内容要旨 | | 1.緒言1.1背景と目的 有用物質を大量かつ経済的に生産するためのプロセスを開発することは,生物化学工学者の目標の一つである。近年,懸濁細胞を触媒として用いた有用物質の生産が行われている。しかし,この方法では,高い細胞濃度で長時間培養することや,細胞を培養液より効率的に分離し再利用することが困難であるため,生産の経済効率を高めることは難しい。そこで,細胞の固定化技術を用いたプロセスの開発が注目されてきた。しかしながら,現在まで検討されてきた付着性固定化担体は高価なものが多く,また,それらの担体の多くは生分解性を持たないので環境問題を引き起こすことも考えられる。特に,経済改善が必要で豊富な天然資源を有する発展途上国にとっては,簡単かつ経済的に利用できる固定化担体が切望されている。そこで,安価な天然担体であるヘチマ繊維体(loofa sponge)の利用を考えた。 ヘチマ(Luffa cylindrica)は,熱帯原産で,温帯・熱帯で栽培される蔓生一年草の植物である。果実は円筒形で,自然乾燥により果肉が除かれて細密で多孔性の繊維体だけが残る。この繊維体は,構造の異なる中心部と周縁部から構成され,中心部を囲むように三つの大きな穴がある。繊維体中心部の孔は大きくて構造が荒く,一方,周縁部の孔は小さくて細かい構造になっている(Fig.1)。本研究では,この繊維体を細胞の固定化担体として利用することについて検討を行った。即ち,微生物と植物細胞を用いて,ヘチマ繊維体への固定化特性,固定化方法,最適な固定化条件について検討を行った。また,様々な培養用リアクターを開発し,有用二次代謝物質の生産に利用することを試みた。 Fig.1.Photographs of loofa sponge before immobilization:(a)Front view of the segment of whole sponge(b)Bottom view of the segment of whole sponge(c)Core part(d)peripheral part1.2論文の構成 本論文は,全6章で構成されている。第1章では,本論文の背景と目的を述べた。第2章では,ヘチマ繊維体の物性を測定し,従来の付着性固定化担体の物性と比較した。第3章では,微生物である凝集性酵母を用い,ヘチマ繊維体に固定化する方法を確立し,固定化酵母の培養系によるショ糖および廃糖蜜培地からのエタノールの発酵生産を行った。第4章では,ヘチマ繊維体への植物細胞の固定化能力を調べるため,コーヒー細胞をモデルとし,この担体の固定化特性を評価し,最適な固定化条件について検討を行った。また,固定化率の向上と固定化挙動の解明のため,二方向循環型気泡塔リアクターを開発し,固定化の最適条件,固定化された細胞量と細胞活性の分布を明らかにした。第5章では,上述の結果に基づいて,二方向循環型気泡塔リアクターを用い,有用二次代謝物質の生産を試みた。最後に大型の培養リアクターを設計し,コーヒー細胞の繰り返し回分培養を行った。第6章では,本論文を総括した。 2.ヘチマ繊維体の物性2.1目的 細胞の固定化の難易度および固定化後の生産プロセスの生産性は,固定化担体の物理的な性質と大きな関係がある。そこで,ヘチマ繊維体の様々な物性を検討することを目的とした。 2.2実験方法 ヘチマ繊維体の密度,空間率,比空間容積,表面積および繰り返し使用の安定性(固定率,繊維体の重さと容積)を従来の方法に基づいて測定した。 2.3結果と考察 ヘチマ繊維体と現在用いられている様々な固定化担体との物性を比較したところ,ヘチマ繊維体は最も低い密度を有するだけではなく,繊維体の空間率および比空間容積も非常に大きいことが明らかとなった。従って,ヘチマ繊維体は固定化した細胞を増殖させるための空間を十分に有し,物質移動の点でも有利な担体と考えられた。また,ヘチマ繊維体はpH1.1から14までの幅広いpH安定性を有していた。さらに,繰り返し培養や,オートクレーブの処理によっても,担体の固定能力と性質は変わらなかった。以上,ヘチマ繊維体が充分な耐熱性と耐久性を持っていることを明らかにした。 3.微生物の固定化3.1目的 ヘチマ繊維体を固定化担体として,凝集性酵母を固定化する方法を確立し,ショ糖および廃糖蜜培地からのエタノールの長期発酵生産を行い,ヘチマ繊維体の担体としての実用性を明らかにすることを目的とした。 3.2実験方法 本研究では菌株としてSaccharomyces cerevisiae IR-2を用いた。培養は,2.5Lのジャーファーメンターにヘチマ繊維体を充填し,菌体を固定化した後,繰り返し回分培養および連続培養を行った。 3.3結果と考察 まず,ヘチマ繊維体に対するS.cerevisiae IR-2の付着性について検討した。20分間で80%以上の菌体がヘチマ繊維体に付着した。0.3(g-cell/g-sponge)の菌体の比率が最適であった。なお,それ以下の濃度で固定化しても24時間以内に菌体はヘチマ繊維体の孔隙で良く増殖し,菌体の固定化量が4.4(g-cell/g-sponge)まで増加した。ショ糖を用い,35回以上の繰り返し回分培養が可能であり,540時間以上の連続培養を行っても安定であった(Fig.2.)。次に,このプロセスを実際の工業生産に応用することを目的として,廃糖蜜を基質としてエタノールの連続生産を行った。その結果,500時間以上の長時間培養を行っても安定であることが確認された。 Fig.2.Continuous ethanol production by Saccharomyces cerevisiae IR-2 immobilized on loofa sponge in a 2.5l jar fermentor. The sucrose concentration in the leed medium was 195 g/l while the dilution rate was 0.07 .4.植物細胞の固定化4.1目的 ヘチマ担体への植物細胞の固定化特性を評価した後,新たなバイオリアクターを開発し,固定化の最適条件と挙動を調べることを目的とした。 4.2実験方法 2週間ごとに継代培養したコーヒー細胞を用い,DK培地を含む三角フラスコ,気泡塔リアクターと二方向循環型気泡塔リアクター内に繊維体を設置し(Fig.3.),最適なアグリゲートサイズ,固定化条件と方法を検討した。さらに,同様な培養条件でポリウレタンフォームを用いた結果と比較した。次に,二方向循環型気泡塔リアクターにおいて,ヘチマ繊維体に固定化された細胞の断面分布,軸方向分布とTTC法による呼吸活性を測定した。 Fig.3.Schematic diagrams of flask,bubble column,bubble circular reactor,and bioreactor for the cultivation of immobilized C.arabica cells.4.3結果と考察 振盪フラスコを用いてヘチマ担体の固定化能力を測定したところ,固定化に最適なアグリゲートサイズは500m以上であり,繊維体をそのまま使用した場合に,最も高い固定化能力が示された。振盪フラスコでは固定化されにくい小さなアグリゲートを効率的に固定化するため,培地の流動方法の異なる気泡塔を使用した。その結果,アグリゲートサイズの小さいトウキ(Angelica sinensis)でも固定化能力が向上した。ポリウレタンフォームと比較したところ,両者は同程度の固定化能力を示した。 気泡塔で生じた固定化細胞の不均一分布を解決するため,二方向循環型気泡塔リアクターを開発した。そのリアクター内に設置されたヘチマ繊維体への細胞の最適な固定条件を調べたところ,循環方向を交互に変える方法は,どちらか一方向だけの循環方法より,固定化細胞がヘチマ繊維体に均一に分布し,固定化率も高かった。3日目以降,懸濁細胞はほとんど繊維体に固定化された。最適な通気速度と接種細胞濃度は,39cm/minと0.8g-DCW/Lであった。ヘチマ繊維体の各部位の固定化率を比較した結果,繊維体全体をそのまま使用した場合に細胞が効率よく固定化された。また,固定化された細胞の大部分が繊維体の中心部に付着した。さらに,長時間培養した場合,固定化細胞の分布はより均一になり,1ヶ月後の固定化率は3日間の場合より5倍以上増大した(Fig.4.)。二方向循環型気泡塔リアクターにより固定化された細胞活性は,27日目以降振盪フラスコより高い値を示した。長時間培養した固定化細胞の活性分布を調べたところ,ヘチマ繊維体のような構造をもつポリウレタンフォームよりヘチマ繊維体は高い固定化率と細胞活性を示した。すなわち,ヘチマ繊維体はポリウレタンフォームと同様に優れた固定化担体であることを示した。 Fig.4.Axial Immobillzed cell density distributions of C.arabica cells in loofa sponge after 3,14 and 31 days of incubation in TBC reactor at up/down-flow,39 cm/min aeration rate and 25℃.5.固定化植物細胞による有用物質の生産5.1目的 ヘチマ繊維体に固定化した植物細胞を用いたプロセスの実用性を確かめるため,様々な装置を用い,ヘチマ繊維体による有用二次代謝物質の生産を行うことを目的とした。 5.2実験方法 コーヒー細胞を用い,フラスコ,二方向循環型気泡塔リアクターと大型バイオリアクター(Fig.3.)を使用し,回分培養と繰り返し回分培養を行った。 5.3結果と考察 前章までの結果に基づいて二方向循環型気泡塔リアクターと大型バイオリアクターを用い,ヘチマ繊維体に固定化したコーヒー細胞により,繰り返し回分培養でテオブロミンからカフェインへの生物転換を行った。安定で長時間の繰り返し回分培養が可能であった。 6.結言 本研究では,天然物質であるヘチマ繊維体を細胞の固定化担体として用い,その固定化特性を評価し,固定化する方法と最適な固定化条件について検討を行った。また,様々な培養用リアクターを開発し,有用二次代謝物質の生産に利用することを試みた。 (1)ヘチマ繊維体は,低密度で高い空間率と空間容積を持ち,耐熱,耐酸,耐久性を有するので,物質移動と長時間培養に対して有利であった。また,生分解性がありかつ安価であるので,環境問題の解決と東南アジアの産業発展に役立つと考えられた。 (2)ヘチマ繊維体に対する酵母の固定化については,最適菌体の比率は0.3(g-cell/g-sponge)であり,35回以上の繰り返し回分培養が可能であった。また,540時間以上の連続培養を行っても安定であった。 (3)振盪フラスコを用いてヘチマ繊維体に植物細胞を固定化した結果,固定化のための最適なアグリゲートサイズは500m以上であり,輪切りにしたヘチマ繊維体をそのまま使用した場合に最も多くの細胞が固定化された。 (4)気泡塔を利用することにより,500m以下の細胞でも固定化が可能であった。 (5)二方向循環型気泡塔リアクターを用いてヘチマ繊維体に植物細胞を固定化したところ,最適条件は,通気速度39cm/min,接種量0.7g-DCW/Lで,繊維体をそのまま使用する方が良い結果を得たあった。また,交互に流れの方向を変えることにより繊維体全体に細胞が均一に分布させることができ,担体各部位の細胞増殖速度はほぼ同程度になった。そのため,ヘチマ繊維体は物質移動の比較的容易な担体と考えられた。 (6)二方向循環型気泡塔リアクターと大型バイオリアクターを用い,ヘチマ繊維体に固定化されたコーヒー細胞により,繰り返し回分培養で有用物質の生産が可能であった。 以上の結果より,ヘチマ繊維体が細胞固定化用の優れた担体としてあることが示された。 |
審査要旨 | | 微生物や動植物の細胞を用いて有用物質を大量かつ経済的に生産するために多くのバイオプロセスが開発されてきた。その中で,懸濁細胞系の様々な問題(高い細胞濃度での長時間培養の困難さ,細胞と培養液の効率的な分離の難かしさ等)を解決するために種々の細胞固定化法が検討されてきたが,吸着による担体結合法は簡便で安価な方法として評価されている。しかし,現在まで検討されてきた付着性の固定化担体は比較的高価なものも多く,生分解性を持たないので環境に対して問題を引き起こすことも考えられる。特に,早急な経済改善が必要で豊富な天然資源を有する発展途上国にとっては,簡単かつ経済的に利用できる固定化担体が切望されている。そこで,本研究では,安価な未利用資源であるヘチマ繊維体の利用を試み,その実用性を明らかにしている。 ヘチマは,台湾,中国をはじめ東南アジア各地で広く栽培され,自生量も多い。円筒形果実より得られる繊維体は,比較的大きな孔を有する中心部位と緻密な周縁部位から構成され,内部に三つの大きな穴を有するヘテロな構造をしている。本研究では,微生物と植物培養細胞を用いて,ヘチマ繊維体への細胞の固定化特性,固定化方法と最適な固定化条件について検討を行い,また,様々なリアクターを開発し,有用二次代謝物質の生産に利用することを試みている。 本論文は,全6章で構成されている。第1章では,本論文の背景と目的を述べている。第2章では,担体の物性と固定化特性の密接な関係を踏まえて,ヘチマ繊維体の物性(密度,空間率,比空間容積,表面積,繰り返し使用の安定性等)を測定し,既存の担体と比較している。ヘチマ繊維体は,密度の低さ,空間率および比空間容積の高さ等の点で,ウレタンフォーム等の既存の担体と遜色なく,従って,細胞増殖のための充分な内部空間を有し,物質移動の点でも有利な担体と考えられた。また,培養系に必要とされる幅広いpH安定性,充分な耐熱性と耐久性を持っていることも明らかにしている。 第3章では,微生物(凝集性酵母)を用い,ヘチマ繊維体に固定化する方法を確立し,固定化酵母によるエタノールの長期発酵生産を行い,ヘチマ繊維体の担体としての実用性を明らかにしている。ヘチマ繊維体を充填したジャーファーメンターを作製し,細胞を固定化後,繰返し回分および灌流培養を行ったところ,固定された細胞は24時間以内に良好に増殖し,実用的な細胞濃度である4.4(g/g-sponge)にまで達した。また,ショ糖を用い,35回以上の繰返し回分生産,540時間以上の連続生産を行っても安定であること,実用的な基質として廃糖蜜を用いて500時間以上の連続生産が安定的に行えることも示している。 第4章では,ヘチマ繊維体への植物培養細胞の固定化に関して,コーヒー細胞をモデルとして固定化特性を評価し最適な固定化条件について検討を行っている。ヘチマ担体への固定化に最適なアグリゲートサイズは,通常のフラスコ培養系では,500m以上と比較的大きいものの,気泡塔型リアクターを利用すれば,比較的小さなサイズのアグリゲートでも効率的に固定化できることを示している。しかしながら,気泡塔では細胞分布が不均一となるため,新たに二方向循環型気泡塔リアクターを開発し,培地の循環方向を交互に変えることにより,細胞を均一に分布させ,固定化率も高く出来ることを明らかにしている。さらに,長時間培養した場合も含めて固定化細胞の分布・増殖特性を詳細に検討した結果,天然のヘチマ繊維体をカットして利用するよりも,ヘテロな構造をそのまま利用する方が,細胞の増殖性や活性を長期間に渡って高く維持することにとって重要であることを明らかにしている。すなわち,繊維体内部の3つの大きな穴が培地の循環流動に寄与し,中心付近の比較的大きな孔と,周縁部の緻密な構造が全体として高い固定化細胞濃度の維持に寄与していることを示している。 第5章では,上述の結果に基づいて,二方向循環型気泡塔リアクターを用い,コーヒー培養細胞によるテオブロミンよりカフェインへの生物転換活性をモデルとして,有用二次代謝物質生産の検討を行っている。最後に大型のリアクターを設計し,コーヒー細胞の繰返し回分培養による長期間の生産が可能であることを示している。また,増殖と生産の培地条件を交互に切り替える,あるいは,繊維体の3つの大きな穴内部の循環流を維持するような培養方法が長期間の活性維持に重要であることを明らかにしている。 第6章では,本論文を総括している。 以上,本論文は,ヘチマ繊維体が,生細胞,特に,微生物や植物培養細胞の固定化のための優れた担体として実用的なものであることを初めて明らかにしたものであり,また,この点に関して天然ヘチマ繊維体の有するヘテロな構造の重要性を指摘しており,今後の固定化担体の開発に寄与するところも大きい。本研究の成果は,発展途上国のように,環境に配慮をしつつも安価で簡便な技術を必要とする状況において実用的に重要であるばかりでなく,今後の生物化学工学の発展にも貢献するものと期待される。よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |