学位論文要旨



No 113718
著者(漢字) 堀,昌平
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,ショウヘイ
標題(和) センチニクバエの変態期に体液細胞表面に発現が誘導される120-kDa蛋白に関する研究
標題(洋)
報告番号 113718
報告番号 甲13718
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第837号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 1.序論

 マクロファージはすべての多細胞動物に普遍的に存在する免疫細胞である。マクロファージは生体防御過程において重要な役割を担う一方、個体発生過程においても不要になった組織の崩壊や細胞のアポトーシスを誘導するという極めて重要な機能を担っていることが近年明らかにされている。このことは、マクロファージは個体にとって不要な組織を「非自己」と認識して排除することを示しており、その認識機構を分子レベルで解明することは、免疫機構の個体発生および系統発生的起源に関して新たな視点を与えるものと思われる。

 完全変態昆虫であるセンチニクバエでは、変態にともなって体液細胞の不要幼虫組織に対する認識が変化してその組織を崩壊させることが示されてきた。私は、体液細胞の認識転換の分子機構として、変態にともなって幼虫組織を認識する蛋白分子が細胞表面に発現した結果、体液細胞がその組織を「非自己」として認識するようになるというモデルを考えた。本研究では、センチニクバエ蛹体液細胞に対するモノクローン抗体を作製し、そのような認識分子の候補として、変態期に発現が誘導される膜蛋白の同定と解析を行った。その結果、分子量120-kDaの蛹体液細胞特異的膜蛋白を見出し、その一次構造解析を行ったところEGF-like repeatを有する新規な膜蛋白であることを明らかにした。

2.変態期に体液細胞表面に発現する120-kDa蛋白の同定と性状解析

 センチニクバエの変態期に体液細胞表面に発現する膜蛋白を同定し、解析を行う分子的ツールを得る目的で、蛹体液細胞に対するモノクローン抗体を作製した。体液細胞膜画分のdot-blotおよび固定条件下での体液細胞の間接蛍光抗体法により、幼虫と比較して蛹体液細胞と選択的に反応するハイブリドーマをスクリーニングした結果、23クローンを樹立した。さらに、非固定条件下での体液細胞の蛍光抗体法を行い、幼虫体液細胞とは反応せず蛹体液細胞表面と特異的に反応する4種の抗体を選別した。これらの抗体は全て、蛹体液細胞のなかでも顆粒細胞と呼ばれる細胞種と特異的に反応した。

 次に、これら4種の抗体の認識する蛹体液細胞の表面抗原を明らかにする目的で体液細胞蛋白のイムノブロット解析を行った。その結果、9C8抗体は蛹特異的な分子量120-kDaの蛋白を認識することがわかった。また、別の9F3抗体も同一移動度の蛹特異的な蛋白を認識した。さらに、4種の抗体で免疫沈降を行い、沈降物を9C8あるいは9F3抗体を用いてイムノブロットしたところ、4種の抗体はすべて同一の120-kDa蛋白を認識することがわかった。

 次に、蛹化にともなう120-kDa蛋白の体液細胞での発現量の変動を調べて幼虫組織の崩壊過程との時間的前後関係を調べたところ、120-kDa蛋白は蛹化時に発現することがわかり、幼虫組織の崩壊に先立って発現することが明らかになった。

 さらに、初期の蛹における120-kDa蛋白の発現組織を解析したところ、体液細胞以外の組織には発現せず体液細胞に特異的に発現することが明らかになり、120-kDa蛋白は蛹体液細胞に特有の機能を担う分子であると考えられた。

 センチニクバエでは蛹顆粒細胞はカテプシンBというプロテアーゼを放出して脂肪体とよばれる幼虫組織を崩壊させる細胞種であることが示されており、また、他の昆虫でも筋組織や翅原基に接着してその基底膜を破壊する知見が得られている。このことから120-kDa蛋白が顆粒細胞が幼虫組織と相互作用する際に機能している可能性が考えられた。また、120-kDa蛋白は幼虫組織の崩壊の過程と時をおなじくして発現することから、120-kDa蛋白がこれら幼虫組織の崩壊過程に関与することが強く示唆された。

3.120-kDa蛋白の一次構造解析

 次に、120-kDa蛋白の一次構造解析を行った。まず、120-kDa蛋白の部分アミノ酸配列の情報を得るために、その精製を行った。方法は、9C8抗体を用いて作製した抗体カラムを用いて、蛹体液細胞を1%NP40により可溶化したlysateからアフィニティー精製した。その結果、SDS-PAGE上ほぼ単一な分子量120-kDaの蛋白が精製された。この精製120-kDa蛋白のN末端アミノ酸配列、およびendopeptidase Lys-Cにより消化して得られた4個のペプチド断片のアミノ酸配列を決定した。

 そして、120-kDa蛋白のcDNAクローニングを行った。部分アミノ酸配列をもとにPCR法により得たcDNA断片をプローブとして、蛹体液細胞cDNAライブラリーに対してplaque hybridizationを行い陽性クローンを単離した。その塩基配列を決定したところ、得られたcDNAは765個のアミノ酸からなるオープンリーディングフレームを有し、決定した部分アミノ酸配列を全て含んでいた。このことから、このクローンは120-kDa蛋白をコードするcDNAであると結論された。また、このクローンはN末端アミノ酸より上流にシグナル配列、C末端側に膜貫通領域と考えられる疎水性の高い領域をそれぞれ1個有しており、8個の糖鎖付加可能部位を有していた。アミノ酸配列から予想される分子量は82-kDaであり、SDS-PAGE上の分子量とは大きく異なることから考えて、120-kDa蛋白は糖鎖により修飾されていると考えられる。

 得られた配列についてデーター・ベースに対してホモロジー検索を行った結果、高い相同性を示す蛋白は見出されなかったが、fibrillin、tenascin、Notch、DeltaといったEGF-like repeatを有する膜蛋白群と相同性を示し、実際に細胞外領域にその繰り返し構造を17個(不完全なものまで含めると18個)有していた。一方、細胞内領域は47アミノ酸と比較的短く、データーベース上高いホモロジーを示す蛋白や機能ドメインは見出されなかった。以上から120-kDa蛋白はEGF-like repeatを有する新規な膜蛋白であることが明らかになった。

 EGF-like repeatを有する蛋白群の機能は、多岐にわたっており、EGF-like repeatを有するという特徴のみから、その機能を類推することは困難である。しかし、120-kDa蛋白は、変態の過程で体液細胞に特異的に誘導されることから考えて、幼虫組織の排除という変態期の体液細胞に固有の機能と密接に関連した蛋白であると考えられる。EGF-like repeatを有する蛋白群は発生過程においてはNotch、Delta、tenascinなどのようには細胞・細胞間あるいは細胞・基質間相互作用に機能し、細胞に情報を伝達することが示されている。120-kDa蛋白は体液細胞が幼虫組織を認識あるいは接着するレセプターとして機能するか、あるいは幼虫組織の細胞の細胞死を誘導するリガンドとして働くなどの可能性が考えられる。

4.総括

 本研究で私は、センチニクバエの蛹体液細胞に対するモノクローン抗体を作製し、変態期に体液細胞に特異的に発現する、分子量120-kDaの膜蛋白を初めて見出した。そして、精製とcDNAクローニングを行った結果、120-kDa蛋白はEGF-like repeatを有する新規なI型膜蛋白であることを明らかにした。

 昆虫の蛹体液細胞に特異的に発現する膜蛋白を同定し、その一次構造を明らかにしたのは本研究が初めてであり、本研究は個体発生におけるマクロファージの機能を系統発生的な観点から普遍的に解明する上で重要な手がかりを与えるものである。今後は、120-kDa蛋白が変態期における不要幼虫組織の認識を担う分子であることを明らかにすることが課題である。そして、120-kDa蛋白のリガンドの解析、他種ホモローグの単離・解析を通して個体発生におけるマクロファージの機能が解明されてゆくと期待される。

審査要旨

 免疫学者メチニコフはマクロファージを発見し、細胞性免疫という概念を提唱する一方で、このような細胞がカエルの変態期にはオタマジャクシのしっぽなどの不要幼虫細胞を除去するという興味深い観察も行った。そして、その生物学的意義を考察し、免疫機構が個体発生に必要な非自己の認識排除機構を起源とするという仮説を提唱した。しかし、1世紀を経た現在においても、個体発生における非自己の認識機構を解析し、この仮説を裏付けるような分子的基盤を明らかにしたという研究成果は未だ報告されていない。

 完全変態昆虫センチニクバエにおいても、変態期の体液細胞が不要幼虫組織を崩壊させることが示されてきた。本論文の著者は、体液細胞の認識転換の分子機構として、変態に伴い、幼虫組織を認識する蛋白分子が細胞表面に発現した結果、体液細胞がその組織を「非自己」として認識するようになるというモデルを考えた。そして、そのような認識分子の候補として、変態期に発現が誘導される分子量120-kDaの膜蛋白を同定し、その構造解析の結果、EGF-like repeatを有する新規な膜蛋白であることを明らかにした。

 この論文は研究の歴史的背景を解説した序章を含み、計5章より構成される。主たる研究結果は2章と3章に記載されている。

 2章では、変態期に体液細胞表面に発現する120-kDa蛋白の同定と性状解析について報告している。センチニクバエの変態期に体液細胞表面に発現する膜蛋白を同定し、解析を行う分子的ツールを得る目的で、まず蛹体液細胞に対するモノクローン抗体を作製した。ハイブリドーマをスクリーニングした結果、幼虫体液細胞とは反応せず蛹体液細胞表面と特異的に反応する4種の抗体を最終的に選別した。そして、これらの抗体の体液細胞上の認識抗原をイムノブロット解析および免疫沈降法により解析した結果、4種の抗体はすべて同一の120-kDa蛋白を認識する事を示した。

 120-kDa蛋白は、体液細胞以外の組織には発現せず体液細胞に特異的に発現しており、複数の異なる細胞種からなる蛹体液細胞のなかでも顆粒細胞と呼ばれる細胞種と特異的に反応した。この蛹顆粒細胞はカテプシンBプロテアーゼを放出して脂肪体という幼虫組織を崩壊させる細胞種であることが示されており、120-kDa蛋白は顆粒細胞が幼虫組織と相互作用する際に機能する可能性が考えられた。更に、変態の時間経過に伴う120-kDa蛋白の体液細胞での発現量の変動の解析から、幼虫組織の崩壊に先立って120-kDa蛋白は蛹化時に発現することがわかり、不要細胞の認識に関わる分子である可能性が支持された。

 3章では、120-kDa蛋白のcDNAクローニングを行い、その一次構造を解析している。抗体カラムを用いて蛹体液細胞lysateからアフィニティー精製した120-kDa蛋白の部分アミノ酸配列を決定し、この情報をもとにPCR法により得たcDNA断片をプローブとして、センチニクバエ蛹体液細胞cDNAライブラリーに対しplaque hybridizationを行い陽性クローンを単離した。その結果、765個のアミノ酸からなるオープンリーディングフレームを有するcDNAが単離され、ここに決定した部分アミノ酸配列が全て含まれていたことから、このクローンは120-kDa蛋白をコードするcDNAであると結論した。

 得られたcDNAの配列についてホモロジー検索を行った結果、既知の蛋白に高い相同性を示さなかった。しかし、その細胞外領域にfibrillin、tenascin、Notch、Deltaといった膜蛋白群の有するEGF-like repeatを17個(不完全なものまで含めると18個)有していた。以上から120-kDa蛋白はEGF-like repeatを有する新規な膜蛋白であることが明らかになった。

 このrepeatを有する蛋白群は発生過程においては細胞・細胞間あるいは細胞・基質間相互作用に機能し、細胞に情報を伝達することが示されている。120-kDa蛋白は体液細胞が幼虫組織を認識あるいは接着するレセプターとして機能するか、あるいは幼虫組織の細胞の細胞死を誘導するリガンドとして働くなどの可能性が指摘された。

 以上、この研究は昆虫由来の新しい体液細胞表面特異的抗体の単離とその認識抗原の新規な構造を初めて記載したものであり、免疫機構の個体発生および系統発生的起源に関して新たな手がかりを与えるものと思われる。昆虫発生学にとどまらず、比較免疫学の今後の進展にも大きく寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54662