学位論文要旨



No 113776
著者(漢字) 河内谷,幸子
著者(英字)
著者(カナ) カワチヤ,サチコ
標題(和) 計算機支援の描画における操作負荷の分析と削減
標題(洋) Analyses and Reduction of Operational Overhead in Computer-Assisted Drawing
報告番号 113776
報告番号 甲13776
学位授与日 1998.05.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3463号
研究科 理学系研究科
専攻 情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 萩谷,昌己
 東京大学 教授 辻井,潤一
 東京大学 教授 平木,敬
 慶應義塾大学 教授 安村,通晃
 静岡大学 教授 黒須,正明
内容要旨

 現在広く普及している描画エディタは,必要な精度を満たす描画を行うための機能は充実しているが,操作時間の短さは必ずしも満足のいくものではない.本論文ではこの問題をヒューマンインタフェースの観点から分析・検証し,その解決法を提案する.

 まず,既存の描画エディタを用いた描画操作をビデオ記録と発話しながらの操作(発話ブロトコル法)により分析した結果,試行錯誤やミス操作の時間が20〜50%近く存在することがわかった.このような問題点の理由を追求するために,図1のような描画操作モデルを提案する.

図1 描画操作のモデル

 このモデルの特徴は,描画エディタを使った描画操作で扱われる図形表現には「具体的図形」と「抽象的図形」の2種類があると考えている点である.具体的図形は目で見ることのできる形を持った図形である.図中の(i)はユーザの頭の中にあるイメージであるが,絵そのものであるので「具体的図形」に分類する.一方,「抽象的図形」は複写・回転といった描画エディタの機能の組み合わせとしての図形表現である.本論文では,抽象的図形の扱いがユーザにとって心理的負荷となっていることが描画操作に時間がかかる原因であると推測し,描画操作の分析による裏付けと,改善のための提案と評価を行う.

 このような具体的図形の階層と抽象的階層の2層によるモデルの中で,ユーザの行動は,(A)描きたい絵を描画エディタの機能の組み合わせへと変換する操作(「コマンド化プランニング」),(B)描画エディタの機能を使った描画操作,(C)位置合わせなどの微調整の操作,(D)最終図形と描きたかった絵との比較評価を行うフィードバック操作,のように捉えられる.また描画エディタに関する従来の研究は,このモデルの観点から次のように位置づけられる.描画エディタの描画機能の増加及びマクロや幾何制約の与え方を改良するアプローチはエディタ操作(B)の効率を上げているが,逆にコマンド化プランニング(A)の負担を大きくすることがある.操作履歴を利用した補助を行うProgramming by Exampleはフィードバック(D)の回数を減らす効果がある.しかしこれらの研究が必ずしも操作時間を削減できないのは,どの研究も抽象的図形の扱いを削減していないのが原因であると考えられる.

 図1の2層モデルは,認知工学の分野で有名なノーマンのモデルを描画エディタに特化したものでもあり,ノーマンの「実行の橋・評価の橋」が本モデルの(A)と(D)にそれぞれ対応する.2層モデルではノーマンのモデルに具体的図形と抽象的図形の概念を導入したことで,図形描画の操作と問題点を捉えやすくしている.理想の描画エディタの条件はこのモデルにおける抽象的階層の操作を減らし,具体的図形の階層を重視することである.本論文では,そのための手法として「スケッチ注釈法」「網点訂正用紙法」「候補選択法」の3つを提案する.このうち,抽象的図形層でのユーザ操作を完全に排除した新しい描画方式が「候補選択法」である.

 図2は候補選択法の操作モデルである.まずユーザは手書きスケッチを入力する.システムはこれを認識し,認識結果を何通りか提示する.ユーザは候補の中から好みの結果を選択する.この時,システムが提示する認識候補の中には水平・垂直や,すでに描き込まれた図形との接続・平行・直交・対称などの人間にとって重要な幾何制約(知覚的制約)が考慮されている.候補生成に使われた制約も候補と同時に提示する(図3).このような知覚的制約を満たす認識が行われるため,複写・回転のような編集操作は必要でなくなり,ユーザは抽象的図形の扱いから解放される.

図2 理想の描画モデル図3 候補選択法にもとづく描画エディタ「GIGA」の操作例

 本論文では次に,評価実験により候補選択法の有効性を示す.実装システム「GIGA」を用いた操作を.広く普及しているオブジェクト指向型描画エディタのCanvas(マウス入力),およびスケッチ整形型エディタのSmartSketch(ペン入力とマウス入力の両方)と比較する.オブジェクト指向型描画エディタを3年以上使っている被験者13名に,菱形や二等辺三角形のような単純な絵を6種類描いてもらう.描画中,自分が何をしようとしているか発話してもらい(発話プロトコル法)それをビデオに記録する.実験は初めて描く(実験A),各被験者が実験Aの自分の操作をビデオで確認し,よく練習した後でミスなく描く(実験B),単純な線を自由にすばやく数本描き,直線描画の物理的時間を求める(実験C)の3種類行った.この実験結果をもとに,各種の分析を行った.

 1.まず,被験者によって描画手順が何種類あったかを調査した(表1).従来エディタでは1つの絵に対して複数通りの描き方がみられた.一方GIGAでは描画手順が1通りであり,手順の戦略に迷わなくてすむことがわかる.

表1 6個の単純な絵における描画手順の種類

 2.次に,各エディタにおける操作ステップ数を分析した.「1操作」を「メニューの選択1回」または「描画操作においてマウスボタンを押してから離すまで(又はペンをパネルにつけてから離すまで)」と定義し,操作全体にかかった操作数と,ミスなしの理想の操作数を比較した(図4).GIGAは従来システムと比べて全体の操作数が半分以下である上に,理想と実際の差も少ない.

図4 実際の操作数と理想の操作数

 3.上記の1操作それぞれにかかる時間を調べた.CanvasやSmartSketchでは1操作に10秒以上かかる操作がかなりみられた.これがGIGAではほとんど無く(全操作の1%以下),描画戦略を考える時間が少なくてすむことがわかる.

 4.さらに,操作時間を以下の4種類に分ける分析を行った.

 T1:無駄な操作に使われた時間 …実験Aの操作分析により手作業で抽出

 T2:不慣れな操作による負荷の時間(プランニングを含む) …(実験Aの時間)-T1-T2-T4

 T3:必要不可欠な物理的負荷の時間(位置合わせなど) …(実験Bの時間)-T4

 T4:線を描くために最低限必要な時間 …(実験Cの時間)×22,ただし22は線の数である

 結果を図5に示す.第一層(T1)と第二層(T2)は心理的負荷による時間と考えられる.GIGAではこの部分の時間がCanvasの5分の1,SmartSketchの9分の1程度ですんでおり,心理的時間の削減がみられた.

図5 操作時間の4層分析

 5.続いて,絵を構成する線の数と操作時間の関係を調べた(図6).従来エディタでは両者に相関性が見られず,描画作業の複雑さは見た目の複雑さである線分の数では決まらないことがわかる.一方GIGAでは線分の数と操作時間に比例関係がみられる.これから,GIGAでの描画操作は具体的図形だけを扱っていると考えることができる.

図6 絵を構成する線の数と操作時間の関係

 6.最後に,GIGAの操作インタフェースにおける「候補選択が頻繁で作業を妨げないか」「目的の候補が出なくて描き直しになることが多くならないか」という疑問について調査した(表2).第一候補に決まる率が94.8%と非常に高く,描き直しは2.4%程度ですんでいる.そのため,上記の点が描画の大きな妨げとなることはない.

表2 GIGAにおける候補選択率

 以上の分析結果から,抽象的図形の扱いを排除した候補選択法により,描画効率を上げられることが定量的に示されたといえる.このことにより,本論文における操作モデルや理想の描画エディタの提案が正しいことが示された.

審査要旨

 本論文は,現在広く普及している描画エディタの問題点をヒューマンインタフェースの観点から分析・検証し,その解決法を提案したものである.本論文は全部で9章から成り,第2章から第3章において,現状の描画エディタの問題点を分析し,第4章から第6章において,それらの問題点を解決する方法を提案し,第7章において,その方法の評価が行なわれている.

 第2章から第3章において,既存の描画エディタを用いた描画操作をビデオ記録と発話しながらの操作(発話プロトコル法)により分析した結果,試行錯誤やミス操作の時間が20〜50%近く存在することがわかったことが述べられている.このような問題点の理由を追求するために,第4章において,次のような描画操作モデルを提案されている.

 このモデルの特徴は,描画エディタを使った描画操作で扱われる図形表現には「具体的図形」と「抽象的図形」の2種類があると考えている点である.具体的図形は目で見ることのできる形を持った図形である.ユーザの頭の中にあるイメージは,絵そのものであるので「具体的図形」に分類する.一方,「抽象的図形」は複写・回転といった描画エディタの機能の組み合わせとしての図形表現である.本論文では,抽象的図形の扱いがユーザにとって心理的負荷となっていることが描画操作に時間がかかる原因であると推測され,描画操作の分析による裏付けと,改善のための提案と評価が行われている.

 本論文では,理想の描画エディタの条件はこのモデルにおける抽象的階層の操作を減らし,具体的図形の階層を重視することであると結論付けられ,第5章では,そのための手法として「スケッチ注釈法」「網点訂正用紙法」「候補選択法」の3つが提案されている.このうち,抽象的図形層でのユーザ操作を完全に排除した新しい描画方式が「候補選択法」である.

 第6章では,候補選択法の操作モデルについて詳しく説明されている.まずユーザは手書きスケッチを入力する.システムはこれを認識し,認識結果を何通りか提示する.ユーザは候補の中から好みの結果を選択する.この時,システムが提示する認識候補の中には水平・垂直や,すでに描き込まれた図形との接続・平行・直交・対称などの人間にとって重要な幾何制約(知覚的制約)が考慮されている.候補生成に使われた制約も候補と同時に提示する.このような知覚的制約を満たす認識が行われるため,複写・回転のような編集操作は必要でなくなり,ユーザは抽象的図形の扱いから解放される.

 第7章では,評価実験により候補選択法の有効性が示されている.実装システム「GIGA」を用いた操作を,広く普及しているオブジェクト指向型描画エディタのCanvas(マウス入力),およびスケッチ整形型エディタのSmartSketch(ペン入力とマウス入力の両方)と比較する.オブジェクト指向型描画エディタを3年以上使っている被験者13名に,菱形や二等辺三角形のような単純な絵を6種類描いてもらう.描画中,自分が何をしようとしているか発話してもらい(発話プロトコル法)それをビデオに記録する.実験は初めて描く(実験A),各被験者が実験Aの自分の操作をビデオで確認し,よく練習した後でミスなく描く(実験B),単純な線を自由にすばやく数本描き,直線描画の物理的時間を求める(実験C)の3種類行った.この実験結果をもとに,7種類の分析を行った.

 1.まず,被験者によって描画手順が何種類あったかを調査した.従来エディタでは1つの絵に対して複数通りの描き方がみられた.一方GIGAでは描画手順が1通りであり,手順の戦略に迷わなくてすむことがわかる.

 2.次に,各エディタにおける操作ステップ数を分析した.「1操作」を「メニューの選択1回」または「描画操作においてマウスボタンを押してから離すまで(又はペンをパネルにつけてから離すまで)」と定義し,操作全体にかかった操作数と,ミスなしの理想の操作数を比較した.GIGAは従来システムと比べて全体の操作数が半分以下である上に,理想と実際の差も少ない.

 3.上記の1操作それぞれにかかる時間を調べた.CanvasやSmartSketchでは1操作に10秒以上かかる操作がかなりみられた.これがGIGAではほとんど無く(全操作の1%以下),描画戦略を考える時間が少なくてすむことがわかる.

 4.さらに,操作時間を以下の4種類に分ける分析を行った.

 T1無駄な操作に使われた時間

 実験Aの操作分析により手作業で抽出

 T2不慣れな操作による負荷の時間(プランニングを含む)

 (実験Aの時間)-T1-T2-T4

 T3必要不可欠な物理的負荷の時間(位置合わせなど)

 (実験Bの時間)-T4

 T4線を描くために最低限必要な時間

 (実験Cの時間)×22,ただし22は線の数である

 第一層(T1)と第二層(T2)は心理的負荷による時間と考えられる.GIGAではこの部分の時間がCanvasの5分の1,SmartSketchの9分の1程度ですんでおり,心理的時間の削減がみられた.

 5.続いて,絵を構成する線の数と操作時間の関係を調べた.従来エディタでは両者に相関性が見られず,描画作業の複雑さは見た目の複雑さである線分の数では決まらないことがわかる.一方GIGAでは線分の数と操作時間に比例関係がみられる.これから,GIGAでの描画操作は具体的図形だけを扱っていると考えることができる.

 6.最後に,GIGAの操作インタフェースにおける「候補選択が頻繁で作業を妨げないか」「目的の候補が出なくて描き直しになることが多くならないか」という疑問について調査した.第一候補に決まる率が94.8%と非常に高く,描き直しは2.4%程度ですんでいる.そのため,上記の点が描画の大きな妨げとなることはない.

 以上の分析結果から,抽象的図形の扱いを排除した候補選択法により,描画効率を上げられることが定量的に示されたといえる.このことにより,本論文における操作モデルや理想の描画エディタの提案が正しいことが示された.

 なお,本論文は,五十嵐健夫氏,松岡聡氏,田中英彦氏との共同研究に基づいているが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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