学位論文要旨



No 113780
著者(漢字) 吉川,惠健
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,シゲトシ
標題(和) 宿主-寄生者ゲーム力学系における相利共生の進化
標題(洋)
報告番号 113780
報告番号 甲13780
学位授与日 1998.05.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第180号
研究科 総合文化研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 江里口,良治
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 助教授 佐々,真一
内容要旨 はじめに

 一般に生物間の共生は,寄生関係にあったものから進化してきたと考えられている.しかし本来対立する利害関係にあったものが,共生へと進化してくることは自明ではない.この研究では,宿主-寄生者系の共生への進化において重要な役割を果たす力学的側面を明らかにする.

 これまで協調(共生)の進化に関して,進化ゲーム理論をもちいた研究が多くなされてきた.これらの研究に大きな基盤を与えたモデルとして,「囚人のジレンマ」と呼ばれるゲームが挙げられる.このゲームでは一度きりの対戦では非協調的な手が最適であるのに対して,繰り返し同じ相手と対戦すると協調的な手が選ばれるようになる.「しっぺ返し」と呼ばれる戦略はこうした協調の進化のための重要な機構として考えられている.他には,社会的規範といった大きな集団での秩序の形成を促す機構としては「相互監視」が挙げられている.これらの研究は,協調の進化機構のもつアルゴリズム的な側面に焦点をあてた研究として位置付けられる.

 本研究では,より一般的に力学系の視点から協調性の進化・維持の機構を捉えることを目指す.そのためにここではゲーム力学系と呼ばれているモデルを扱う.この力学系は動物行動などの戦略の進化を記述するために提案されたモデル方程式である.本研究では,多数の宿主(ホスト)と寄生者(パラサイト)の集団の進化をこの方程式によって記述し,両者の間での共生関係の樹立と維持の動的な仕組みを力学系の観点から特徴付ける.

カオスの縁での相互協調

 多数の個体を含む宿主と寄生者の集団間の相互作用を,利得行列で表現する.すなわち各集団を構成する各個体は,この行列のひとつの手(純粋戦略)に相当する.ゲームを規定する行列の要素は,部分的にゼロサム関係を破られたランダム・ノンゼロサムで与えられる.つまり相互作用の大部分では宿主が寄生者に搾取され,一部の宿主と寄生者の個体の組に関してのみ,宿主も利益を得ることができるように設定する.個体の集団内での頻度分布がゲームの混合戦略を与え,各集団の平均得点が両者の協調関係の目安となる.

 このゲーム行列において,ゲーム論で論じられるミニマックス戦略をパラサイトが採ると,宿主は得点が著しく低く,搾取された状態になる.一方,ホストにも利益をもたらす戦略の組は,進化的に安定な戦略ではなく,このゲームの協調解としては非常に不安定なものとなっている.いいかえれば,ゲーム論的に合理的な(ミニマックス)戦略は協調を生み出さないのに対して,合理性を破るような不安定な混合戦略は協調関係の成立の契機となる可能性がある.

 離散時間のゲーム力学系によって混合戦略を時間発展させると,個体の頻度はその利得の大小に応じて不規則に増減する.多数の個体を含むようなゲーム力学系にしばしば観察される現象として,複数のサドル的平衡点がつながったへテロクリニック・サイクルへの漸近的挙動があげられる.この系でも観察されるそうした状態では,各集団を占有している個体が時間的に入れ替わり,協調的な戦略は出現しても安定に維持されない.このような漸近的な振る舞いは,個体の突然変異によって消滅する.ここで突然変異は,二進数列として表現した遺伝子型の0/1の反転として定義する.また突然変異率の値は,ある混合戦略から他の混合戦略への移り変わりの速さに対応する.

 変異率に応じて,この系は安定固定点,準周期,カオスなどの多様な振る舞いを示す.系が安定なとき宿主は寄生者に著しく搾取され,逆にカオス状態では双方の間で激しい応酬の様相を呈する.宿主と寄生者両方が同時に高い得点を示す相互協調は,「カオスの縁」と呼ばれる秩序とカオスの境界において動的(準周期)にもたらされる.このことは,カオスの縁の状態がゲーム論的には寛容と懲罰の釣合いのとれた状態であることを意味する.これまで生物進化の到達点としてカオスの縁が議論されてきたが,本研究においては相互協調の出現にとってカオスの縁が重要な役割を果たすことが示された.

変異率の自律進化とカオスの縁

 ここではどのような変異率が選ばれるかを見るために,自律的に突然変異率を進化させるメタレベルのゲーム力学系を導入する.シミュレーションの結果,系はカオス的な変動を示し,変異率はカオスの縁領域に到達は可能だが,固定されることはないことが明らかになった.協調状態の生成と崩壊に連動した形で,変異率は広い領域を変動する.協調状態の成立に伴って変異率は減少し,崩壊と同時に急増する.

 このような自律的変異率の振舞は「ホメオカオス」の系において既に見出されている.ホメオカオスは大自由度の弱いカオスとして特徴づけられる.しかし,このホメオカオスと比べてここでのカオスが著しく異なる点は,有効な自由度が小さいことである.生物群集の多様性と安定性を両立させる機構として提出されたホメオカオスに対して,この少数自由度カオスは,群集がランダムな関係からノンランダムな関係への進化するときに成立するひとつの可能な力学状態といえる.また,この系に内在する生成と崩壊のダイナミクスは,現実の生態系で観測されているわけではないが,突然変異率を自ら変化させるような多種系にもたらされる可能性がある.

まとめ

 力学系の観点から相互協調の機構を調べるために,宿主・寄生者ゲームにゲーム力学系を導入した.ヘテロクリニック・サイクルをもつこの力学系は,突然変異の導入によって安定固定点,準周期,カオスなどの多様な振る舞いを示す.協調状態はカオスの縁状態で動的に達成される.さらにメタレベルのカオス的な力学系は,変異率をカオスの縁を含めた広い領域を変動する.

 近年,野外および実験室で観測された種間の相互作用系においてカオスを生成する機構が内在することが示されており,特にその非線形系の多くがカオスの縁の状態にあることが見出されている.このような挙動をもたらす非線形系の生成機構に関してはまだ解明されていないが,実際の時系列からはセルオートマトンより連続状態の力学系がモデルとして妥当であることがわかる.本研究の結果は,カオスの縁(準周期)において種間に共生関係が成立するという点で,その理論的基礎を与える可能性がある.

審査要旨

 論文提出者の主な研究テーマは、生物間相互作用系にみられる協調性の進化を、ゲーム理論と力学系の2つの視点から捉えようとするものである。それを博士論文「宿主-寄生者ゲーム力学系における相利共生の進化」として提出した。本論文で扱う研究の目的と背景の概要は以下のとおりである。

 生物のいろいろな階層に宿主と寄生者の関係が認められる。特にその関係が共生関係へと発展していく「共生進化」の過程が注目され、生物学の分野で研究されてきた。例えば真核生物や多細胞生物の進化、さらには生物多様性をもたらす要因として、共生進化の役割が注目されている。このような共生進化の数理モデルとして、ひとつにはゲーム理論的なもの、もうひとつに力学的なアプローチがある。ゲーム理論的なアプローチでは、宿主と寄生者の相互作用をゲームとして扱うことで、共生状態が選ばれるを根拠を論じることができる。一方、力学系的アプローチではアトラクターとしての共生状態がいかに選ばれるかを、力学系の動的性質として論じることができる。

 共生進化の鍵となるのは、広い意味での突然変異率の扱い方にあると考えられる。論文提出者は、この突然変異率自体の進化に注目して、共生進化をとらえようとしている。まずゲーム理論と力学系をあわせたモデルシステムを考える。そのうえで、そのモデルシステムに突然変異率を導入し、共生進化における突然変異の大きさの効果を議論する。さらにその突然変異率の進化を解析することで、その共生状態がはたして進化的に到達可能かどうか、について議論している。これらはすべて計算機の中での実験として解析される。結果として、突然変異率をコントロール・パラメターとして系の力学的な状態を変えることにより、カオスと周期解の境界附近で共生状態が実現することが見出された。その共生状態が進化的に到達可能かどうかは、突然変異率の値を変えていった時のアトラクターの共存状態やカオスアトラクターの分布状態によって決まることが論じられている。

 本論文の第1章は序論であり、以上のような研究の背景や本研究の目的と意義が述べられている。またゲーム力学系の基本的な枠組と、そこで得られている知見について紹介されている。第2章では、第1章の枠組を発展させて、突然変異の力学的な定式化を与え、突然変異の大きさと力学状態の比較、および共生状態と力学状態の対応づけが行われている。第3章では、第2章で導入した突然変異がさらに進化する力学系の定式化を試み、共生状態が進化的に到達可能かどうかを考察している。第4章はまとめで、本研究で得られた結果と将来の発展方向などに関する展望が述べられている。

 特に本論文の第2章と第3章で報告されている成果の概要は以下のとおりである。第2章では、宿主と寄生者の進化をゼロ和ゲームとして相互作用を設定し、さらにそこに摂動を与えたゲーム力学系として定式化する。このゲーム力学系を用い、その安定性が突然変異率の大きさに敏感であることが示された。突然変異の効果が考慮されていない宿主と寄生者の力学系の振舞いは、ヘテロクリニックな軌道が持つ構造不安定性によって特徴づけられる。突然変異率の導入はこの構造不安定性を解消するが、準周期アトラクターの崩壊、あるいは周期倍化を伴ったストレンジ・アトラクターとしてのカオス的不安定性が出現する。後者のシステムに見つかる共生状態は、ほとんどがカオスと周期解の境界にある「中立安定な力学的状態」であることを発見した。過去にもいろいろなモデルにおいて、中立安定な力学的状態の良さが推察されている。このモデルは、より一般的な枠組でその可能性を示唆するものである。しかしより興味のある点は、そのような中立安定な力学的状態への進化の到達可能性である。すべての中立安定で共生的な状態が進化的に可能なわけではない。そのことは第3章において突然変異率自体の進化の力学を導入し、議論される。

 第3章では、突然変異率の進化力学(これをメタ進化とよぶ)を扱う。これは突然変異率が遺伝子上にコードされているために、高い突然変異率ほどその影響を受けて失われやすい、という仮定に基づく力学システムである。この仮定は以前に池上らによって提唱されたものであるが、ここでは同じ枠組を、このゲーム力学系に用いたモデルで再考し、次のような興味深い結果を得ている。

 1)中立安定な力学的状態がメタ進化の到達点になるかどうかについて。これは宿主と寄生者の突然変異率をいろいろな値に固定したとき、そのアトラクターの分布によって大よそ決められることが示されている。共生状態に対応させることのできる中立安定な力学的状態は、突然変異率の比較的大きな領域に見つかる。このとき突然変異率が低いところにカオスアトラクターがないと、この中立安定な力学的状態は保たれない。突然変異率が低いところにカオスが見つかる場合は、突然変異率を上昇させ、動的に共生状態を保つことが出来る。

 2)複数のアトラクターが共存するようなゲーム力学系について。メタ進化の力学は、第2章の力学系が示すところの共存するアトラクター間を行き来することが分かった。このため共存するアトラクターとそのアトラクターへの吸引領域の分布によって、システムの振る舞いが解析できる。もし共存するアトラクターから遷移して、突然変異率が低い領域にカオスを持たない軌道を経るならば、突然変異率は減少し始め、他のアトラクターは到達可能ではなくなる。しかしどのアトラクターからの遷移も、突然変異率が低い領域にカオスを持つような軌道を通るならば、メタ進化の力学の軌道はこれらのアトラクター間のカオス的遷移という形で共生状態を維持できる。

 これらの結果には、生態系の構造の変遷などを説明しうる可能性が示唆されており、そのことが第4章で議論されている。そこでも議論されているように、このモデルは生態系の動的側面の理論的枠組を与える研究のひとつとして注目される。

 以上のように本論文は、共生進化のゲーム力学系によるモデルを提案し、その振る舞いを計算機実験により考察したもので、実際の生態学への理論的寄与、ならびにゲーム理論の動的な解の理解への寄与、という観点から学問上貢献するところが十分あると思われる。よって本論文は博士(学術)の学位論文としてふさわしいものであると、審査委員会は認め、学術博士の学位論文として合格と判定する。

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