学位論文要旨



No 113727
著者(漢字) 三宅,洋
著者(英字)
著者(カナ) ミヤケ,ヒロシ
標題(和) HTLV-Iの制御因子Taxが突然変異に及ぼす効果の解析
標題(洋)
報告番号 113727
報告番号 甲13727
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第846号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,光昭
 東京大学 教授 池田,日出男
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 助教授 北,潔
内容要旨

 ヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-I)は成人T細胞白血病(ATL)の原因ウイルスであり、ヒトで初めて同定されたレトロウイルスである。HTLV-Iにはウイルス粒子構成蛋白質をコードする遺伝子の他に特徴的なpX領域がある。pX領域にはウイルスの増殖を活性化する因子Taxがコードされている。Taxはウイルス遺伝子の転写を活性化する他に、細胞の遺伝子の転写も制御する事が知られている。Taxは細胞の特定の遺伝子群の発現を活性化する一方で、別の遺伝子群の転写には抑制的に働く。また、細胞周期抑制因子の機能を阻害することも知られている。これらの活性によってTaxが細胞の増殖を促進させることが知られている。また、Taxが培養細胞をトランスフォームし、トランスジェニックマウスに白血病を誘発することなどから、ATLの発症にTaxが関与していると考えられている。しかし、ATLはウイルス感染後長い潜伏期間を経た後に発症することが知られているが、その白血病細胞(ATL細胞)にはTaxをはじめとしたウイルス抗原の発現がほとんど認められない。このようなことからTaxが白血病発症に関わる機構は単純なもの、つまり細胞増殖の促進のみではないと予想されるが、その実態は明らかにされていない。ただ、多くの癌で遺伝的不安定性が生じていることから、ATL発症にも遺伝的変化が重要だと予想されている。

 そこで私たちは、ウイルス因子であるTaxの発現が細胞に遺伝的不安定性を誘発する可能性を考え、本研究では点変異率について検討を行った。Taxの発現により細胞の点変異率が上昇し、遺伝子に変異が生じ、その結果として細胞の癌化を運命づける可能性を考えた。この可能性は内在性遺伝子と外来性遺伝子の両方を用いて検討した。細胞の遺伝子であるHPRT遺伝子をレポーターとして変異率を測定したところ、Taxの発現により約3倍の変異率上昇が認められた。また、大腸菌のlacI遺伝子をラットの細胞株に組み込んだシステムを用いた実験でも同様の結果が得られた。このことからTaxはHTLV-I感染細胞の点突然変異率を上昇させている可能性が示唆された。

【実験結果と考察】1.HPRT遺伝子の変異率図16-MP感受性(右上図)と6-MP耐性コロニー出現率(左上図)

 Taxがラットの胚性繊維芽細胞株rat2のHPRT遺伝子の変異率に与える影響を検討するために、6-メルカプトプリン(6-MP)耐性コロニー出現率を測定した。6-MPはプリン塩基合成のサルベージ回路内でHPRTにより修飾されてヌクレオチドとなりゲノムDNAに取り込まれ、最終的にはDNA複製の阻害をして細胞毒性を発揮することが知られている。HPRT遺伝子に変異が入り不活化された細胞は6-MPをゲノムDNAに取り込むことができなくなり6-MP耐性となる。HPRT遺伝子は細胞の生存に必須ではないことから、その変異は細胞の増殖に影響を与えないと考えられている。トランスフェクション法によりrat2細胞にTax蛋白質を発現させたところ、対照操作に比して薬剤に対する感受性は変化しなかったが、耐性コロニー出現率は対照操作の1.8X10-5±1.96から5.9X10-5±1.66の約3倍に上昇することが示された(図1)。この結果はHPRT遺伝子のの変異率が約3倍に上昇したことを強く示唆している。ただ、HPRT遺伝子の変異を直接確認するためには、6-MP耐性細胞のHPRT遺伝子の塩基配列を解析する必要がある。しかし、塩基配列を解析し、その変異スペクトルを検討するに当たっては、いくつかの技術的な困難が予想される。そこで、塩基配列解析が容易に行えるlacI遺伝子を用いた変異率測定法を用いて、さらに実験を行うことにした。

2.lacIレポーターの変異率

 6-MP耐性コロニー出現率を測定した結果、Taxの発現により細胞の変異率が上昇することが示唆された。さらに、塩基配列解析を行い、変異スペクトルの検討を行うために大腸菌のlacI遺伝子を用いた実験系で変異率の測定を行うことにした。この測定法は変異検出用のlacIレポーターがファージミッドの形で存在しており、lacIをプラスミドの形で回収することができるので、容易に塩基配列解析を行える利点がある。実験は以下のように行った。lacIレポーターが導入されたrat2細胞にTaxを発現するプラスミッドを導入しクローン化した。Taxの発現をウエスタンブロッティング法により確認し、さらにルシフェラーゼアッセイを行い、Taxのエンハンサー依存的な転写活性化能を検討して、発現しているTax蛋白質が活性を保持していることを確認した。約一ヶ月培養した後、細胞のゲノムDNAを調整し試験管内パッケージングによりlacIレポーターをファージ粒子内に回収した。ファージを大腸菌に感染させプラークを形成させて、5-ブロモ-4-クロロ-3-インドリル-b-D(-)-ガラクトピラノシド(X-gal)を基質として発色試験を行った。lacIレポーターに変異が入っていれば青色のコロニーを、入っていなければ無色のコロニーを形成する。その結果、Tax発現細胞の変異率は6.0X10-5±1.75で対照群変異率2.2X10-5±1.03の約3倍弱に上昇していた(図2)。この値は統計学的に有意な差であった (p<0.01)。また、変異率が約3倍上昇するという結果は、6-MP耐性コロニー出現率を測定した結果とほぼ等しい結果であった。

図2 青色プラーク出現率

 次に、Taxのどのような活性が変異率の上昇に必要とされているのかを検討するために、転写制御活性及び細胞周期制御活性を失ったTax変異体を用いた実験を行った。その結果、変異体を発現している細胞株では対照群に比して変異率が若干上昇(4.0X10-5±2.53)していたが、統計学的に有意な差とはならなかった。このことから、変異率の上昇にはTaxの転写制御活性や細胞周期制御活性が必要とされるが十分ではない可能性が示唆された。

 さらに、変異に特別なパターンが存在するかどうか調べる目的で、変異が入った青色のファージプラークからレポータープラスミドを試験管内切り出し反応により回収し、蛍光シークエンス法により解析を行った。その結果Tax発現細胞の変異の種類は、対照群に見られるものと差がなかった(表1)。以上のことからTaxの発現は、ランダムに点変異率を上昇させると結論された。また、変異塩基のlacI遺伝子上での位置を検討したところ、Tax発現細胞では対照群と比して位置の等しい変異が若干多いことが明らかになった。このことからTax発現の比較的初期に変異が導入された可能性を考えた。さらに、我々の研究室ではTaxが大量発現した細胞は発現初期に細胞増殖が抑制される傾向にあることを観察している。そこで、点変異率の上昇がTaxの発現初期に集中し、その結果として細胞増殖が抑制されている可能性を検討することにした。感染効率がほぼ100%であるアデノウイルスベクターを使ってTaxを発現させた。感染後の細胞増殖速度はTax蛋白質発現の有無に関わらず等しいことを確認した(図3)。また、Tax蛋白質の発現量を検討した結果、先に変異率の上昇が示されたTax発現細胞株の約3倍であり、発現量は変異率を上昇させるのに十分であることを確認した。感染3日後にゲノムDNAを回収し点変異率を測定した結果、Tax発現細胞(3.2X10-5)と対照操作(2.8X10-5)の変異率に有意な差はなかった(図3)。この結果からTax発現による変異率の上昇は発現初期に一過的に集中している訳ではないことが示された。

図3 Tax発現初期における青色プラーク出現率(右上図)と細胞増殖曲線(左上図)表1 変異のスペクトル
【まとめと展望】

 本研究においてHPRT遺伝子とlacIレポーターを用いて、Tax蛋白質の発現が細胞の点変異率を上昇させること、変異のスペクトルに特徴はないことを明らかにした。変異のスペクトルに特徴がないことから、Taxが特定塩基の損傷を修復する因子と相互作用してその活性を阻害している可能性は低いと考えている。転写制御活性と細胞周期制御活性を失ったTax変異体が野生型のTaxよりも低い変異率を示すことから、これらの活性が変異率の上昇に関与することが予想される。TaxはDNA修復遺伝子であるDNA polymerase bの転写を抑制することが知られており、Taxの発現により細胞の変異率が上昇する事が予想されていたが、実験的な証明はされていなかった。本研究で得られた結果は、Taxが変異率を上昇させることのはじめての証明だと考えている。今後Taxの持つ様々な活性、転写制御や細胞周期制御、が点変異率の上昇とどのように関係しているのか検討していきたいと考えている。また、実際にATL細胞でも変異率の上昇が起きているのか否かを検討する必要もある。遺伝的変化は子孫細胞に安定に伝えられるので、Taxが細胞の変異率を上昇させた結果、HTLV-1感染細胞を癌化させATLが発症する可能性が示されたと考えている。

審査要旨

 成人T細胞白血病(ATL)は、ヒトレトロウイルスHTLV-1の感染が原因で発症する特異な白血病として知られている。このウイルスによる白血病発症のメカニズムとして、ウイルスの制御遺伝子であるTaxを中心に、分子生物学的研究が進められ、その初期段階について多くの理解が得られている。しかしながら、がんは多段階の遺伝子異常の蓄積により発症する遺伝子病であることは、広く受け入れられているところである。従って、感染したウイルスの遺伝子が、直接細胞の機能を制御することに加えて、その後に引き続いておきると予想されるいくつかの遺伝子変化の解明が重要になるが、それらの実体と異常の発生機構については、未だ推論の域を出ていない。

 本論文は、この点に焦点を当て、HTLV-1の遺伝子発現が、細胞の遺伝子の突然変異を促進することを証明したものである。ATL細胞が高頻度の染色体異常を持ち、ゲノムの不安定性をきたしていると考えられることから、細胞の突然変異との関連に興味を持ち、ATLの発症に重要な鍵を握ると予想されているTaxに注目した。まず、Taxを発現した細胞では、6-メルカプトプリン(6MP)にたいする耐性細胞の出現が高いことから、Hypoxantine guanine phosphoribosyl transferase(HPRT)の突然変異を促進する可能性を示した。この現象を塩基配列のレベルで確実に証明するために、細胞の染色体DNAに、大腸菌のLacZ遺伝子の発現を制御するLacI遺伝子を組み込んだ細胞を用い、PCRを使用することなく、多数の細胞におけるLacIゲノム遺伝子の変異をスクリーニングするアッセイ系を導入した。このアッセイ系では、一定の条件にさらした後にパッケイジングによって再生されるレポーターファージに変異が入っておれば、特定のプレート上で青色を呈するので、多くのファージをスクリーニングすることが可能である。この方式を用いて、HTLV-1のTaxを発現した細胞では、LacIの突然変異率がTaxを発現しない場合に比べて3倍に上昇することを示した。さらに、LadI遺伝子上の変異の位置、その種類を塩基配列の決定により解析した結果、変異のおきる位置およびその種類には特徴がなく、ランダムであることも明らかにした。

 このことは、Taxが、細胞の転写因子や細胞周期を調節する特異的な遺伝子の修飾を介して、細胞の異常増殖を促進するほかに、細胞遺伝子の変異を促進して間接的に細胞の増殖や機能に異常をもたらす頻度を上昇させることを証明したもので、高く評価される。即ち、HTLV-1は、感染細胞の初期段階における異常増殖のみでなく、それに引き続いておきると考えられている細胞遺伝子の変異(異常)の誘導にも関わることを証明したものである。その変異率亢進の機構についての解析は多くは進まなかったが、Taxが特定の塩基あるいは反復配列に特異性を持つDNA修復遺伝子などではなく、より一般的な反応に関わる分子を介して突然変異率を上昇させることが推論された。例えば、DNAポリメラーゼの発現がTaxにより抑制されることは既に報告されているが、その結果としてランダムな変異率が上昇する説明が可能である。しかし、実際にHTLV-1感染細胞の変異率が真に高いかどうかについての実証もなかった。このようなランダムな変異率の上昇により、感染細胞がより高頻度に変異を繰り返し、ついにはがん細胞として異常増殖する可能性を強く支持する。

 以上、本研究は、HTLV-1による発がん機構に、今まで知られていない新しい視点を事実をもって示したものである。特に単一のウイルス蛋白が、極めてカテゴリーを異にする細胞機能に、無差別に影響を与えうることを証明した観点からは、HTLV-1のみならず他のウイルスによる多段階発がんの研究に対しても、大きく寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当すると判断される。

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