糖タンパク質の機能発現メカニズムを解明するためには、糖タンパク質に結合している状態の糖鎖の高次構造、運動性、ペプチド鎖との相互作用様式を原子レベルで明らかにすることが必要である。しかしながら、糖タンパク質を対象とする高次構造解析の方法論は著しく未開拓な状況にある。こうした状況を打破するためには、水溶液中における糖タンパク質不均一系の高次構造解析を行うためのNMRの方法論を開拓しなければならない。本研究では、代表的な糖タンパク質である免疫グロブリンG(IgG)を対象に、糖タンパク質糖鎖の選択的な安定同位体標識法を確立し、糖鎖に由来するNMRシグナルの体系的な帰属法を開発した。さらに、本研究で確立した安定同位体利用技術を応用し、IgGのFc部分に結合している糖鎖の動的高次構造解析を行った。 1、糖鎖の安定同位体標識法・NMRシグナルの帰属法の確立 糖タンパク質の糖鎖部分に選択的な安定同位体標識を施すために、まず特定の部位が高度に安定同位体標識された糖鎖前駆体を化学合成する方法を検討した。その結果、安価な原料を用いて、様々な安定同位体(13C、15N、17O)にて標識された糖鎖前駆体をグラム量にて合成することに成功した。このように化学合成した糖鎖前駆体を用い、 (1)糖タンパク質発現系の細胞内糖代謝 (2)糖転移酵素を用いたin vitro糖転移反応 を利用することによって、効率的に糖タンパク質糖鎖を安定同位体標識する方法を確立した。こうして得られた標識糖タンパク質試料に対して様々な多核NMR測定を行うことにより、糖鎖に由来するNMRシグナルを選択的に観測し、一義的に帰属することを可能とした。 2、糖鎖シグナルをプローブとしたFcの動的高次構造解析 帰属の確定した糖鎖由来のシグナルを用いて、Fcに結合している糖鎖の動的な高次構造解析を行った。糖鎖の非還元末端に位置しているGal残基に着目して解析を行った結果、Gal-6’由来のシグナルはGal-6のシグナルと比較して著しく線幅が増大していた。更に、Gal-6’由来のシグナルは、ペプチド鎖由来のNOEピークが観測された。従って、Gal-6’はペプチド鎖と相互作用することによって運動性が抑制されていることが明らかとなった。さらに、Gal-6’とペプチド鎖との相互作用がFcの高次構造に及ぼす影響を調べるために、Gal残基の除去、あるいはGalの付加を行ったFcを調製して比較解析した結果、糖鎖の局所(Man (1-6)分枝)において有意な化学シフト変化が認められた。同様な実験をペプチド鎖を標識したFcに関しても行った結果、Phe-243やVal-262を含む局所に有意な化学シフト変化が認められた。これは、Gal残基の除去により、糖鎖のみならずペプチド鎖も局所構造が変化したことを示している。慢性関節リウマチ患者由来のIgG糖鎖では、Gal含量が減少していることが報告されているため、本研究で明らかになったGal-6’の除去に伴うFcの局所構造の変化はリウマチ疾患との関連を考える上で興味深い。 このようにIgGを題材として、糖タンパク質糖鎖のNMR解析法を確立し、糖鎖シグナルをプローブとした糖鎖の動的高次構造解析を行うことができた。本研究にて確立した方法論は、IgG以外の様々な糖タンパク質にも一般に適用可能であり、さらに糖鎖と糖鎖認識分子との分子間相互作用の研究にも応用することが可能である。従って、本研究は博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。 |