の理解に新しい視点をもたらすものである。また、糖鎖の持つ多様な情報性が、いかなる機構で生物学的に重要な細胞現象に変換されるかという、糖鎖生物学の中心的な課題に一つの解答を与えるものである。そのような意味で腫瘍学及び糖鎖生物学に資するところが大である本論文の提出者は博士(薬学)の学位を受けるに十分であると判断した。

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