多剤耐性の出現は癌化学療法の大きな障害となっているが、その代表的因子としてP-糖蛋白(P-gp)があげられる。P-gpをcyclosporin A(CsA)等により抑制することで耐性を克服する試みは臨床まで至っている。PSC833はCsA誘導体であり、免疫抑制作用がなく、比較的強いP-gp抑制作用を有することから、多剤耐性克服剤としての応用が期待されている。しかしながら、P-gpは種々正常組織にも発現しており、P-gp抑制剤併用による抗癌剤体内動態変動に伴う副作用が生じる可能性がある。本研究ではPSC833を用いることにより得られる、抗癌剤の抗腫瘍効果増強、正常組織に対する副作用発現をもたらす要因を薬物動態学の観点から明らかとすることを目的とした。 1.Vinca alkaloidの多剤耐性癌組織移行に及ぼすPSC833の影響 PSC833のin vivoでのP-gp阻害効果に関しては移殖マウスにおける腫瘍成長遅延等により示されているのみである。本研究では、ヒト大腸癌由来のP-gp高発現及び低発現細胞(HCT-15及びCOLO-205)を移殖されたマウスにおけるVCR・VBLの分布に及ぼすPSC833の効果を測定した。PSC833により、両薬物のCOLO-205に対するHCT-15中濃度の比は上昇し、in vivoにおけるP-gp阻害効果が示された。一方、COLO-205における抗癌剤濃度上昇はPSC833による血液中濃度増大により説明された。これらより、PSC833はin vivoにおいても、P-gpの阻害により耐性腫瘍細胞への抗癌剤移行を上昇させることが示された。 2.VCR及びdigoxin(DGX)の体内動態に及ぼすPSC833の効果 P-gpは種々正常組織にも発現されるため、併用による抗癌剤体内動態変動が予測される。そこで主としてP-gpにより胆汁排泄を受けるVCR、P-gpによる胆汁及び尿中排泄を受けるDGXのラット体内動態に及ぼすPSC833の効果について検討を加えた。VCRでは3mg/kgのPSC833により胆汁排泄低下が観察されたのに対し、DGXでは0.1mg/kgにおいても観察された。両化合物ともにPSC833による尿中排泄低下は観察されなかった。また、肝、腎、小腸等管腔側にP-gpを発現する組織への分布はPSC833により影響されなかったものの、毛細血管の血管側にP-gpが発現される脳へのDGX移行はPSC833 3mg/kg投与により増大した。従って、VCRとDGXの胆汁排泄機構、血液脳関門透過機構とPSC833との相互作用の差異が示唆された。 3.PSC833の体内動態及びその決定因子 in vivoにおけるPSC833の効果は、その血液及び組織中濃度により規定されるものの、体内動態解析は殆どなされていない。そこで、種々投与量のPSC833をラットに静注後の体内動態について検討を加えた。投与量依存的な全身クリアランスの低下は代謝の低下で説明しうるものの、10%以下の寄与率しか占めない胆汁排泄にも飽和性が観察された。肺及び脳においては、投与量依存的な組織分布性の増大が観察され、PSC 833のこれらの組織からの排出機構が飽和するものと考えられた。 次にこの排泄機構について検討を加えた。P-gp高発現株(ヒトepiedermoid KB-3-1由来KB-C2、HCT-15、ラットhepatoma由来AH66)では非標識PSC833により、CsA取り込みは増大したものの、[3H]PSC833取り込みは低下した。この結果から、PSC833はCsAとは異なりP-gpの基質とならないことが示唆された。一方、MRP高発現細胞(KB-3-1由来CA-500、マウス脳毛細血管内皮細胞由来のMBEC-4)では、CsA、[3H]PSC833の取り込み共に非標識PSC833により増大し、PSC833、CsAの排出にMRPが関与する可能性が示唆された。MRPが血液脳関門、肺に発現していることを考慮すると、用量依存的なPSC833の脳及び肺への分布性増加もMRPを介した排出阻害により説明されるものと考えられた。 以上の検討より、(i)PSC833はin vivoにおいても多剤耐性癌細胞に作用し、抗癌剤の移行を上昇させること、(ii)PSC833は主として胆汁排泄を抑制することによりVCR及びDGXの体内動態に変動を与えること、(iii)VCRとDGXの胆汁排泄及び脳への分布に及ぼすPSC833の効果には差が観察され、これらのリガンドの細胞からの排出機構とPSC833との相互作用には差異があること、(iv)CsAはP-gpの基質となるものの、PSC833はP-gpの基質とはならないことが示唆された。最終的な証明にはMRPをtransfectした細胞株による解析が必要であるものの、MRP高発現細胞からのPSC833の排出輸送が観察されたことから、MRPの関与が示唆された。これらの知見は、本化合物の抗癌剤効果増強、副作用軽減を測る上で重要な情報を与えるものであり、博士(薬学)の学位を授与するのに値すると認めた。 |