学位論文要旨



No 113752
著者(漢字) 宋,世欽
著者(英字)
著者(カナ) ソン,セフム
標題(和) 多剤耐性克服薬PSC833の体内動態に基づくP-糖蛋白機能阻害効果の解析
標題(洋)
報告番号 113752
報告番号 甲13752
学位授与日 1998.04.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第848号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 [序]

 多剤耐性の出現は現在癌化学療法の大きな障害になっているが、その代表的な因子としてP-glycoprotein(P-gp)があげられる。P-gpを高発現する腫瘍細胞では、この蛋白による効率的な抗癌剤の細胞外への排出が生じ、多剤耐性が獲得される。P-gpをverapamilやcyclosporin A(CsA)などの薬物で抑制することで耐性を克服する試みは既に臨床まで至っている。PSC833はCsAのanalogueであり、CsAの有する免疫抑制作用がなく、in vitro及びin vivoでのP-gp抑制作用も他のP-gp抑制剤に比べ比較的強いことから、P-gpが原因となった多剤耐性の克服剤としての応用が期待されている。P-gpは、腫瘍組織のみではなく、肝、腎、脳毛細血管等の正常組織にも発現しており、P-gp抑制剤併用により抗癌剤の脳内移行性が増大し、予測出来なかった中枢毒性が生じる可能性、また、同様に肝臓、腎臓に発現されるP-gpが抑制され、抗癌剤の胆汁中・尿中排泄が阻害されることによる血中濃度の上昇に伴う副作用が生じる可能性がある。したがって、これら組織に対するP-gp抑制剤の作用を検討することはP-gp抑制剤を介した多剤耐性を克服する上で、非常に重要である。本研究ではPSC833を用いることにより得られる、抗癌剤の抗腫瘍効果増強、正常組織に対する副作用を発現をもたらす要因をpharmakokineticsの観点から明らかとすることを目的とした。

[実験方法・結果]1.Vinca alkaloidsの多剤耐性癌組織への移行に及ぼすPSC833の影響

 PSC833を含む、多剤耐性克服剤のin vitroでの効果は既に明らかになっており、in vivoでの作用も、多剤耐性腫瘍細胞を移殖したマウスにおける腫瘍組織の成長の遅延または寿命の延長などの報告より明らかになりつつある。そこで、in vivoでの効果が多剤耐性腫瘍細胞への抗癌剤の移行をPSC833が高めることによるものかを調べるため、ヒト大腸癌由来のP-gp高発現腫瘍細胞(HCT-15)と低発現腫瘍細胞(COLO-205)を用い、in vitroで、vincristine(VCR)及びvinblastine(VBL)の細胞内蓄積に及ぼすPSC833の影響を検討し(Fig.1)、さらに両細胞を移殖されたnude mouseにPSC833を定速腹内投与後、VCR、VBLを投与し、両細胞への分布をそれぞれ、5、24時間後に評価した(Fig.2)。PSC833の投与によって、VCR、VBLの腫瘍組織での濃度は、生理食塩水、及び、PSC833の投与溶媒(KZI)の投与群に比べ有意に上昇した。一方、COLO-205中の濃度に対するHCT-15中の濃度の比も生理食塩水及びKZI投与群に比べ顕著に上昇した(Fig.2)。以上より、VCR、VBLのHCT-15での濃度の上昇はPSC833の併用によってHCT-15細胞に発現しているP-gpが阻害されるものと考えられる。一方、COLO-205における抗癌剤の濃度上昇は主としてPSC833投与による血液中濃度の増大により説明された。これらより、PSC833はin vitroと同様にin vivoで作用し、多剤耐性腫瘍細胞に発現しているP-gpの阻害によって耐性腫瘍細胞への抗癌剤の移行を上昇させることがあきらかとなった。

Fig.1Effect of PSC 833 (2M) on the cellular uptake of vinca alkaloids by HCT-15 and COLO-205 cells.Fig.2Effect of PSC 833 on the tumor distribution of VCR and VBL In tumor bearing nude mice.(□)HCT-15;(■)COLO-205.
2.VCR及びdigoxin(DGX)の体内動態に及ぼすPSC833の効果

 P-gpは種々正常組織にも発現されるため、PSC833併用による抗癌剤の体内動態の変動が予測される。そこで主としてP-gpにより胆汁排泄を受けるVCR、P-gpによる胆汁排泄及び尿中排泄を受けるDGXの体内動態に及ぼすPSC833の効果について、ラットを用いて検討を加えた。ラットにPSC833を0、0.1、0.3、3mg/kg投与後30分にてVCR(0.5mg/kg)及びDGX(0.25mg/kg)を静脈内投与し、血中濃度、胆汁及び尿中の排泄量を測定し、それぞれ2及び6時間後に種々組織中濃度を定量化した。VCRの場合は3mg/kgのPSC833投与により胆汁排泄の低下に基づく全身クリアランスの低下が観察されたのに対し、DGXの場合にはPSC833の効果は0.1mg/kgの投与においても観察され、全身クリアランスの低下はVCRと同様に胆汁排泄の阻害に基づくものであった。胆汁排泄とは対照的に、両化合物ともにPSC833による腎クリアランスの低下は観察されなかった。また、肝、腎、小腸など管腔側にP-gpを発現する組織への化合物分布はPSC833により影響されなかったものの、毛細血管の血管側にP-gpが発現される脳へのDGXの移行はPSC833の3mg/kg投与により有意に増大した。この様に、VCRとDGXの胆汁排泄機構、血液脳関門透過機構とPSC833との相互作用には何らかの差異がある可能性が示唆された。

3.PSC833の体内動態及びその決定因子

 In vivoにおけるPSC833の効果は、その血液及び組織中脳度により規定されるものの、その体内動態に関する解析は殆どなされていない。そこで、PSC833(0、0.1、0.3、3、10、30mg/kg)をラットに投与後3時間までの体内動態について検討を加えた。いずれの投与量においても、尿中へのPSC833の排泄は認められず、胆汁排泄クリアランスも全身クリアランスの10%以下を占めるに過ぎなかった(Table 1)。投与量依存的な全身クリアランスの低下は尿中・胆汁排泄以外のおそらく代謝クリアランスの低下で説明しうるものの、胆汁排泄クリアランスにも飽和性が観察された(Table 1)。組織分布について検討を加えたところ、肝、腎、小腸、脾臓では投与量依存的な組織分布の低下が観察されたが、これらは組織内結合の低下、あるいは組織内への取り込み過程の飽和により説明されるものと考えられる(Table 2)。一方、肺及び脳においては、投与量依存的な組織分布性の増大が観察され、PSC833がこれらの組織から排出を受け、その排出機構が飽和するものと考えられた(Table 2)。

Table 1 Pharmacokinetic parameters of PSC833 after i.v.administrationTable.2 Tissue to Blood Partition coefficient of PSC 833.

 そこで、次にこの排泄機構の詳細について検討を加えた。解析には、P-gp、multidrug resistance associated protein(MRP)を高発現する種々培養細胞を用いた。ここで、MRPはP-gpと同様、多剤耐性腫瘍細胞膜上に発現される抗癌剤排出ポンプであり、その抗癌剤耐性スペクトルはP-gpと類似している。実験に用いたのはヒトepidermoid由来のKB-3-1より確立されたKB-C2(P-gp高発現株)、CA-500(MRP高発現株)である。非標識PSC833添加により、KB-C2へのCsAの取り込みは増大したものの、[3H]PSC833の取り込みは逆に低下した(Fig.3)。同様な結果は、P-gpを高発現するHCT-15、ラットascite hepatoma由来のAH66細胞においても得られた(Fig.3)。これらの結果から、CsAはP-gpの基質となるものの、PSC833はP-gpの基質とならないことが示唆された。一方、CA-500細胞においては、CsA、[3H]PSC833の取り込み共に非標識PSC833添加により増大し、P-gpと共にMRPを高発現するマウス脳毛細血管内皮細胞由来のMBEC-4細胞においても同様な結果が得られた(Fig.3)。これらの結果はPSC833、CsAの排出にMRPが関与する可能性を示唆している。また、in vivoの実験結果より、PSC833の脳及び肺への分布性が投与量増加と共に上昇したが(Table 2)、MRPが血液脳関門、肺に発現していることを考慮すると、このin vivo実験結果もMRPを介したPSC833の排出の阻害により説明されるものと考えられた。

Fig.3 UPtake of PSC833 and cyclosporin A by several P-gp and MRP expressing cell lines
[まとめ]

 以上の検討より、(i)PSC833はin vivoにおいても移殖された多剤耐性癌細胞に作用し、in vitroと同様に抗癌剤の移行を上昇させること、(ii)PSC833は主として胆汁排泄過程を抑制することによりVCR及びDGXの体内動態に変動を与えること、(iii)VCRとDGXの胆汁排泄及び脳への分布に及ぼすPSC833の効果には差が観察され、これらのリガンドの細胞からの排出機構とPSC833との相互作用には何らかの差異があること、(iv)CsAはP-gpの基質となるものの、PSC833はP-gpの基質とはならないことが示唆された。これらの知見は、PSC833をP-gp modifierとして使用する上で、重要な情報を与えるものである。また、MRP高発現の細胞からのPSC833の排出輸送が観察されたことから、MRPの関与が示唆されたものの、最終的な証明にはMRPをtransfectした細胞株による解析が必要である。

審査要旨

 多剤耐性の出現は癌化学療法の大きな障害となっているが、その代表的因子としてP-糖蛋白(P-gp)があげられる。P-gpをcyclosporin A(CsA)等により抑制することで耐性を克服する試みは臨床まで至っている。PSC833はCsA誘導体であり、免疫抑制作用がなく、比較的強いP-gp抑制作用を有することから、多剤耐性克服剤としての応用が期待されている。しかしながら、P-gpは種々正常組織にも発現しており、P-gp抑制剤併用による抗癌剤体内動態変動に伴う副作用が生じる可能性がある。本研究ではPSC833を用いることにより得られる、抗癌剤の抗腫瘍効果増強、正常組織に対する副作用発現をもたらす要因を薬物動態学の観点から明らかとすることを目的とした。

1.Vinca alkaloidの多剤耐性癌組織移行に及ぼすPSC833の影響

 PSC833のin vivoでのP-gp阻害効果に関しては移殖マウスにおける腫瘍成長遅延等により示されているのみである。本研究では、ヒト大腸癌由来のP-gp高発現及び低発現細胞(HCT-15及びCOLO-205)を移殖されたマウスにおけるVCR・VBLの分布に及ぼすPSC833の効果を測定した。PSC833により、両薬物のCOLO-205に対するHCT-15中濃度の比は上昇し、in vivoにおけるP-gp阻害効果が示された。一方、COLO-205における抗癌剤濃度上昇はPSC833による血液中濃度増大により説明された。これらより、PSC833はin vivoにおいても、P-gpの阻害により耐性腫瘍細胞への抗癌剤移行を上昇させることが示された。

2.VCR及びdigoxin(DGX)の体内動態に及ぼすPSC833の効果

 P-gpは種々正常組織にも発現されるため、併用による抗癌剤体内動態変動が予測される。そこで主としてP-gpにより胆汁排泄を受けるVCR、P-gpによる胆汁及び尿中排泄を受けるDGXのラット体内動態に及ぼすPSC833の効果について検討を加えた。VCRでは3mg/kgのPSC833により胆汁排泄低下が観察されたのに対し、DGXでは0.1mg/kgにおいても観察された。両化合物ともにPSC833による尿中排泄低下は観察されなかった。また、肝、腎、小腸等管腔側にP-gpを発現する組織への分布はPSC833により影響されなかったものの、毛細血管の血管側にP-gpが発現される脳へのDGX移行はPSC833 3mg/kg投与により増大した。従って、VCRとDGXの胆汁排泄機構、血液脳関門透過機構とPSC833との相互作用の差異が示唆された。

3.PSC833の体内動態及びその決定因子

 in vivoにおけるPSC833の効果は、その血液及び組織中濃度により規定されるものの、体内動態解析は殆どなされていない。そこで、種々投与量のPSC833をラットに静注後の体内動態について検討を加えた。投与量依存的な全身クリアランスの低下は代謝の低下で説明しうるものの、10%以下の寄与率しか占めない胆汁排泄にも飽和性が観察された。肺及び脳においては、投与量依存的な組織分布性の増大が観察され、PSC 833のこれらの組織からの排出機構が飽和するものと考えられた。

 次にこの排泄機構について検討を加えた。P-gp高発現株(ヒトepiedermoid KB-3-1由来KB-C2、HCT-15、ラットhepatoma由来AH66)では非標識PSC833により、CsA取り込みは増大したものの、[3H]PSC833取り込みは低下した。この結果から、PSC833はCsAとは異なりP-gpの基質とならないことが示唆された。一方、MRP高発現細胞(KB-3-1由来CA-500、マウス脳毛細血管内皮細胞由来のMBEC-4)では、CsA、[3H]PSC833の取り込み共に非標識PSC833により増大し、PSC833、CsAの排出にMRPが関与する可能性が示唆された。MRPが血液脳関門、肺に発現していることを考慮すると、用量依存的なPSC833の脳及び肺への分布性増加もMRPを介した排出阻害により説明されるものと考えられた。

 以上の検討より、(i)PSC833はin vivoにおいても多剤耐性癌細胞に作用し、抗癌剤の移行を上昇させること、(ii)PSC833は主として胆汁排泄を抑制することによりVCR及びDGXの体内動態に変動を与えること、(iii)VCRとDGXの胆汁排泄及び脳への分布に及ぼすPSC833の効果には差が観察され、これらのリガンドの細胞からの排出機構とPSC833との相互作用には差異があること、(iv)CsAはP-gpの基質となるものの、PSC833はP-gpの基質とはならないことが示唆された。最終的な証明にはMRPをtransfectした細胞株による解析が必要であるものの、MRP高発現細胞からのPSC833の排出輸送が観察されたことから、MRPの関与が示唆された。これらの知見は、本化合物の抗癌剤効果増強、副作用軽減を測る上で重要な情報を与えるものであり、博士(薬学)の学位を授与するのに値すると認めた。

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