学位論文要旨



No 113784
著者(漢字) 小澤,理樹
著者(英字)
著者(カナ) オザワ,マサキ
標題(和) フラーレン派生化合物・ポリマーの合成と物性
標題(洋)
報告番号 113784
報告番号 甲13784
学位授与日 1998.06.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4216号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 教授 橋本,和仁
内容要旨

 1990年にフラーレンの大量合成法が可能になって以来6年余り、物理学者を筆頭に、化学者、生物学者らによって目覚ましい研究がなされ、超伝導の発見を初めとする数々の成果が上げられてきた。すでC60の基本的性質がほとんど明らかにされた今、C60そのもの以上に、有機化学の大きなビルディングブロックとしてC60や他のフラーレンがどういった可能性を秘めているのかということに注目が集まっている。

 本研究では、こういった状況を踏まえ、基礎科学だけでなく応用まで含めた観点でC60の持つ可能性を探索的に追究している。このため、フラーレンポリマーの合成と物性、アルコール化C60であるフラレノールの水溶液中の挙動に関する電気化学的研究、およびフラーレン遷移金属化合物の合成とキャラクタリゼーションという3つの異なるテーマを軸に研究を進めている。

 ポリマーの合成に関しては、次のような事項がC60をポリマーに組み込む利点として挙げられる。

 i) フラーレンの持つ特性を他のポリマーの特性とを組み合わせられる。

 ii) 加工、成形に有利。

 iii)フラーレンを含んだポリマーはフラーレン特有の電気輸送特性や、光学特性、触媒性などをそのまま示すと考えられる。

 すでにかなり多種類の官能基がC60に導入されているため、C60を含んだ全く新しいポリマー形の合成が可能な状況となってきていることも、ポリマー合成を目指す上で重要な要因として挙げられる。

 C60の持つ重要な特徴の一つとして、電子がC60のケージ上で非局在化しているということがある。しかし、現在までに合成されたポリマーの報告によれば、C60の共役はケージ内に閉じこめられており、C60の共役系を分子外に引き出した例はない。共役のつながったポリマーの場合、蓄電池、非線形光学デバイス、磁性プラスチック等々、応用に対して非常に有望な材料となる可能性が強いため、本研究ではC60の特徴の中でも、特に共役系に注目した合成を行った。C60はほぼ球形をしているため、一般に共役系をその外まで延ばすのは難しいと考えられている。これに対し、C60を主鎖に取り込むときにシクロプロパン環を介してつなぎ、シクロプロパン環の持つ歪みを利用して共役系を延ばすことを試みた。つまり、炭素-炭素結合角は109.28度の時に歪みを生じないが、シクロプロパン環の場合これより大きくずれているために本来結合のボンドが性を持つように変化する可能性がある。

 また、すでに側鎖にC60が導入されたポリマーと樹枝状ポリマーは数種類合成が報告されている一方で、より電子物性に興味が持たれる主鎖にC60を含んだポリマーは、主にC60の溶解度の問題から高分子になったものはほとんどない。これに対し、ここでは共役系を繋ぐ可能性を持つC60パールネックレスポリマーの設計と合成を行い、さらにその物性を評価した。

 C60を主鎖に含んだコポリマーであるpoly(1,4-oxybisphenylene fullerenobisacet amide-co-isophthalamide)は、Scheme 1に示すようにシクロプロパン環を持ったC60(CHCOOH)2とジアミンを原料に、脱水縮重合により合成された。ジアミンには、共役系は途切れるが反応性の観点より4,4’-ジアミノジフェニルエーテルを選び、ジカルボン酸にはC60(CHCOOH)2と同時にイソフタル酸を用い、コポリマーの比率を変化させることでC60セグメントの及ぼす影響を調べた。C60(CHCOOH)2とイソフタル酸の仕込量の混合比率に応じ、C60(CHCOOH)2:イソフタル酸=m:nのそれぞれのコポリマーを[m/n]-コポリマーと呼ぶことにする。

Scheme 1 C60を主鎖に含んだコポリアミドの合成

 生成物のアミド結合の形成は、赤外吸収スペクトルのC60(CHCOOH)2のカルボニル基の吸収が、C60(CHCOOEt)2のカルボニル基の1720cm-1付近から1660cm-1付近ヘシフトすることから確認できる。また、粘度測定と光散乱法による重合度の評価から、固有粘度は全てのポリマーが1.5から4程度の比較的高い粘度を持つことより、ポリマーの形成が確認でき、また光散乱法から、5万から6万の絶対分子量が得られていることから、主鎖にC60を含んだ分子としては初めての高重合体が得られたことが分かった。光散乱法の結果からは、[1/50]-コポリマーでは1分子平均3.4個、[1/5]-コポリマーでは1分子平均18.9個のC60が含まれていることになる。

 次に、TG-DTA、DSCとFT-IRを用いて行った熱分析の結果、[0/1]-コポリマーの265℃付近のガラス転移温度はC60の比率が増してくるといったん上昇するが、転移幅が拡がり、明瞭でなくなる。これに対し分解温度はC60の存在により大きな変化を示していないが、分解温度は徐々に上昇するという挙動を示し、C60ホモポリマーでは400℃を越す分解温度を持つ。このように、C60ポリマーが熱的にかなり安定であることが明らかになった。

 一方、コポリマーの紫外可視吸収スペクトルにはFig.1に示すように、シクロプロパン環を介した結合による共役系の広がりを示唆する興味深い結果が得られている。すなわち、C60の比率の増加に伴うスペクトルの立ち上がりのレッドシフトが、共役系の繋がりが広がったことによるバンドギャップの減少を反映している可能性がある。フォトルミネセンス測定からも発光スペクトルの低エネルギー側へのシフトが見られ、この結果を支持している。

Fig.1 C60(CHCOOH)2(上)と各コポリマー(下)の紫外可視吸収スペクトル

 現時点で得られているポリマーからジアミンの種類、C60誘導体の構造異性体を変化させることなどでも様々なバリエーションが考えられ、物性評価と共に新物質合成としても今後期待できる分野であろう。

 これに対し、フラレノールに関してはC60自体にはなかった水溶性という特性が化学修飾により付与されており、研究対象としたフラレノールは水酸基を約24個有するために、C60の高い対称性からハリネズミのようになっており、このように全方向に水酸基のみ露出している分子がどのような特性を示すのかという興味により研究を進めた。

 サイクリックボルタンメトリーの結果、フラレノールが水のポテンシャルウインドウの範囲で電気化学的に不活性であることが分かったと同時に、フラレノール水溶液に白金電極を浸しただけでフラレノールが電極表面に十層以上の多層吸着が起こることが回転ディスク電極を用いた対流ボルタンメトリーと水晶振動子電極を用いた電極の微小重量変化測定により明らかになった。この吸着は大きな電位依存は示さないが、アノード分極時に促進されている様子が微小重量変化測定により観察された。また、いったん吸着したフラレノールが激しく水洗いしても容易に脱着せず、かなり安定に白金表面を覆っていることも分かった。さらに、一般に白金電極表面には電気分解により水素原子は単層吸着しかしないことが知られているのに対し、このフラレノールの吸着により、多層吸着が起こっていることがサイクリックボルタングラムの水素脱着ピークの増加とインピーダンス測定により認められている。これに関してフラレノールが水酸基で白金表面に吸着している場合に、フラレノールのケージと電極表面の隙間に水素原子が吸蔵される形で構造的に安定化され、多層吸着しているのではないかと考えている。

 最後にC60遷移金属化合物に関しては、C60を疑似元素とみなすと初めての負の遷移元素とみなせるという観点より、正と負の遷移元素を組み合わせに注目して合成を行った。C60と錯体を形成することでよく知られたフェロセンは分解温度がC60よりかなり低いため、C60錯体を約370℃で熱処理をすれば錯体中のフェロセンは分解し、温度勾配を付けておくと分解で生じた炭化水素が昇華してC60のFe化合物が得られることが知られている。これと類似の方法で、フェロセンの替わりにハフノセンジクロリドやジルコノセンジクロリドなどを用い、C60のHfあるいはZr化合物の合成を試みた結果、スピン密度はC601個に対し約10%以下と低いが、約130K以下で零磁場冷却と磁場冷却にヒステリシスを持ち、温度変化に対して200Kまでほとんど一定の磁化率を示す(ジルコノセンジクロリドより合成された生成物:〜1.6x10-4emu/g,at 2000G)温度変化に対する磁化特性が再現性よく見られ、磁化の磁場依存から典型的な強磁性的挙動が観察された。強磁性相の収率がかなり低く、構造が決定できていないためにC60に由来する強磁性である確認ができていないが、再現性や、HfやZr、あるいはその酸化物や塩化物などが反磁性体であることを考慮すると、現在知られている16Kに強磁性転移温度を持つC60-TDAE+よりはるかに高い転移温度を持つC60化合物が生成している可能性がある。

審査要旨

 本論文は、「フラーレン派生化合物・ポリマーの合成と物性」と題し、炭素第三の形態として注目を集めるフラーレンの派生化合物、及びポリマーを探索的に合成し、その物性評価を行った研究をまとめたものである。フラーレンの材料としての可能性を探索する上で、フラーレンの特異性を際立たせているその形状と電子構造に注目すると共に、目的に合わせてフラーレン誘導体化を設計、合成するという化学的手法によりアプローチした点が特徴的である。本論文は全5章より構成されている。

 第1章は序論であり、フラーレンに関する物理的、化学的性質全般についてのこれまでの歴史的背景を追い、今後のフラーレンの研究の展開について論じた上で、本研究の意義と目的、及び概要について述べられている。

 第2章では、C60を骨格の主な構成要素として持つ一次元の共役系鎖状ポリマーの合成と、その評価に関して述べられている。はじめに、フラーレンのクラスター上に非局在化した電子系をポリマー鎖上に引き出すために、共役系をつなぐ効果の知られているシクロプロパン環に注目している。シクロプロパン環を介してフラーレンをポリマー鎖に取り込むことで、共役系を伸ばす上でのフラーレンの持つ構造的な障害に対処し、共役系をつないだフラーレン高分子を合成することを提案している。この指針を基にした合成が行われ、その結果、C60を主鎖に含んだ鎖状ポリアミドの生成が確認されている。さらに、イソフタル酸とC60のコポリマーを合成し、ポリマー中のC60の比率を変えた時の熱的、光学的特性の系統的測定を行っている。C60コポリマーでは、ポリマー中のC60の比率の増加に伴う熱分解温度の低下が見られた一方で、イソフタル酸を含まないC60のホモポリマーにおいても、260℃付近まで安定であることが明らかにされている。また、光学特性においては、C60の増加に伴い、光学吸収吸収端とフォトルミネセンスのピーク波長にレッドシフトが見出されており、この結果よりシクロプロパン環を介したC60ポリマーの合成による、共役系フラーレンポリマーの可能性を主張している。

 第3章では、C60約24個の水酸基を導入したフラレノールC60(OH)n(n〜24)の水溶液中で示す挙動について述べられている。フラレノールは水のポテンシャルウインドウの中では酸化還元反応を示さない一方で、白金などの金属表面に非常に吸着しやすいことが明らかにされている。このフラレノールの吸着に対し、回転ディスク電極やQCM電極を用いた電気化学的な詳細な定量測定が行われ、フラレノールが金属表面に、水洗いでは容易に脱着しない数十層の吸着膜を容易に形成することが示された。また、この吸着膜が特定の酸化還元種をよく透過させることや、酸化還元反応に対する活性面積を減少させる一方で白金表面への水素吸着を促進させるなどの性質を持つことなどが観測されている。この水素吸着の促進効果については、水素のフラレノールと白金表面間の隙間への吸蔵による安定化が原因である可能性を主張している。ここで示されたフラレノールの特性を利用した応用例も提案されている。

 第4章では、C60遷移金属化合物の合成と、その磁気的性質について議論されている。メタロセンとC60を反応させて得た錯体を元に、錯体中のメタロセンを熱分解させ、生じた炭化水素を昇華除去することで、フラスコレベルでの種々のC60遷移金属化合物の合成を検討している。この方法により得られた化合物のうち、ハフニウムとジルコニウムを用いた場合に、これまでに知られているC60磁性化合物の転移温度である16Kをはるかに上回る180K以上まで強磁性的挙動が観測されている。ここでは、見られた磁性がC60と遷移金属の間で起こる電荷移動に由来するものと推論し、C60を負の擬似遷移元素と見立てた時の遷移金属との組み合わせの重要性について主張している。

 最後に第5章で、論文全体の結論が述べられている。

 以上のように本論文では、フラーレンの持つ特有の形状や電子構造を利用し、適当な設計をすることで、鎖状共役フラーレンポリマーや水溶性フラーレン誘導体、高温フラーレン磁性体など、機能性材料としての新たな可能性が広がることを示している。ここで得られた成果は、フラーレンの実用化に対する指針を供するばかりでなく、球状クラスター特有の形状や電子構造に由来する諸特性を理解する上で有意義なものと評価される。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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