本論文は、労使関係の焦点をなす賃金決定制度と所得政策について、固有の理論枠組のもとに日本と韓国の実態を比較検討し、そこからいかなる知見が引き出されうるかを論じたものである。 全体は6章からなり、第I章序論で最近のこの分野における理論的到達水準をふまえて日本と韓国とを比較検討することの意義を述べたうえで、第II章でそのための理論モデルを整理し、賃金決定制度が集権的であるか分権的であるかと所得政策の型とが、その国の経済パフォーマンスを規定する重要な要因であることを指摘する。そのうえで、第III章では戦後日本の経過と実態を「所得政策なき、高度に調整された分権的賃金決定制度」の形成過程として、また第4章では1960年代以降韓国の経過と実態を度重なる政府介入にもかかわらず結果した「非調整的企業別交渉」として叙述したうえで、第V章でこうした相違をもたらした両国の労使関係政策・制度と労働市場構造を比較検討している。 その要点は、(1)高度成長以後の日本の労使関係政策が内需主導型成長を前提にした非抑制的なものであったのにたいして、民主化以前からの韓国のそれは輸出志向型経済成長を志向した抑圧的なものであったこと、(2)日本では協議型のマクロ・コーポラティズムが形成されたのにたいして、韓国ではネオ・コーポラティズム形成の試みが失敗に帰していること、(3)日本では内部労働市場がよく機能し労働力の階層化も企業内部で行われたのにたいして、韓国では企業にたいする外部労働市場からの圧力が圧倒的に強く働き続けてきたこと、(4)それらの結果としてローカル・レベルでは、低い分権的圧力と雇用優先的賃金決定行動が支配的な日本にたいして、韓国では高い分権的圧力のもと「生計費保障的」賃金決定行動が優勢であり続けてきたこと、などである。 これらをふまえて第VI章要約と結論で、著者は、同じ企業別交渉制度であっても、なんらかの意味で「集権的」な調整制度がなければ賃金安定と低インフレの方向には働かず、この意味で日本と韓国との比較は、一見同じように見える制度が背景となる労働市場など社会構造の相違によってまったく異なった帰結を生み出す具体的なケースである、などとして引き出される知見を整理している。こうした知見は、これまで日本的あるいは東アジア的などとして一様であるかのように見られがちであった制度や政策の、社会構造との関連における機能や効果の差を具体的事例の検討をつうじて明らかにしたものとして、学界に大きな貢献をなすものであろう。 このように本論文は、日本と韓国との賃金決定制度と所得政策を明確な理論枠組と事実経過に基づいて比較検討し、これまで正確に把握されていなかった両国の相違を明らかにすることをつうじて、この分野にいくつかの注目すべき知見を加えたものである。未開拓部分の多い分野であるため著者自身発見をまだ十分に定式化しえていない面もあるが、それはこれからの研究の過程でしだいに改善されていくであろう。 以上により、審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに値すると判定する。 |