学位論文要旨



No 113764
著者(漢字) 村山,伸子
著者(英字)
著者(カナ) ムラヤマ,ノブコ
標題(和) 東北タイ天水田稲作民のエネルギーバランスの季節変動
標題(洋) Seasonal fluctuations in energy balance among farmers in a rain-fed rice farming village of Northeast Thailand
報告番号 113764
報告番号 甲13764
学位授与日 1998.04.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1362号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 横山,和仁
 東京大学 助教授 中村,安秀
 東京大学 講師 奥,恒行
内容要旨 I.緒言

 エネルギーバランスの季節変動は、人間の環境変化に対する応答の一つとして多くの研究がおこなわれてきた。しかし、エネルギーバランスの変動の結果としての体重変動の研究は多いものの、体重変動とエネルギー消費量及び摂取量との関連について、同一の期間、同一の対象者についておこなわれた研究はきわめて少ない。食物供給に大きな季節変動がみられるエチオピア及びベニンの農村女性についての先行研究では、季節的な体重変動がエネルギー摂取量の変動と連動し、さらにエネルギー消費量は変動しなかったにもかかわらず基礎代謝量は変動していた。一方、食物供給の季節変動が比較的小さい地域の研究においても、体重変動を指標にしたエネルギーバランスの変動がみられている。しかしこれまでの研究では、調査期間や対象者の不一致に加え、エネルギー消費量の推定方法が要因加算法のため、各活動の個人間差、個人内差を充分に反映せず、エネルギー消費量、摂取量、体重変動の関連の検討が困難であった。性差については、多くの研究で女性が男性よりも体重変動が小さい傾向が指摘されている。本研究の目的は、1)食物供給が安定している東北タイ天水田稲作民の男女を対象とし、エネルギーバランスとその結果としての体重の季節変動の程度、及びその男女差を把握すること、2)体重変動に対するエネルギー消費量及びエネルギー摂取量の変動の寄与、エネルギー消費量とエネルギー摂取量との関係を明らかにすることである。

II.対象と方法1.対象地域

 対象村は東北タイに位置し、天水田地域であるにもかかわらず年間降水量は1000mm程度でかつ砂質土壌のため、土地生産性は低いものの、主食である米の収穫量は村人の需要を満たしている。近年の中部タイの経済発展と東北部の耕作地の相対的な減少にともない若年層の出稼ぎが急増し、農業労働は40〜50歳代の年齢層を中心に維持されている。

2.対象者

 農業を生業とする40-54歳の8組の夫婦を対象とした。

3.方法

 本調査研究は、1995年5月に約1ヶ月間の予備調査の後、1995年8月から1996年8月までの13ヶ月間おこなわれた。すべての調査を著者が単独でおこなった。1年間の農作業スケジュールにしたがって、収穫前、収穫期、収穫後、雨季(作付け)の4期間に分け、各対象者について各期間に4日間の体格、エネルギー消費量、食物摂取量調査をおこなった。体格は、身長、体重、皮脂厚(5部位)を計測した。エネルギー消費量は、心拍モニタリング法により推定し、活動内容は1分毎の活動記録をおこなった。心拍数からエネルギー消費量の推定をおこなうにあたり、心拍数とエネルギー消費量の回帰曲線を得るために、各季節毎に一定のプロトコールにしたがってキャリブレーションテストをおこなった。食物摂取量については、1日に摂取されたすべての食物を秤量した。

III.結果

 1.体重は4期間において有意に変動し(男性1.3kg、2.3%、女性2.5kg、4.3%、男女共P<0.001)、収穫期から収穫後にかけて増加し、収穫後から作付け期にかけて減少した。体重変動量に男女差はみられなかった。この体重の季節変動は、体脂肪量の有意な変動(男女共P<0.001)と関連していた。

 2.季節間でエネルギー消費量が大きく変動した(男性2.2MJ、女性1.4MJ、男女共P<0.001)のに比して、エネルギー摂取量の変動は小さかった(男性0.3MJ、女性0.7MJ、女性のみP<0.05)。エネルギー消費量の構成要素では、生理レベルの指標である安静時代謝率と機械効率は変動せず、呼吸商は変動した。一方、行動レベルの指標である活動エネルギー消費量、身体活動レベル、心拍指標はすべて変動した。このように、季節変動は行動レベルの指標でみられた。エネルギー消費量の多い時期には農作業時間が増加していた。

 3.体重変動量は、エネルギーバランスの変動量(エネルギー摂取量-エネルギー消費量)と相関していた(男性r=0.57,P<0.05,女性r=0.67,P<0.01)。体重変動に対しエネルギー消費量の変動は有意に寄与し(男性r=-0.60,P<0.05、女性r=-0.83,P<0.01)、摂取量の変動の寄与は有意ではなかった。なお、エネルギー消費量と摂取量の変動量間には関連がみられなかった。

IV.考察

 1.心拍モニタリング法を用いたエネルギー消費量の推定方法については、二重標識水法との比較から小集団では妥当性が確認されている。さらに本研究から、個人でもエネルギー消費量の個人内変動を反映することが示された。しかし、本方法は、心拍数とエネルギー消費量との関係が不安定であることが問題とされている。この点について、本研究の対象者のように体重変動が5%以内の場合は年間をとおして心拍数とエネルギー消費量との関係は変化せず安定していた。

 2.エネルギーバランスを解明するため、エネルギー消費量、摂取量、体重の関連を分析した結果、以下の2点の特徴が見いだされた。第1に、労働の季節的な増減によりエネルギー消費量は変化したが、エネルギー摂取量がこれに相応しなかったため、エネルギーバランスが変化し、主に体脂肪量の変化による体重の変化がみられた。第2に体脂肪量が変化したことで安静時代謝量は変化せず、呼吸商は変化した。

 ヒトはエネルギーバランスが負のときには血糖や内分泌系の調節により食欲が高まり、エネルギーバランスを保つような反応がおこると考えられる。しかし、本結果ではエネルギーバランスが負であってもエネルギー摂取量はそれに応じて増加しなかった。その理由として以下の3点が考えられる。第1は、近年の先行研究でも指摘されているように、負のエネルギーバランスが活動量の大幅な増加による場合、ストレスにより食欲が低下することである。第2は、対象者の主なエネルギー源である米はエネルギー密度が比較的低く、一度に摂食する量が限られていることである。食欲ならびに摂食行動の発現にはエネルギーバランス以外の条件が大きく影響し、比較的長期間(1-2ヶ月)でもこの状態は維持されると考えられる。第3は、生態学的条件が厳しいことである。すなわち降雨が特定の時期に集中するため、農作業が可能な期間が限られていること、かつ土地の生産力が低く、農作業が機械化されていないため、充分な食物を得るために必要な農作業量が多いことである。

 体重変動幅の平均値は男性で2.3%、女性で4.3%であった。これらの値に統計的な性差はみられなかったが、女性で変動が大きかったことは、女性は男性に比べて変動幅が小さいという多くの先行研究と異なっていた。この要因として、本対象者では男性より女性のBMIが高かったためと考えられる。なお、BMIが高い者が体重変動が大きいことは先行研究でも指摘されており、性差とBMIとの関係についてはさらに検討する必要がある。男性が女性よりBMIが低い要因として、男性は女性に比べ農作業の強度が強く、労働時間が長いことが考えられる。

 3.農繁期には男女の身体活動レベル(PAL)はそれぞれ2.24〜2.36、1.87〜1.97であり、FAO/WHO/UNU(1985)の区分でも活動レベルが「重い」以上であった。特に男性では、多くがBMI及びエネルギーバランスから判断して季節的エネルギー欠乏にあった。労働量がエネルギーのアンバランスにつながるという本研究の結果から、エネルギーストレスを少なくするための有効な方法は労働量のコントロールであることが示された。

審査要旨

 本研究は、自給自足のフリーリビング条件下での長期的な人間のエネルギー消費量と摂取量の関係について検討するため、従来は食物供給に制約が大きい地域の特徴とされてきた人間のエネルギーバランスの季節変動が、食物供給に制約が少ない地域でも観察されることに注目し、そこでのエネルギーバランスの全体像を明らかにしようとしたものである。こうした地域の一つである東北タイ農村の同一対象者16名について1年間の体重、エネルギー消費量、摂取量等を繰り返し測定し、下記の結果を得ている。

 1.体重は4季節において有意に変動し(男性1.3kg、2.3%、女性2.5kg、4.3%、男女共P<0.001)、収穫期から収穫後にかけて増加し、収穫後から作付け期にかけて減少した。体重変動量に男女差はみられなかった。この体重の季節変動は、体脂肪量の有意な変動(男女共P<0.001)と関連していた。本結果から食物供給量に制約が少ない地域においても、制約が大きい地域と同程度の体重変動が確認された。

 2.季節間でエネルギー消費量が大きく変動した(男性2.2MJ、女性1.4MJ、男女共P<0.001)のに比して、エネルギー摂取量の変動は小さかった(男性0.3MJ、女性0.7MJ、女性のみP<0.05)。エネルギー消費量の構成要素では、生理レベルの指標である安静時代謝率と機械効率は変動せず、呼吸商は変動した。一方、行動レベルの指標である活動エネルギー消費量、身体活動レベル、心拍指標はすべて変動した。このように、季節変動は主として行動レベルの指標でみられた。エネルギー消費量の多い時期には農作業時間が増加していた。本結果からエネルギー消費量の変動は摂取量の変動より大きく、特に労働強度の強い男性でこの傾向がみられ、それは活動量の変動によることが示された。

 3.体重変動量は、エネルギーバランスの変動量(エネルギー摂取量-エネルギー消費量)と相関していた(男性r=0.57,P<0.05,女性r= 0.67,P<0.01)。体重変動に対しエネルギー消費量の変動は有意に寄与し(男性r=-0.60,P<0.05、女性r=-0.83,P<0.01)、摂取量の変動の寄与は有意ではなかった。なお、エネルギー消費量と摂取量の変動量間には関連がみられなかった。本結果より、エネルギー消費量の増減が摂取量の増減につながらないために、エネルギー収支のアンバランスが生じて体重変動がおこることが示された。

 以上、本論文は従来食物供給に制約が大きい地域の特徴とされてきた人間のエネルギーバランスの季節変動が、食物供給に制約が少ない地域でも同程度起こること、それはエネルギー消費量の変動がエネルギー摂取量の変動に影響しないためであることを1年間に及ぶフィールド調査で従来の研究よりも体系的に精度の高い方法を用いることにより明らかにした。本研究は、現在多方面の分野からの総合的な解明が待たれる人間のエネルギーバランスについて、社会生物学的側面からの解明に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク