リヒャルト・ヴァーグナーの音楽家としての偉大さ、なかんづく「トリスタンとイゾルデ」における半音階的和声の大胆な導入などによって西洋音楽の伝統的な調性の根本をも揺るがし、シェーンベルク以降の無調音楽への途を切り開く結果になったこと、また「輝かしい世界精神を備えた自由で芸術的な人間」のための「未来の芸術作品」をめざして、「ライトモチーフ」や「無限旋律」などによってオペラを音楽技法の点でも大きく革新し、きわめてユニークかつ優れた「総合芸術作品」を次々に創造したこと等々、その大きな功績についてはいまさら多言を要しない。彼の後世に対する影響は、いわゆるクラシック音楽の範囲にとどまらず、文学を含む諸芸術、さらには現代思想の広範な領域にも及んでいる。その諸メディアの融合ということでは、今後もしばらくアクチュアリティを失わないだろう。 しかし他方、この巨匠ヴァーグナーが同時に、『音楽におけるユダヤ性』等の著作において激越で挑発的な反ユダヤ主義的言辞を弄してきたことは、「ヴァーグナーというケース」を、良くも悪くも今日でもアクチュアルにしている。熱狂的なワグネリアンでもホロコーストのあとで、ナイーヴに「巨匠(マイスター)」ヴァーグナーの挑発的な言辞を共有するわけにゆかないからである。 本論文は、ヴァーグナーのオペラ作品-ことに後期の「楽劇」-を解読しながら、彼の反ユダヤ主義がいかに作品のなかに浸透しているかを綿密に跡付けた仕事であるが、毀誉褒貶の激しいヴァーグナー作品を、その反ユダヤ主義というネガティヴな側面において、可能な限り客観的に示そうとした点に大きな学問的功績が認められる。反ヴァーグナー派は、ヴァーグナーの楽劇からホロコーストまでまっすぐな一本道が通っていると主張し、方やヴァーグナーを崇拝するあまり、彼にまつわるネガディヴな一切に耳を貸したくないとする人々もある。こうした極端な対立のなか、本論文で著者は、ヴァーグナーの悪名高い「音楽におけるユダヤ性」などの論文を傍らに置きつつ、作品に形象化されているものから、イデオロギーとの併行関係を解読してゆくのだが、過剰な読み込みに陥らぬようつとめる著者の禁欲的な態度は称賛に値する。こうした態度に貫かれた仕事の全体は、日本におけるヴァーグナー学への着実な貢献になるとともに、もっと広い範囲で冷静なヴァーグナー理解の役立つものと期待される。ヴァーグナー理解がどうしても一方的な讃仰の方に傾きがちな日本で、方法上の慎重さに裏打ちされた本論文の示すところは、冷静な見直しを迫ることになるだろう。 本論文の「序文」では、まず研究史を振り返りつつ概括的な問題提起をおこないながら、同時に、著者がドイツ留学中大いに影響をこうむったミュンヘン大学のハルトムート・ツェリンスキーが主張するように、反ユダヤ主義はヴァーグナー作品の核をなしている、とするのは同調しがたいとしている。 因みにツェリンスキーは著者に少なからぬ影響を与えている。1980年前後、このミュンヘンのドイツ文学者は、ヴァーグナーと反ユダヤ主義との結びつきに関して、舌鋒鋭い論調で多くの論攷を矢継ぎ早に発表して、戦後ドイツの「過去の克服」の問題圏のなかですでにヴァーグナーの禊ぎは終わったとするワグネリアンたちの逸夢に水を差し、ことに「パルジファル」に関して激しい論争を巻き起こした。著者はこうしたツェリンスキーの仕事に慎重な修正を加えつつ、さらに対象の分節化・精密化をはかっている。 さて本論の第一章「ヴァーグナーと反ユダヤ主義」において、まず伝記的なデータをたどりながら、その第一節では「ヴァーグナーの革命志向とユダヤ人問題の結びつき」の問題にアプローチしている。第二節では、「コージマの《日記》に見られるヴァーグナーの反ユダヤ観発展の諸相と同時代のドイツにおける反ユダヤ主義」、第三節では、「ヴァーグナーとユダヤ人との交友」という局面を取り上げている。 著者は、普仏戦争以後、従来の宗教的反ユダヤ主義とは質的に一線を画される反ユダヤ主義が、トライチュケやマルなどの端緒的な人物から始まって、ドイツ帝国においてすさまじい勢いで広がるさまを略述しながら、グレーゴア=デリンやツェリンスキーと同様大部のコージマの日記に主として因りながら、ヴァーグナーおよびコージマ、さらには友人など、彼の周辺にいた人々の反ユダヤ主義について検証している。 この検証の中で指摘されているように、ヴァーグナーがパリ滞在時代に世話になった、当時のオペラ作家の大物マイヤーベーアはユダヤ人であるが、彼とヴァーグナーとの関係は、少なくとも生活的にきわめて追い込まれたヴァーグナーの側からするとマゾヒスティックな卑屈なものになった。二人のこの奇妙な権力的関係が、ヴァーグナーの演じる役割は逆転しつつもヴァーグナーの弟子格のユダヤ人たちとの関係において反復された、という資料調査に基づく指摘はきわめて示唆的である。後の大成したヴァーグナーが周囲に多くの崇拝者を集めたなかで際立っていたユダヤ人たち、つまりカール・タウジヒ、ヨーゼフ・ルービンシュタイン、ヘルマン・レーヴィの三人に対する彼の態度は、パリにおける窮状きわまった彼のそれを、強制的に反復させるものであったからである。こうした点で著者の分析は実証的にたしかで、信頼に値する。 「ヴァーグナーの舞台作品に見られる反ユダヤ思想」と題された第二章では、「ニーベルングの指輪」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「パルジファル」のヴァーグナー晩年の三つの作品において、反ユダヤ主義が、どのように表現されているか、具体的にさぐっている。この章は著者がもっとも力を込め記述したものであることは、記述に割いたページ数が優に全体の半分を超えるという量的なアンバランスにも現れているが、しかし何といっても、ひとつひとつの論証に込められた説得力がその証左となっている。たとえば、作品のなかで登場人物のベックメッサーがユダヤ人であることは決して明示的に示されることのない「マイスタージンガー」が、にもかかわらず、そのもっとも奥底で反ユダヤ主義的であることは、上演に際しての「アーリア人」観客の反応からもはっきりすると、著者はコージマの日記の記述から証明しているのである。この作品の1868年ミュンヘン初演は大成功だったが、翌年『音楽におけるユダヤ性』の増補再版が出されて、たとえばマンハイム上演の際スキャンダラスな騒ぎのもちあがったことが、コージマの日記に報告されているからである。またこれは、多大な時間を要する誠実な作業なくしては考えられぬ記述である。 そして「『未来の芸術作品』と十九世紀後半のドイツ精神」と題された終章において著者は、主としてニーチェのヴァーグナー批判によりながら、ヴァーグナー最晩年の「見ながら沈黙をつづける」という表現に見られる姿勢が、外部世界にコミットすることなく芸術作品自体によって影響を行使しようという、ヴァーグナーの意識的な「両義性」のあらわれであり、このあいまいさのなかに反ユダヤ主義が力をふるう根拠があると結論づける。結論部に当たる第三章は、量的にもっとあってしかるべきと思われるが、しかし内容的には筋の通ったものである。第二章で展開された反ユダヤ主義の実例調査において明らかになったように、いかに状況証拠の点では彼が濃厚な反ユダヤ主義的意味づけをおこなっていても、作品のなかでヴァーグナーは直接的な反ユダヤ主義表現をきわめて慎重に避けており、著者は、こうしたことがヴァーグナーの意識的な戦略であることを、ヴァーグナー自身のことばや、後年徹底的な批判者となったニーチェを援用しつつ明らかにしているので、全体の論理構成の観点からは首尾一貫したものであることが分かる。 ヴァーグナーに関心をもつ多くの者をただちに感情的に興奮させてしまう反ユダヤ主義と彼との関係という対象を、確実な手捌きで冷静に実証的に論証したことは、いうまでもなく著者の大きな手柄であるが、審査委員会では、彼女に対しいつくかの注文も出された。楽劇のあらすじを紹介する必然性があったとすれば、その叙述の方法にもっと意を用いるべきではなかったのか、とか、あるいは、ドイツ語文献の解釈に関して、細部にはなお不充分な箇所もあったなどの指摘もあった。 しかしこうした瑕疵も従来の研究より一歩でも先に進もうとする意欲のあらわれであって、本論文の学問的貢献をいささかも減じるものではない。決して読みやすいものではないヴァーグナーの著作や数千ページにおよぶコージマの日記などに取り組んだとき発揮された著者の積極的な努力によって、そうした欠点ももただちに克服されるものと確信している。 以上、審査委員会は本論文の総合的な評価に上に立って、本論文を「博士(学術)」の学位を授与するに十分な業績であると判定する。 |