浮遊砂は掃流砂に対して、「流体中に取り込まれ、水深にわたって分布して運搬される流砂」とされている。河川における浮遊砂量を求めることは工学的な課題であり、そのためにも浮遊砂の運動について理解を深めることが必要とされている。その第1歩として、浮遊砂についての従来の取り扱いおよび、従来のモデルの意味について再認識が重要な意味を持っている。 従来、浮遊砂の運動は個々の粒子の運動の結果の統計的表現である、濃度の変化というかたちで取り扱われてきた。浮遊砂は、流送過程で「水の乱れに追随したランダム運動」をすると考えられており、水の乱れは運動量拡散として統計的に表現されることから、浮遊砂の運動と乱れの運動量拡散と結びつけて取り扱い、また同時に、浮遊砂に作用する重力の影響は無視できないことから、浮遊砂は流体に対し平均的に一定速度で相対沈降すると取り扱われてきた。例えば、Rouseは次のような通称「浮遊砂の拡散モデル」を提案している。 Rouseは、この式の左辺は濃度勾配による鉛直上向きのフラックスを、右辺は沈降による下向きのフラックスをあらわし、このモデルは定常等流状態における、任意の高さの検査面における両者のフラックスの釣り合いを示したものと説明している。そして、左辺の係数sを「浮遊砂の乱流拡散係数」と呼び次式のように、水の運動量拡散係数に比例係数を掛ける形で与えている。係数sおよび基準面濃度Caと呼ばれる境界条件を適当に与えれば、このモデルから容易に絶対濃度分布が得られ、その結果が移動床河川を対象とした浮遊砂の観測値・実験値をうまく説明することから、このモデルは浮遊砂量を推定するにあたり広く用いられている。従来、浮遊砂量推定精度向上を目的とした、係数sおよび基準面濃度Caの推定の研究がすすめられてきたが、それらの研究は、実験値・観測地に拡散モデルが適合するように、sおよびCaを機械的に評価したものにすぎず、それぞれのパラメータの持つ物理的な意味、すなわち拡散モデルの持つ物理的な意味については十分に検討されてはいない。 筆者はこのモデルの次のような点が問題であると考える。つまり、Cは浮遊砂粒子の運動の統計的な表現であり、このモデルのパラメータs、w0はともに粒子の統計的な運動特性をあらわすものであるが、上述したモデルの各項の説明に従うならば、sとw0では、図1に示すように、それぞれ異なった母集団に属する粒子を代表する統計量となる。したがって、それぞれの母集団に属する粒子の運動の履歴により、sとw0の値は独立に変化する可能性があり、このモデルが恒等的に成り立つ必然はない。このような物理的な意味が曖昧なモデルにより、実験や観測データを評価することが、浮遊砂の運動について理解を深めることになるとは思えない。 図-1パラメータの想定する母集団 第2章では、従来の浮遊砂の取り扱いに従い、浮遊砂の運動は平均的に一定速度で沈降し、一定の拡散係数で拡散することを前提とした。そして、浮遊砂のLagrange的な質量保存則(拡散方程式(式(3)、図-2参照)から、「浮遊砂の拡散モデル(式(1))」の誘導を試み、このモデルのもつ物理的な意味を検討した。 図-2Lagrange的な保存則 ここで、Kp:浮遊砂の拡散係数、S:浮遊砂の湧きだし項(河床から流れへの浮遊砂の供給に相当)である。その結果、以下のことが明らかになった。浮遊砂の拡散モデルには、従来説明されていたような、定常等流状態における、沈降と拡散のフラックスバランスを示したものという意味は無い。拡散モデルのパラメータsは、浮遊砂の拡散係数Kだけでなく、浮遊砂の湧きだしSに依存して変化する。浮遊砂の運動を拡散として取り扱うためには、「浮遊砂の拡散モデル」ではなく、少なくとも浮遊砂粒子のLagrange的な拡散方程式を用いるべきである。その場合は拡散係数Kと浮遊砂の湧きだしSをそれぞれ浮遊砂粒子の運動の統計的特性を反映した形で評価することが必要となる。 第3章では、流砂に比べ著しく大きな粗度をもつ、急勾配粗面水路を用い、理論河床上に浮遊砂のみ存在する条件で実験を行った。この条件では理論河床状に浮遊砂材料が無く、また河床近傍に掃流砂も存在しないことから、この条件下での浮遊砂の湧きだしSの空間分布は、河床がほぼ均一の流砂材料から構成される移動床条件での湧きだしSの空間分布とは、異なることが期待される。実験結果を拡散モデルにより評価したところ以下のことが明らかになった。この実験条件は、浮遊砂の乱れへの追随性が十分に高く、浮遊砂が拡散するには理想的であり、従来の説明によれば、式(2)の係数がほぼ1の値をとるはずであるが、実験条件によっては、sとmとの相似性が認められない結果となった。(図-3参照)この結果は、第2章の考察の妥当性を示すものである。 図-3実験結果 第4章では、浮遊砂のように、沈降性粒子の拡散過程と流体の乱れに完全に追随する粒子の拡散過程との相違を明らかにするために、乱れ場を、非常に単純で時空間構造を持たない乱数場で与え、沈降性粒子の運動を運動方程式により追跡し、拡散を特徴づける統計量、、Tp、Kp、、Tf、Kfを求めた。(ただし、’:乱れ速度、T:乱れの積分時間スケール、K:拡散係数であり、添え字f、pはそれぞれ沈降性粒子に作用する流体の乱れ、沈降性粒子の運動の乱れの諸量であることを示す。また添え字Termは拡散係数の最終定常値であることを示す。)沈降性粒子の拡散係数Kpは、理想粒子の拡散係数Kfと同様に式(4)で表されるような、追跡時間の関数であることがわかった。 粒子運動の統計パラメータ、Tp/Tf、Kp/Kfの変化について検討を行ったところ以下のようなことが明らかになった。 運動方程式を無次元化することにより、粒子の運動の統計パラメータ、、Tp/Tf、KpTerm/KfTermの変化を規定するパラメータは、無次元化した乱れの作用時間gt/p0、無次元化した乱れ強度、粒子レイノルズ数Rep0の3つであることがわかった。粒子運動の統計パラメータ、、Tp/Tf、KpTerm/KfTermと、3つの無次元パラメータgt/p0、、Rep0の間には、表-1のような関係があることがわかった。この表から、3つの無次元パラメータのうちgt/p0が、粒子運動の統計パラメータの変化を、ほぼ支配していることがわかる。 表-1無次元パラメータgt/p0、、Rep0と粒子運動の各統計パラメータの関係 式(4)(5)より、であり、gt/p0≪1の範囲ではKpTerm/KfTerm1であることから、、Tp/Tfは互いに反比例の関係にあることになる。ここで、gt/p0の分母のp0をで置き換えた無次元パラメータを用いると、両者は、次式のように近似されることがわかった。 この関係式は、沈降性粒子と、流体の乱れに理想的に追随する粒子とを比較した場合、最終的な拡散係数はあまり変わらないが、両者の乱れ強度及び積分時間スケールは条件によっては著しく異なることを示している。つまり、両者の拡散過程は、時間・空間スケールがまったく異なる場合があり、現象を観察する時間・空間スケールによっては、両者を全く別の現象として取り扱わねばならないことを示している。またここで、パラメータは、と変形できることから、粒子の拡散を特徴づける統計パラメータにおよぼす、粒子の運動を規定する無次元パラメータとくに、Rep0の影響は、粒子の平均沈降速度の変化という形で陰に現れることがわかる。 また、本章で用いたモデルでは、Tf=t/2であることから、式(7)は と整理され、Tf=t/2に比べが大きい条件では、というパラメータは粒子の乱れの積分時間スケールに相当することがわかる。 第5章では、第2〜4章で得られた知見をもとに、水面と河床という境界に挟まれた有限な空間を運動する沈降性粒子である、浮遊砂の拡散過程について改めて検討を行った結果、次のようなことが明らかになった。浮遊砂粒子が水面と河床を運動する時間Tphと浮遊砂の乱れの積分時間スケールTp、浮遊砂が受ける乱れの積分時間スケールTfとの比較したところ、Tphは高々Tpと同じオーダーの値であり、流れ場における浮遊砂の全ての運動を拡散係数一定の拡散方程式で取り扱うことは出来ない。浮遊砂の運動をLagrenge的な拡散方程式で取り扱う場合、浮遊砂の運動開始点を明確にし、追跡時間に応じた拡散係数の変化を考慮する必要がある。拡散係数は追跡時間が乱れの積分時間スケールTpに比べて小さい範囲では、浮遊砂の拡散係数K(t)は最終値KpTermにくらべかなり小さくなる。このことを考慮すると、浮遊砂の運動およびその結果である濃度分布を決定するにあたり、条件によっては、拡散係数K(t)以上にSの空間分布が重要となる可能性があると考えられる。今後は乱れの構造と絡めて浮遊砂の拡散係数の検討をおこなうこともさることながら、いまだに十分に解明されているとは言い難い浮遊砂の湧き出しSの形成メカニズムを、乱流場の構造、河床の条件などと関連づけて、粒子の運動の素過程に着目しつつ、検討することが重要であると言えよう。 |