学位論文要旨



No 113768
著者(漢字) 宇佐見,隆之
著者(英字)
著者(カナ) ウサミ,タカユキ
標題(和) 日本中世の流通と商業
標題(洋)
報告番号 113768
報告番号 甲13768
学位授与日 1998.05.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第211号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 村井,章介
 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 助教授 久留島,典子
内容要旨

 本稿では、日本中世の流通における諸事象の検討を通じて、中世流通と商業の実態に迫り、近世への展望について述べた。私たちが、「流通」という語を用いる時、それは一般に「品物が生産者から消費者へ渡ること」の意味で用いている。流通に関わるのは、小売業・卸売業だけではなく、物が生産され、消費されるまでの過程の大部分は流通が担っている。諸産業は流通の上に成り立っており、過去の歴史的社会を分析する際にも流通への視点は重視されねばならない。

 日本中世史研究における「流通」に直接関わるものとしては、「品物の運ばれる通路」を研究する交通史、「品物を運ぶ人々」を研究する商業史がある。交通史研究では、徴税の機関としての関所の研究を進めた相田二郎氏、水上交通についての全体的な見通しを立てられた徳田釼一氏、宗教と交通との関わりを重視した新城常三氏の論が出されている。

 また商業史では、京都・奈良の市や座を研究された小野晃嗣氏、商業史全体を全国的・通時代的な史料の蒐集で論じた豊田武氏、首都市場圏の成立を描いた脇田晴子氏、荘園関係の史料から経済・商業像を導かれた佐々木銀弥氏の研究があった。そこに登場した網野善彦氏の「非農業民」「無縁」論によって、商業史が「都市」という場を意識して進められ、一方で地域経済圏について論じる論考も増えてきた。その前提の下で、桜井英治氏の市場・商人組織の構造の研究が行われている。

 このような交通史・商業史の研究のあり方を踏まえた上で、本稿では、主として海からの視点に基づいて流通を論じた。

 交通を主とする第一部では、相田氏の提起に従い「ある通路」を解明するために、その場におかれた"関"に着目する。しかし、そこでは在地への視点、あるいはものの動きなどにも焦点をあてて検討を進め、全体像を掌握する。その上で近江の道、そして伊勢・東国の水上関を具体的に検討し、道の支配や航路の存在などを明らかにする。第二部では「品物」を動かした主体として"問(丸)"に注目した。問丸こそ、港町に存在する商人の代表であり、問丸の検討によって海路・陸路両方の流通を検討するだけでなく、港町の構造までもを視野に入れることが出来るからである。問丸は廻船人、馬借、津の商人など流通の様々な分野に携わる人々を含んでいた。そして楽座令による禁止後、集団的商業から個人的商業への商業の担い手の変化によって解体するのである。

 第三部では、経済用語としての流通の根幹を為す貨幣あるいは貨幣代用物に関わる問題一代銭納・現物納の問題と割符について検討した。一般に代銭納から現物納への変化については知られているが、一部には再び現物納になった例が見られる。現在の手形の前段階ともいえる割符には、流通型の割符とオーダーメイド型の割符があった。これらの存在には、当時の貨幣への信頼感という問題があったと考えられる。

 以上をふまえて、最後に流通過程が江戸時代に向けてどのように変化して行ったかを商人の動きから検討した。注目したのは越前の馬借頭に関わる史料と各地の商人司に関わる史料である。そこには、戦国大名や織豊政権が従来統一的に把握されていなかった商業・流通を掌握しようとした姿勢が見られた。楽市楽座令もその一貫だったのである。

審査要旨

 最近の日本中世の流通と商業の研究は大きな発展が見られる。戦前からの商業史や交通史、水運史の研究を基礎にして、戦後になって商業流通史、都市史の研究がなされたが、ここにきて新たな中世の流通と商業の像が造られつつある。本論文もその一翼を担うべく、関係史料を徹底的に読みとき、実証性の豊かな立脚点を提示したものである。

 全体は三部から構成されており、第一部の「関」では、中世の流通部門で疎外の要因とされた関の性格を再考し、第二部の「問」では、流通部門を担った商人の問に触れて、これまでの問の発達過程論を再検討し、問の様々な側面を考察する。第三部の「銭と人」では、流通する銭や物の在り方と、その流通に関わる商人と権力との関係を探る。

 その結果、本書が明らかにしたのは次の諸点である。第一部では、(1)関は権力の必要によって立てられたとされてきたのに対して、在地の人々の必要により立てられた、受益者負担の側面を明らかにした点、(2)武蔵の品川に出入りする帳簿の分析から伊勢の大湊と品川の間には中世後期になると、頻繁な廻船がなされていたことを明らかにした点。

 第二部では、(3)山城の木津の木守と問の区別から、問の発生を港津の運送業者に求めた点、(4)問が年貢の運搬や港湾税の取り立てに関わることによって、総合商社的存在になり、座と同じような独占を主張するものとなっていったことを明らかにした点、(5)これまでの研究がよっていた、問から問屋への発展の図式が偏った見方であり、問の業務は分解して、様々な商業分野が営まれるものへと変わっていたことを明確にした点。

 第三部では、(6)年貢の銭納や現物納は流通の発展や支配者の要請により変化するものであることを示した点、(7)中世の為替の在り方を史料に即して実態を解明した点、(8)商人司論と御用商人論に代表される、近世の商人への転換に関する従来の論にメスを入れ、権力の必要と商業経済の発展とから成長してきた商人の像を提示した点、などである。

 こうして本論文は中世の流通と商業に関する基本的な問題に精力的に取り組んで、史料に即してその実態を提示しており、ややもすれば史料と離れて、シェーマ設定の先行する分析の多かったこれまでの研究に新たな一石を投じたものとして高く評価される。

 しかし問題がないわけではない。史料の分析からは様々な側面は明らかにされているが、全体の像としては今一つ、明確な輪郭が描かれておらず、史料のない部分や不安定な史料をどう扱ってゆくべきか、という問題が残されている。

 しかしそれは今後の課題であって、本論文が、日本中世・近世の流通・商業史の分野において多くの新知見を提出し、新たな研究の方向を提示した点において、博士(文学)論文として妥当であると判断するものである。

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