学位論文要旨



No 113725
著者(漢字) 黒川,洵子
著者(英字)
著者(カナ) クロカワ,ジュンコ
標題(和) 洞房結節細胞におけるペースメーカーチャネルの細胞内制御機構
標題(洋)
報告番号 113725
報告番号 甲13725
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第844号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 1.緒言

 心臓の洞房結節はペースメーカー電位を発生し、心臓における心拍リズムを決定している。洞房結節のペースメーカー細胞においては、特徴的な緩徐脱分極相が心拍数の調節に大きく寄与しており、この相を形成するペースメーカーチャネルとしてIfチャネルが知られている。Ifチャネルは、主に洞房結節、房室結節とプルキンエ束の伝導系に局在し、過分極電位で活性化しNa+とK+を細胞内に流入する。IfチャネルはプロテインキナーゼAなどの機能蛋白を介さず細胞内cAMPで直接的に調節を受けており、アドレナリン受容体刺激で細胞内cAMP量が増加すると、活性化の電位依存性が脱分極側にシフトして電流が増大することが明らかにされている。アドレナリン受容体刺激でIfチャネル電流が増大して緩徐脱分極を促し、ムスカリン受容体刺激ではIfチャネル電流が減少して緩徐脱分極を抑えて、心拍数を調節すると考えられている。特に、IfチャネルはL型Ca2+チャネルとムスカリン性K+チャネルと比較しアセチルコリンに対する感受性が高いので、アセチルコリンの低濃度、つまり副交感神経の発射が低く抑えられているときの心拍調節は主にIfチャネルによると考えられている。

 Ifチャネルは、自律神経ホルモンによる心拍数調節に重要な役割を果たすが、いまだクローニングがなされておらず分子構造若しくはcAMP結合部位に関する情報は全くない。また、ムスカリン受容体刺激では、抑制性G蛋白を介してIfチャネル活性化の電位依存性が過分極側にシフトして電流が抑制されることは知られているが、G蛋白以降の経路は明らかではない。

 さらに、Ifチャネルは細胞内cAMPによる調節とは別に細胞内Ca2+による調節も受けている。生理的な濃度の範囲内で細胞内Ca2+がIf電流活性化の電位依存性を脱分極側にシフトすることが知られているが、この細胞内Ca2+による制御にCa2+結合蛋白が関わっているかどうか明らかではない。

 本研究では、Ifチャネルの細胞内cAMPによる制御機構を明らかにするために、まず洞房結節細胞におけるIfチャネルのムスカリン性制御機構を検討した。次に、Ifチャネルの細胞内cAMP調節部位を分子構造の点から検討するために、洞房結節細胞内に蛋白分解酵素を投与し、細胞内cAMPによるIfチャネル調節への効果を調べた。さらに洞房結節細胞において、Ifチャネルの細胞内Ca2+による制御機構への他の蛋白の関与を明らかにするために、Ca2+結合蛋白の関与を調べた。

2.ムスカリン受容体刺激によるIfチャネル電流抑制における細胞内情報伝達機構の検討

 ウサギ洞房結節細胞を用いて、電極内にイオノホアであるnystatinを投与し穿孔パッチ法により膜電流を測定した。ホスホジエステラーゼ(PDE)のムスカリン性If電流抑制に対する関与を検討するため、非選択的PDE阻害剤IBMX存在下におけるCChの作用を調べた。ムスカリン受容体アゴニストであるcarbachol(CCh)による洞房結節If電流抑制作用がIBMXにより減弱した。よって、PDEは洞房結節ムスカリン受容体刺激によるIf電流抑制制御経路に関与していることが示された。cGMP依存性PDE阻害剤であるEHNAにより、CChによる洞房結節If電流抑制作用が減弱し、洞房結節ムスカリン受容体刺激によるIf電流抑制制御経路に関与しているPDEはcGMP依存性ホスホジエステラーゼであることが示された。

 ウサギ洞房結節細胞のL型Ca2+チャネルにおいてPDE typeIIを活性化する経路としてNO合成系によるcGMP産生が示されているので、CChによる洞房結節If電流抑制作用に対するNO合成阻害剤NG-monomethyl-L-arginine acetate(L-NMMA)の影響を検討した。以前の報告通り、L-NMMAにより、CChによるL型Ca2+電流抑制作用は減弱したが、CChによるIf電流抑制作用は減弱しなかった。よって、Ifチャネルのムスカリン性制御にNO合成系の関与がないことが示された。

 以上の結果より、ウサギ洞房結節細胞におけるIfチャネルのムスカリン性制御には同細胞内のL型Ca2+チャネルと同様にcGMP依存性ホスホジエステラーゼが関与するが、L型Ca2+チャネルとは異なり、NO合成系は介さず他の経路を介することを示し、細胞内情報伝達系が局在化している可能性が示された。

図1.CChのIfチャネルおよびL型Ca2+チャネル電流抑制作用に対するPDE阻害剤とNO合成酵素限害剤の作用.A.IBMXのIfに対する(薬物投与前を100%とした)b.Iso刺激下でのCChによるIfまたはICa(L)抑制作用に対するEHNAとL-NMMAの効果(Iso刺激下での電流の大きさを100%とした)
3.Ifチャネル蛋白上のcAMP調節部位の検討

 Ifチャネルの細胞内cAMP調節部位を分子構造の点から検討するために、洞房結節細胞内にcarboxypeptidase Aを投与し、細胞内cAMPによるIfチャネル調節への効果を調べた。洞房結節細胞内に自然拡散によりcarboxypeptidase Aを投与すると、l-isoproterenolとcarbacholによるIfチャネルの増大と減少の作用が消失した。アドレナリン性受容体とムスカリン性受容体の両方に対する作用が消失したので受容体に対する影響ではないと考え、次に細胞内灌流により直接にcAMPを与えたときの作用を検討した。Carboxypeptidase Aにより細胞内灌流したcAMPに対するL型Ca2+電流の感受性が消失したとき、同時に測定したIf電流の細胞内cAMPに対する感受性も消失した。

 Carboxypeptidase AによりIf電流が減少した時の過分極刺激による電流活性化の電位依存性を調べた。コントロールに比べて過分極側にシフトする傾向は見られたが、過分極刺激に応じて電流は活性化しチャネル機能自体が酵素で傷害を受けたためにcAMP感受性が消失したのではないことを示した。酵素の投与によりcAMPによる電流活性化の電位依存性の脱分極側へのシフトが消失した。

 以上の結果から、Ifチャネルのカルボキシル末端はチャネル活性化に関わっており、このカルボキシル末端には細胞内cAMP調節部位が存在することが示された。Ifチャネルの機能と分子構造を結びつける初めての知見である。

図2.Iso(1M)とCCh(1M)のIfに対する作用へのcarboxypeptidase Aの効果.最上段の時間は細胞膜破壊後の時間、つまり細胞内拡散によりcarboxypeptidase Aが投与された時間を示す.点線は電流値が0のレベルを示す.上段、コントロール、下段、carboxypeptidase A.図3.Carboxypeptidase AのIfのI-V関係に対する作用.a.コントロール.b.carboxypeptidase A.〇:細胞膜破壊4分後、●:細胞膜破壊23分後、△:cAMP0.2mM.
4.細胞内Ca2+によるIfチャネルの制御

 ウサギ洞房結節細胞において、Ifチャネルを充分に活性化できる細胞内free-Ca2+濃度(100nM)において、カルモジュリンアンタゴニストはIf電流を抑制した。2種のカルモジュリンアンタゴニストによりIf電流は抑制されたので、カルモジュリンは細胞内Ca2+によるIfチャネル機能の調節に関わることが示された。

5.総括

 以上の研究により、自律神経による心拍数調節に主に寄与しているペースメーカーチャネルであるIfチャネルについて以下のことを示した。1)ムスカリン性制御機構におけるcGMP依存性ホスホジエステラーゼの関与することを示し、L型Ca2+チャネルとは異なる局在化した経路をとることを示唆した。2)Ifチャネルの細胞内cAMP結合部位が細胞内カルボキシル末端に存在することを明らかにした。3)Ifチャネルの細胞内Ca2+による制御にカルモジュリンが関与することを示した。本研究で得られた知見は、ペースメーカーチャネルであるIfチャネルの生理学的性質の研究と将来の分子構造解明に多大な貢献をするものであると考えられる。

審査要旨

 近年、心臓薬物治療における延命効果に心拍数調節の重要性が明らかになってきた。心拍数調節には心臓洞房結節の複数のチャネルが寄与しており、その中の一つに過分極活性型のIfチャネルがある。Ifチャネルは自発的に発生する洞房結節の活動電位の緩徐脱分極相の傾きを形成しており、この傾きは心拍数を決める要因の1つである。自律神経ホルモンによる心拍数調節には、受容体刺激によりIfチャネルが細胞内cAMPにより直接調節されることが主に寄与していると考えられている。しかし、Ifチャネルはいまだクローニングがなされておらず分子構造又はcAMP結合部位に関する情報は全くない。特に生理学的な状態でのムスカリン性の心拍数制御については、細胞内cAMP低下によるIfチャネル電流(If)抑制が主に関与していると考えられているが、その細胞内制御機構を明らかにした研究はほとんどない。また、Ifチャネルは細胞内の重要なメッセンジャーであるCa2+によって活性化されるが、その機構は不明である。

 本論文の目的は、洞房結節細胞において、細胞内cAMPのIfチャネル制御機構を調べることにより自律神経による心拍数調節のメカニズムを理解することと、細胞内Ca2+よるIfチャネル制御機構を調べることにより新たな制御経路を見い出すことである。まず、Ifチャネルの細胞内cAMP調節部位の位置がカルボキシル末端に存在するか調べるために、洞房結節細胞内に蛋白分解酵素を投与し、細胞内cAMPによるIfチャネル調節への効果を検討した。また、Ifチャネルのムスカリン性刺激による細胞内cAMP制御機構を明らかにするために、ムスカリン性If抑制作用に対するホスホジエステラーゼ(PDE)阻害剤とNO合成酵素阻害剤の作用を調べた。さらに、細胞内Ca2+によるIfチャネル制御に対するcalmodulinの関与をcalmodulin antagonistの投与により検討した。

 ウサギ心臓を酵素的に消化し、単離した洞房結節細胞を用い、whole-cell patch-clamp法で膜電流を測定した。Ifチャネルの制御へのカルボキシル末端の関与を調べるために、カルボキシル末端からアミノ酸を順々に切断する酵素(carboxypeptidase A)を洞房結節細胞内に投与し、Ifに対するl-isoproterenol(Iso)とcarbachol(CCh)の作用を調べた。その結果、carboxypeptidase Aの細胞内投与により、IsoとCChの作用が消失することを見出し、酵素がcAMP調節部位を切断している可能性が考えられた。次に、細胞内に投与した酵素が作用していることの指標として、Ifと同時にL型Ca2+電流(ICa(L))を同一細胞で測定しcAMPの作用を調べた。酵素の細胞内灌流により、ICa(L)は以前の報告通りの作用を示し、それと同時にIfは減少し、cAMPへの感受性の消失が見られた。さらに、酵素の細胞内灌流により、細胞膜破壊後の時間変化に伴うIfチャネル活性化の電位依存性が過分極側へシフトし、さらに活性化の電位依存性のcAMP感受性は消失した。その結果、Ifチャネルの細胞内カルボキシル末端がチャネル活性に関与し、cAMP調節部位が細胞内カルボキシル末端に位置することを見い出した。

 次に、非選択的PDE阻害剤であるIBMXとcGMP依存性PDE阻害剤であるEHNA、それぞれの存在下でムスカリン受容体アゴニストであるCChによるIf抑制作用が減弱したことから、Ifチャネルのムスカリン性制御にcGMP依存性PDE typeIIが関与していることを明らかにした。また、NO合成酵素阻害剤(L-NMMA)を処置したところ、CChによるICa(L)抑制作用は有意に減弱したが、If抑制作用は影響を受けなかった。よって、L型Ca2+チャネルとは異なり、Ifチャネルのムスカリン性制御にはNO合成系の関与がないことが明らかになった。今回の結果により、洞房結節細胞におけるIfチャネルのムスカリン性制御は、NO合成系以外の経路でcGMP依存性PDE typeIIの活性化を介することを初めて示した。

 さらに、Ifチャネルの細胞内Ca2+による機能制御における機能蛋白の関与を調べるために、Ifに対するcalmodulin antagonistの作用を検討した。W7とcalmidazoliumという2種のcalmodulin antagonistがIfを抑制したことから、Ifチャネルの細胞内Ca2+による機能制御にcalmodulinが関与すると考えられる。

 以上、本研究は、ウサギ洞房結節細胞のIfチャネルにおいて、1)cAMP調節部位が細胞内カルボキシル末端に位置すること、2)ムスカリン刺激による細胞内cAMP調節にNO合成系の関与がなくcGMP依存性ホスホジエステラーゼが関与すること、3)細胞内Ca2+による機能制御にcalmodulinが関与していることを示した。本研究で得られた知見は、細胞内cAMPによる調節という機能をIfチャネルの分子構造と初めて結びつけ、Ifチャネルのムスカリン性制御の新たな経路を示すことで自律神経ホルモンによる心拍調節機構の解明の糸口を与えるものであり、Ca2+によるIfチャネルの細胞内制御に新しい蛋白の関与を示唆するものである。本研究は、心拍調節の生理学および薬理学に貢献をするものであり、博士(薬学)の学位に値するものと認めた。

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